第三十五候 土潤溽暑

 熟れた巴旦杏のような頬した子供たちが、歓声を上げて遊んでいる。
 うちの娘も、つられて駆け出した。
 一面の向日葵の畑に、けもの道のような通路が不格好に続く。
 手作り感いっぱいの田舎の「ヒマワリ迷路」だ。
 実家に帰省中、ドライブの途中で娘が目敏く見つけて、遊んでいきたいと駄々をこねた。
「お父さんもおいでよ!」
 娘が手を振った。前髪は早くも汗に濡れて、額に貼り付いている。
「帽子をかぶらなきゃダメだよ」
「大丈夫だよ!」
 言うなり彼女は向日葵畑に駆け込む。
 追いかけなければ。
 そう思いながら、僕は一瞬、足を止める。
 風に揺れた無数の向日葵が、一斉にこちらを向いた。
 なんだ、僕より頭一つ分、低いじゃないか。少し背伸びをすれば、出口も入り口も見通せるじゃないか。
 僕は手にした娘の白い帽子を見つめ、水色のリボンを整えた。

 通路に足を踏み入れると、ひんやりと湿った土の匂いがした。
 畑の外よりは、幾分か涼しく感じる。
 通路は狭く、歩きにくい。ざらついた向日葵の葉が、半袖の腕をチクチクと刺す。
 向日葵は、奥に行くほど背丈が高くなっていた。視界が遮られる。
 出口の見当をつけて歩いていたつもりなのに、じきに方向を見失った。
 娘の名前を呼ぶ。
 すぐ後ろで返事が聴こえた。
 ほっとして振り向く。
 誰もいない。
 かくれんぼしているつもりなのか。
 苛立って、大きな声を出した。 
 返事は大勢の笑い声にかき消された。
 心臓が、ドクンと跳ねる。
 息が苦しくなる。
 汗がこめかみを流れ落ちる。
 土の匂いに自分の汗の匂いが混じる。
 もう一度、娘を呼ぶ。
 声が情けなく震える。
 大丈夫だ。大丈夫だ。落ち着け。落ち着け。落ち着け。
 向日葵がざわめく。
 少し遅れて風が吹き抜ける。
 気づけば向日葵の花は、僕の背をはるかに越して、僕を見下ろしている。花と葉の隙間に空のかけらが見える。
 笑い声だけが、僕を取り囲んだ。
 耐えきれずに、僕はその場にしゃがみ込む。

「ずっとずっと待ってたんだよ」
 男の子が僕の肩を揺する。
「約束したじゃないか。必ず来るって」
 ああ、そうだった。
 あの日、僕は彼と約束したのだ。明日もここで会おうと。明日もかくれんぼしようと。
 あの日一日、とても楽しかったから指切りしたのだ。
「ごめんね、僕、熱が出ちゃって行けなかったんだ」
「そうだったんだ…」
 真剣だった男の子の目が、少し和らぐ。
 小さな手のひらを、そっと僕の額に当てる。
 ひんやりと冷たくて気持ちがいい。
「もう大丈夫?治った?」
「うん、平気だよ。だって僕、大人だもの」
 そう言うと、彼は初めて気が付いたように目を見開いた。
「そういえば君、ずいぶん大きくなったんだね」
 もう一緒には遊べないね、と悲しそうに俯く。
 ふっくらとした頬に、泥がこびりついている。
「そうだね、僕、大きくなりすぎちゃったね」
 ふと思いついて、僕は握りしめていた帽子からリボンを解いた。
 男の子の左手首を取って、水色のリボンをそっと結んでやる。
「きれいだね。くれるの?」
 僕が頷くと、男の子はパッと笑った。
 彼の頬を指で拭うと、乾いた泥がパラパラと零れ落ちた。
 そして男の子も、ほろほろと崩れていった。
「ありがと。宝物にするね。ありがと」
 ありがと。ありがと。ありがと。
 やがて男の子の声は、向日葵畑の奥へ吸い込まれていった。

 転校生だった僕は、新しい小学校になかなか馴染めず、一人で遊んでばかりいた。
 あの日、いつもより少し遠くまで出掛けて、一面の向日葵畑を見つけたのだ。
 気が付くと、彼が居た。
 日が暮れるまで、追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたりして遊んだ。
 僕が帰ろうとすると、とても寂しそうだったから「また明日」と約束したのだ。
 翌日、熱が出て寝込んだ僕の枕元で、二ヶ月前から行方不明になっていた男の子が遺体で見つかったと、大人たちが小声で話していた。
「向日葵畑にね、埋められていたそうだよ。可哀想に…」
 僕はそのまま三日ほど熱にうなされた。
 熱が下がったときには、男の子と向日葵畑のことをすっかり忘れていた。

「お父さん!お父さん!迷子になっちゃったの?」
 娘に発見されて、手を引かれる。
 難なくゴールに辿り着いた。
 向日葵の茂みから出た途端、強い陽射しに包まれた。
 帽子のリボンのことを、娘にどうやって説明しようか。
 もう一度、「ありがと」と声が聴こえた。
 向日葵は、そっぽを向いている。
 

向日葵は金の油を身にあびて ゆらりと高しひのちいささよ 前田夕暮


~土潤溽暑(つち うるおうて むし あつし)~



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梅雨が明けたはずなのに、ムシムシが続いています。
「土潤溽暑」という字面を見るだけで、モワッとした熱気と湿気を感じます。
私の住む辺りは標高400〜500メートルほどで、全国屈指の「強力紫外線地域」なのです(故に不美人が多いと言われる。。)。
暑くはなりますが、湿気が少ないのが取り柄なのに。
子供の頃の夏は、昼間はチリチリと灼けるように暑くて、午後にざあっと夕立ちが降って、夜は涼風が吹いていたものなのです。
最近はすっかり亜熱帯気候ですね。
朝からスコールのような雨が降ったかと思うと、すぐに太陽が照りつけるから、天然のサウナ状態です。
こんな夏が増えていくのでしょうか。
人間の自業自得と言われれば、返す言葉がないのですが。


海の旬はコハダ、太刀魚などなど。
山の旬はゴーヤー、枝豆などなど。
先日、小料理屋さんで、出汁で茹でた枝豆を頂きました。出汁の旨味と豆の甘さがじんわり溶け合って、おかわりしたくなったほど。
ちなみにそのお店で、生まれて初めて岩牡蠣に挑戦しました。
「生牡蠣を食べてはいけません」と、母の遺言にあるのですが(いえ、母は健在ですが)、食い意地に負けました。
スダチをちょっと絞って、恐る恐る…。
結果、「これで当たっても、我が人生、悔いなし!」。
世の中には、美味しいものが満ちあふれているのですね。


次回は8月2日「大雨時行」に更新します。




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by bowww | 2014-07-28 09:04 | 七十二候 | Comments(4)
Commented by タカハシ at 2014-08-12 19:32 x
1978年のこの季節に、俺は産まれました。
Commented by bowww at 2014-08-12 20:30
タカハシさま
私はもう少し先、残暑厳しい頃に産まれました。
母は私がお腹に居る間、スイカばかり食べていたそうです。
Commented by 高橋 at 2014-08-13 20:09 x
スイカですか~!

スイカは俺も、
大好きです!

今年も、
今、少しばかり、
今までの様に、
夏は夏らしく、在ってくれるでしょうかね…。
Commented by bowww at 2014-08-13 22:34
高橋さま。
夏は、甘いスイカに当たると幸せな気分になりますよね。
お腹の中から今に至るまで、スイカは大好きです。

暑い暑いとウンザリしながらも、秋の気配がし始めると、途端に寂しくなります。
夏は夏らしく。
もう少しだけ楽しまなければ、ですね。


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