第四十八候 水始涸

【前回からの続きです…】


 ジャケットを脱いでネクタイを緩める。
 乗客は駅を過ぎるごとに減っていって、終点で降りたのは私を含めて5、6人ほどだった。
 会社の最寄り駅から約一時間半、この駅で乗り換えてさらに一時間ほど北へ向かえば海に出る。
 接続さえ良ければ、海を見に行くのもいいかも知れないと思っていたが、生憎と次の電車は一時間後だった。
 帰りの電車の時間を確認して駅を出る。
 古ぼけた観光案内の地図があり、車で二十分ほどの場所に紅葉の名所があることが分かった。
 私は、ロータリーに暇そうに停まっていたタクシーに乗り込んで、行き先を告げた。
「紅葉にはちょっと早いですけどねぇ」
 私と同じぐらいの年格好の運転手が、のんびりとした声で応じた。

 山が近いだけあって、この辺りは街よりも季節の深まりが一段と早い。道端の芒(ススキ)の穂が銀色に光る。
 タクシーは登山口近くの駐車場で停まった。
「すぐそこが水泡(みなわ)池です。池の周りを歩けば、一時間近くかかりますよ」
 私はすぐに戻るから、待っていてくれるように頼んだ。
 遊歩道があるとはいえ、革靴で歩くのは大変そうだ。池を眺めてみるだけでいい。
 案内板によると、池の周囲は約二キロ。ダケカンバやカエデが自生していて、黄色や赤色に紅葉すると池の水鏡に映えて美しいとある。
 池の周囲の木々はまだ青々としているが、池の水は静かに澄んで青空を映している。紅葉の季節はさぞかし見事だろうなと思う。
 繋がりトンボが汀の葦の茎に止まって、尾でちょんちょんと水面を叩いていた。
 少しだけ遊歩道を歩き、池を一望できる場所に移動する。
 ふかふかとした地面の感触が気持ちいい。
 相変わらず左耳は真綿を詰めたようだが、人工の音がほとんどないせいか不快な響きは気にならなくなっていた。
 昔々、この池に棲んでいた大蛇が、葦原に時折舞い降りる一羽の白鷺に恋をした。
 美しい白鷺に比べて、あまりに醜い己の姿。
 蛇は叶わぬ恋に焦がれて、大きな大きなため息をついた。
 ため息がプクプクと水面に浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
「今でも池の水面には、大蛇のため息が泡となって浮かぶのです」と案内板に書いてあった。



「いつもありがとうございます」
 会社の給湯室で、いきなり言われて面食らった。
 今年の春に入社したばかりの女子社員だった。
「ゴミ出しやコピー用紙の補充とか…。私たちがやらなきゃいけないことなのに…」
 彼女がほかの誰よりも早く来て、掃除をしていることを知っていた。
 容姿も仕事ぶりも派手ではないが、教わったことはきちんと実行する。挨拶や受け答えはいつも穏やかで好感が持てた。
「…いやいや、僕も長年やってきたことだから。習慣みたいなもんなんだよ」
「それに、『ありがとう』って言って下さるの、係長だけです」
 ふわっと微笑んだ顔を、それからずっと胸の奥に仕舞い込んでいる。


 水泡池に風が渡る。
 水面にさざ波が立ち、金色の光がキラキラと反射する。
 彼女の笑顔をまた思い出す。
 西日を受けた大きな木の幹に触れてみる。手のひらが温い。
 誰も居ないのをいいことに、聞こえない左耳を木肌に押し付ける。
 このまま溶け込んでしまえたらいいのに、と不意に思う。


 待ちくたびれた運転手に詫びて、再び駅へ戻る。 
 電車を待つ間に携帯電話を確認する。
 メールが一件、届いていた。


  秋の森出できて何かうしなへり 西東三鬼

  
〜水始涸(みず はじめて かる)〜




※文中、なぜか無意味に文字が大きくなっている箇所がありますが、本当に何の意味もありません。
何度か書き直してみたのに、整わず…。。
見苦しくて申し訳ありません。
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田んぼの水を落として稲刈りが始まる季節ということですが、私の住む辺りの田んぼは、もうとっくに丸裸(?)です。
稲架(はぜ)に掛けて干してあるお米は、ほとんどが自家用。天日干しは時間がかかるけれど、やっぱり特別に美味しい気がします。
早く新米が食べたい!
子供の頃は、稲刈り前の田んぼでイナゴ捕りをしました。
そうです、私の住む辺りではイナゴを食べる習慣があるのです。
…苦手な方もいらっしゃるでしょうから、詳細を書くのは控えます。
実は私も食べる方は苦手です。
ちょっとしたトラウマがあるのですが、詳細を書くのは控えます。
でも、イナゴを捕まえて歩くのは楽しかったなぁ。

海の旬は、トラフグなどなど。鱧も梅雨時に続いて二度目の旬だそうです。
山の旬は、何と言っても松茸!(…今年はまだ頂けておりません)落花生や生姜などなど。
これからの季節、生姜ジャムや生姜シロップを常備しておくと便利ですよね。
風邪のひき始めなんかに、お湯で溶いて飲めば温まります。
緑茶に入れても、意外と合います。


次回は10月8日「鴻雁来」に更新します。


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by bowww | 2014-10-03 10:01 | 七十二候 | Comments(2)
Commented by 高橋 at 2014-10-03 12:24 x
メールの中身が気になりますね♪

因みに、俺の地元でもイナゴを食べます。
稲刈りの時、捕まえてました(笑)
ずっと前に亡くなった祖父に至ってはイナゴのみならず…詳細は控えます(笑)
Commented by bowww at 2014-10-03 22:27
高橋さま。

ね♪ 誰からのメールなんでしょうか。

イナゴを捕るなら朝露がまだ乾かないうちがいいんですよね。
気温が低いし、羽は濡れているから、イナゴがあんまり逃げられないんです。
おんぶイナゴを見つけると嬉しくなったものです。
食べないくせに(笑)。
高橋さまのお祖父さまもそうでしたか!
父方の祖父母も「のみならず」でございました…。


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