「お客さま、当店は食べ物のお持ち込みは、固くお断り申し上げておりますが…」
「そ? それじゃあ、持って帰るわ、綾の好きな八ツ矢堂の葛桜だけど…」 「…入荷したての八女の新茶を、ただ今お淹れいたしますので」 母はガサガサと音を立てて包みを開いた。 今日は店の定休日だから、いつもより念入りに掃除を終えて買い物にでも出掛けようと思ったところに母がやって来たのだ。 長居をされると計画が狂うと思ったのだが、葛桜があるとなれば致し方ない。 八ツ矢堂は、実家の近くにある小さな和菓子屋さんだ。 子供の頃は当たり前のように、大福やおまんじゅう、季節のお菓子なんかを食べていたけれど(そして、その頃は「地味だなぁ、ケーキの方がいいなぁ」などと思っていたけれど)、家を離れて初めてその美味しさに気がついた。 餡の甘さと塩気の塩梅が絶妙なのだ。 「お前も年を取ったということなのよ」 「はいはい。確かに生クリームたっぷりは胃にもたれるようになりました」 紫陽花を模したビニールの葉っぱにちょこんと乗っかっている姿も、気取りがなくて好もしい。 半透明の葛に、紫がかった漉し餡が揺らぐように透けて見える。 黒文字でそっと突いて、表面の弾力を楽しんでから切り分け口に運ぶ。滑らかな葛と餡が、ぴとりと舌に乗って甘みが広がる。 「このお店でも和菓子を出せばいいのに。 お客さん、お年寄りが多いんでしょ?」 「むりむり。和菓子は手間が掛かるし日持ちしないものが多いから」 それに、大福と番茶なんていうメニューがあれば、うちの店はますますお年寄りたちの寄り合い所感が強くなる。 「そういえば、圭介、アルバイトに来るんでしょ?いつから?」 母がうきうきと切り出した。 今日は、可愛い孫の話をしに来たらしい。 買い物には行けそうもないなと、密かにため息をつく。 浩二兄さんから「夏休みの間、ケイを預かってほしい」と電話があったのは先週末だった。 兄夫婦は十年前に離婚して、兄は男手一つで一人息子の圭介を育ててきた。 ケイは高校生になった。 「アルバイト代なんて出せないわよ」と渋ったのだが、「それは俺がこっそり持つからさ」と宥めすかされ(ついでに「開店資金、出資したよなぁ」などと脅され…)押し切られた。 たった一人の孫であるケイを溺愛している父と母にとっては、ゆっくり会える嬉しい夏になるのだろう。 気楽な独り身を謳歌している私にとっては、荷が重いのだけれど…。 「高校生の男子だなんて、私、どうやって付き合っていいか分からないわよ」 「あら、ケイはすっごくいい子だもの。イケメンだし。大丈夫よ」 おばあちゃんの盲目的な愛…。イケメンは関係ないと思うし…。 「…ね、あのさ、孫を可愛く思えないおじいちゃんおばあちゃんって居ると思う?」 私の突然の質問に、母はきょとんとしてから笑い出した。 「孫は無条件で可愛いわよ!可愛くないわけないでしょ?」 絶対的な真理ですね、そうですね。 「…でも」 手の中を湯のみ茶碗に目を落として、母はぽつんと言葉を継いだ。 「孫の親とこじれちゃうと、もしかしたら、色々と…考えちゃうかもね」 空になった湯のみ茶碗にお茶をさす。 兄夫婦が別れたとき、母はどう思ったのだろう。 ◇◇◇ 悠斗(はると)君が泣き止み、林檎ジュースを飲み始めたところで、私が悠斗君のお母さんに電話をした。 お母さんは近くまで来ていたらしく、すぐに店に駆け込んできた。 「ハル!」 もじもじしていた悠斗君を、河瀬さんがそっと押し出す。 お母さんは黙って悠斗君抱きしめた。 「…主人と、悠斗の前で喧嘩しちゃったんです」 悠斗君のお母さんは、河瀬さんと並んでカウンターに座っている。 化粧っけのない顔に、束ねただけの髪。 いつも身繕いをきちんとしている人だから、今朝はどれだけ慌てていたのかがよく分かる。 当の悠斗君は、後からやってきた酒井さんと入り口近くのテーブル席でオセロをやっている。 …酒井さん、当店へのゲーム類のお持ち込みは、ご遠慮いただけるとありがたいのですが…。 「やった!俺の勝ち!」 悠斗君の元気な声を聞けば、仕方がない、今回だけは例外だ。 「ハル君、自分のせいでお父さんとお母さんが喧嘩した、と思っているみたいです」 私の説明に、お母さんは「やっぱり…」と呟いた。 お母さんの前に置いたアイスティーのグラスは、見る間に水滴だらけになった。 今日も蒸し暑い。 「私、同居していた主人の両親と、うまくいかなくなって…。 ハルの学校を理由に、別居したようなものなんです」 「ご両親って、気難しい方たちのかしら?躾に厳しいとか…」 河瀬さんの質問にお母さんは、 「私が育った環境と主人の実家とは、だいぶ違いがあったものですから…」 と、困ったような笑顔を浮かべた。 悠斗君のお父さんの実家は、その地域で名家と呼ばれるような家柄らしい。 次男であるお父さんは早くに家を出て東京で働いていたのだけれど、跡継ぎだった長男(お父さんのお兄さん)が、娘を一人遺して数年前に他界したのだという。 そこで家を継ぐようにと、家族ともども呼び戻された。 東京出身のお母さんが、地方の独特な空気に馴染めなかっただろうことも、いきなりの跡継ぎ扱いに苛立つお父さんの気持ちも、なんとなく想像がつく。 祖父母としての愛情よりも、家を継ぐ男子として育てなければいけないという義務感が先立ってしまった、老いた二人の頑なさや切なさも。 「それでも主人、頑張ってくれたんです、私とハルのために」 渋る両親をなんとか説得して、別居にこぎ着けたのだろう。 自分の力で築いてきたキャリアと、家のために生きる役割の両方と、なんとか折り合いをつけて再スタートをしたお父さん。 義理の両親や周囲とうまく付き合おう、夫と息子を守ろうと頑張ったお母さん。 でも、大人のしんどさは、そのまま子供に伝わってしまうものなのかもしれない。 「ハルが学校を休みがちなことが、夫の実家に知られてしまって…」 実家からの叱責をきっかけに、お父さんとお母さんのたまっていたストレスが爆発してしまったのだろう。 「ハルを傷つけてしまいました」 アイスティーのグラスの水滴が、つ…と流れ落ちる。 続けて、お母さんの目からも。 河瀬さんは、悠斗君にしてあげたように、お母さんの背中を優しくさすり続けた。
by bowww
| 2019-06-22 22:17
| 作り話・群青カフェ
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