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第五十七候 金盞香

 ああ、また今日も…。
 ご近所の吉岡さんは、いつも何かに怒っている。
 面倒見がよくて働き者で、正義感が強い。強すぎる。
 よく見ればなかなかの器量良しだと思うのだが、周りの人は吉岡さんの容姿など気にしてはいない。
 怒られないように、そっと遠巻きに見ている。
「悪い人じゃないんだけどねぇ…」
 この辺りの人たちは、何かしら、吉岡さんに助けてもらっている。風で飛んだ洗濯物を届けてもらったり、雪かきを手伝ってもらったり。
 そして、その倍、叱られている。「ゴミの出し方が悪い」とか、「車の停め方が邪魔だ」とか。
 吉岡さんは、私の店に一日おきにパンを買いに来てくれる。大切なお客さまだ。
 ガラガラと戸を開けて足音高く入って来る。店内をぐるっと見回してから、カレーパンとアップルパイをトレイに乗せた。
 レジにドンッと音を立てて置く。
「あと、食パン一斤も。いつも通りにスライスお願いします」
 仕草はやや荒っぽいが、言葉遣いは丁寧だ。
 どうやら、うちの店に腹を立てているのではないらしい(以前、既に何度か叱られている)。
「だいぶ寒くなりましたね」と挨拶すると、
「まったくね。今年は夏が短くて、秋だってろくになかったようなものじゃない?寒くなるのが早すぎるわよ」
 そうか、今日は空模様に腹が立つのか。
 なんとなく背中を見送る。
 細い肩は、いつもピンと張っている。

「いつでも親の敵を探してる感じよね」と、私の母がため息混じりに言った。
「旦那さんが早くに亡くなったでしょ、それから女手一つでお子さんを二人育て上げたんだもん。しっかり者になるのは当たり前なんだけどねぇ…」
「それでも、言ってることは間違ってないよね」
「それだから、叱られた方はぐうの音も出なくなるでしょ?正論で攻められちゃ、逃げ場ないじゃない」
 なるほど、母が言うのももっともだ。
 吉岡さんの娘さんも息子さんも、結婚してからあまり実家に寄らないようだ。
 ああいうお母さんとだと、気詰まりなのかも知れない。
 そう思うと、吉岡さんがちょっと気の毒になる。

 あれ?
 吉岡さんがサーモンピンクのマフラーをしている。
 いつも黒や灰色の地味な服装なのに。
「吉岡さん、とてもお似合いです、そのマフラー。素敵ですね」
「お世辞は嫌いよ」
 返事は相変わらず愛想もこそもないが、口元がちょっとだけ緩んでいる。
 お世辞なんかではなく、本当に驚いたのだ。
 吉岡さんの肌の白さが際立つし、何よりも表情がとても柔らかく見える。
 私が本気で感心しているのを見て取ると、吉岡さんは照れ隠しのように、
「アップルパイ、林檎の量が減ったんじゃないの?ちゃんと紅玉を使ってるんでしょうね?」と文句を言い出した。
 そのくせ、今日はアップルパイを二つ買って行った。

「吉岡さんに褒められちゃった」
 常連の山口さんが、目を丸くして店に入って来た。
 山口さんは吉岡さんの隣に住んでいる。
「ほら、うちは子供たちがまだ小さいでしょ?あまり騒々しいと叱られるから、いつも息を潜めるように暮らしてるわけ」
 それはお気の毒だ。
「ま、子供たちがうるさいと怒られたことはないんだけどね。そのかわり、挨拶ができないと容赦なく叱るの」
 筋は通っている。
「今朝、子供たちが学校へ行く前に玄関先を掃除していたら、吉岡さんが『偉いわね、ちゃんとお手伝いできるようになったのね』って…。
 それもニッコリと!
 もう、子供たちも私も、『この人、笑えるんだ』ってびっくりしちゃったわよ」
 雪が降らなきゃいいけどね、と笑いながら山口さんは帰って行った。

 吉岡さんが四日間、店に顔を出していない。
 いつも判で押したように定期的にパンを買いに来るのに。
 どうしたのだろうと、少し心配になってくる。
 店が終わったら様子を見に行こうかと思ったとき、初老の男性が戸を開けた。
「いらっしゃいませ」
 グレーのフランネルのジャケットに、デニムシャツ。眼鏡が似合う、なかなかダンディな男性だ。
 小さなピンクの花束を、恥ずかしそうに、でも大切そうに持っていた。
「あの…アップルパイを二つ…。それと、えぇと…食パンを」
 あれ?
 パンを包みながら閃いた。
「もしかして、吉岡さんの…お知り合いです?」
 男性はパッと顔を赤らめた。
「…はい。こちらのパンが美味しいからとリクエストされまして…」
 どうやら、風邪をひいて寝込んだ吉岡さんのお見舞いに行く途中らしい。
 そうかそうか、そういうわけだったのか。
 私はクリームパンを二つ、袋に入れた。
「これは私からのお見舞いです。お大事に、とお伝えください」
 男性は片手に花束、片手にパンが詰まった袋をぶら下げて出て行った。
 遠ざかる広い背中の隣に、吉岡さんの後ろ姿を並べてみる。
 歩道に落ちる陽射しが柔らかい。


〜金盞香(きんせんか さく)〜


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金盞は水仙のことだそうです。
昔、中国で水仙の花の黄色の部分を金色の杯(金盞)、周りの白い花弁を銀台に見立てたから、とあります。
水仙、私のイメージでは早春の花なのですが、確かに年末からお正月にかけてお花屋さんに並びますね。
だいぶ寒くなりました。
小春日和が嬉しい季節です。
小春日和、ヨーロッパでは「老婦人の夏」と呼ぶそうです(厳密には、9月末から10月初めの頃の季節感のようですが)。
一説によると、この頃に蜘蛛の糸が銀色に輝く様が、マダムの銀髪を連想させるからだとか。
アメリカではインディアン・サマー。
外国でも日本でも、厳しい冬が来る前のご褒美みたいな時間なのだな、と思います。

海の旬は甘鯛(関西でよく食べられる魚ですね。美味しいですよね)などなど。
山の旬はレンコン、カリフラワーなどなど。
母が漬けてくれたカリン(マルメロ)の蜂蜜漬けが、そろそろ飲み頃です。
蜂蜜の中で、カリンが黒っぽく萎れてきました。
今年はたっぷり漬けたので、冬の間は安心です。
咳っぽい時にはぴったり。
小さなお子さんにも安心して飲ませてあげられますよね。
まだ風邪をひいていないけれど、味見したいなぁ…と思っています。


次回は11月22日「虹蔵不見」に更新します。




by bowww | 2014-11-17 10:05 | 七十二候


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