時刻表(寒露)

 ようやく涼しくなったから、片付けを始めたいと母から連絡があった。
 春先、父が亡くなった。
 前日どころか当日の朝まで何の変わりもなく、母と昼食を取って、「少し食べ過ぎた」と横になったまま意識をなくした。
 気づいた母が救急車を呼び、病院に運ばれたが、意識が戻ることなく三日後に亡くなった。
 典型的な「昭和前期の男」だった父は、家庭では口数も少なく、気難しい人だった。
 私と姉、弟にとっては、子供の頃は「怖い人」、大人になってからは「面倒くさい人」という存在だった。
 父親というものはそういうものだと思っていたから、高校生になって、「誕生日は毎年、お父さんと食事して、何か買ってもらうんだ」と嬉しそうに話す同級生に驚愕した。
 世の中には、家族に優しい父親も存在するのか。
 姉が結婚して子供が生まれ、さすがに孫には相好崩すだろうと思ったが、さほど変化はなかった。
 生まれたての赤ん坊を恐々と抱き、赤ん坊が泣き出した途端に、「母さん!母さん!」と母を呼びつけて、「泣いてる」と押しつけると、そのまま自分の部屋に引っ込んだ。
 姉と私、母は顔を見合わせて、ため息をついた。
「お母さんは、どうしてお父さんと結婚したの?」
「優しくも面白くもないし。家のことだって何もしてくれないでしょ?」
 私たち子供がそう問いかけると、母は、
「そうなのよねぇ、私、どうしてお父さんと結婚しちゃったのかしらねぇ」
と、心底、不思議そうに首を傾げたものだった。

 慌ただしく、お葬式だ、四十九日だと過ごしているうちに暑い夏になり、疲れがたまって倒れられたら困るからと、姉と私は交互に母を自宅に招いた。姉の家では孫と賑やかに、私の家では夫と私の世話を焼いてと、それなりに楽しげに過ごしていた。夏の終わりには、弟が実家に十日ほど帰省していたらしい。
「勢いあるうちに片付けちゃおうと思ってね」
 父は通勤用のスーツなどは退職直後に処分していたし、趣味らしい趣味もないから物も増えなかった。
「あまり片付けるところもなさそうだけれど…」
 私と姉は、がらんと素っ気ない父の部屋を見回して言った。
「それでも、こまごました物は結構出てくるものなのよ」
 歯ブラシだとかスリッパだとか…、箸に茶碗にマグカップ…。
「急に居なくなられちゃうと心の準備が出来ないじゃない?残された物を見つけると、不意を突かれたりするのよ」
 そう言いながら、母は勢いよく机の引き出しを開けた。
「私はクローゼットを片付けちゃうから、あんたたち、机周りをお願いね」
 パタパタとスリッパの音を立てて、母が部屋を出て行く。
「…やっぱり、寂しいもんなのかね」
 姉がポツリと言った。

 幾らかの文房具に新聞記事のスクラップ帳、住所録は会社関係の人たちが主だった。
 小さな本棚には実用書ばかりが並んでいたが、隙間の方が多い。
 密かに綴っていた日記帳でも出てくれば面白いと思っていたが、それらしきノートは出てこなかった。
 味気なさにがっかりしかけた時、姉が「あ…」と声を上げた。
「どうしたの?遺書か何かあった?」
「ほら、これ…」
 姉が見つけたのは、小さな数冊のアルバムだった。
 写真店で現像すると、サービスでつけてくれる冊子状のアルバム。
 開くと、姉の子供の写真が、成長順にきちんと並んでいた。
 姉が母宛てにメールで送っていた写真のデータを、プリントしたものらしい。
 実家にはパソコンもプリンターもないから、写真店に持ち込んだのだろう。
「お父さん、どんな顔してこれを見ていたんだろうね…」
「私、お父さんは子供が嫌いなんだとずっと思ってたよ」
 姉は気が抜けたように笑った。
 そういえば、私たちのアルバムもそれぞれ、きちんと整理して取ってある。
 そのアルバムの中には、父が写っている写真はほとんどない。
 父が撮っていたのだから当たり前だ。
 当たり前のことを、今まで忘れていた。

 アルバムがしまってあった引き出しから、分厚い時刻表が出てきた。
 今年三月号の『文字の大きな時刻表』だった。
「時刻表なんて久しぶりに見たね」
「今はアプリがあるからね」
 へそくりでも挟まっていないかと、薄い紙のページを繰る。
 母が「お茶にでもする?」と顔を出した。
「あら、時刻表?」
「うん、結構新しいのだよ。お父さん、どこか行く予定だった?」
 そんな予定、聞いてないけれど…と、毋も覗き込む。
 端を折り曲げたページが何箇所かあった。
 小海線、吉備線、五能線、只見線。
「…あ」
 今度は母が声を上げた。
「これ全部、ローカル線…」
 母が毎週見ているテレビの旅番組で紹介されていたのだと言う。
「こんな風に、のんびり旅にでも行きたいわねって言ったのよ。
 お父さん、新聞読みながらアアだかウウだか言うだけだから、どうせ聞いてないんだろうと思ってたの」
 よく見れば、「待ち27分」などという書き込みもある。
「…お母さんと行くつもりだったのかな」
「お母さん、何にも訊かれてないわよ?
 二人で行くなら、『どこに行こうか』とか相談してくれればいいじゃないの。
 私、いくらのんびり旅でも、なぁんにもない場所なんて嫌よ?行くなら美味しいもの食べたいじゃない?
 いつもいつも、黙って勝手に決めちゃうんだから…」
 母が、スンッと鼻を啜った。
 姉が黙って、ティッシュを差し出す。
 窓から入り込んだ風が、私の膝の上の時刻表をパラパラとめくった。

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子供の頃、時刻表の読み方が分かったとき、「これで日本全国どこへでも行けるんだ!」と興奮したことを覚えています。
今はスマホのアプリを使えば、あっという間に接続から運賃から、全部導き出してくれますものね。
東京の地下鉄の乗り換えなんて、アプリなしではとても無理。
恩恵に与りながらも、時刻表の活字(独特ですよね)がちょっと懐かしくなります。
父親が持っていたので、のぞいてみました。


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先日、学生時代からの友人たちと小さな旅をしました。
奇祭・御柱祭で有名な、諏訪の諏訪大社を巡る旅。
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで南岸に上社(本宮・前宮)、北岸に下社(春宮・秋宮)があります。
大変なパワースポットということですが、不信心な我々は特に願掛けするわけでもなく、ただただ厳かな雰囲気を味わってきました。
この立派な木は、春宮にありました。

この旅に集まった5人中4人は、すでにお父様を亡くされています。
私だけ、父健在。
「大事にしないと!」と口々に諌められました。
そう言われましても…。
なかなか、馬が合わないんですよねぇ。
…なんて思いながら、作り話を書いてみました。



 

 

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# by bowww | 2018-10-08 23:08 | 作り話 | Comments(0)