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ポケット(小満)

 真夏のような陽気に急かされて、放っておいた冬物のコートを、ようやくクリーニングに出すことにした。
 私のコートが三着、夫のコートが二着。
 それぞれポケットの中を点検する。
 私のダウンジャケットのポケットからは、クシャクシャになったコンビニのレシートが出てきた。よそ行きのカシミヤコートからは美術展のチケットの半券。
 目立った汚れやほつれがないことを確認して、夫の通勤用のコートを手に取る。
 ずしりと重い。
 夫が部長になったとき、「コートぐらいは良いものを」と奮発して買ったウールのチェスターコートだ。
 以来、定年まで着続けたのだから、まあまあ元は取ったというものだろう。
 夫は、シャツや靴下は脱ぎっぱなしでも、コートとスーツ、靴の手入れだけは怠らなかった。
 こまめにブラッシングされたコートは、それでも僅かに埃のにおいがする。
 左のポケットからはガムの包み紙。内ポケットからは夫自身の名刺が一枚。
「女の人の名刺じゃなくて良かったわね」と、独り言が出る。
 昔々、香水の匂いが染み付いた名刺が出てきて、大騒ぎになったっけ。
 右のポケットから、私のと同じチケットの半券。
 美術展に誘ったら、珍しく「一緒に行くか」と、付いてきたのだ。
 あの後、何十年ぶりかで二人だけで外食した。
 仕事の付き合いでよく使ったのだというフレンチの店に連れて行ってくれた。
 特に会話もない。なくても気にならない。
 ただ、ワインの選び方や、ナイフとフォークの扱い方などがなかなか手慣れていて、内心驚いた。
 私の知らない場所で、夫が積み重ねてきた時間があったのだ。
 思い始めると手が止まる。
 私はわざと、バタバタ乱暴にコートを叩いた。
 こつん。
 硬い感触が手のひらに当たる。
 右のポケットに、まだ何か入っているらしい。
 男物のコートはポケットも深い。思いきり手を突っ込んで底を探る。
 指先が、ひやりと冷たく丸っこい物を捉える。
 摘み出してみれば、ガラス玉。青いマーブル模様が揺れるビー玉だった。
 手のひらに乗せて、しげしげと眺める。子供の頃、こんなビー玉をたくさん集めたっけ。
「それにしても、何故?」
 ビー玉なんか、どうしてポケットに入れていたのだろう。夫が自分で入れたのだろうか。息子家族とは離れて暮らしているから、幼い孫の悪戯だとは思えない。
 私の体温で少し温まったビー玉は、手のひらに鎮座している。

 定年を迎えた日の夜、帰宅した夫に「長いことお疲れさまでした」と言うと、夫は「いやいやいや」と手をパタパタさせて照れ笑いをした。
「母さんにも苦労かけたな」と、殊勝なことを言うものだから、「苦労かけたと思うなら、何か形にしてくださいな。お父さんからのプレゼントなんて、もう何十年貰ってないか…」とまぜっ返した。
「いいぞぉ。ダイヤか?真珠か?でかいのを買ってやる」
 送別会で飲んだせいだろう、陽気な答えが返ってきた。
「宝石なんか要りませんよ。ガラス玉で充分なの」
 夫はちょっと真面目な顔になって、「ほんと、母さんには感謝感謝だな」と呟いて、ちょんと頭を下げた。

「まさか、本当にガラス玉をくれる気だったの?」
 真新しい仏壇に、ビー玉を置く。
 もちろん答えはない。
 写真の夫がにやりと笑ったように見えたのは、光の加減だろう。
「ガラス玉でもね、嬉しいものなのよ」
 ビー玉に朝の光が当たる。

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写真のミニブーケは、健やか美人な園芸家さん(とお呼びすればいいのかしら。農家さん?)の手作り。
育てているハーブや花を、摘んでそのまま花束にしているとのことですが、とにかくセンスが素敵なんです。ナチュラルなのに、シックでモダン。
ハーブの香りが清々しくて、空気がキレイになる気がします。


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初々しかった新緑は、あっという間に力強くなりました。
田んぼには早苗が整列し、夜はカエルの大合唱です。
今年も近くの神社の林から、カッコウの鳴き声が高らかに聞こえてきます。
良い季節…のはずなのに…。
夏・真夏のような陽気で、職場では早々にエアコンがフル回転。安普請の社屋のため、断熱効果がゼロなのです。
仕方がないとはいえ、毎日何時間も冷風にさらされ、まんまと体調を崩しました。。
頭痛がひどく、パソコンの画面を見るのもつらく、いつも楽しみにしている方々のブログも、拝見できない日が続きました。
やっと復調。
あらためてお邪魔させて頂きたいと思っています。
ちなみに、職場のエアコンには、プラスチックダンボール(通称プラダン)で風除けを拵えて取り付けてやりました。
良い仕事をした、と自画自賛しています。


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by bowww | 2018-05-21 06:49 | 作り話 | Comments(2)

透きとほりけり(立夏)

 木になるのだという恋人を、ぼくは結局、引きとめられなかった。
「どうして、木になんかなりたいの?」
 なにか悩み事があれば一緒に考えるし、寂しいなら二度と一人にしたりしない。
 君の話をもっとちゃんと聴く、悪いところは全部直すから。
「あなたに不満があるわけじゃなくて…」
 困ったように笑って、恋人はぼくを抱きしめた。
 ああ、もう決めてしまったんだと、彼女の腕の涼やかさに思い知らされる。
「生まれ変わってからでも遅くないのに…」
 むだだと分かっていても、腕の中で駄々をこねる。
「来世なんて信じてないくせに」
 耳元で弾ける笑い声に、ぼくはつい釣られてしまう。

 滑らかな樹皮に、すんなりと伸びた枝。
 一枚一枚、几帳面に整った葉が、良い匂いがする風に揺れる。
「綺麗な若葉だね。君らしい」
 ぼくの声は聞こえているのだろうか。
 ぼくのことを覚えているのだろうか。
 幹に触れようとして、思いとどまる。
 気やすく触れたら叱られそうだ。
 翡翠色の木漏れ日に、ただ染まる。
 

  さびしさも透きとほりけり若楓 永島靖子


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by bowww | 2018-05-05 19:51 | 作り話 | Comments(0)

春雨や(穀雨)

 まだ若いのに大した腕前だ、立派な跡継ぎだ。
 そんな世間の評判に、自惚れていたのだろうか。
 庭師は、大奥様の顔を一目見て、自分の失敗を悟りました。
 大奥様は「…あぁ」と小さく声を漏らすと、すぐにその声を引き戻すように口を閉じました。
 そして、いつもの穏やかな笑顔で、「ご苦労さまでした」と庭師を労いました。
 今のはきっと、溜め息だった。
「まぁまぁ!私の好きな花ばかりね。よく覚えていてくれたこと」
 大奥様は朗らかに言葉を続けます。
 でも、その言葉は庭師の耳には入りません。
 大奥様は自分の仕事にがっがりしたのです。
 何がいけなかったのだろう、難しい仕事ではなかったはずだ。
 庭師はそっと、花盛りに仕立て上げた庭を見回しました。

 お屋敷の若い主から依頼を受けたのは、冬の終わりのことでした。
 主の父親である大旦那様が亡くなってから、大奥様が鬱ぎがちだというのです。
「だから、離れの庭を賑やかにしてほしい」
 母親の気持ちを、少しでも明るくしてやりたいという思いやりなのでしょう。
 庭師は二つ返事で引き受けました。
 お屋敷には、父の代から出入りさせてもらっています。
 こぢんまりとした離れの庭も、大奥様の花の好みもよく知っています。
 一昨年の早春、一輪二輪と綻びかけた梅の花を嬉しそうに見上げるお二人の姿が、庭師には忘れられませんでした。
 春夏秋冬、花が絶えない明るい庭を拵えよう。
 庭師は張り切りました。
 紅梅白梅から始まって、沈丁花、臘梅、連翹が咲く頃には枝垂れ桜も、やがて八重桜に代わって、それから桃。雪柳は生け垣に使って、山吹も取り混ぜて、皐月が来れば一重の薔薇の季節に…。
 苗木の一本一本まで吟味して植えた花木たちは、庭師の思った通りに咲いてくれたのに。
 無数の砂糖菓子のような花桃を見つめる大奥様の横顔は、やはりどこか晴れません。

 庭師は考え込みました。
 父から厳しく仕込まれた庭造りの技は、どこに行っても喜ばれました。
 だからこそ、お屋敷での仕事も任されているのです。
 離れの庭も、依頼主である主には満足してもらえました。
 何が足りないのだろう。
 師匠でもある父は、彼に仕事を譲って気が緩んだのか、ここ数年はすっかり寝込みがちになっていました。自分の失敗で煩わせるわけにはいきません。
 庭師は縁側に腰掛け、ぼんやりと庭を眺めました。
 紺屋の白袴とはよく言ったもので、自分の家の庭は大して手も入れず、花木は野放途に枝を伸ばしています。
 今は八重の山吹が、黄金色の花枝を重たげに揺らしていました。
「少しは枝を詰めたらどうだ」
 いつの間にか、寝間着姿の父親が庭師の後ろに立っていました。
 今日は加減が良いようです。
「まったく、自分ん家はほったらかしときたもんだ」
「父さんだって同じだっただろ」
 ふふんと鼻先で笑うと、父親は庭師の隣にしゃがみ込みました。
 肩がすっかり薄くなったと、庭師は思いました。
「しかしあれだな、盛りの花は疲れるもんだな」
 満開の山吹に目を遣りながら、父親がぽつんと呟きました。
 庭師は、父親の顔を見返しました。
「力負けってやつかな。年取るとな、花の勢いに気圧されるんだよ。
 庭の仕事してて花に負けちまえば、おまんまの食い上げだよなぁ」
 からりとした笑い声を残して、父親は部屋に引き返しました。

 庭師は翌日、お屋敷に行って、離れの庭の造り直しを頼み込みました。
 花の木を数本残しただけの簡素な庭に、主は「殺風景過ぎる」と首をひねりました。
「大奥様、来年の春までお待ち下さい」
 熱心に頭を下げる庭師に、大奥様は優しく頷いてみせました。

 寒い冬が過ぎ、陽射しが和らぐ頃、離れの庭で紅梅が咲きました。
「今年も咲いてくれた」
 足元には福寿草。
 大奥様はほっと笑みを零しました。
 一週間ほど経つと、庭の隅に、緑の小さな芽がぴょこぴょこと顔を出しました。
 大奥様は毎朝、緑の芽の成長を楽しみに庭に立ちました。
 やがて、スイッと伸びた茎の先に、透き通った黄色の水仙が咲きました。
 気づけば小さな紫色の菫もあちこちに。
 あたたかい雨が降った翌日には、草花もぐっと色濃く鮮やかになります。
「ゆっくり、ゆっくりね」
 雨上がりの庭で、大奥様は深く息を吸い込みました。


  春雨や美しうなるものばかり 加賀千代女


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取り急ぎ、作り話更新。
もう既に、初夏の気配。
気温と気圧の変化が激しすぎて、春バテしそうです。。

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by bowww | 2018-04-20 22:25 | 作り話 | Comments(0)

花散らし(清明)

 手のひらを出せと言う。
 戸惑いながら、左手をさし出す。
 両方、出せと言う。
 右の手のひらを、左に添わせる。
 ひら、と何かが触れる。
 冷たい柔らかさに、指がたじろぐ。
 しっかり受けろと言う。
 仕方なく、両手を器の形にする。
 ひら、ひらひら。
 ひとひら、ひとひら。
 わずかに発光する透明な欠片。
 受ければ、肌の上でしなりと緩む。
 ひとひらひとひらひとひらひとひら。
 両手の器に、小止みなく降り積もる。
 これは桜。
 無数の花びら。
 重なって重なって、白に滲む紅。
 溢れてしまいます。
 訴えても答えはない。
 仰げば曇天。


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小さな野の花たちが咲き、香りで梅に気づき、モクレンが霜に遭わないように祈り、やがて咲く桜を心待ちにする。
…のが、春なのに。
今年の春といったら!
野の花、水仙、梅、白木蓮、紫木蓮、辛夷、山茱萸、雪柳、連翹、木瓜、小彼岸桜、枝垂れ桜、ソメイヨシノ。
何もかも一斉に、ぶちまけるように咲いてしまいました。
初夏の陽気に、桜は開花2日で満開です。
ここの桜、あちらの桜と訪ね歩くのが楽しみなのに、とても追いつきません。
花々の狂宴に、呆然と立ち竦む思いです。
ただ、私の住む辺りでは今日が入学式という小学校が多く、満開の花の下、ピカピカのランドセルを背負った小さな子供たちをたくさん見かけました。
いいなぁ、桜咲く入学式。この辺りでは珍しい光景です。
思わず頬が緩みました。
楽しいことがいっぱいありますように。

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明日から週末にかけて、春の嵐が吹き荒れるようです。
花散らしの雨風ですね。





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by bowww | 2018-04-05 21:37 | 作り話 | Comments(0)

春のスカート(春分)

「きぃちゃん、きぃちゃん…」
 おばあちゃんの部屋の前を通ったら、呼び止められた。
「ちょっと見てみてくれる?」
 部屋に入ると、おばあちゃんが箪笥の前で照れ笑いをしている。
 真っ黄色のタンポポみたいなスカートを履いて。
「どうしたの?そのスカート?」
「やっぱり派手かしらねぇ、そうよねぇ」
 思わず出た大きな声に、おばあちゃんはしゅん、と項垂れる。
 慌てて首を振った。
「違う違う、おばあちゃんがそんな明るい色の服を着るなんて、初めて見たから。
 いいじゃん、よく似合ってる」
 そう言うと、途端に笑顔が戻った。
 実際、すっかり銀色になった髪に鮮やかな色が映えて、なかなか素敵なのだ。
「なんだか、春のせいか、久しぶりにスカートを着てみたくなって。
 ほら、この前、きぃちゃんに洋服屋さんに連れて行ってもらったじゃない?
 あのお店で店員さんに選んでもらったの」
 大学の冬休みで実家に帰省したとき、少し元気がなかったおばあちゃんを外に連れ出した。
 ファストファッションの店で自分のニットを買ったついでに、おばあちゃんにも淡いピンクのカーディガンをプレゼントしたのだっけ。「こんな若い人が着るような服、おばあちゃんには似合わないわよ」と、仕舞い込んだままだけれど。
「そのスカートなら…ネイビーのカーディガンがいいかな」
「ネイビー?」
「紺色。おばあちゃん、持ってるでしょ」
 一緒に箪笥の中を覗いてみる。
 クルーネックのシンプルなカーディガンを引っ張り出し、おばあちゃんに着替えさせ、二人で鏡を覗き込む。
「ほら!素敵になった」
 おばあちゃんはとても嬉しそうに、スカートをふんわり摘まんで見せた。

「希衣子、ちょっとおばあちゃんの様子を見ててあげてよ」
 今度はキッチンで、母に呼び止められる。
「なんで?具合悪いの」
 去年の春、おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんは暫く元気がなかった。
 それがこの一カ月ぐらい、なんだかソワソワしているようだ、と。
「元気ならいいじゃない」
「でも、もしも認知症だとか、何かの病気の前触れだといけないでしょ」
 春休みの間、お目付役になれという。
「どうせ暇でしょ?三食昼寝付きなんだし」
 短期のアルバイトでも入れようかと思っていたが、僅かずつとはいえ仕送りを頂いている身。たまには家の役に立つこともしないといけないだろう。
 それに、おばあちゃんと一緒に過ごせる時間も、そう多くは残ってはいないと思う。
「大丈夫だとは思うけど、おばあちゃん孝行しておくよ」
 母にはそう答えた。

 暖かく晴れた日曜日、おばあちゃんはいそいそとお出かけの支度を始めた。
「おばあちゃん、どこか行くの?」
 紺色のカーディガンに、タンポポ色のスカート。
「うん、ちょっと病院、とか…?」
 通院にしては、バッグも念入りに選んでいる。
「白いスニーカーを履くなら、ポシェットも白にしたら?」
「うんうん、そうね、そうするわ」
 私の方を振り返りもしない。
 どうやら、一人で出掛けたいらしい。
 おめかしして、どこへ行く気だろう。
「…お母さんの取り越し苦労だろうけど…」
 私はこっそり、おばあちゃんの後を付けることにした。

 黄色のスカートを風に揺らしながら、おばあちゃんはスタスタ歩いている。
 少なくとも、足腰は元気。
 運動不足だった私の方が、付いていくのにやっとという有様だ。
 駅の近くで、知り合いの奥さんとばったり会って挨拶している。ニコニコしながら顔の前で盛んに手を振っていた。
 きっとスカートを褒められたのだろう。
 さっき馴染みの八百屋さんの前を通りかかった時も、「奥さん、すっかり若返ったね!」と大きな声で言われて照れていた。
 そのまま、足取り軽く駅に入っていく。
 電車に乗るらしい。
 いつも行く病院なら、駅前からバスに乗る。
 いよいよ、どこへ向かうのか気になって仕方がない。
 上り線のホームのベンチに座るのを確認して、私も大急ぎで切符を買う。
 私がホームに着いたのと同時に、電車が滑り込んだ。

「なぁんだ…」
 おばあちゃんが降りた駅は、私もよく知っている場所だった。
 おじいちゃんのお墓まで、歩いて十分ぐらいだろうか。お彼岸も近いから、お墓参りに来たのだろう。
 おばあちゃんは、駅前の花屋さんで花束を買っている。
 私は花屋の向かい側にあるコンビニで、雑誌の立ち読みをしている風を装いながら、おばあちゃんを待った。
 もう一週間もすれば、家族や親しい親戚が集まって、皆でお墓参りに来る予定なのに。
 それとも一人で静かに、おじいちゃんを偲びたかったのだろうか。
 ちょっとしみじみとしていたら、おばあちゃんが花屋さんから出てきた。
「…でかっ!」
 思わず呟いた。
 おばあちゃんが、花束に埋もれてしまいそうだ。
 ミモザやスイートピー、フリージア、かすみ草などなど色とりどりの春の花を、ありったけ束ねたみたいな豪華な花束。
 お墓に供えるなら、菊の花数本でいいはずなのに、あの花束はどうしたことだろう。
 おばあちゃんは機嫌良く、墓地公園に向かって歩き出した。

 やはり行き先は、おじいちゃんのお墓だった。
 花を供え、枯れ葉や枯れ草などの小さなゴミを片付けてから、おばあちゃんは静かに手を合わせた。
 仲のいい二人だったから、おじいちゃんに先立たれて寂しい思いをしてるのだろう。心の中で、おじいちゃんと思い出話でもしているのだろうか。
「よっこいしょ」
 おばあちゃんは立ち上がって花束を抱え直し、再び歩き出した。
 よく見れば、おじいちゃんのお墓にはスイートピーが数本、供えられている。
 花束は一つではなく、大小二つあったのだ。
 じゃあ、あの大きな束は?
 首を傾げながら、おばあちゃんの後を追う。
 我が家のお墓から数十メートルほど奥まった場所で、おばあちゃんは足を止めた。
 少し古ぼけた墓石に、大きな花束を置く。
 手を合わせた後、おばあちゃんはスカートを、ふんわり摘んで見せた。

 大急ぎで先回りして家に戻り、おばあちゃんの帰りを待つ。
「ただいま」
 おばあちゃんを迎えに出ると、「はい」と包みを渡された。
 苺大福のお土産だ。
「ありがとう。
 おばあちゃん、どこへ行ってたの?」
「デート。内緒ね」
 おばあちゃんはにっこり笑った。
 
 おばあちゃんが立ち去った後、花束が置かれた古ぼけた墓石を確かめてみた。
 私の知らない男の人の名前。
 刻まれた享年は、今から五十年も前の日付だった。
 お茶を淹れて、お土産の苺大福を取り出す。
 白い餅に、苺の紅色がほんのり滲んでいる。


 
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数日前、まるで一カ月も先にようなポカポカ陽気だったのに…。
すっかり真冬に逆戻りしたような春分の日でした。
体が付いていきません。。
取り急ぎ、作り話だけ更新します。


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by bowww | 2018-03-21 22:11 | 作り話 | Comments(0)

夜の厚み(啓蟄)

 風の音で目が覚めた。
 伸ばした右手に、冷え冷えと乾いたシーツが触れる。
 この感触にももう慣れた。
 大きなサイズのベッドは、いつも右側が空っぽだ。
 夫と私が同じベッドで寝起きしたのは、結婚して数ヶ月程度だったと思う。
 お互いに、他人が隣にいると安眠できない質だということが分かり、夫は自分の書斎にパイプベッドを持ち込んだ。
 以来、寝室は別々だ。
 穏やかな日々に、これで良かったのだと思う。
 外はまだ暗い。
 朝までもう少し眠ろうと目を閉じる。
 窓を打つ風の音が激しい。雨も混じってきたらしい。
 耳に障る。夜の風は子供の頃から嫌いだ。
 ベッドサイドに置いた携帯電話が振動し、メールの着信を告げた。
 こんな時間に誰が?…と思いかけて、一人の男の顔が浮かぶ。
 携帯電話に伸ばしかけた手が止まる。

 昨年末、学生時代のサークル仲間たちと久しぶりに会った。
 タイミングが良かったのか結構な人数が集まり、小さなイタリアンの店を貸し切る集まりになった。
 卒業以来会っていなかった懐かしい顔もあった。
「先輩、お久しぶりです」
 振り返ると、二学年下の後輩が立っていた。
「遠藤君、だよね?お久しぶり」
 楽器は好きだが、吹奏楽部のような団体行動はちょっと苦手という人間が集まったサークルで、緩い雰囲気が居心地好かった。気の合う仲間と、好きな音楽を好きな編成で奏でるのが楽しかった。
 私は中学生の頃からフルートを続けていた。
 遠藤君には、ピアノ伴奏を頼んだことがある。
「今もフルート、やってます?」
「ううん、全然。仕事始めてから触ってもいないなぁ。遠藤君は?」
「俺、自分ではあまり弾かないけど…」
 渡された名刺には、本人の名前と店の名前が書かれていた。
「生演奏あり、のバーなんです」
 線が細い子だなというのが、彼の第一印象だった。
 賑わいの中心からは外れて、いつも静かにピアノの前に座っているような。
 ただ、演奏は力強く、伴奏を任せれば安定感は抜群だった。
「バーテンダーさんになったの?」
 遠藤君はシェーカーを振るしぐさをして笑って見せた。
「俺は不器用だから、そっちは有能な若いのに任せてます。
 オーナーなのに、お運び中心ですよ」
 細く長い指の動きに、つい気を取られた。
「ご主人も音楽が好きなら、ぜひ一度、お二人で店に来て下さい」
 ワイングラスを持った私の左手に視線を走らせてから、遠藤君は言った。
「夫は音楽にまったく興味がないの。職場の後輩でも誘ってみるね」
「可愛い子を連れて来てくれたら、一杯ご馳走させてもらいますから」
 あの遠藤君もこんな軽口も叩けるようになるのだと、時の流れを思う。

 演奏のスケジュールを知らせたいからと、連絡先を交換した。
 集まりの後から、年始の挨拶だったり、サークル仲間の近況だったり、互いに好きな音楽の話だったり、他愛もないメールの遣り取りが続いた。
 三日続けてメールが来たかと思うと、十日間ほど音沙汰ないこともある。
 自分からは連絡しない。だって用事はないから。
 そう決めた時点で、自分に無意味な負荷を掛けている。

 夜明け前の風は嫌いだ。
 呼吸が浅くなる。
 明かりもつけず真っ暗な中で目を見開き、自分をあやす術を探る。
 ずん。
 暗闇が揺れ、轟く。
 雷鳴。
 と気づくのに、数秒かかった。
 墨色の粘土のような雲の中を、縦横無尽に雷光が渡る様を思い浮かべる。
 庭の隅に溶け残る灰色の雪塊も、この雨風が流し去ってくれるだろうか。
 大気の痙攣に呼応するように、携帯電話がもう一度、振動する。
 着信を知らせるライトが、呼吸するリズムで明滅している。


   春雷や胸の上なる夜の厚み  細見綾子

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20℃近く上昇したかと思うと、今日は真冬並みの気温。
冴え返る、三寒四温という言葉が軽く思えるほどの空模様ですね。
寒さは大変厳しかったのですが、雪がとても少ない冬でした。
でも、四月ぐらいまではドカ雪に要注意なのです。
年明けからちょっと(気持ちが)バタバタすることが続き、気がつけばもう3月なのですね。
本格的な春が来る前に、仕切り直そうと思っています。

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by bowww | 2018-03-06 21:38 | 作り話 | Comments(0)

本の話(雨水)

 本はきっと、ある程度の群になると、彼らだけで自由に増殖を始めるのだと思う。
 本棚いっぱいに詰め込んで、溢れて、床に置き、ボックスに入れ、クローゼットの下半分を占拠したところで、ついに妻から雷が落ちた。
「今度の週末に片付けなければ、全部、私が捨てる。一冊残らず、全部」
 息子がこの春、大学生になる。一人暮らしを始める。
 部屋が一つ空くわけだから、とりあえずそこに仮置きさせてもらえば…。
 私の企みに、妻はぴしゃりと先手を打った。
「太一の部屋は物置じゃありませんからね」。
 普段は穏やかな妻だが、こうと決めたら絶対に退かない。私がやらなければ、本気で捨てるつもりだ。
 渋々、貴重な休日を本の整理に費やすことに決めた。

 週末は穏やかに晴れた。
「駅の近くにさ、ちょっと洒落たカフェができてたよ」
 うまいこと一緒の散歩に持ち込んで、本の片付けを後回しにできないものかと画策してみる。
「あらそう、ちょうど良かった。友達との待ち合わせ、そこにしてみるわ」
「出掛けるの?」
「ええ。あなたが本の片付けに集中できるようにね」
 朝食後、妻は手早く身支度をして、「頑張ってね」と笑顔で出掛けて行った。
 仕方がない。
 私は、自分の書斎としている三畳ばかりの部屋に入ってため息をついた。
 確かにこれ以上本が増えれば、床が抜けてしまう危険性もある。
 せめてクローゼットの中と、床ににょきにょきと林立する本の山(少しずつ高くなる)を片付ければ、妻の態度も少しは軟化するだろう。
 どこから手をつければ…と思案していると、後ろの廊下を太一がのっそり通る。
「お前も出掛けるのか?」
 アアだかウウだか、返事だか唸り声だかを残して、息子は行ってしまった。
 私の背を越したのは高校一年生の頃だったか。
 ひょろっとした背中を見送り、再びため息をついた。

 太一が中学二年生のとき、「いじめられているのかも…」と妻に打ち明けられた。
 落ち着いたふりをして、本人に確認したのか、怪我をさせられたり物を取られたりしているのかなど問いただした。
「聞いてないわよ。まだ私の勘だけだから」
「なぁんだ…」という言葉は、辛うじて飲み込んだ。
 確証もないのに騒いではいけない。一人息子のせいか、妻は太一のこととなるとどうしても過敏になりがちだ。
 とはいうものの、母親の勘を見くびってもいけない。
「ちょっと話してみてよ」
 男同士の方がいいだろうと言うのだが、太一は反抗期ど真ん中で、私と面と向かって話すことなどほとんどなかったし、私の方もどう切り出していいか分からない。
 そうだ、こういう時にぴったりの本を渡してやったらどうだろう。
 思春期なら、やっぱり太宰か。…いや、「生まれてすみません」は困る。
 梶井基次郎の「檸檬」で、青春の鬱屈を爆発させるとか。…いや、鬱屈前提はおかしいか。
 虎になった李徴の独白に共感するかも。…いや、中島敦の文章は堅過ぎるか。
 いやいやいや、どれも教科書で習うようなものばかりだ、そんな本を渡しても説教くさくなるだけだ。
 詩人のエッセイ?哲学者の対談集?冒険家のインタビュー?
 どんな本なら太一の心に響くだろう。
 迷いに迷って、ある夜、
「…おい、太一。俺の本棚の本、好きに読んでいいからな」
 とだけ言ってみた。
 太一はチラッとこちらを見て、自分の部屋に引っ込んだ。
「いじめ、私の気のせいだったみたい。太一も元気になったわ」
 取り残された私に、妻はあっけらかんと告げた。

 床に積んでいた本の八割は、処分することに決めて束ねた。
 少し先が見えてきたことに気を良くし、本棚を久しぶりにゆっくりと眺めてみる。
 ふと、昔集めた池波正太郎の「鬼平犯科帳」シリーズの十三巻だけ、背表紙が新しいことに気がついた。
 シリーズものは、あまり日を置かず一気に揃えないと気が済まない質だ。
 訝しく思って十三巻を引き抜いてみる。
 やはり表紙のデザインも活字の組み方も、ほかの巻とは違う。
 首を傾げながらページをペラペラめくっていると、紙切れが一枚、滑り落ちた。
『ごめん、コーヒーこぼして汚したから、新しい本で弁償します』
 と、幼稚な字で書かれていた。
「あいつ、鬼平なんか読んでたのか…。渋過ぎるだろ」
 いつか太一と、本を肴に酒が飲めるといいと思う。


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亡くなった祖父の蔵書は、ほとんど処分しました。
大型の美術書は、「こういう本とか、文学全集や百科事典とかは、どこのご家庭でも持て余すんですよね」と、うちに来てくれた古書店の店主が苦笑いしながら引き取っていきました。
ごめんね、じいちゃん。
せめてもと、夏目漱石の「夢十夜」や谷崎潤一郎の「刺青」などの文庫本は、私の本棚に残っています。
本は、勝手に増殖していくものだと思います。


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陽射しが少しずつ力強さを取り戻し、気がつけば日が長くなりました。
今朝は氷点下8℃を下回りましたが、どうやらこれで寒さは緩むようです。
今年も引っ張り出されたお雛様、お顔を拝見するのも申し訳ない気分です。
お詫びに室咲きの桜の枝を飾りました。
ソメイヨシノの咲く春が待ち遠しいですね。





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by bowww | 2018-02-19 19:01 | 作り話 | Comments(0)

森の話(立春)

 くしゅん。
 森の熊の子は、自分のくしゃみで目を覚ましました。
 いつものように、お母さん熊のフカフカな腕の中に潜り込もうとして気がつきました。
 お母さんがいません。
「お母さん?」
 小さな声が、ほの暗い巣穴の中に響きます。
「お母さん」
 もう少し大きな声で呼んでみました。
「お母さん!」
 返事はありません。
 こんなことは初めてです。
 子熊はもう、どうしたらいいか分からず、穴の中で踞りました。
 どうしよう、どうしよう。
 喉が熱くなって、鼻の奥がツーンとして、涙がポロポロ零れてきました。
 でも、優しく慰めてくれるお母さんはいないのです。
 どうしよう、どうしよう。
 ぐうぅぅ!
 突然の大きな音に、子熊はびっくり。涙も止まりました。
 ぐるるるるぅ!
 どうやらそれは、自分のお腹から聞こえてくるようです。
「そうか、僕、お腹が空いたんだ」
 子熊はそっと辺りを見渡しました。
 穴の入り口から、光が射し込んできます。
 子熊はその光に誘われるように、穴の外へ顔を出しました。

 眩しい!
 子熊は目をシバシバさせました。
 外は一面真っ白。お日さまの光が反射して、眩しいといったらありません。
 熊の親子たちが眠っている間に、森は雪に覆われていました。
 子熊はクンクン、匂いをかぎました。
 お母さんの匂いがしないかしら。
 食べ物の匂いがしないかしら。
 ピクピク動く小さな鼻に、枝からほたり、雪の塊が落ちました。
「ひゃっ!冷たい!」
 子熊は飛び上がりました。
 見上げると、残りの雪の粒がキラキラと光りながら舞い落ちてきます。
 一羽のカケスが、枝から枝へと忙しく飛び回っていました。
「あの、こんにちは、カケスのおばさん」
「あら、珍しい。熊の子がこんな季節に一人でいるなんて。どうしたの?」
「あのね、僕のお母さん、知らない?目が覚めたら居なかったの」
 カケスは首を傾げながら子熊を見下ろしました。
 母熊はきっと、餌を探しに行ったのでしょう。
 でも、冬の森で、熊が食べられるものなんて見つかるわけがありません。
「巣穴の周りに、お母さんの足跡はなかったかい?」
 雪が積もった後に出掛けたなら、そう遠くには行ってはいないはず。
 でも、子熊は首を横に振りました。
 カケスは考え込んでしまいました。
「…そうだね、何か美味しいものをお土産に、もうすぐ帰ってくるんじゃないかい?」
 母熊はたぶん、餌を求めて人間たちの里へ下りたのです。
 無事ならいいのだけれど…。
「お家で待っているがいいよ。そうだ、ちょっと待っておいで」
 カケスは隣の木に飛んで行って、洞から幾つかのドングリを取り出しました。
 秋のうちに集めて隠しておいた、とっておきのドングリです。
「ほら、これをあげるからね」
「ありがとう!カケスのおばさん!でも僕、もう少しお母さんを探してみる」
「遠くに行くんじゃないよ、森を出てはいけないよ」
 カケスは子熊の後ろ姿を見送り、そっと頭を振りました。

 雪の森の中を、子熊はザクザク歩いて行きます。
 森は、眠りにつく前とすっかり様子が違っていました。
 秋の森は、木の実や茸の美味しい匂いで満ちていました。
 お母さんと、ドングリやサルナシをお腹いっぱい食べて、日向ぼっこして。
 今は冷たい雪が、すべてを隠してしまいました。
「お母さん…」
 また涙が溢れそうになります。
「おや?熊の子だ。どうしたんだい?」
 枯れた薮をヒョイッと飛び越えて、金色の狐が声を掛けてきました。
「こんにちは、狐さん。僕、お母さんを探してるの」
 物知りな狐は、すぐに何か思いついたようですが、尻尾を一振りして言いました。
「そうかい、ま、もうすぐ帰って来るさ」
 狐は薮の中に頭を突っ込むと、何かを咥えて子熊に見せました。
 野ネズミの死骸です。
「腹減ってるだろ、食うか?」
 子熊はちょっと後じさりしました。
 ネズミや虫は、まだ食べたことがなかったのです。
「やれやれ、じゃあ、これはどうだい?」
 狐は、昨日、森の外れの稲荷神社で見つけた油揚げを取り出しました。
 子熊は油揚げの匂いをかぐと、にっこり頷きました。
「ありがとう!狐さん!」
「人間の食べ物に慣れちゃいけないんだがな…」
 美味しそうに油揚げを平らげた子熊を見守りながら、狐は呟きました。
 昨日、稲荷神社に忍び込んだとき、狐は鉄砲の音を聞いたのです。
 何頭もの犬の吠え声も聞きました。
「あの子の母親じゃなきゃいいが…」
 再び歩き出した子熊を見送ると、狐のフサフサの尻尾がだらりと下がりました。

 お日さまはもうすぐ、向こうの山に沈みます。
 油揚げのおかげで元気が出た子熊でしたが、木々の間に忍び込む夜の色に気持ちが焦ります。
 その時、杉の大木の根元に、モクモクとした黒い背中が見えました。
「お母さん!」
 子熊は嬉しくて嬉しくて、全速力で駆け寄りました。
「…なんだ?坊主」
 お母さんではありません。
 雄の大熊でした。
 振り向きざまに、太い太い腕を振り上げました。
 大人の雄熊は縄張りを守るために、若い雄を叩きのめすこともあるのです。
 子熊はぺたりと尻餅をつきました。
「お母さんじゃない、お母さんじゃない」
 とうとう本格的に泣き出しました。
 困ったのは雄熊です。
「やい、坊主、泣くな。何もしないから泣くな」
 子熊は泣き止みません。
 雄熊は仕方がなく、子熊の背中をゆっくりポンポンと叩きました。
 昔々、自分が母親にしてもらったように。
 子熊はしゃくり上げながら、ようやく、お母さんが居なくなったこと、探しているけれど見つからないことを雄熊に伝えました。
 雄熊はゆっくり頷いて、
「もしかしたら、お前の母さんはもう戻らないかも知れない」
と言いました。
 子熊は何も言えずに、雄熊を見上げました。
「人間たちの里へ、餌を探しに行ったんだろう。
 そして、鉄砲で撃たれたか、罠にかかったかして死んでしまったかも知れない」
 雄熊は静かに、でも、しっかりと子熊の顔を見つめて続けました。
 子熊は泣くこともできず、息を止めて震えていました。
 雄熊はため息をつき、立ち上がりました。
「坊主、お前の巣穴まで送って行こう」

 大きな熊の後ろを、小さな熊がよたよたと歩いていきます。
 森に、群青色の深い深い夜が降りてきます。
 月はまだ昇りません。僅かな星明かりに、雪が青く冷たく光ります。
「…また雪が降るな」
 雄熊は空を見上げて言いました。
 墨色の雲が、すごいスピードで空を覆い始めました。

 子熊の巣穴は、やっぱり空っぽのままでした。
 雄熊は、まだたっぷり蜜が残っている蜂の巣を子熊に渡して言いました。
「さあ、坊主。春が来るまで、ゆっくり眠れ。
 春が来れば、お前は今よりもっと大きくなっている。強くなっている。
 目が覚めても母さんが居なかったら、俺を訪ねて来い」
 心も体も疲れきった子熊は、落ち葉と枯れ草で作った寝床に潜り込みました。
 まだお母さんの匂いがする。
 穴の外から、雄熊の太い声が聞こえてきます。
「お前には覚えなきゃいけないことが山ほどある。
 餌の探し方も、ケンカの仕方も、俺が全部教えてやる。
 だから春まで、しっかり眠るんだ」
 子熊はうつらうつらしながら、「うんうん」と頷きました。
 閉じた目に、涙が一粒、光ります。


 雪が降り始めました。
 天上から溢れ出した羽のような、大きな大きな牡丹雪です。
 子熊の巣穴は、すぐにすっぽりと雪に包まれました。
 まるでふかふかの布団を掛けたようでした。


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暦の上だけ、春がやって来ました。
とは言うものの、明日からまた、「数年に一度」の寒波に覆われるそうですね。
寒暖差が激しく、普段は雪と縁のないような地域も積雪が予想されるとか。
皆様、ご自愛くださいませ。

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母が、一度食べた豆苗の株を水耕栽培しています。
日当りが良い窓辺に置くと、続々と芽を伸ばし始めました。
美しい緑は微笑ましいのですが、正直言いますと、豆苗の青臭さがちょっと苦手です。。





 
 
 


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by bowww | 2018-02-04 20:32 | 作り話 | Comments(0)

風花や(大寒)

 教育実習でやってきた国語のY先生は、高校生の僕らよりも幼く見える女の人だった。
 小柄で化粧っ気もなく大きな眼鏡を掛けていて、下手をすると同級生の女子たちの方がよっぽど大人っぽい。
「教育実習生、女子大生だって!」と色めき立っていた男子たちは、こっそり盛大にがっがりした。
 当たり前だが授業もたどたとしく、黒板の前でしばしば途方に暮れる様は、先生というより叱られた子供のようだった。
 Y先生の授業のときは、塾の宿題やほかの教科のテスト勉強をしたり本を読んだりと、みな好き勝手なことをしていた。
 女子たちは、他愛もないことを書いたメモを回し、クスクスと笑い合う。
 Y先生は笑い声が聞こえる度に顔を赤らめ、山ほど持ち込んだ資料をガサガサと広げる。
 生意気な生徒たちを黙らせる方法がどこかに書いてないか、必死に探しているようだった。
 
 窓の外には、キンと澄んだ冬の青空が広がっている。
 陽射しは明るいが、時折、北風が窓ガラスをガタガタ鳴らす。
 陽射しと暖房で教室の中は程よく暖かく、昼休みに食べた弁当でお腹は満たされ、Y先生の方丈記の授業は退屈だった。
 先生が黒板を向いている隙に、思う存分、大きな欠伸をする。
 頬杖をついて窓の外を眺めていると、視界の隅で何かがチラリと光った。
 目を凝らすと、空は高く晴れたままなのに、氷の粒がヒラヒラと風に舞っている。
 山の上空の雪雲から、煽られて飛んで来た雪粒だろう。
 いきなり僕の名前が呼ばれた。
 間抜けた顔で前を向くと、Y先生とばっちり目が合った。
 眼鏡の奥で、思っていたよりも大きな瞳が、困ったように僕を見つめていた。
「次のページ、読んでください」
 僕は慌てて立ち上がり、方丈記の原文の一節をなんとか読み終えた。
「ありがとう」
 先生は嬉しそうに言って、僕を座らせた。
 まともに言うことを聞く生徒がいたことに、ほっとしたのかも知れない。
 僕は再び外を見た。
 Y先生は僕の視線の先を追い、「あ!」と小さく声を上げた。
 その声に反応して数人が顔を上げたが、またすぐ、興味なさそうに下を向いた。
 先生は黒板の左隅に、綺麗な字で「風花」と書いた。
 風の花?
 今、開いている教科書には、どこにもそんな言葉は出てこない。
 先生は窓の外を指差してから、黒板の字をトンと叩くと、皆が気がつく前に素早くその字を消した。
 悪戯っ子じみた笑顔を、僕だけが目撃した。
 僕は手元にあった古語辞典で、「風花」を調べた。


 生まれてくる子供が女の子だったら、「ふうか」という名前にしたいと思う。
 だいぶ大きくなったお腹を撫でながら、妻は、「どんな漢字で?」と尋ねた。
「風の花、と書いて『ふうか』ってどうだろう?」
 しばらく首を傾げていた妻は、「あ!」と言うと悪戯っ子のような笑顔になった。


  風花や子のかざす手に唇に
  (1月13日放送 NHKラジオ文芸選評より)


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日当りと風通しだけが自慢の我が家、真冬でも陽射しが射し込めば暖房要らずです。
上の写真は数年前の大寒の頃のものです。
今年は暖かい大寒となりました。
ただし、週明けからは大雪の恐れだとか。
風花どころか、ドサドサ湿った雪が積もりそうで戦々恐々としています。
このまま春に…なんて願いは、虫が良すぎますものね。

ラジオで耳にした風花の句が、とても綺麗で心に残りました。
声に出して読んでみても気持ちよいのです。愛誦性がある句、ということなのでしょうか。
この句の作者さんが、萩市にお住まいの男性ということまでは必死で覚えたのですが、すぐにメモできる状態でなかったため、お名前までは無理でした(脳みその容量が少ない。。)
ほかの入選作の、「ついと来て風花ついと消えにけり」や、「風花や書かねば消えてしまう詩(うた)」なども、素敵だなぁと思いました。

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二十四節気、次は立春。
今年もようやく一巡りした気分です。
もともと手持ちの想像力及び創作力があまりに乏しいので、15日ごとの作り話もそろそろ息切れしてまいりました。
この大寒で一区切り…と思ってもいたのですが、とても大切な方から「続けてくださいね」というお言葉を、タイミング良く頂いてしまいました…。
一人でも楽しみにして下さる方がいる限り、乾いた雑巾をギュウギュウ搾るように、なんとか頑張ってみようかなと思っております。
それには色々、お話の種を探して育てなければいけないですね。
心のアンテナが、錆び付かないように磨き続けないと。


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by bowww | 2018-01-20 14:37 | 作り話 | Comments(4)

神の一撃(小寒)

 宇宙に直接触れているような暁。
 身を潜め、息を殺して夜明けを待つ生き物たち。
 有明の月は白銀。山々の頂の雪を青く染める。
 地と空の境界に紅が滲む。
 兆し。
 紅はやがて金色に。
 薄れる闇に、月は輝きをおさめる。
 確かな兆し。
 光の矢が放たれる。
 地が染まり、生き物たちは生まれ変わる。
 何百億回も新しい朝。

  寒暁や神の一撃もて明くる 和田悟朗

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新年明けて5日目、小さな小さな声で、あけましておめでとうございます。
本当はもう少し早く新年のご挨拶を申し上げたかったのですが、年末から同僚たちがバタバタとインフルエンザに倒れ(一週間で4人。。)、それによって休日返上を余儀なくされ(大晦日まで働きました。。)、なんだかお正月気分を全く味わえないまま今日に至る、なのです。
そして昨夜は私自身が発熱、これは感染ったか!と慌てたのですが、一晩眠ったら平熱に戻り、念のために行った病院でのインフル検査の結果も「シロ」でした。
風邪薬を処方してもらって、ぼんやり過ごしています。やれやれ…。

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今年から5年日記をつけようと決めました。
年々、手のひらからサラサラと砂が零れるように、記憶が曖昧になっていきます。
「去年の今頃は…」という振り返る楽しみもあるのでしょうが、実はもう少し切実な気持ちも。
自分の体の変化や、親の様子も記録していくと、いつか具体的に役に立つのではないかと思いまして。
毎日、たった5行分なので、何とか続けられそうです。

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もう一つ、新年にあたって決めたことが、字の練習です。
私の悪筆は周りでも有名で、私のキャラクターと書いた字のギャップが、どうやら大き過ぎるようなのです。
学生時代の先輩からは、「お前の年賀状、あれだろ?ふざけて左手で書いたんだろ?」と、真顔で訊かれるという始末。。
私の走り書きのメモを見た母親が、「今更だけど…」と絶句するとか。
そのくせ文房具が大好きで、ちまちま買ってしまうのです。
でも、自分の字で汚すのが嫌だから、ノートも便箋も宝の持ち腐れに…。
ならば、練習して、多少でもまともな字を書けるようにしよう。
ン十年生きて、やっとそういう気持ちになりました。
太字の万年筆とインクも買って、背水の陣(?)で挑みます。
…なんて言いつつ、紙にあれこれ書き散らすのは楽しい作業です。
一年間ちゃんと続いたら、もう一本、万年筆を買おうと目論んでいます。
ここで宣言しておけば、多少は頑張れるでしょうか…。

寒の入り、一年で一番寒い季節に突入しました。
皆様も、ご自愛くださいますように。




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by bowww | 2018-01-05 20:18 | 身辺雑記 | Comments(2)