第十二候 雷乃発声

 目が覚めて、彼女をかき寄せる。指に絡まる髪が冷たい。
 彼女は先に起きていたらしく、しばらくはされるがままになっていたが、やがて目を開けてこちらを見つめた。
 夜明けにはまだ間がある。もう少し、このままで居ようと腕に力を込めた。
 唇も冷えきっていた。


 手が届くはずのない人だった。
 六歳上の兄の恋人だった。
 高校時代に出会った二人は長い交際期間を経て、そのまま結婚する予定だった。
 それぞれの家族も一緒に挙式の打ち合わせを始めた矢先、兄が交通事故で死んだ。夜中に彼女の家へ向かう途中、交差点で信号無視をしたトラックに突っ込まれた。
 遺体を前にしても彼女は泣かなかった。青ざめた顔からは表情が消えていた。
 通夜に現れ、僕たち家族に無言のまま深々と頭を下げ、それきり姿を消した。

 職場の近くにある書店で本を探しているとき、後ろを通り抜ける誰かとぶつかった。
 詫びようと振り返ると、彼女が立ちすくんでいた。
 髪を伸ばした彼女は、以前よりむしろ幼く見える。
 こんなに華奢な人だっただろうか。 
 彼女は詰めていた息を吐き出しながら、僕の名を呼んだ。
「…お兄さんかと思った」。
 泣きそうな笑顔を見て、僕は兄に嫉妬した。

 手を離したら、今度こそ二度と戻って来ない。
 僕は強引に会う約束を取り付け、会えばその次の予定を組んでと、彼女の時間に食い込んだ。
 ためらいがちだった彼女も、やがて呆れたように僕と付き合い始めた。
 それでも、時折浮かべる泣き出しそうな笑顔は、相変わらず僕を焦らせた。
「僕を見て。兄貴じゃない、僕を見て」
 素直に言えたら、もっと楽になれるのに。

 薔薇の花束を持って、初めて彼女の家を訪れた。
 白い薔薇を数本束ねただけのささやかな花束なのに、部屋に香りが満ちて息苦しいほどだ。
 香りの中で彼女を抱きしめた。
 兄を思い出すゆとりもないほど、僕で満たしてしまえばいいと思った。


 シーツにくるまったまま、夜明けを待つ。
「…お兄さんは、私が殺したようなものかもしれない」
 僕の腕の中で、彼女が話し始める。
 あの夜、彼女は電話で兄に別れを告げたという。好きな人ができたから、結婚できないと。
 兄は「会って話をしよう」と、真夜中に車を走らせたのだ。
「私があんなことを言い出さなければ、お兄さんは事故になんか遭わなかったのに…」
 これは罰。
「あなたに会ったとき、真っ先にそう思った。あなたの姿を借りて、お兄さんが私を責めているんだ、て」
「…じゃあ、これは罪滅ぼし?」
 僕の言葉に、彼女は一瞬、いつもの笑顔を浮かべた。
 頷きかけた途端、涙が零れた。
 後から後から零れる涙が、僕の腕を濡らす。
 遠くで低く雷が鳴った。間もなく、雨粒が屋根を叩く音が聞こえてきた。
 僕はもう一度、彼女をかき寄せる。



あえかなる薔薇撰りをれば春の雷  石田波郷
黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部



〜雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす)〜




春の好天は長続きしません。
大気が不安定で、思わぬ嵐になることもままあります。
それでも、潤いを得ると草木はぐんぐん生長していきます。
でも、桜の満開のときだけは、なにとぞなにとぞ荒れないで…と祈る思いです。
海の旬はイイダコ、真鯛(鯛飯、大好きです)
山の旬はニラ、ウドなどなど。

ようやく庭の梅が咲きました。福寿草も咲きました。
これから桜が咲くまで、一気呵成に花の季節になります。
日も目に見えて長くなってきました。
ず〜〜〜っと屋内でチマチマと働いているため、外の変化に疎くなりがちです。
窓からいい入り日が見えたりすると、ちょっといい気分になります。

次回は4月5日「玄鳥至」に更新します。

 


b0314743_02084994.jpg


[PR]
by bowww | 2014-03-31 07:47 | 七十二候 | Comments(0)


<< 第十三候 玄鳥至 第十一候 桜始開 >>