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白湯一椀(小雪)

「ただいま」
 玄関のドアを開けて、真っ暗な家の中に声を掛ける。
 答える声はないけれど、習慣だから仕方がない。
 玄関ホールから廊下、ダイニングまでの明かりを全部点けて、テレビのスイッチも入れる。
 大袈裟な笑い声が、空っぽを埋めるように画面から流れ出す。
 娘の出産に立ち会いたいからと、妻が若夫婦の新居に押し掛けて五日になる。
 初孫との対面はもちろん楽しみだが、我が子が生まれたときも暫くは実感が湧かなかったぐらいだから、正直なところ、どんな気持ちで待っていればいいのかよく分からない。
 妻の浮かれぶりを、羨ましいような疎ましいような思いで見ていた。
 久しぶりの独身生活を味わうつもりだったが、誰も居ない家に帰る日が続くとそんな気分も縮こまっていく。
 買って帰る出来合いの総菜も飽きてきた。
 朝食に作った味噌汁を温め直す。
 温い匂いと湯気で、やっと気持ちが解れる。
 今日は、冷たい雨が降ったり止んだりする一日だった。
 なんとなく胃まで縮こまっているような気がして、晩酌用に買った缶ビールは、そのまま冷蔵庫に仕舞った。
 結局は、レンジで解凍した飯と味噌汁、スーパーのコロッケが並ぶ侘しい食卓となった。

 風呂から上がる頃になると、胃がジワジワと重苦しくなってきた。
 コロッケの油がいけなかっただろうか。
 胃薬の買い置きがどこかにあったはずだが見つけられない。
 癪だが、妻に電話を掛けてみる。
 出ない。
 今頃は娘たちと楽しく夕飯を食べていて、自分の携帯電話が鳴っていることも気がつかないのかも知れない。
 そう想像すると、余計に腹立たしくなる。
 腹を立てている間に、胃が一層重くなった気がする。
 このまま激しく痛むようなら、夜間救急の病院に行くべきだろうか。
 今度は途端に心細くなってくる。
 自分で動けるうちに、保険証を探して、最寄りの夜間外来を調べてと、あたふたしている最中にふと思い出した。
 キッチンで湯を沸かす。
 大きい湯呑みを取り出して、八分目ほど湯を注ぐ。
 飲める温度になるまで、湯呑みを両方の手のひらで包み込む。
 じんわり温かい。
 そっと啜り込むと、喉から食道、胃にかけて、ぬくもりが流れていく。
 思わず溜め息が漏れる。
 昔はよく、母に白湯を飲まされた。
 味も素っ気もない湯など、美味しくもなんともない。
 文句を言っても、「薬代わりだから飲みなさい」と返されたものだった。
 母のエプロンのポケットは、輪ゴムやらレシートやら新聞の切り抜きやらで、いつもパンパンに膨れていたな、などと他愛もないことを思い出しているうちに、胃はむっくりと動き出していた。

「お父さん!生まれましたよ!元気な男の子!」
 ベッドに入ろうとしたところで、やっと妻から電話が来たと思ったら、はしゃいだ声でまくし立てられた。
「おお!そうかそうか!良かったなぁ」
 釣られて、自分でも驚くほど明るい声が出た。
 驚きながら、ゆっくり嬉しさがこみ上げてくる。
 陣痛が始まってから生まれるまでの様子を喋り続ける妻に、機嫌良く相槌を打つ。
 週末には、自分もそちらに行くと伝えた。
「…そういえばお父さん、電話くれてたでしょ?何かあった?」
 ようやく少し落ち着いた妻が尋ねた。
「いや、胃薬はどこかと思ってさ」
 食器棚の引き出しに入っているはずだと答える妻は、
「きっと冷えたのね、白湯を飲むと楽になるわよ」と付け足した。
 もう飲んだと言うと、「あら、気が利いた」と笑い声がした。
「昔から、私がよく飲ませたものね。お父さん、この季節になると決まって胃がおかしいと言い出すから」
 そうだっただろうか。
 膨らんだエプロンのポケットは、妻のものだったろうか。
 キッチンに行って、胃薬を取り出し、薬缶を火にかける。
 ガスコンロの青い炎を眺めながら、自分の記憶の不確かさに戸惑う。
「どっちでも同じか、」
 湯を注いだ湯呑みから、ゆらりと湯気が立つ。


  白湯一椀しみじみと冬来たりけり 草間時彦

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今朝は真冬並みの冷え込みとなりました。
雲が晴れて姿を現した山々はすっかり冬景色。雪を纏って厳めしい表情になりました。
心の準備ができていないまま、冬に突入です…。

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秋の思い出、数点。

先月、開店以来ずっと通っていたカフェが閉店しました。
女性お二人でやっておられたお店で、「カフェ」というより、「喫茶店」と呼びたくなるような、のんびりとした居心地の好さがありました。
休日の午後は、つっかけ履き(のような気持ち)で出掛けて、カフェオレを飲みながら友人に手紙を書くのがお決まりでした。
以前、住んでいた借家の自分の部屋が暗くて寒かったので、このお店に避難しているようなものだったのです。
個人で飲食店を経営する大変さは、素人でも少しは想像ができます。
お二人が一生懸命考えて出した結論に、他人があれこれ言ってはいけないですよね。
それでも、あまりに寂しくて、切なくて…。
自分の居場所が一つなくなってしまったような心許なさを感じています。

風邪が流行ってますね。
職場では、風邪をひいていない人間の方が少数派といっていいぐらいです。
皆様もお気をつけくださいね。
 


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by bowww | 2017-11-22 22:08 | 作り話 | Comments(0)

きらりと(立冬)

 目の前の絵が、香ったのかと思った。

 閉館時間が迫る美術館に駆け込み、とにかくお目当ての絵だけでもと、急ぎ足で館内を巡る。
 古今の日本画が並ぶ展示室に人気(ひとけ)は少なく、残った人たちは思い思いのペースで作品を眺めている。
 気忙しい足音が恥ずかしくなり、私も足を止める。
 目の前には、薔薇を一輪だけ描いた小品があった。
 タイトルに「冬薔薇(そうび)」とある。
 くすんだ金泥を背景に、紅を滲ませた薔薇の蕾が綻びかけている。金泥は、最後の花を包みこむ冬の陽射しのようだ。
 薔薇の香りが、鼻を掠めた。
 思わず絵に鼻を近づける。
 香るはずがない、作者名を確かめたふりをして一歩下がった。
「…あ!すみません!」
 知らぬ間に背後に立っていた誰かとぶつかってしまった。
「いえいえ、こちらこそ」
 穏やかな女性の声が返ってくる。
 グレーのニットワンピースに紫紺のストール、そのストールに真っ白な髪が映える。
 再び薔薇の香りが漂い、どうやらこの女性の香りであるらしいことに気がつく。
「良い絵ですものね、冬の薔薇」
 女性は静かな声で話を続けた。
「明日には寒さで枯れてしまうかも知れないけれど、それでも咲くのね」
 こちらを見ると照れたように微笑んだ。

 それをきっかけになんとなく歩調を合わせ、二人で展示室を回った。
 気に入った絵があれば足を止め、互いに一言二言感想を伝える。
 女性は小柄だか姿勢が良く、手の仕草が美しかった。
 そして動く度に、ふわりと薔薇の香りがした。上等なトワレなのだろうか、いやみのない自然な香りだ。
 作品を一通り観終わってロビーに出た。
「ご一緒できて良かった、楽しかったわ」と微笑む彼女に、思いきって尋ねてみる。
「あの、薔薇の香水をお使いですか?とても良い香りだから、羨ましくなってしまって…」
 女性はそっと私を手招きすると、持っていた栗色の小さなハンドバッグを開けて見せた。
 覗き込むと薄い花弁がひらりと揺れた。
 良く出来た造花かと目を凝らす。
 ピンクの薔薇、純白の薔薇、茜色の薔薇、クリーム色の薔薇、深紅の薔薇。
 みずみずしい香りが馥郁と立ちのぼる。
 作り物ではない。
 声も出せないまま顔を上げた私を、女性はいたずらっ子のような瞳で見つめ返した。
「私の薔薇たちは枯れないの」
 また何処かでご一緒しましょうと朗らかに告げると、女性は夕暮れの街へ歩いて行った。


  返り花きらりと人を引きとどめ 皆吉爽雨

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この薔薇は、返り花というより名残花と呼ぶべきでしょうね。
枯れていく庭の中で、最後の彩りを見せてくれていました。
日が落ちた直後、北風が時々吹く中で撮ったため、ふるふる震えているよう…。
…単なる手ブレです。。


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冬が来ました。
この数日は文字通りの小春日和で、カリンの蜂蜜漬けを作ったり、布団と一緒に日向ぼっこしたりと、お日さまの恵みを堪能しました。
写真は昨日の朝、駅のホームです。
里山の麓にあるため、朝日が届くのが遅いのです。
色づき始めたお社の銀杏が、光を受けてとても綺麗でした。



 

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by bowww | 2017-11-07 18:29 | 作り話 | Comments(0)