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第五候 霞始靆

 三津は茶屋の二階から、男たちの後ろ姿を眺めていた。三人は時々、じゃれ合うようにもつれ合う。
「犬っころだね、まったく」。
 男たちは幾つになっても連れ立って悪さをしたがる。まして灯ともし頃の吉原だ。「兄ぃ、厄落としだぜ」などと言って、何処ぞの見世になだれ込むのだろう。
「おみっちゃん、本当に良かったのかい」
 茶屋の女将が上がって来て声を掛ける。
 三津は横座りで手すりに凭れた姿勢のまま、生返事をした。
「あんた、この三月で本当に年季が明けるんだろ?棟梁ンとこに嫁く気だったんじゃないの」
「…そんな小娘の戯言…。おかぁさん、覚えてたの」
 十三で親に売られた。
 女中奉公と騙されたと後で父親が言い訳していたが、どうせ嘘だろう。
 三津にとっては、貧乏たらしくて辛気くさい長屋より、華やかで騒々しい色街の方が性に合っていた。
 品川の小見世で初めは女中の真似事をしていたが、十五のときに主に誘われ、「喜瀬川」という名で客を取るようになった。
 棟梁に会ったのは十八の頃だったか。
 その頃はようやく独り立ちしたばかりの青年だった。腕自慢の大工だった。喧嘩っ早いくせに人の好いところがある。品川で馴染みとなり、三津が吉原に移っても、変わらずに通って来た。
 ある時、ふとしたことで本名を教えると、「みつ」としか呼ばなくなった。見世に出ているときは喜瀬川だと、何度たしなめても聞かなかった。
「惚れてたんだろ?」
 女将が三津の隣に座る。
「…おかぁさん、私、此処よりほかン所は知らないんだよ」。大工の棟梁のおかみさんなんて、勤まるわけないさね。
「品川に居るときにくれてやったんだよ、あの起請。まだ持ってたなんてさ…。物持ちのいい人だよ、とんだしみったれだ」
 気の早い客が芸者を呼んだらしい。何処の座敷か、もう三味線の音が聞こえてくる。
 水の匂いがする。茶屋の裏手を流れるどぶ川の水面が暗い。月明かりが届かない。
 三津は空を見上げた。今夜は朧月だ。
「支度しなくちゃね」
 着物を替えて帯締めて。紅はいつもより濃くさそう。
 いつもの夜が始まる。

〜霞始靆(かすみ はじめて たなびく)〜




落語、大好きなのです。
といっても、いたって底の浅いファンなのですけれど。
ご存命の師匠なら柳家喬太郎さん、柳家さん喬さん。さん喬師匠の高座は美しくてうっとりします。柳家三三さんも素敵。立川流の皆さんは、ちょっと濃過ぎてナンですが、聞くと上手すぎて夢見心地になります。
でも、一番好きなのは故・古今亭志ん朝師匠。
同じ噺を何十回聞いても、心が明るくなるのです。
で。
「三枚起請」という噺を下敷きにしました。
(興味を惹かれた方は、志ん朝師匠の落語をぜひ聞いてみてくださいませ)
起請は、遊女が客に「年季が明けたら貴方と結婚します」と約束した誓紙。もらった方は有頂天になって通い詰めるという作戦なのです。
遊女の営業活動ですね。
この噺は、3人の男がひょんなことから同じ女=喜瀬川から起請文をもらっていたことを知って、「悔しい!騙された!」と仕返しに行くというもの。
喜瀬川は初めのうちはしらばっくれようとしますが、「女郎は騙すのが商売」と居直って啖呵を切ってみせます。
「騙され連中」の掛け合いが可笑しい噺なのですが。
いつもこの噺を聞く度に、このしたたかな喜瀬川に純な気持ちが残っていたとしたら…と考えてしまうのです。啖呵を切って男どもを追い返した後、もしも…と。
ま、どうせならずっとしたたかに生き延びて欲しいと思うのは、自分も年を重ねてきた証拠ですね。


空気も緩んで霞がたなびく頃。
遊郭のお話は、そんな春の気配が濃くなった頃にぴったりかな…と勝手に思って書いてみました。
旬は辛子菜や菜の花。魚はムツ。などなどだそうです。
写真は頂き物のマカロン。春っぽいかしら…と。…文章とか無関係です。
マカロンって、お味はあまり…ですが、見た目はとてもときめきます。

次回は「草木萌動」、3月1日に更新予定です。


第五候 霞始靆_b0314743_00463748.jpg



by bowww | 2014-02-24 00:48 | 七十二候


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