ポケット(小満)

 真夏のような陽気に急かされて、放っておいた冬物のコートを、ようやくクリーニングに出すことにした。
 私のコートが三着、夫のコートが二着。
 それぞれポケットの中を点検する。
 私のダウンジャケットのポケットからは、クシャクシャになったコンビニのレシートが出てきた。よそ行きのカシミヤコートからは美術展のチケットの半券。
 目立った汚れやほつれがないことを確認して、夫の通勤用のコートを手に取る。
 ずしりと重い。
 夫が部長になったとき、「コートぐらいは良いものを」と奮発して買ったウールのチェスターコートだ。
 以来、定年まで着続けたのだから、まあまあ元は取ったというものだろう。
 夫は、シャツや靴下は脱ぎっぱなしでも、コートとスーツ、靴の手入れだけは怠らなかった。
 こまめにブラッシングされたコートは、それでも僅かに埃のにおいがする。
 左のポケットからはガムの包み紙。内ポケットからは夫自身の名刺が一枚。
「女の人の名刺じゃなくて良かったわね」と、独り言が出る。
 昔々、香水の匂いが染み付いた名刺が出てきて、大騒ぎになったっけ。
 右のポケットから、私のと同じチケットの半券。
 美術展に誘ったら、珍しく「一緒に行くか」と、付いてきたのだ。
 あの後、何十年ぶりかで二人だけで外食した。
 仕事の付き合いでよく使ったのだというフレンチの店に連れて行ってくれた。
 特に会話もない。なくても気にならない。
 ただ、ワインの選び方や、ナイフとフォークの扱い方などがなかなか手慣れていて、内心驚いた。
 私の知らない場所で、夫が積み重ねてきた時間があったのだ。
 思い始めると手が止まる。
 私はわざと、バタバタ乱暴にコートを叩いた。
 こつん。
 硬い感触が手のひらに当たる。
 右のポケットに、まだ何か入っているらしい。
 男物のコートはポケットも深い。思いきり手を突っ込んで底を探る。
 指先が、ひやりと冷たく丸っこい物を捉える。
 摘み出してみれば、ガラス玉。青いマーブル模様が揺れるビー玉だった。
 手のひらに乗せて、しげしげと眺める。子供の頃、こんなビー玉をたくさん集めたっけ。
「それにしても、何故?」
 ビー玉なんか、どうしてポケットに入れていたのだろう。夫が自分で入れたのだろうか。息子家族とは離れて暮らしているから、幼い孫の悪戯だとは思えない。
 私の体温で少し温まったビー玉は、手のひらに鎮座している。

 定年を迎えた日の夜、帰宅した夫に「長いことお疲れさまでした」と言うと、夫は「いやいやいや」と手をパタパタさせて照れ笑いをした。
「母さんにも苦労かけたな」と、殊勝なことを言うものだから、「苦労かけたと思うなら、何か形にしてくださいな。お父さんからのプレゼントなんて、もう何十年貰ってないか…」とまぜっ返した。
「いいぞぉ。ダイヤか?真珠か?でかいのを買ってやる」
 送別会で飲んだせいだろう、陽気な答えが返ってきた。
「宝石なんか要りませんよ。ガラス玉で充分なの」
 夫はちょっと真面目な顔になって、「ほんと、母さんには感謝感謝だな」と呟いて、ちょんと頭を下げた。

「まさか、本当にガラス玉をくれる気だったの?」
 真新しい仏壇に、ビー玉を置く。
 もちろん答えはない。
 写真の夫がにやりと笑ったように見えたのは、光の加減だろう。
「ガラス玉でもね、嬉しいものなのよ」
 ビー玉に朝の光が当たる。

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写真のミニブーケは、健やか美人な園芸家さん(とお呼びすればいいのかしら。農家さん?)の手作り。
育てているハーブや花を、摘んでそのまま花束にしているとのことですが、とにかくセンスが素敵なんです。ナチュラルなのに、シックでモダン。
ハーブの香りが清々しくて、空気がキレイになる気がします。


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初々しかった新緑は、あっという間に力強くなりました。
田んぼには早苗が整列し、夜はカエルの大合唱です。
今年も近くの神社の林から、カッコウの鳴き声が高らかに聞こえてきます。
良い季節…のはずなのに…。
夏・真夏のような陽気で、職場では早々にエアコンがフル回転。安普請の社屋のため、断熱効果がゼロなのです。
仕方がないとはいえ、毎日何時間も冷風にさらされ、まんまと体調を崩しました。。
頭痛がひどく、パソコンの画面を見るのもつらく、いつも楽しみにしている方々のブログも、拝見できない日が続きました。
やっと復調。
あらためてお邪魔させて頂きたいと思っています。
ちなみに、職場のエアコンには、プラスチックダンボール(通称プラダン)で風除けを拵えて取り付けてやりました。
良い仕事をした、と自画自賛しています。


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by bowww | 2018-05-21 06:49 | 作り話 | Comments(2)
Commented by ekaleidoscope at 2018-05-22 08:13
おはようございます~
やはり・・・
何となく心配していました*:*
ご自愛くださいね!
Commented by bowww at 2018-05-23 12:15
> ekaleidoscopeさま。

ご心配頂きまして、ありがとうございます。
優しいお気持ちを向けて下さったと思うだけで、とても幸せな気持ちになります♪
基本的には丈夫過ぎるほど丈夫なのですが、年々、冷房には弱くなっていきます。。
慣れてしまえば、大丈夫なのですが…。
気温の変化が激しい日が続きますね。
ekaleidoscopeさまも、お体お気をつけくださいませ。


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