カテゴリ:作り話( 70 )

時刻表(寒露)

 ようやく涼しくなったから、片付けを始めたいと母から連絡があった。
 春先、父が亡くなった。
 前日どころか当日の朝まで何の変わりもなく、母と昼食を取って、「少し食べ過ぎた」と横になったまま意識をなくした。
 気づいた母が救急車を呼び、病院に運ばれたが、意識が戻ることなく三日後に亡くなった。
 典型的な「昭和前期の男」だった父は、家庭では口数も少なく、気難しい人だった。
 私と姉、弟にとっては、子供の頃は「怖い人」、大人になってからは「面倒くさい人」という存在だった。
 父親というものはそういうものだと思っていたから、高校生になって、「誕生日は毎年、お父さんと食事して、何か買ってもらうんだ」と嬉しそうに話す同級生に驚愕した。
 世の中には、家族に優しい父親も存在するのか。
 姉が結婚して子供が生まれ、さすがに孫には相好崩すだろうと思ったが、さほど変化はなかった。
 生まれたての赤ん坊を恐々と抱き、赤ん坊が泣き出した途端に、「母さん!母さん!」と母を呼びつけて、「泣いてる」と押しつけると、そのまま自分の部屋に引っ込んだ。
 姉と私、母は顔を見合わせて、ため息をついた。
「お母さんは、どうしてお父さんと結婚したの?」
「優しくも面白くもないし。家のことだって何もしてくれないでしょ?」
 私たち子供がそう問いかけると、母は、
「そうなのよねぇ、私、どうしてお父さんと結婚しちゃったのかしらねぇ」
と、心底、不思議そうに首を傾げたものだった。

 慌ただしく、お葬式だ、四十九日だと過ごしているうちに暑い夏になり、疲れがたまって倒れられたら困るからと、姉と私は交互に母を自宅に招いた。姉の家では孫と賑やかに、私の家では夫と私の世話を焼いてと、それなりに楽しげに過ごしていた。夏の終わりには、弟が実家に十日ほど帰省していたらしい。
「勢いあるうちに片付けちゃおうと思ってね」
 父は通勤用のスーツなどは退職直後に処分していたし、趣味らしい趣味もないから物も増えなかった。
「あまり片付けるところもなさそうだけれど…」
 私と姉は、がらんと素っ気ない父の部屋を見回して言った。
「それでも、こまごました物は結構出てくるものなのよ」
 歯ブラシだとかスリッパだとか…、箸に茶碗にマグカップ…。
「急に居なくなられちゃうと心の準備が出来ないじゃない?残された物を見つけると、不意を突かれたりするのよ」
 そう言いながら、母は勢いよく机の引き出しを開けた。
「私はクローゼットを片付けちゃうから、あんたたち、机周りをお願いね」
 パタパタとスリッパの音を立てて、母が部屋を出て行く。
「…やっぱり、寂しいもんなのかね」
 姉がポツリと言った。

 幾らかの文房具に新聞記事のスクラップ帳、住所録は会社関係の人たちが主だった。
 小さな本棚には実用書ばかりが並んでいたが、隙間の方が多い。
 密かに綴っていた日記帳でも出てくれば面白いと思っていたが、それらしきノートは出てこなかった。
 味気なさにがっかりしかけた時、姉が「あ…」と声を上げた。
「どうしたの?遺書か何かあった?」
「ほら、これ…」
 姉が見つけたのは、小さな数冊のアルバムだった。
 写真店で現像すると、サービスでつけてくれる冊子状のアルバム。
 開くと、姉の子供の写真が、成長順にきちんと並んでいた。
 姉が母宛てにメールで送っていた写真のデータを、プリントしたものらしい。
 実家にはパソコンもプリンターもないから、写真店に持ち込んだのだろう。
「お父さん、どんな顔してこれを見ていたんだろうね…」
「私、お父さんは子供が嫌いなんだとずっと思ってたよ」
 姉は気が抜けたように笑った。
 そういえば、私たちのアルバムもそれぞれ、きちんと整理して取ってある。
 そのアルバムの中には、父が写っている写真はほとんどない。
 父が撮っていたのだから当たり前だ。
 当たり前のことを、今まで忘れていた。

 アルバムがしまってあった引き出しから、分厚い時刻表が出てきた。
 今年三月号の『文字の大きな時刻表』だった。
「時刻表なんて久しぶりに見たね」
「今はアプリがあるからね」
 へそくりでも挟まっていないかと、薄い紙のページを繰る。
 母が「お茶にでもする?」と顔を出した。
「あら、時刻表?」
「うん、結構新しいのだよ。お父さん、どこか行く予定だった?」
 そんな予定、聞いてないけれど…と、毋も覗き込む。
 端を折り曲げたページが何箇所かあった。
 小海線、吉備線、五能線、只見線。
「…あ」
 今度は母が声を上げた。
「これ全部、ローカル線…」
 母が毎週見ているテレビの旅番組で紹介されていたのだと言う。
「こんな風に、のんびり旅にでも行きたいわねって言ったのよ。
 お父さん、新聞読みながらアアだかウウだか言うだけだから、どうせ聞いてないんだろうと思ってたの」
 よく見れば、「待ち27分」などという書き込みもある。
「…お母さんと行くつもりだったのかな」
「お母さん、何にも訊かれてないわよ?
 二人で行くなら、『どこに行こうか』とか相談してくれればいいじゃないの。
 私、いくらのんびり旅でも、なぁんにもない場所なんて嫌よ?行くなら美味しいもの食べたいじゃない?
 いつもいつも、黙って勝手に決めちゃうんだから…」
 母が、スンッと鼻を啜った。
 姉が黙って、ティッシュを差し出す。
 窓から入り込んだ風が、私の膝の上の時刻表をパラパラとめくった。

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子供の頃、時刻表の読み方が分かったとき、「これで日本全国どこへでも行けるんだ!」と興奮したことを覚えています。
今はスマホのアプリを使えば、あっという間に接続から運賃から、全部導き出してくれますものね。
東京の地下鉄の乗り換えなんて、アプリなしではとても無理。
恩恵に与りながらも、時刻表の活字(独特ですよね)がちょっと懐かしくなります。
父親が持っていたので、のぞいてみました。


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先日、学生時代からの友人たちと小さな旅をしました。
奇祭・御柱祭で有名な、諏訪の諏訪大社を巡る旅。
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで南岸に上社(本宮・前宮)、北岸に下社(春宮・秋宮)があります。
大変なパワースポットということですが、不信心な我々は特に願掛けするわけでもなく、ただただ厳かな雰囲気を味わってきました。
この立派な木は、春宮にありました。

この旅に集まった5人中4人は、すでにお父様を亡くされています。
私だけ、父健在。
「大事にしないと!」と口々に諌められました。
そう言われましても…。
なかなか、馬が合わないんですよねぇ。
…なんて思いながら、作り話を書いてみました。



 

 

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by bowww | 2018-10-08 23:08 | 作り話 | Comments(0)

うろこ雲(秋分)その2

 カンナちゃんのお誕生日会に呼ばれた。
 可愛くておしゃれで、勉強ができてスポーツも得意。
 カンナちゃんはクラスのアイドルだった。
 そんな子に招待してもらったのが嬉しくて、私はすぐに「うん、行くね」と返事をしてしまった。
 家に帰ってから、同じ日にカズちゃんと遊ぶ約束をしていたことを思い出した。
 カズちゃんは少し前にカンナちゃんと喧嘩して、今度の誕生日会には呼ばれていないらしいということは何となく知っていた。
 私はぐずぐずと迷った挙げ句、前日になってカズちゃんに、「ごめんね、明日用事ができた」と言って約束をキャンセルした。
 カズちゃんがどんな顔をしたかは覚えていない、並んで歩いていたから。
 でも、カンナちゃんの誕生日会で、とても居心地が悪かったことははっきり覚えている。
 せっかくのご馳走もケーキも、美味しいとは思えなかった。
 その日から、カズちゃんと遊ぶことは減った。
 中学校でクラスが別々になってからは、喋ることもほとんどなくなった。


 学年別の綱引きや大玉送り、全体ダンスと競技が進み、いよいよ結菜(ゆな)たち一年生のかけっこが始まった。
 私は体育が苦手だったし、運動会が嫌いだった。
 特に、かけっこで順番を待つ間の緊張感、よーいどん!のピストルの音、思い出すだけで心臓がばくばくする。
 結菜も私に似て、運動神経はあまり良くない。その上、性格ものんびりしているせいか、いつも出遅れる。
 綱引きは綱を引くというより引きずられているだけだし、大玉送りでは大玉に触ることもできない。
 全体ダンスはワンテンポ遅れている。
 救いは、本人はあまり気にしていないらしいということか。
 結菜たちのグループがスタート地点に並んだ。
 パンッ!というピストルに合わせて、同じぐらいの背の子供たちが一斉に走り出した。
 結菜は一番外側のコースだ。
 なかなかのスピードで走り出したのだが、カーブで上手く曲がりきれず、大きく膨らんで順位を落とした。
 結局は五位でゴール。私を見つけて嬉しそうに手を振って、先生に注意されていた。
 まぁ、本人が楽しいならそれでいいのだけれど…。
 やれやれ、と気が抜けたところで肩を叩かれた。
「やっぱり三橋だ、久しぶり!」
 陽太(はるた)君だった。
 陽太君も人気者だった。
 面白くて勉強ができて、正義感が強い。女子にも男子にも優しかった。
 小学生のころは私の方が背が高いくらいだったのに、今では頭一つ分、大きい。
 ボーダーのTシャツにチノパンというラフな格好も清潔感があって、きっと今も好感度は高いのだろう。
「さっき山田から、三橋が居るって連絡もらってさ、探してたんだよ。
 そしたら、三橋によく似た女の子が走ってるのを見かけて、もしかしたらと思ったんだ」
「そんなに私に似てた?」
「似てる似てる!あののんびりした感じ、三橋の子供の頃にそっくりだよ」
 思わず溜め息が出た。
 私は結菜よりは、しっかりしていたと思うのだけれど…。
「陽太君のお子さんも一年生なんだって?」
「そうそう、下の子ね。上は五年生」
 木陰に移動して、お互いの近況を簡単に話した。
 陽太君は大学を卒業してすぐに、地元の企業に就職したという。
 友達が多い彼らしく、今でも同級生たちと連絡を取っているらしい。
「そうだ、和音(かずね)、覚えてる?」
「…カズちゃん?」
「そう、あいつ、三橋と会いたがってたよ」
 私は少し身構えた。
「会いたがってた、というか、『謝らなきゃ』って」
 意外な言葉に、首を傾げる。
「三橋の自由研究を盗んじゃったんだってさ」


 夏休みの宿題は、自由研究が一番大変だった。
 まずテーマを決めるのが一大事。あまり大き過ぎるテーマは、夏休みの間に調べきれない。
 かと言って簡単過ぎると格好悪い。
 五年生の夏休み、私は身近な薬草を集めることにした。
 たまたま読んだ本に、オオバコやタンポポといった雑草も、実は薬になるのだと書いてあったからだ。
 図鑑で調べて、目ぼしい植物を採ってきて押し花や押し葉にすれば、それなりの「自由研究」になる。
 二学期の始業式、私は研究結果を持って、意気揚々と学校に行った。
 …ことは覚えている。
「和音も薬草を集めたんだって」。
 思い出した。
 カズちゃんの自由研究は、確か何かの賞を取ったのだ。
 カズちゃんの標本は、とても丁寧に仕上げてあった。
 大きな模造紙には、その植物の分布場所や効能などが細かく記されていた。
 同じテーマでも出来映えの差は歴然で、私は素直に「カズちゃんはすごい」と思った。
 陽太君の説明によれば、自由研究のテーマが思いつかなかったカズちゃんが、私の真似をしたのだという。
 それなのに、自分の方が賞をもらってしまった。
「それがずっと、気になってたんだってさ」という陽太君の言葉を聞きながら記憶を辿る。
 私がカンナちゃんの誕生日会に行ったのは、五年生の秋だったと思う。
 つまりお互い、ほぼ同時に、罪悪感を抱えていたということになる。
「そんなこと…。私の方こそカズちゃんに謝りたいことがあって…」
 ふと気づく。
 陽太君は、なぜそんなにカズちゃんのことを知っているのだろう。
「じゃあ、二人で話してみたら?」
 私の怪訝そうな顔を面白そうに見守っていた陽太君は、スマホを取り出して誰かに電話を掛けた。
「あ、俺。
 三橋、ちゃんと覚えてたぞ。
 俺が戻るから、こっちに来たら?」
 電話を切って、にやりと笑う。
「かみさん。呼んだから」

 グラウンドでは玉入れが始まっていた。
 結菜は、玉をやっと拾ったと思ったら、そのままぽかんと上を見上げている。
 無数の赤い玉が、籠を目がけて空に放物線を描く。
 真っ青な空に、綿細工のようなうろこ雲が流れる。 
「八重ちゃん!」
 懐かしい声が聞こえた。


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うろこ雲、ではありませんが、久しぶりの青空。昨日の秋分の日の空です。
運動会の思い出を書きたくて書き始めたお話です。
ほんと、私も運動会が嫌いでした。
台風が来て中止になればいいと、毎年祈っていました。
でも、不思議と、運動会の思い出は青空なんですよね。ぱっか〜んと高く澄んだ青空。
不謹慎な祈りは通じなかったんでしょうね。


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夏のお楽しみは、NHKラジオの「夏休み子ども科学電話相談」でした。
今年は特にユニークな質問が多かったような気がします。
「恐竜の肉は美味しかったんですか?」「鳥人間になったら(飛べるから)遅刻しなくなりますか?」などなど。
それに答える先生たちもとても素敵です。
ラジオのワクワク感を引きずったまま、上野の国立科学博物館の「昆虫展」を見てきました。
知らないことを知るのは楽しいです。
…身につかないのが困りものですが。



パソコンで、エキサイトブログの写真が見られない状況が続いています(改善する気力が。。)。
自分のブログの写真も見られないため、すっかり気持ちが萎えてしまって、皆様のブログにお邪魔することさえせず、失礼しております。


 
 

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by bowww | 2018-09-24 20:12 | 作り話 | Comments(0)

うろこ雲(秋分)その1

 こんなに狭くて小さかったっけ。
 娘の入学式で訪れた母校は、遊園地の作り物のようだった。
 校舎や校庭、遊具、下駄箱。私が小学生だったときから使っていた物たちが(考えてみれば、学校は意外と物持ちがいい)、おもちゃのように小さく見える。
 真新しいランドセルを背負って、緊張で頬を赤く染めている娘を見下ろして、そうだ、私が大きくなってしまっただけなのだと思い直す。
 大学に通うために実家を離れ、そのまま就職した。
 同僚と結婚して娘が生まれ、なんやかんやで離婚した。
 地元に戻って、幸い、良い転職先が見つかり、実家近くのアパートで娘の結菜(ゆな)と暮らしている。
 母娘の二人暮らしも、家族に助けてもらいながらようやく落ち着いてきた。

 小学校の中は、あぶら粘土のような、埃っぽいような匂いがする。
 午後に行けば、給食の残り香が混じる。
 あの頃は毎日、この匂いを嗅いでいたはずだ。
 授業参観や保護者会などで訪れる度に、その匂いを確かめる。
 今日は、週末にある運動会の打ち合わせだ。私は駐車場案内や会場整備の手伝いをする係になった。
 射し込む光に埃がチラチラと反射している。
 そこの廊下の角から駆けて来るのは、同じクラスのやんちゃ坊主たち。
 私はカズちゃんと、「男子!廊下を走ったらいけないんだよ!」と怒鳴る。
「そうだ、カズちゃんだ」
 ストッキングの足でスリッパを履いて、廊下を歩くのは難しい。
 ぺたぺたと無様な音を立てながら歩いていた私は、仲が良かった友達の名前を唐突に思い出した。
 隣の街の高校に進んでから、小中学校の友人たちとは自然と行き来がなくなっていた。
 カズちゃんはどうしているだろう。
 面倒見のよい、はきはきしたカズちゃんは、引っ込み思案な私とよく遊んでくれた。
 カズちゃんのおかげで、乱暴者のヤマダ君、ガッ君にもからかわれなくなった。
 人気者のカンナちゃんやハルタ君とも話せるようになって…。
 カズちゃんを思い出したら、つるつると他の同級生たちの名前と顔が出てきた。
 同時に、カズちゃんを裏切ってしまった、あの日の風景も甦る。
 懐かしい思いが引っ込んで、胸がぎゅっとなる。
 狭く感じていたはずの廊下が、急に広くなったような気がした。

 雨が続いて心配したが、運動会の当日は朝から見事に晴れた。
 結菜を急かして支度をして、私は一足先に学校へ向かう。
 駐車場が混雑する前に、車を誘導しなくてはいけない。
 「駐車場係」の腕章をつけて、決められた場所に立つ。
 まだ七時前だというのに、気の早い保護者たちの車が次々と入ってくる。写真やビデオ撮影のために、良い場所を確保したいのだろう。
「…三橋?三橋八重、だよな?」
 急に名前を呼ばれて振り向くと、三脚やらカメラやら大荷物を抱えた男性が立っていた。
「…山田君?」
「やっぱり!うっわ〜、すげぇ久しぶりだな」
 まん丸い顔をニコニコさせている。
 小学生の頃から体格のいい暴れん坊だったが、中学校に入ると、ちょっと質の良くない仲間と遊ぶようになったと噂に聞いていた。
 でもこの笑顔は、どうやらそこから建て直して、今は幸せなお父さんになったというところだろうか。
「いつ戻ったんだよ?同級生たちと会ってるか?」
 少し迷ったが、最初に言ってしまう方が楽かと思って、両方の人差し指で「バツ」を作った。
「これ一つ付けて、去年、こっちに戻って来たの。娘が一年生」
 山田君はニヤッと笑った。
「そかそか、バツ一個な。俺は二つだから、俺の方が上な」
 山田君に少し遅れて、奥さんらしき人がやって来て会釈した。
「で、三回目で落ち着いてるってわけ。うちは三人通ってるから、応援も大変なんだよ」
 また今度ゆっくり会おうな、と手を振って山田君は行きかけた。
 と、小走りで戻って来て、
「陽太(はるた)んところの子も、確か一年生だぞ。会ったら声かけてやれよ」と言い残していった。
 思い出したばかりの同級生が、ひょっこり現れた。
 おじさんになってもちゃんと分かるものだなと感心した後で、私自身もすっかりおばさんなのに、よくぞ見つけてくれたと感謝した。



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  …続きます。

 
 


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by bowww | 2018-09-23 22:34 | 作り話 | Comments(0)

文字なき手紙(白露)

 今日は久しぶりに、定時で上がれる。
「今のうちだけだぞ、楽しいのは」などという上司の軽口を受け流して、職場を後にした。
 紗江と結婚して三カ月になる。
 大学で同じ自転車サークルに所属していたけれど、当時は顔見知り程度だった。
 社会人になって五年目、サークルのOB会で紗江と席が隣同士になった。
 世間話の中で、お互いの会社が近いこと、ランチでよく行く気に入った店が同じことなどが分かった。
 些細なことなのに妙に可笑しくて会話が弾み、気がつけば自然と、次に会う約束をしていた。
 少しぽっちゃりしている紗江は、「ダイエットしなくちゃ」が口癖なのに、食べることが大好きだ。
 「また太っちゃう」と眉を八の字にしたすぐ後に、一口食べて、それはそれは幸せそうに笑う。
 僕はその度に吹き出しながら、この子となら楽しく暮らせそうだと思った。
 これから帰るとLINEを入れると、少しして「今夜は手抜きパスタだけどいい?」と返事が返ってきた。
 食べることが好きなだけあって、紗江は料理も上手い。
 「ワインでも買ってくよ」というLINEには、ピョコピョコと喜ぶウサギのスタンプがついた。

 会社を出るときにポツポツ落ち始めた雨は、マンションに着く頃には本降りになっていた。
 郵便受けを覗いて中身を掴み出した。DMやらチラシやらの紙束が湿気っぽい。
 エレベーターの中でざっと郵便物を確認していると、紗江宛ての絵はがきが一枚、混じっていた。
 地中海だろうか、紺碧の海に真っ白な建物が立ち並ぶ風景写真。
 外国からしいと思いながら、玄関のドアを開ける。
「おかえり〜」
 のんびりと明るい紗江の声が聞こえた。
「冷蔵庫の残りもの一掃パスタ。週末は何か美味しいもの作るね」
 トマトやタマネギを刻んでいる。
 紗江も働いているのだから夕飯は適当でいいと言っているけれど、「料理がストレス解消だもん」と、手早く何かしら作ってくれるから助かる。
 その代わり、掃除洗濯は少し苦手のようだ。
 僕はそっちは苦にならないから、自然と役割分担が出来つつある。
「郵便物、ここに置いとくな」
 キッチンカウンターの端に置きながら声を掛けた。
「あ、また持って来るの忘れちゃった。ありがと」
「なんか、紗江宛てにエアメール来てたぞ」
「エアメール?誰だろ?」
 手を止めて首を傾げている紗江を残して、僕は着替えに寝室へ行った。

 温まったオリーブオイルとニンニクの匂いに腹が鳴る。
 キッチンに戻ると、紗江はフライパンの前でぼんやりしていた。
「フライパン、大丈夫?」
 紗江は慌てて火を止めた。
「どうかした?」
 僕が尋ねると、紗江は何か言おうと口を開きかけた。
 キッチンタイマーが鳴る。
 パスタが茹で上がった。
 紗江はフライパンを再び火にかけ、刻んだトマトやタマネギ、ベーコンを炒め始めた。
 パスタを鍋からフライパンに移す。
 ざっとソースに絡めて、黒胡椒をがりがりと挽いた。
 皿に盛りつけると、紗江はやっと僕の方を見て笑った。
「なんでもないよ。あったかいうちに食べよ?」
 僕は冷蔵庫からワインを取り出し、テーブルにグラスを並べる。
 テーブルの隅に、さっきの絵はがきが置かれていた。
 紗江の目を盗んで、地中海の街の写真をそっと裏返す。
 うちの住所と紗江の名前、その下に「結婚、おめでとう」の文字があった。
 角ばっていて決して達筆ではないけれど、力強い字だと思った。
 差出人の名前の辺りは、雨のせいか、ぶかりと滲んで読めない。
 もしかしたら、紗江が濡れたままの手で掴んだせいかも知れない。
 紗江がテーブルに着く。
 絵はがきを摘むと、カウンターの上の紙束に無造作に重ねた。
 僕はグラスにワインを注ぐ。
 雨音が、急に強くなった。

  秋霖の濡れて文字なき手紙かな 折笠美秋
 


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取り急ぎ。
ギリギリ滑り込み。。




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by bowww | 2018-09-08 23:50 | 作り話 | Comments(0)

野分(処暑)

 すだく虫の音さえも、捥ぎ取っていくように風が吹く。
 にも関わらず、空は明るく月の光は澄んでいる。
 雲が吹き散らされて、天空はかえって凪いでいるのかもしれない。
「さぁ、召し上がれ」
 小さな杯さえ重いとでもいうように、細い指が撓る。
 乳白色の杯は半透明で、月に翳せば僅かに光を湛える。
 中は空。
 女はその杯につややかな唇を寄せ、白い喉を仰け反らせてあおって見せた。
 私にも「干せ」と言う。
 ままごと遊びに付き合わせるつもりか。
 風が強い。
 女の髪は乱れ、剥き出しの額は皓々と白い。
 私は女を真似て、杯を運ぶ。
 飲み干した振りをすれば、女は「もう一杯」と強いる。
 馬鹿らしい。
 月の面を拭うように、青炭色の雲が走る。
 手元が一瞬陰る。
 女は私の杯を取り上げ、両手で高く掲げた。
 雲が過ぎ、月は輝きを増す。
 溢れる月の光を、杯で受ける。
「さぁ」
 返された杯が重い。
 冷ややかな感触に、指が竦む。
 風の音に女の笑い声が混じる。
 

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  野分中月は光を得つつあり 富安風生

  葡萄美酒夜光杯(葡萄の美酒 夜光の杯)
  欲飲琵琶馬上催(飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す)


漢詩は、
  酔臥沙場君莫笑(酔ひて沙場に臥すとも君笑ふこと莫かれ)
  古来征戦幾人回(古来征戦幾人か回る)
と続きます。
中学校が高校で習いました。王翰の「涼州詞」。
本来の意味なんてすっかり忘れて、「葡萄美酒夜光杯」というフレーズだけが残っていました。
台風が近付いているのに月が明るかった先日の夜、寝転がってずっと空を眺めていました。

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お盆過ぎた途端に急に気温が下がり、「このまま秋になるのはちょっと寂しい気もするね」なんて家族や同僚と話していたのに、戻ってきた残暑のしつこさにウンザリ。。
こういう夏が、これから増えていくのでしょうね。
気温と気圧の変化で体調を崩しやすい日が続きそうです。
皆様もご自愛くださいませ。



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by bowww | 2018-08-23 19:31 | 作り話 | Comments(0)

かなかな(立秋)その2

 むき出しの脛に、朝露に濡れた草が触れる。
 早起きは苦手だが、草むしりは朝のうちにやってしまう方が楽だ。
 がっしりと根を張った草を力任せに引き抜くと、カエルや小さな虫たちがワラワラと逃げ出す。
「…うわっ!」
 丸々と太ったミミズまで出てきた。クネクネとのたうち回る姿に、思わず声が漏れる。
 後ろで、くつくつ笑う声がした。
「あらあら、ミミズ?」
 妙子さんだ。
「…久しぶりに見たからびっくりして…」
「青くんは、昔からミミズが苦手だったもんね」
 確かにそうなのだ。
 昔、やんちゃな村の子供にミミズを投げつけられたのがトラウマになっている。
 照れ隠しに、わざとゆっくりと立ち上がり、軍手についた土を払い落とす。
「あの、昨日は差し入れありがとうございました。
 美味しかったです」
 妙子さんはパッと笑う。
 今日は向日葵が描かれたスカートを履いている。
「お勝手に、茹でたトウモロコシ置いてあるから、良かったら朝ご飯の足しにしてね」
 スカートをひらりと翻して、妙子さんは帰って行った。
 外の水道で手を洗って家に入ると、味噌汁の匂いがした。
 鍋を覗くと、茄子とインゲンが浮いている。
 ぴかぴかの黄色いトウモロコシには、薄く塩をまぶしてあった。
 腹の虫がぐうっと鳴る。
 朝からご飯を二膳、平らげた。

 やっぱり妙子さんは、親戚の誰かなのだろう。
 子供の頃に一緒に遊んだのかも知れない。
 静かになった家に度々やってきて、祖父母を気遣ってくれたのかも知れない。
 夜にでも、父に電話して確かめてみようと思っていると、その日一番の見学者がやってきた。
 やはり初老のご夫婦だ。
 旦那さんは少し気が弱そうで、奥さんが張り切っている。
 奥さんは頻りに、「素敵!素敵!」と歓声を上げていた。
 和風モダンな設えにしたいのだと言う。
「それにこのお庭!ガーデニングが存分に楽しめるわね。
 ねぇ、あなた、こちらに決めましょうよ」
 すぐにでも買う勢いだ。
「村にコンビニはありません。最寄りのスーパーまで車で二十五分。
 もちろん、病院も遠いです。
 夜は真っ暗だし、虫も蛇も出るし、庭で作ったトマトは猿が根こそぎもっていきます。
 そうそう、冬は雪が腰ぐらいまで積もります」
 明るい声で説明したのは、いつの間にか僕の後ろに来ていた妙子さんだった。
 見る間に奥さんの腰が退けた。
 旦那さんは「うんうん」と頷いて、
「…とりあえず、一度ゆっくり考えてみます」
 と、奥さんを促して帰った。
「妙子さん、困ります。あんなこと言ったら、みんなびびって買ってくれなくなっちゃうじゃないですか」
「でも、本当のことよ。
 田舎に慣れてないお年寄りがいきなり来ても、苦労するだけだもの」
 でも、腰まで雪が積もるってのは言い過ぎたわね、とコロコロと笑っている。
 僕は縁側にへたり込み、水色の夏の空を見上げた。

 午後には初めて、若い二人がやって来た。
 家の隅々を丁寧に見て回る。特に水回りを確認し、色々な場所のサイズを計っている。
 妙子さんは、興味津々といった様子で、僕の後ろをついてくる。
 磨り減って光る階段の手すりを、奥さんが嬉しそうに撫でた。
 旦那さんは、天井を渡る太い梁を見上げて目を細めた。
 何も言わなくても、二人がこの家を気に入ったことが分かった。
「あの、でも、村にはコンビニもなくてですね…」
 やっぱりネガティブな情報を伝えなければ、フェアじゃない。
「ええ、知ってます。調べました。
 便利な場所ではないですよね」
 奥さんはニコニコと言った。
「僕たち、カフェを開きたいんです」
 旦那さんは、少し照れながら話した。
「こんな場所で?」
 僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 こんな田舎でカフェをやっても、わざわざ来てくれる人なんてどれだけ居るだろう。
「そうですよね、無謀ですよね。
 でも、そのために、僕たち何年も準備してきたんです」
「村の人たちも来てくれるような、近所のお茶飲み所みたいなお店にしたいんです」
 妙子さんは静かに、二人の話を聞いていた。

 熱心な若い二人が帰った頃には、日はだいぶ西に傾いていた。
 山間は早く暮れる。
「青くん、カフェーってなぁに?」
 妙子さんの思いがけない質問に驚く。
 今時、カフェを知らない女子なんて。
 それに「カフェー」と伸ばすなんて。
「えと、喫茶店?が、おしゃれになった、感じ、かな?」
「そうなのね。
 あの二人は、この家でカフェーをやりたいって言ってるのね」
 ふんふんと、頻りに頷いている。
「いいわね、楽しそうね。あの人たちならいいわね」
「確かに感じが良い人たちだったけど、買ってくれるかどうかは別です」
「カフェーになれば、色々な人が来て賑やかでいいじゃない」
 僕はあらためて、妙子さんを見つめた。
 丸っこい顔に大きな目。
 …あれ?
「どこかのお年寄り夫婦が住んでるだけじゃ、寂しいもの。
 それに、カフェーなら、あなたたちだって来てくれるでしょ?」
 思い出した。
 名前、妙子、って…。
「………おばあちゃん?」
 我ながら、バカみたいなことを言っていると思うけれど。
 でも、妙子さんはにっこり笑って答えた。
「あら、ばれちゃった。
 青くんが来てるから、嬉しくてついつい、ね」
 それにしたって、若返り過ぎじゃない?
「せっかくなら、しわくちゃのおばあちゃんより、きれいな姿で会いたいじゃない?」
 向日葵のスカートを、ふわっと広げて見せる。
「これね、おじいさんと初めてデートした日に着たの。
 おじいさん、帰り際にちょこっとだけ褒めてくれたのよ」
 ふくふくと笑う顔は、本当に楽しそうだ。
 蜩(ひぐらし)の鳴き声が、高く低く波のように、僕らを包み込む。
 降りそこなって崩れ始めた入道雲の縁が、金色に染まる。
「おばあちゃん…」
 妙子さんは、僕の手を取った。
「青くんは、ばあちゃんの自慢」
 またね、という声と、手のひらの温もりを残して、妙子さんは行ってしまった。


 祖父母の家は、若い二人に売ることが決まった。
 妙子さんはきっと、喜んでいると思う。
 でも、若い人たちに高く売るわけにはいかないから、僕の小遣いは大して増えなかった。
 カフェが完成したら、従兄弟たちを誘って行こうと思う。


  また蜩のなく頃となつた
  かな かな
  かな かな
  どこかに
  いい国があるんだ
          山村暮鳥



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あまりの酷暑にうんざりして、少しでも涼しげな場所に脳内トリップしたくて書きました。
最近のトウモロコシは、とてもとても甘いかわりに白っぽくなりましたね。
子供の頃に食べていたトウモロコシは、張り切ってパツパツに実って、ピカピカの黄金色をしてたなぁ、と懐かしく思い出しました。
お盆は、亡くなった懐かしい人たちが近くに来てくれる季節ですね。

台風が近づいています。
大きな被害が出ませんように。
そして、少しでも涼しくなりますように。


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いつかの緑陰。
涼しい風が吹くと、天からの気まぐれな贈り物のような気持ちになります。







 
 
 
 
 
 

 
 

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by bowww | 2018-08-08 13:01 | 作り話 | Comments(0)

かなかな(立秋)その1

 祖父母が住んでいた田舎の家を、売りに出すことが決まった。
 住む人がいなくなって三年、僕の両親を始め、親戚たちが代わる代わる訪れて片付けをしていたおかげで、築九十年を超える古い家は、そこそこ小ぎれいさを保っていた。
 山間の集落にある祖父母の家は、昔話に出てくるように古めかしい。
 僕が子供の頃、夏になると親戚が大集合して、それは賑やかだった。従兄弟やら、はとこやら、その友達やら、とにかく大勢の子供たちがわちゃわちゃと居て、遊んだり喧嘩したりしてひと夏を過ごした。
 大学の夏休み、僕はその家の留守番を任された。
 田舎の古民家を探している人は多い。最近まで住人がいて手入れされていた古民家は貴重な物件なのだと、不動産屋の反応も良かったという。
 実際に家を見てみたいという申し出も、既にいくつか入っているらしい。
 僕は、見学に来た人を案内するガイド役を仰せつかったというわけだ。
「家が高く売れるも売れないも、お前の案内次第だな。高く売れたら、小遣いも倍増だ」
 夏休み明けのゼミ発表と卒論の準備に追われて、今年の夏はアルバイトを諦めた。
 父や親戚からの小遣いは、貴重な収入になる。
 電話の向こうで上機嫌に話す父は、最後にぽつんと、
「いい人に買ってもらいたいからな。頼んだぞ」と呟いた。
 田舎の家で過ごす最後の夏だ。 

 広くてひんやりした土間、急な階段、てかてかに黒光りする廊下、幾つもの座敷。
 家に入ると微かに、味噌や糠床のような匂いがする。
 ばあちゃんの漬物や味噌汁、うまかったんだよな。
 中学生になる頃には、祖父母の家に行くよりも友達と遊ぶ方が楽しくなっていた。
 訪れる回数は徐々に減って、それはほかの孫たちも同じことで、きっと二人に寂しい思いをさせてしまったと思う。
 祖父が亡くなって、祖母も入退院を繰り返すようになった頃、僕は大学に合格したことを報告しに行った。
「青(せい)くんは、賢いで。ばあちゃん、自慢だわ」
 良かったよかったと、くしゃくしゃの笑顔で繰り返した。
 もっと度々、会いに来ようと思ったのに、僕は新生活の忙しさにかまけてしまった。
 次にこの家を訪れたのは、祖母の葬式だった。
 ごめんな、ばあちゃん。
 雨戸を端から開け放つ。
 夏の光と風、蝉時雨がどっと流れ込んで、家が呼吸を始めた。

 不動産屋が言った通り、この家はなかなかの人気者だった。
 週末ともなると、一日に三、四組の見学希望者がやってきた。
 やはり、第二の人生を考えているらしい初老の夫婦が多い。
「老後はのんびりと田舎で、というのが夢だったんです」。
 穏やかな笑みを浮かべる、品の良い老夫婦に、
「村にコンビニはありません。最寄りのスーパーまで車で二十五分。
 もちろん、病院も遠いです。
 夜は真っ暗だし、虫も蛇も出るし、庭で作ったトマトは猿が根こそぎ持っていきます」
 なんていう情報を、伝えていいものかどうか迷ってしまう。
 田舎では、のんびりしている暇なんてない。
 僕自身も、卒論の準備にとたくさん資料を持ち込んだのに、草取りや掃除、家のあちこちの小さな修繕、食事の用意(買い物に時間がかかる)などに忙殺されて、ほとんど手つかずのままだ。
 携帯電話は通じるものの、ネット環境は整っていないから、情報源はほぼラジオのみという状態になっている。
 やれやれ、割に合わなかったかな、と座敷に寝転がる。
 煤けた欄間を見上げ、そういえば、あの模様が人の顔に見えるとか見えないとか、年上の従兄弟に脅かされたっけ…などと思い出しながらウトウトする。

 いつの間にか蝉時雨は止んで、風が涼しさを増していた。
 蜩(ひぐらし)が、一声だけ鳴いて黙った。
 目を開けると、縁側に誰か座っている。
 僕は、バスタオルをはねのけて飛び起きた。
「ごめんね、よぉく寝てたから」
 くつくつと笑う。若い女の人だ。
 家の見学に来た人だろうか。
 慌てふためく僕を見て、明るい笑い声を上げた。
「青くん、久しぶりね」
「…はい、ご無沙汰してまして…」
 反射的に返してしまったけれど、誰だろう?
 何処かで会った気もする。
 遠い親戚の誰か、かも知れない。
「妙子です、覚えてない?」
 覚えていない。
 僕と同じぐらいの年齢だろう。丸っこい顔に、大きな目がくりくりと動く。
 紺地に白い桔梗が散っているワンピースが、クラシカルだけれどよく似合っている。
「まぁ、仕方がないわよね。
 一人だと大変かと思って差し入れに来たの」
 竹籠の弁当箱を渡される。
「また来ます」
 妙子さんはひらひらと手を振って、庭を出て行った。
 蓋を開けると、三角形のごま塩むすびが三つ入っていた。
 添えられた茄子の味噌漬けは、キュッとしょっぱかった。



【…続きます】
 
 
長くなりそうなので、一旦ひと休み。
エキサイトブログ、私のパソコンでは画像がまったく表示されなくなってしまいました。。
ブラウザのバージョンも古くはないし、「何やらを削除せよ」という指示にも従ってみたのですが、どうにもこうにも。。
パソコン関係、とても苦手なので、早くも心折れそうです。。

 
 
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by bowww | 2018-08-07 22:15 | 作り話 | Comments(0)

箸づかひ(大暑)

 店先の、打ち水の跡と盛り塩の白が清々しい。
 相手の背中を見ながら、晒された藍の暖簾をくぐった。
 小上がりの席に、半月形の塗り盆が二つ、用意されていた。

 会うのは今日で三回目だ。
 同僚から紹介された男性は、物腰が柔らかで話が面白い。
 お酒が好きだと言うと、「じゃあ、ぜひ」とこの店に案内された。
 ぎっしりと氷が詰められた小鉢に、くるんと丸まった白い身。最後にさっと炙ったのだろう、細かく入った包丁の跡が、ちりりと焦げている。
 スダチを搾って口に運ぶ。
 むっちりと張った身を噛みしめ、じわりと滲む甘みを楽しみながらも、舌は意地悪く骨の名残を探してみたりする。
「この季節は、やっぱり鱧がいいですね。
 そうそう、この前、出張で京都に行ったときにね…」
 どこそこの有名店に行ったら、バカ高いだけで美味しくなかった云々…という話を、面白おかしく語る。
 少し口調がくだけてきたなと思う。
 話しながら、私の猪口が空なのを見逃さない。片口を持ち上げて、「さ、どうぞ」と注いでくれる。
 一口含み、「では」と今度は私が注ぐ。
 備前焼の片口は、持つとしっとりひんやりと重い。
「お酒は何が一番お好きなんですか?」
 なんでも好きなんですと答えれば、「頼もしい」と笑う。
 椀物が運ばれてきた。
 お椀の縁を軽く押さえて蓋を開けると、ふわりと出汁の香りが立つ。
 白い身が沈んでいる。
「松茸です。香りはまだまだですが、初物ですので…」と店主が言葉を添える。
「サマツだね、これは貴重だ」
 噛めば頑丈な繊維質がキシキシと歯に当たり、微かに香りが鼻に抜ける。出汁を含むと、つるりと小さな何かが舌に触れた。
「…あ、」
「蓴菜、かな?」
 顔を見合わせて、答え合わせをする。

「手でどうぞ、そのまま」と出された自家製カラスミは、薄く切った大根に挟んで食べる。
 濃厚な旨味が残る口中に、少しぬるんだお酒を含む。
 二つ目の片口が来た。
 もう少しどうかと勧められたが、「お料理をちゃんと味わいたいから」と制して、私が主に注ぐ係になる。
 相手はよく喋り、よく食べる。
 つまらない自慢話も愚痴も、今のところはこぼれてこない。
 シャツの襟や袖口が小ざっぱりしている。
 爪が手入れされている。
 食べ方がきれい。
 好もしい点を並べてみる。
 土鍋で炊いたトウモロコシご飯に、「お焦げがある」と喜んでいるのもいい。
「また美味しいものを食べに行きましょう」と約束し、送っていくという申し出を、「電車の時間まで、少しこちらで待たせてもらうから」と丁寧に断る。
 帰る相手を見送ってから、カウンターに座った。
 店主が冷えた錫のコップを置き、「山形から来た酒」と一升瓶を掲げて見せた。
「いい感じだったんじゃん?」
 水回りを拭き清めながら言う。
 コップの冷たさと重さを楽しみながら、「ね」と短く答える。
 店主は片付けを終え、自分のコップにも同じお酒を注いだ。
 立ったまま、一口飲んで呟く。
「…ただ、なぁ…」
「ん?」
「箸をきれいに使える男って、ちょっと気をつけた方がいいかもな」
 なるほど。
「もしかして、今の人は常連さんなの?」
「うちには守秘義務ってのがあるの」
 なるほど。
「確かに。ご店主も箸使い上手だもんね」
「そりゃ仕事だからね」
 さ、店じまい、と引き戸を開けて、暖簾を軒先から仕舞い込む。
 外からの風はまだ、日中の熱さを孕んで生温い。


   箸づかひきれいな男夏暖簾 帯屋七緒

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日本列島が熱病のような、息も詰まる暑さに覆われていますね。
まさに酷暑。
熱中症にかからなくても、ただこの暑さを耐え忍ぶだけでも消耗します。
ましてや、西日本の豪雨被災地、その少し前にあった大きな地震の被災地では、どれだけ過酷な状況かと胸が詰まります。
どうかどうか鎮まってくださいと、天に祈る思いです。
皆さまもご自愛くださいませ。

これだけ暑くても、食欲は落ちずにいます。
夏痩せすると、それはそれはみすぼらしい姿になるので、気をつけているということもあるのですが、美味しいものを食べに行こうと誘ってくれる友人がいるので、夏も元気に乗り切れます。
先日は(数)年に一度の贅沢で、日本料理のお店でコースを頂いてきました。
作り話に登場するお料理は、そちらで実際に食べたもの。まだまだ美味しいお料理はありましたが、これぐらいで。
また頑張って働こう…。


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by bowww | 2018-07-23 14:17 | 作り話 | Comments(0)

遊ぼ。(小暑)

 覚えているのは、レースのカーテン越しに見る、真っ白な眩しい光。
 暑さと陽射しの強さが極まると、色が消えてしまう。ような気がする。

 なんてことは、大人になった今だから思うこと。
 あの頃の僕は、ただカーテンの向こうに見える世界を、目をしぱしぱさせながら眺めていただけだ。
 子供たちが、はしゃぎ声を上げて駆けていく。
 男の子も女の子も、こんがり日焼けして、汗をかいた額に前髪を張り付かせて、わぁわぁと。
 近所の子たちだ。
 僕はカーテンの隙間から、そっと覗き見る。
 どこに行くんだろう、何をして遊ぶんだろう。
「『遊ぼ』って言ってみたら?」
 母の声に、僕は首を引っ込めた。
 絵本に出てくる、臆病な亀みたいだ。

 僕は小児喘息だった。
 少し無理をすると、すぐにゼィゼィと息が苦しくなる。
 初めての子だったから両親はとても心配して、僕は一時、超・箱入り息子になっていた。
 幼稚園にもほとんど行けないまま、来年は小学生になるというのに、友達は一人もいなかった。
 さすがに親も心配になったらしい。
 近所の子供たちと遊べるようにと、母に付き添われて公園や児童館のような場所に行くのだけれど、僕は完全に気圧されて、すごすごと退却するばかりだった。
 一人で遊ぶ方がずっといい。
 そう思いながらも、遠くから、賑やかな輪を羨ましく眺めていた。

 海に行ってみたいな。山に行ってみたいな。
 絵本の中なら、僕はどこにでも行けた。
 絵本の中なら、僕は人気者になれた。
 風が通る涼しい部屋に寝転がって、何度も読んだ絵本を広げる。
 綺麗な青色が幾重にも重なって、海の中を描き出していた。
 小さな黒い魚の冒険を、何度も辿る。
 その魚を、つと指差した。
 僕の指じゃない。僕のより、少しだけ細い人差し指。
 目を上げると、女の子が居た。
 僕と同じように寝転がって、真剣に絵本を覗き込んでいる。
 僕が気づいたことに気づくと、口を「あ」の形に開けて飛び起きた。
「ねぇ、待って!絵本好き?ほかにも沢山あるんだ、好きなら持ってくるよ!」
 僕は必死に呼び止めた。
「これね、この魚ね、すごく賢いんだよ。僕、読んであげようか」
 女の子は動きを止めて、そろそろと座り込んだ。
 膝を抱えて、じっとしている。
 僕は絵本の最初に戻って、声を出して読み始めた。
 字が読めて良かったと思いながら。
 つっかえつっかえだったけれど、何とか最後のページまで読み終えた。
 女の子もさっきと同じように寝転がって、絵本をじっと見つめていた。
 足をパタパタパタパタさせている。
「次、どれか読む?どんなのが好き?」
 調子に乗った僕が絵本を2、3冊引き抜いて振り向くと、女の子はもう居なかった。

 でも、その日から、僕が絵本を広げればいつでも女の子はやってきた。
 いつの間にか傍に居て、絵本を覗き込んでいる。
 絵本の中に気になることがあると、細い人差し指でトントンとそこを叩く。
 僕は得意になって、「これはゴリラ。大きなお猿さん。バナナが好きなんだよ。これは象さん。すごく大きいんだ」などと説明してやった。
 そのうち、僕が絵を描いているときもやってくるようになった。
 色鉛筆やクレヨンを、不思議そうに眺めている。
 僕が落書き帳に気まぐれな線を描いてみせると、パッと顔が明るくなった。
「ねぇ、虹って見たことある?」
 女の子は首を傾げた。
 大きな大きな黒い目。
 真正面から見つめられると、ちょっとドキドキする。
 僕は色鉛筆を七色選んで、アーチ型に線を描いた。
「僕も本物は見たことないんだけどね、すごく綺麗なんだって」
 女の子は黒いクレヨンを手に取った。
 僕の描いた虹のてっぺんに、ちょこんと黒い魚を描いた。
 海の中にも、虹って出るのかな。
 でも、足をパタパタさせている女の子が満足そうだったから、僕は黙っていた。
 
 隣の家に新しい家族が引っ越してきた。
 僕と同じ年の男の子が居た。
 お母さんと一緒に挨拶に来た。
 僕と同じぐらい、白くて細っこい男の子だった。
 お母さん同士のお喋りが始まって、僕たちはほったらかしになった。
「…遊ぶ?」
 男の子は自分の靴の先を見たまま、独り言みたいに言った。
 僕も下を向いたまま、「いいよ」と答えた。

 初めは家の中でそれぞれで絵本を読んで、その次はゲームをして、その次は隠れんぼをして、そして外に出て…。
 僕はいつしか、「遊ぼ!」と大きな声で言えるようになっていた。
 毎日、隣の子と遊ぶのが楽しくて仕方がなかった。
 腕がこんがり日に焼けた頃、ふと思い出した。
 あの子がいない。
 小さな賢い魚の絵本を広げても、虹の絵を描いても、女の子はもう現れない。
 僕は泣いたかも知れない。
 そういうものなんだと、諦めたのかも知れない。
 いずれにしても、新しい友達との毎日に夢中になって、女の子のことはすっかり忘れてしまっていた。

 実家から送られてきた荷物の中に、古い絵本が混じっていたのだ。
 一匹だけ黒くて小さくて、でもとても賢い魚の話だ。
 懐かしくなって本を開けば、裏表紙に下手くそな虹の絵。
 てっぺんには黒い魚が乗っかっている。
 パタパタパタパタ。
 後ろで、懐かしい音がした。
 少し人見知りな僕の娘に、この絵本をプレゼントするつもりだ。


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例年よりもずっと早く梅雨が明けたかと思ったら、空の底が抜けたような大雨。
大きな災害になってしまいました。
どうか少しでも早く、鎮まりますように。
祈る思いでニュースを見ています。
穏やかな青空が恋しいですね。

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子供の頃、同じ年頃の子供が苦手でした。
弟が生まれるまでは一人っ子、箱入り娘。
家の中で遊ぶのが好きだったので、賑やかな友達たちが怖かったのです。
もう立派な中年になった今も、実は「あ~そぼ!」がなかなか言えません。
でも、誘ってもらうととても嬉しかったり。
B型は、「寂しがり屋の一人好き」なのだそうです…。



 
 
  


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by bowww | 2018-07-07 21:40 | 作り話 | Comments(0)

長かりし(夏至)

 歩きながらカーディガンを脱ぐ。
 一日中、オフィスの中で仕事をしていると、外の気温や湿度に疎くなる。
 冷房が利き過ぎた室内は肌寒く、カーディガンが手放せない。
 そのまま帰路についてしまった。
 外に出れば意外と蒸し暑い。
 脱いだカーディガンは丸めて鞄に突っ込む。
 むき出しになった二の腕に、湯気が立つような空気が絡み付く。

 コンビニに寄ろうか、本屋を覗こうか、ドラッグストアで何か買うものはなかったかしら。
 どの店も、入ればつい、余計なものを買ってしまう場所だ。
 懐具合を頭の中で勘定して、寄り道を思いとどまる。
「寂しい女は無駄遣いが多いんだよね…」
 呟いて笑おうとして笑えない。自分の言葉に躓いている。
 家に帰っても誰もいない。
 独り身の気楽さにはしゃぐ日もあれば、ぱさぱさの古いパンを噛み締めるような気持ちの日もある。
 今日は古いパンの日だ。
 特に何かあったわけでもない、と一日を振り返る。
 上司に叱られてもいないし、厄介な電話も受けてない。同僚との会話も当たり障りなかった、と思う。
 普段通りに仕事を片付けて、定時に上がれた。
 なのに、どうしてぱさぱさするのだろう。
 天気のせいにして空を見上げる。
 低い位置にある雲に、街の明かりが反射するのか、空全体がぼんやりと明るい。
 暮れるのが遅い時期ではあるけれど、この街の空は一晩中、こんな感じに発光している気がする。
 今日は一際、雲が低い。

 左の二の腕を、何かが掠めた。
 小さな公園の横を歩いているときだった。
 夕暮れの模糊とした薄明かりの下で、いじけたような小さな花を咲かす紫陽花も、潔い白色を浮かび上がらせていた。
 花でも買って帰れば、気持ちが晴れるだろうか。
 さらり。
 ほんの微かな、産毛がサワと揺れる程度の感触。
 風でも通り抜けたかと、左側に目を向ける。
 男の子がいた。
 賢そうな瞳と白く広やかな額。柔らかそうな髪。
 紺色の半ズボンに真っ白な糊の利いた半袖シャツ。
 そして、背中には羽。
 ……羽、か…。
 男の子に歩調を合わせ、さりげなく背中を確認する。
 鳥の翼とは違う、トンボやカゲロウが持っているような透明な羽。
 ガラス細工のように美しいけれど、どうやら本物らしい。
 さきほど腕を掠めたのは、この羽だろう。
 小さな背中に不釣り合いなぐらいに大きいが、今は行儀良く閉じられている。
 男の子が訝しげにこちらを見上げ、足を速めた。
 怪しいおばさんだと思われただろうか。
 少し迷って、とりあえずにっこり笑って見せた。
 …余計に怪しかっただろうか…。
 だが、男の子の肩から力みが抜けた。
 ほっとしたが、こんなに素直だと悪い大人に騙されないか気になってくる。
 せめて、人通りが多くなる所まで一緒に歩こう。

 男の子の足取りが、少し重くなった。
 美しい羽が、心なしか張りを失くして見える。
 歩くリズムがゆっくりになって、乱れがちになって、やがて、止まった。
 白々とチカチカと光る自動販売機の前。
 男の子は一心に、並んだ飲み物を見上げている。
 白い額が青く透き通ってしまいそうだ。
「…もしかして、水?喉が渇いた?」
 できるだけ静かな声で訊いてみる。
 男の子はチラッとこちらを見て、自販機に目を戻した。
 節約期間だけれど、ジュースを買う小銭ぐらいは持っている。
 缶コーヒーは論外だろうし、お茶も好きではなさそう。
 一つずつ指を差して、男の子の表情を確かめた。
 フルーツジュース? ミネラルウォーター? ソーダ水?
 蛍光色のラベルの炭酸飲料で、男の子の羽がふわりと揺れた。
 これらしい。
 取り出し口からペットボトルを引っ張り出し、キャップを緩めてから男の子に手渡す。
 彼は恐る恐る、口をつけた。
 羽がふわり。
 白い喉を仰け反らせて、ごくごくと飲み続ける男の子を見て、ほっと一息つく。
 羽は再び張りを取り戻し、時々、虹色の光が走る。
 ペットボトルが空になると、男の子は静かに羽を広げた。
 二度三度、試すように動かす。
「ちゃんと帰れそう?」
 羽は細かく、でも力強く振動している。
 男の子は、一度だけふわりと浮き上がり、満足そうに地面に戻った。
 にっこり笑って見せると、元来た道を駆けていった。
「…飛ばないんだ」
 何だか可笑しくなって、一人でいつまでも笑い続けた。

 結局、安い白ワインと、半額になっていた紫陽花の鉢を買って家に帰った。



  夏至過ぎし逢う魔が時の長かりし 稲畑汀子

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壮大なファンタジーの世界に心攫われるのも大好きですが、日常の地続きにある「ちょっとだけ不思議」はもっと好き。
目と耳を澄ませば、いつか会えるんじゃないか。
…そう思いながら、きっとおばあさんになるんだと思います。。
困ったものです。


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大阪の地震、一番の友達が住んでいる場所だけに、彼女の安否が確認できるまで気が気ではありませんでした。
梅雨時、今度は土砂災害も心配です。
どうか一刻も早く、穏やかな日常が戻ってきますように。
そして、自分もちゃんと備えなくてはいけないと改めて思いました。






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by bowww | 2018-06-21 22:48 | 作り話 | Comments(0)