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第六十五候 麋角解

【前回からの続き、第3話目です…】

「それで、そのノート、読んでみたんですか」。
 僕は勢い込んで枝野皐月さんに尋ねた。
 僕の祖父と祐造さんが仲違いした理由を知りたいという手紙を送ったら、枝野さんから「では一度お会いしませんか」と返事をもらったのだ。
 二人とも実家に帰って年を越す。
 新年の準備の合間を縫って家を抜け出し、こぢんまりとした喫茶店で落ち合った。
 枝野さんは大学図書館の司書をしているという。年賀状の文字と同じように、落ち着いたきれいな人だけれど、時々、目がいたずらっぽく輝く。
 思わず前のめりになった僕を軽く制して、枝野さんは一本の万年筆を取り出した。
「これが日記と一緒にあった万年筆です。もしかしたら、水野さんのおじいさまがプレゼントしてくれたものなんじゃないでしょうか。うちの祖父が自分で買うとは思えなくて」
 受け取るとずしりと重い。黒い胴に銀の飾りが一本入っている。
 傷をつけないように気をつけてキャップを外すと、ペン先がだいぶ磨り減っていた。
「…そうですね、そうかも知れない。同じメーカーの万年筆を祖父も愛用していて、僕も高校入学の記念に似たようなペンをもらいました」
 枝野さんは嬉しそうに頷いた。
 答え合わせをしているみたいで、僕も嬉しくなる。
 今度は僕が、ある品物を取り出した。
「祖父が死ぬまで使っていた眼鏡ケースなんです」
 ナラ材をくり抜いた本体に、こんもりと丸い蓋をかぶせる眼鏡入れだ。一見、飾り気のない無骨なデザインなのだが、持てば全体のカーブが手に馴染みやすく、本体と蓋もぴたりとかみ合って歪みがない。
 祖父が長年、身近に置いて使い続けたせいで、飴色のいい色合いになっている。
「これ、祐造さんの作品なんじゃないでしょうか。自分でも家具を作るようになったから分かるんですけど、こんな小さなものをきちんと作るのは難しいんです。祐造さんなら、こういう細工物も得意だったんじゃないかなって」
 枝野さんはそっとケースを手に取り、「いい色」と微笑んだ。
「そうだと思います。祖父は暇さえあれば器用に何かを作っている人でしたから」
 また一つ、答えが合った気がした。


「日記、パラパラと読んではみました。
 ほとんどがメモ書きみたいなもので、その日のニュースだとか、天気だとか走り書きしてある程度なんです」
 私はそう言いながら、持って来た一冊のノートを取り出した。
 水野さんのおじいさんが亡くなった年のノートを抜き出してきたのだ。
「でも、この年の四月六日、いつものメモの後に『○○病院』とだけ書いてありました」
「うちの祖父が入院していた病院です」
 水野さんはノートを手に取って表紙をしげしげと眺めた後、テーブルの上にそっと置いて指を組んだ。
 物を作っている人だから、指の節々がしっかりとしている。大きな手のひらだ。
 ノートや万年筆を受け取るとき、コーヒーカップを口に運ぶとき、その大きな手が静かに動く。一つ一つの動作がゆったりしていて気持ちがいい。
 水野さんは少し遠くを見ながら「思い出した」と呟いた。
「祖父が入院した春、僕も見舞いに行ったんです。『今年は桜が遅いなぁ』と思いながら行ったので、ちょうど四月の初めだったと思います。
 病室は五階だったからエレベーターで上がります。五階に止まって扉が開くと、おじいさんが一人、立っていました。
 一瞬、目が合ったので、僕は会釈してエレベーターを降りました。二、三歩歩きかけたとき、おじいさんに何か話しかけられたような気がしてふり向いたんですが、もうエレベーターのドアは閉まっていました」
 コーヒーを一口飲む。
「病室に入ると、うちの祖父が窓際に立って外を見下ろしていました。そこから病院の玄関が見えたんです。
 何を見てるのかな、と僕も隣に立ちました。
 遠くだからよく分からないんだけど、どうもさっきのおじいさんらしき人が出て来て、ちょっと立ち止まりました。そしてこっちを見上げたんです。
 祖父は少しだけ、右手を挙げました。
 お互い、相手の姿は見えないだろうに…。
 『お見舞いに来てくれた人?』と僕が聞くと、祖父はさっさとベッドに戻りながら、アアとかウウとか、よく分からない返事をして黙ってしまいました」
 その後は寝たふりを通したんですよ、うちのじいさん、と水野さんは笑った。
 私はコーヒーのおかわりを二つ頼んだ。
 温かいコーヒーを飲んで、ほっと息をつくと水野さんと目が合った。
 思わずお互いに笑ってしまう。
 なんてまぁ、不器用な仲直りだったのだろう。


 僕たちは結局、頑固じいさんたちの喧嘩の原因を追究することは止めにした。
「武士の情けです」と真面目な顔で枝野さんが宣言するから、また笑ってしまった。
 ふと思いついて、訊いてみる。
「枝野さんも年賀状は手書き派なんですか」
「こだわってるわけじゃないんです、パソコンを使うのが面倒くさくて…」
 同類だ。
 別れ際、僕は初めての個展(とはいえ、小さなギャラリーでごくごく小規模な…)のDMを枝野さんに渡した。


 貰ったDMには、日溜まりに置いてある小さな椅子の写真があった。
 私は来年の手帳を開いて、まっさきに水野さんの個展の日を書き込んだ。
 …おじいちゃんたちの企みに、乗せられている気もするけれど。



〜麋角解(さわしかの つの おつる)〜



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私の祖父も日記を残しました。
残したからには読まれても構わないのであろうな?と、めくってはみるのですが、やはり熟読するのは躊躇われます。
ずかずかと踏み込んではいけない領域はありますものね。
それに私、優しい孫ではなかったので、もしも恨み言が書かれていたら今更ながら凹みますもの。。

麋(さわしか)は、巨大な角を持つヘラジカなどの大型の鹿のことだそうです。
春に生えた角が取れる季節ということですが、この鹿、日本には生息していないそうなのです。
いきなり七十二候に登場するんですね、不思議。
鹿といえば、上橋菜穂子さんの新著「鹿の王」を読みたいと思っています。
上橋さんの「守り人」シリーズ、あまりに好き過ぎてまだ全巻読破していません。
読んだら終わっちゃう…。
ここ数年、「年越し読書」=大晦日の夜、家族が寝静まってから本をこっそり読むのを習慣にしています。
この時に良い本に会えると、新年の「読書運」が良くなる気がして。
なので、年越し読書用の本を見繕っておくのが楽しみなのです。
上橋菜穂子さんにしようか、梨木香歩さんにしようか、はたまた初めての作家さんにしようか…。

海の旬はアンコウ、マグロなどなど。
山の旬は黒豆、海老芋などなど。
今年の1月、母と憧れの「築地で朝ご飯!」を決行いたしました。
いやぁ、すごい!築地すごい!
場内の煮魚定食が美味しいお店で朝ご飯を頂いた後、ぶらぶら歩いていたら店の裏口にアンコウがいました。
朝日に照らされてテラテラでろん…と光っておりました。
…怖い…。。
「アンコウ食べたぞ!」と言えるほど食べた覚えがない(鍋の具材の一部、という程度)ので、美味しさがよく分かりません。
あ、でも、あん肝は好きだなぁ。
禁断の美味しさ、という感じがします。食べ過ぎると自分の肝臓があんな感じになっちゃうんじゃないかしら…。

年明けに引っ越しを控えているため、今年の年用意は何もかも手抜きです。
掃除はもうすぐ嫌でもしなくちゃいけないし、おせち料理も(もともと重箱に詰めるほどの料理はしないけれど)ありったけ簡素に。
でも、黒豆だけは丹波の豆を仕入れて、例年どおりコトコト炊きます。
毎年、お裾分けを楽しみに待っていてくれる人たちが居るので。
土井勝さんのレシピで失敗知らずです。


次回は年が明けて1月1日「雪下出麦」に更新します。
この時期、どんなにバタバタしていても、別れ際に「良いお年を」と挨拶を交わしますよね。
私、とても好きなのです、この挨拶(だから、必要以上にニコニコしてしまう)。
今年一年、お世話になりました、お疲れさまでした。
来年もよろしくお願いします、お元気で。
慌ただしさの中、一瞬、目の前にいる人に気持ちを向けてご挨拶する。
素直に気楽に、相手の小さな幸運を祈れる気がします。

拙い私のブログを読んで下さる方へ。
どうか良いお年をお迎えくださいますように…。

# by bowww | 2014-12-27 10:11 | 七十二候