遊ぼ。(小暑)

 覚えているのは、レースのカーテン越しに見る、真っ白な眩しい光。
 暑さと陽射しの強さが極まると、色が消えてしまう。ような気がする。

 なんてことは、大人になった今だから思うこと。
 あの頃の僕は、ただカーテンの向こうに見える世界を、目をしぱしぱさせながら眺めていただけだ。
 子供たちが、はしゃぎ声を上げて駆けていく。
 男の子も女の子も、こんがり日焼けして、汗をかいた額に前髪を張り付かせて、わぁわぁと。
 近所の子たちだ。
 僕はカーテンの隙間から、そっと覗き見る。
 どこに行くんだろう、何をして遊ぶんだろう。
「『遊ぼ』って言ってみたら?」
 母の声に、僕は首を引っ込めた。
 絵本に出てくる、臆病な亀みたいだ。

 僕は小児喘息だった。
 少し無理をすると、すぐにゼィゼィと息が苦しくなる。
 初めての子だったから両親はとても心配して、僕は一時、超・箱入り息子になっていた。
 幼稚園にもほとんど行けないまま、来年は小学生になるというのに、友達は一人もいなかった。
 さすがに親も心配になったらしい。
 近所の子供たちと遊べるようにと、母に付き添われて公園や児童館のような場所に行くのだけれど、僕は完全に気圧されて、すごすごと退却するばかりだった。
 一人で遊ぶ方がずっといい。
 そう思いながらも、遠くから、賑やかな輪を羨ましく眺めていた。

 海に行ってみたいな。山に行ってみたいな。
 絵本の中なら、僕はどこにでも行けた。
 絵本の中なら、僕は人気者になれた。
 風が通る涼しい部屋に寝転がって、何度も読んだ絵本を広げる。
 綺麗な青色が幾重にも重なって、海の中を描き出していた。
 小さな黒い魚の冒険を、何度も辿る。
 その魚を、つと指差した。
 僕の指じゃない。僕のより、少しだけ細い人差し指。
 目を上げると、女の子が居た。
 僕と同じように寝転がって、真剣に絵本を覗き込んでいる。
 僕が気づいたことに気づくと、口を「あ」の形に開けて飛び起きた。
「ねぇ、待って!絵本好き?ほかにも沢山あるんだ、好きなら持ってくるよ!」
 僕は必死に呼び止めた。
「これね、この魚ね、すごく賢いんだよ。僕、読んであげようか」
 女の子は動きを止めて、そろそろと座り込んだ。
 膝を抱えて、じっとしている。
 僕は絵本の最初に戻って、声を出して読み始めた。
 字が読めて良かったと思いながら。
 つっかえつっかえだったけれど、何とか最後のページまで読み終えた。
 女の子もさっきと同じように寝転がって、絵本をじっと見つめていた。
 足をパタパタパタパタさせている。
「次、どれか読む?どんなのが好き?」
 調子に乗った僕が絵本を2、3冊引き抜いて振り向くと、女の子はもう居なかった。

 でも、その日から、僕が絵本を広げればいつでも女の子はやってきた。
 いつの間にか傍に居て、絵本を覗き込んでいる。
 絵本の中に気になることがあると、細い人差し指でトントンとそこを叩く。
 僕は得意になって、「これはゴリラ。大きなお猿さん。バナナが好きなんだよ。これは象さん。すごく大きいんだ」などと説明してやった。
 そのうち、僕が絵を描いているときもやってくるようになった。
 色鉛筆やクレヨンを、不思議そうに眺めている。
 僕が落書き帳に気まぐれな線を描いてみせると、パッと顔が明るくなった。
「ねぇ、虹って見たことある?」
 女の子は首を傾げた。
 大きな大きな黒い目。
 真正面から見つめられると、ちょっとドキドキする。
 僕は色鉛筆を七色選んで、アーチ型に線を描いた。
「僕も本物は見たことないんだけどね、すごく綺麗なんだって」
 女の子は黒いクレヨンを手に取った。
 僕の描いた虹のてっぺんに、ちょこんと黒い魚を描いた。
 海の中にも、虹って出るのかな。
 でも、足をパタパタさせている女の子が満足そうだったから、僕は黙っていた。
 
 隣の家に新しい家族が引っ越してきた。
 僕と同じ年の男の子が居た。
 お母さんと一緒に挨拶に来た。
 僕と同じぐらい、白くて細っこい男の子だった。
 お母さん同士のお喋りが始まって、僕たちはほったらかしになった。
「…遊ぶ?」
 男の子は自分の靴の先を見たまま、独り言みたいに言った。
 僕も下を向いたまま、「いいよ」と答えた。

 初めは家の中でそれぞれで絵本を読んで、その次はゲームをして、その次は隠れんぼをして、そして外に出て…。
 僕はいつしか、「遊ぼ!」と大きな声で言えるようになっていた。
 毎日、隣の子と遊ぶのが楽しくて仕方がなかった。
 腕がこんがり日に焼けた頃、ふと思い出した。
 あの子がいない。
 小さな賢い魚の絵本を広げても、虹の絵を描いても、女の子はもう現れない。
 僕は泣いたかも知れない。
 そういうものなんだと、諦めたのかも知れない。
 いずれにしても、新しい友達との毎日に夢中になって、女の子のことはすっかり忘れてしまっていた。

 実家から送られてきた荷物の中に、古い絵本が混じっていたのだ。
 一匹だけ黒くて小さくて、でもとても賢い魚の話だ。
 懐かしくなって本を開けば、裏表紙に下手くそな虹の絵。
 てっぺんには黒い魚が乗っかっている。
 パタパタパタパタ。
 後ろで、懐かしい音がした。
 少し人見知りな僕の娘に、この絵本をプレゼントするつもりだ。


b0314743_12201685.jpg


例年よりもずっと早く梅雨が明けたかと思ったら、空の底が抜けたような大雨。
大きな災害になってしまいました。
どうか少しでも早く、鎮まりますように。
祈る思いでニュースを見ています。
穏やかな青空が恋しいですね。

b0314743_12202786.jpg
b0314743_12204192.jpg


子供の頃、同じ年頃の子供が苦手でした。
弟が生まれるまでは一人っ子、箱入り娘。
家の中で遊ぶのが好きだったので、賑やかな友達たちが怖かったのです。
もう立派な中年になった今も、実は「あ~そぼ!」がなかなか言えません。
でも、誘ってもらうととても嬉しかったり。
B型は、「寂しがり屋の一人好き」なのだそうです…。



 
 
  


[PR]
by bowww | 2018-07-07 21:40 | 作り話 | Comments(0)


<< 箸づかひ(大暑) 長かりし(夏至) >>