小寒

「次に行く町、久美子も住んでた町だろ?」
 夫に言われるまで、すっかり忘れていた。
「住んでたといっても、一年も居なかったからなぁ…」
 父が転勤族だったから、私たち家族も全国をあちこち回った。
 長くて二年、短ければ一年足らずで引っ越したから、子供の頃に住んだ場所の記憶は何処も曖昧なのだ。
 だが、夫の転勤でこの町に来てみれば、ふとしたきっかけで鮮やかに思い出が蘇る。
 私が通った保育園に、息子の太一もお世話になることになった。
 あの頃は、神社の社務所を増築した古い建物を園舎にしていた。地域のお母さんたちのためにと、戦後間もない時期に一人の女性が奔走して立ち上げた私立の保育園だった。
 もちろん、その園長先生はとっくに亡くなったし、建物も立派に建て直されてはいたが、太一の手を引いて園に行けば、独特のもわっとした埃っぽい匂いや子供たちの甲高い歓声に既視感を覚える。そして、私が通った園舎の床板の隙間や、遊戯室に射し込む西日、手のひらにこびりついたブランコの鎖の錆の匂い、木製オルガンの空気漏れがしているような音などが、一斉に押し寄せてくるのだ。
 瞬間解凍された思い出の圧倒的な情報量に、思わず目眩を起こしそうになって、太一の小さな汗ばんだ手をぎゅっと握りしめる。

 山に近いこの町には、今まで住んでいた都会よりもずっと早く冬が来る。
 例年になく暖かな年の暮れだったこともあって油断していたら、年明け早々の寒波にやられて風邪をひいた。
 夫に太一を託し、一人で別室に籠って横になった。
 熱のせいで悪寒がし、関節がツキツキと痛む。
 浅い眠りの夜が明ける頃、外がシンと静まり返っているのに気がついた。
 カーテンをそっとめくると、一面の雪景色だった。
「…ユキちゃん」
 そう、ユキちゃんと皆が呼んでた女の子。
 思い出した。


 物心ついた頃から、よそ者扱いされることに慣れていた。
 どんなに仲良くなっても、逆に冷たくされても、じきに私はこの場から居なくなる。期間限定の付き合いだから、よそ者で構わないと何時しか思っていた。
 だから、私よりも後に保育園に来たユキちゃんに、なんとなく親近感を覚えたのかも知れない。
 初雪が舞った朝、ユキちゃんはお母さんと一緒に保育園にやってきた。
 ユキちゃんとよく似たお母さんはすらりとしてとても美しく、透き通るような頬をしていた。
 園長先生はにこやかに二人を迎えると、ユキちゃんを教室の窓際の席に座らせた。
 真っ白なセーターを着たユキちゃんを見た私は、絵本に出てくる白雪姫みたいだと思った。
「…遊ぼ」と声を掛けたのは私だった。緊張して喉がカラカラだったけれど、この綺麗な女の子と仲良くなりたいと強く思ったのだ。
 ユキちゃんはなんて返事してくれたのだろう。
 大きくて真っ黒な瞳が、嬉しそうに輝いたことだけは覚えている。

 ユキちゃんはいつでも短いスカートを履いていた。
 マフラーやコートも着ない。「暑いの嫌い」と、すぐに教室から出て行ってしまう。
 曇った窓ガラスにおでこをくっつけて、気持ち良さそうに笑う。
 お遊戯の時間には、天使のような声で調子っぱずれな歌を歌う。
 先生たちは特に叱るでもなく、皆と同じようにユキちゃんの世話を焼いていた。
 私は暖かい室内で本を読んだり、積み木をしたりして遊びたかったけれど、ユキちゃんが外に行きたがるから仕方がなく付き合った。
 北風に吹かれながらブランコを漕いでいると、ユキちゃんが空を見上げて「明日はきっとカマクラが作れるよ」と笑った。
「カマクラ?なぁに、それ?」
「ゆきのお家。久美ちゃんだけ、招待してあげる」
 翌朝、ワクワクしながら目を覚ますと、辺りはすっぽり雪に覆われていた。
 はしゃいで大急ぎで着替え終わると、ユキちゃんが迎えに来た。
「早く早く!」
 手を引かれるまま、保育園へと向かった。
 氷のような空気が、ツンツン鼻の奥に突き刺さる。空は晴れて、真っ白な雪に光が跳ね回り、キラキラと眩しかった。
 ユキちゃんは保育園を突っ切って、神社の林の中へ私を連れて行った。
「ほら、これだよ。カマクラ」
 少し開けた場所に、大人の背丈ほどに雪が丸く積まれていた。
 中はくり抜かれて、私たちなら腰をかがめることなく中へ入れた。
 丁寧に、雪で作った小さなテーブルと椅子も二つ、用意されている。
「どうしたの、これ。ユキちゃんが作ったの?」
「皆で作ったんだよ。どう?気に入った?」
 私は声もなく頷いた。
 カマクラの中は、固まった雪が青く光っていた。
 壁には小さな窓まで開けてあって、そこから覗き見ていると、風に揺れる樹々の梢から雪が金の粉のように舞い落ちる。
 こんな素敵な秘密基地、見たことない。
 私たちは時間を忘れて遊んだ。二人の笑い声がカマクラの中で響き合って、たくさんの友達がいるみたいだった。
 おままごとや手遊びに飽きると、ユキちゃんが不思議な物語をたくさん話してくれた。
 一方で大人たちは、一日中、私たちのことを探していたらしい。
 見つけられたとき、私は氷のように冷たくかじかんでいた。

 水風呂に浸かったみたいに寒さに震えたかと思うと、全身が焼かれるように熱くなる。
 私は肺炎を起こす寸前だったそうだ。
 高熱にうなされて、息苦しさに身悶えしていた夜中、ユキちゃんの声が聞こえてきた。
「ごめんね、久美ちゃん。ごめんね」
 とても悲しそうな声だから、私が泣きたくなる。「ユキちゃんのせいじゃないよ」と言ってあげたくても、声も出ないし目も開かない。
「熱、ユキが持ってってあげるから」
 冷たい手のひらが額をそっと覆った。
 ユキちゃんの小さな手を思い出す。私よりも一回り小さくて、いつもすべすべしていた手。
 体中の嫌な熱がぐんぐんと吸い取られていくようで、私は心地好さに身を任せた。
「ユキちゃん、楽しかったね」
 やっとそれだけ言うと、私はすとんと眠りに落ちた。
 ユキちゃんの笑い声が、キラキラと耳元で跳ね返った。

 一週間休んで保育園に行くと、ユキちゃんはいなかった。
 引っ越したのだという。
 ユキちゃんのお母さんが、一度だけ保育園に荷物を取りに来た。
「ユキちゃんは?」
「久美ちゃん、ユキとたくさん遊んでくれてありがとう」
 ユキちゃんのお母さんは、しゃがんで私の顔を覗き込んだ。
「ユキちゃんは?」
「ユキもとても喜んでたの。久美ちゃんにありがとうって」
「もう会えないの?」
 泣きべそをかく私の頭を優しく撫でると、
「ううん、またきっと会えるから。忘れないでやってね」
と微笑んだ。

 春が来る前に、私たち家族も引っ越した。
 暖かい地方に移り、海の近くで暮らすうちに、カマクラの思い出は遠く霞んでいった。
 この町に戻って、風邪をひいて、雪が降って、やっと思い出すなんて…。
「ユキちゃん、ごめんね…」
 耳元で、すっかりぬるくなった水枕がタプンと揺れた。


「僕ね、友達できたの」
 保育園に迎えに行くと、真っ赤なほっぺたをした太一が駆けて来た。
「へぇ、良かったね。どの子?」
 何組かの親子連れが、保育園の門から出てきた。
「えとね…、」
 太一は伸び上がって新しい友達の姿を探していたが、「あ、あそこだ!」と昇降口の方に向かって嬉しそうに手を振った。
 真っ白なセーターに半ズボンを履いた男の子が、ぴょんぴょんと飛び跳ねて太一に応えている。
 明日から、太一に手袋と厚い靴下を持たせなくちゃ。あの子と遊ぶなら、防寒対策を万全に。
 キラキラした笑い声が、ここまで届いてくる。




小寒=1月6〜19日頃
初候・芹乃栄(せりすなわちさかう)次候・水泉動(しみずあたたかをふくむ)末候・雉始鳴(きじはじめてなく)



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明けましておめでとうございます。

年末年始、本当に穏やかな陽気でした。
春のような暖かさに体がびっくりしたのか、ぐずぐず鼻風邪をひいてしまいました。
どうもお正月は、毎年あまり冴えません。昨年は元旦に盛大な尻餅をついてアチコチが痛くて、一ヶ月ぐらい難儀しましたし。。
それでも、新玉の春。
手つかずの一年が目の前に広がっているかと思うと、ちょっとワクワクします。

写真は冷え込んだ朝の夜明け。
凍えていた景色に太陽の光が徐々に沁み込んで、すべてのものが息を吹き返し、色を取り戻す時間。
お日さまのパワーって、本当に偉大です。
「なんて綺麗なんだろ、なんて綺麗なんだろ」と、一人呟いてしまいます。
そして何にもない地面にしゃがみこんで、カメラを構えているんだから、端から見たら変な人だろうな。。
私が子連れママさんでこんな人を見かけたら、子供に「見ちゃいけません!」と言って聞かせるだろうな。。

今年も、こんな感じでコツコツコソコソ、ブログを続けていきたいと思っています。
お付き合い頂けたら嬉しいです。

次回は1月20日「大寒」に更新します。
暖冬とはいえ、これからが寒さの本番。
皆様もご自愛くださいませ。

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by bowww | 2016-01-06 10:10 | 作り話 | Comments(0)


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