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氷菓一盞(芒種)

 常連客の一人である山内さんは、実はなかなかの男前だった。
 うちの店に来るときはいつも、寝起きのようなボサボサ頭に無精髭(実際、起きたばかりなのだと思う)。
 洗濯を繰り返して、色がすっかり抜けきったチェックのシャツに、穴が開いたジーンズ。つっかけ履き。
 分厚いレンズの眼鏡に猫背、聞き取りにくい小さな声。
 つまり一言でいえば、まったくもって風采が上がらない。
 それがどうしたことか、今日はボーダーのTシャツにコットンジャケットなぞ羽織っている。
 髪も髭もすっきり整えられ、眼鏡なんて細い鼈甲フレームだ。
「いらっしゃいませ、お一人ですか?」
 山内さんと気づかず、「よそいき」の声で迎えてしまった。「どこの男前が来たかと…」と軽口を叩こうとして、山内さんのお連れさんに気づく。
 なんと、女連れだったか。
 ほっそりとした長い手足、背中まで伸びたさらさらの髪、水色のシャツワンピースがよく似合う、賢そうな大きな瞳と白い頬。
 絵に描いたような美少女・推定十二歳。
 山内さんは片手をちょっとだけ上げて、カウンターから一番遠い窓際のテーブルに着いた。
 美少女は、こちらにぺこりと頭を下げて後を追った。

「そうか、綾ちゃんは知らなかったんだっけ」
 カウンターに座った小田さんが、小声で教えてくれた(町会の役員を歴任した小田さんは近所の情報通だ)。
 美少女は山内さんの十歳になる娘さんだそうで、名前は一花ちゃん。今はお母さんに引き取られている。離婚したのは五、六年前で、山内さんは娘さんと、三ヶ月に一度会えることになっている。養育費は…。
「なるほどなるほど。はい、コーヒーお待たせしました」
 カウンター越しに、小田さんの前へカップを置く。放っておくと、山内家のすべてを語り尽くされてしまいそうだ。
 カフェを開いて五年、地元のお馴染みさんも増えて、何とか続けてこられた。
 ただ、私が想定していたよりも、お客さんの年齢層が高い。平日はほとんど、ご近所のお年寄りたちの寄り合い場と化している。
 「この店は落ち着くんだよねぇ。なんだか懐かしい感じがしてさ」というお言葉はありがたいが、古い建物を改築して「モダンな昭和レトロ」を目指したこちらとしては、とても複雑な気持ちになる。
 このままでは「懐かしの昭和遺産」だ、お客さんも含めて。
 一花ちゃんは、そんな店内が珍しいらしく、きょろきょろを辺りを見回している。
 山内さんは向かいの席で、知り尽くしているはずのメニュー表とにらめっこしている。
「ご注文は?ジュースもありますよ?」
 気を利かせたつもりだったが、美少女は毅然と
「アイスティーで」と答えた。
「…じゃあ僕は、アメリカンで」
 山内さん、うちのメニューにはアメリカンなんてありません。
 とは言えないので、いつものブレンドコーヒーを持っていくことにする。

 カウンターに戻り、ティーポットやカップを用意する。
 読んでいた新聞を畳みながら、小田さんがクスクス笑う。
「父親はやっぱり緊張するもんかね」
「それにしても、山内さん見違えちゃいますね」
「うん、ああしてりゃあ、さすがデザイナーって思うわな」
 危うく薬缶を取り落とすところだった。
 デザイナー?山内さんが?
「そうだよなぁ、普段はニートか引きこもりか?って感じだもんな」
 もう少し話を聞くと、どうやら山内さんは雑誌や本、カタログなどの編集デザインをしているらしい。自分で事務所を立ち上げて、若い人たちも数人働いているそうだから大したものだ。
「一花ちゃんはお母さん似だわな。奥さんって人が相当の美人でね。ただ二人とも仕事が忙しくて、すれ違いが多かったんだろうなぁ、いつだったか…」
「小田さん、コーヒーのおかわりどうぞ」
 有無を言わさずコーヒーを注いでお喋りを遮る。
 奥のテーブルをそっと窺えば、一花ちゃんも山内さんもそれぞれ、窓の外眺めている。
 テーブルの上が、がらんと寂しい。

「もし良かったら、試食してもらえますか?
 夏限定のメニューに載せようかと試作してみたんです」
 一花ちゃんの前に、細長いグラスを置く。
 アイスティーに、あり合わせのバニラアイスを浮かべた。
 山内さんには、エスプレッソをかけたバニラアイス。
 二人が揃ってスプーンを取り上げ、アイスを一掬いするのを見届けてカウンターに戻る。
 アイスがなくなる頃には、ぽつん、ぽつんと言葉が行き交い始めていた。

 店内に西日が入り込む。
 そろそろ西側に葭簀を立てなければいけない季節だ。
「ごちそうさまでした」
 山内さんがレジの前に立つ。
 照れくさいのか、財布の中を覗き込むようにしてこちらを見ない。
「…アイスは…」
「お代は結構ですよ、味見してもらったんですから」
 一花ちゃんはまっすぐこちらを見ている。睫毛が長い。
「あの、美味しかったです。ありがとうございました」
 お父さん、見習ったらどうでしょう、このハキハキさ加減。
「でも、あのままだと見た目が殺風景だと思うんです。お店に出すなら、ミントの葉をちょっと乗せるとかした方が売れると思います」。
 …的確なアドバイス、頂戴しました。

 店を出る親子の背中を見送る。
 一花ちゃんが、お父さんの背中をぽんぽんと払っている。ジャケットに糸くずでも付いていたらしい。
 どちらが親なんだか…と可笑しくなる。
 そして、実際の年齢よりも少しだけ速く大人になっていく美少女に、自分の甥っ子の姿を重ねてみた。
 高校生の甥は三年生になった。毎年、夏休みにアルバイトに来てくれていたのだが、受験を控えていることだし、今年はさすがに無理だろうか。
 片付けをしていると、携帯電話が鳴った。
 甥のケイからだ。想うと呼び水になるのだろうか。
 とにかく、夏のメニューについて相談に乗ってもらおう。


   六月の氷菓一盞(いつさん)の別(わかれ)かな  中村草田男

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西日に輝く麦の秋。
梅雨入り目前ですね。


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by bowww | 2017-06-05 17:24 | 作り話 | Comments(2)

芒種

 璃子の宝物は、ディズニーランドで買ってもらったクッキーの空き缶に入っています。
 澄んだ空のような青い地に、チョコレート色のミッキーマウスのシルエットが描かれています。
 本当は、たくさんのキャラクターたちが踊っているピンクの缶が欲しかったのですが、お母さんは「青い方が断然素敵」と、きっぱり宣言したのです。
 お母さんの「断然」は絶対です。
「璃子には断然、紺色のブラウスが似合う」「お母さんは断然、モンブランが好き」「お父さんは断然、休みを取るべきです」などなど。
 「断然」が出たら、誰も敵いません。
 実際のところ、今では小学生になった璃子も、この青い缶が「大人っぽくてちょっといいかも」と思っています。
 さて、肝心な中身。
 幼稚園で一番仲が良かった珠里ちゃんからもらった手紙(「ずっと なかよしでいてね」と書いてあります)。大好きな従姉妹のお姉さんからもらった白いレースのハンカチ。去年の夏、海で拾ったピンク色の貝殻と青いガラスの欠片。くまのプーさんのレターセット、シール付き(これで珠里ちゃんに手紙を書きました)。ピアノの発表会で髪を結んだ薔薇色のシフォンのリボン。
 そして箱の隅っこには、茶色のしわくちゃな種が三つ転がっています。
 箱を動かす度にカタカタ鳴ります。
「璃子、これは何?」
 璃子と一緒に箱を覗き込んだお母さんが言いました。
「梅の種だよ。梅干しと、梅漬けの。おばあちゃん家で食べたの」
 璃子はまだ小学一年生なのに、おばあちゃんの梅干しと梅漬けが好きなのです。
 特に、甘い梅漬けは大好物です。
「…どうするの?」
「これを植木鉢に蒔いてね、梅の木にするの。
 お花が咲くでしょ?もっと大きくなれば実がなるでしょ?
 そしたら、おばあちゃんに甘い梅漬けをいっぱい作ってもらうつもりだったの」
 璃子は俯いてしまいました。
 おばあちゃんは去年の秋、お友達と行った温泉で亡くなってしまったのです。
 夏休みに会いに行ったときは、とても元気だったのに。
 お母さんは璃子の頭をそっと撫でました。
 梅干しの種では芽が出ないなんて、とても言い出せませんでした。

 璃子のお母さんの大切なものは、学生時代に鎌倉の骨董屋さんで見つけたシェーカーボックスに入っています。
 日本の曲げわっぱによく似た楕円形の木の箱は、古びて飴色になっています。
 学生にはちょっと高価でしたが、「これは断然素敵」と一目惚れして手に入れた箱です。
 さて、中身。
 ガラス細工の小鳥、プレゼントでもらったネックレスや結婚指輪(アクセサリーをいつも身につけているのは苦手なのです)、璃子が初めてプレゼントしてくれた紙のカーネーション、裏に象眼でスズランの絵が施されている小さな銀色の手鏡。
 お母さんは手鏡を取り出してため息をつきました。
 お母さんが子供の頃、お母さんのお母さん、璃子のおばあちゃんに、おねだりして譲ってもらった鏡です。
 去年の夏、璃子を連れて実家に帰ったとき、些細なことからおばあちゃんと喧嘩をしてしまいました。
 「似た者母娘」と言われる二人は、言い出したら聞かないところもそっくりです。
 謝るきっかけを見つけられず、それでも次に会ったときには何でもなかったように話せると思っていたのです。
 結局、仲直りできないまま、おばあちゃんは不意に居なくなってしまいました。
 鏡を覗けば、おばあちゃんに益々似てきた顔が、への字口で見返してきます。
「ごめんね…」
 ごめんなさいもありがとうも、もう届きません。

 璃子のおばあちゃんの宝物入れは、小さな漆塗りのお弁当箱でした。
 おばあちゃんが残した物を整理していたおじいちゃんが、「こんなものがあったよ」と持って来てくれたのです。
「お父さん、開けてみたの?」
「うん、開けてはみたけど、なんだか俺よりお前が見る方がいい気がしてな」
 お母さんは、そっと箱の蓋を開けました。
 璃子もお母さんの手元を覗き込みます。
 さて、中身。
 古い古い絵はがき(おばあちゃんのお父さんとお母さんからでした)、古い手紙(おじいちゃんからおばあちゃんへ)、璃子の赤ちゃんの頃の写真、結婚指輪、空っぽの香水瓶。
「…これ、私が昔あげたトワレだ」
 お母さんが初めてのお給料で買ってあげたプレゼントです。
「まだいい匂いがするね」
 璃子は瓶をくんくん嗅いで言いました。
「お前が預かっておいてくれ」
 ただし、こいつだけは勘弁と、おじいちゃんは自分が書いた手紙を素早く抜き出しました。
「そうだそうだ、冷蔵庫からはこんなものが出てきたぞ」
 種です。
 硬い殻が割れて青白い芽が伸びています。
「もしかして、梅?」
「ああ。璃子がえらく梅漬けを気に入ってただろ?
 母さん、庭の梅の実で熟したやつを拾っておいたんだよ。『璃子と一緒に蒔いて、璃子の梅の木にしてあげるの』って言ってたから、きっとこれがその種だと思うよ」

「璃子、そんなに大きな鉢に植えるの?」
「だって、大きな木にするんだもん」
「…ということは、俺はいずれ庭付きの家を買わなきゃいけなくなるんだな」
 璃子のお父さんは、やれやれと背伸びして笑いました。
 三つの梅の種は、ふかふかの土に具合よく収まりました。
 梅干しと梅漬けの種は、璃子の宝物と一緒に青い缶の中に転がっています。



芒種=6月5日〜21日頃
初候・蟷螂生(かまきりしょうず)次候・腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)末候・梅子黄(うめのみきばむ)


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麦秋は本当は小満の末候ですね。写真、ちょっとだけ季節外れ。
今年も金色の麦畑にうっとりしています。
そんな麦畑や早苗田の上を、ツバメたちが艶やかな黒い羽を閃かせて盛んに飛び交っています。
梅雨入り直前の本当に美しい季節。


さて、二十四節気に合わせて書いてきた作り話、一年ぐるりと巡りましたので、ひとまずこれにてお休みします。
私の頭の中の引き出しの一つは、ちょうど璃子ちゃんの宝物箱みたいなものだと思います。
他の人から見ればガラクタの山ですが、本人にとってはどれも大切な宝物。
その中を引っ掻き回して材料を探して、作り話に仕立て上げて…。
読んで頂くだけでも嬉しいのに、「イイネ」や時々頂くコメントに、毎回舞い上がっておりました。
本当にありがとうございました。
当分の間は、また宝物(ガラクタともいう)探しに専念したいと思います。
今はモリモリ本を読んで、展覧会に行って、映画を観て、人に会って、ありったけインプットしたい。
充電して、次の立春を目処に作り話を更新できたら…と。
それまでは皆様のブログを拝読して、二十四節気の節目ごとに身の回りのことなど書けたらいいな、と思っています。
これからも、お付き合い頂ければ幸いです。



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by bowww | 2016-06-05 09:22 | 作り話 | Comments(8)

第二十七候 梅子黄

【…前回からの続きです】


 暗闇を透かして、相手の顔を確認しようと目を凝らす。
 と、頬に冷たいものが当たった。
 雨だ。それも大粒。
 はるか遠くの空に光が走った。だいぶ遅れて雷が低く鳴る。
 彼は私の手を取り、遊歩道から外れた四阿(あずまや)に駆け込んだ。
 四阿の支柱に小さな外灯が取り付けてあって、弱弱しい光を投げかけている。
 私は改めて彼の顔を見上げた。
 濃い眉毛に切れ長の目。鼻筋も通っている。
 髪をこんなに刈り込んでなければ、きっともっと男前なんだろうな…。
 …いやいや、そうではなくて、この人は誰なんだ?
 当の本人は、にこにこしながら遠くを眺めている。
 四阿の屋根、木々の葉を打つ雨の音がパタパタと騒がしい。
 雲の奥の方で光った雷が、黒い雲の縁を照らし出す。
「雷が遠ざかって行く。すぐに雨も止むね」
 機嫌が良さそうに話す。
 どう考えても「あり得ない状況」なのに、なぜか不安な気持ちが消えていた。
 肩が触れる位置に居る相手が、あまりに楽しそうだからつられてしまう。
 彼が言う通り、激しかった雨脚が少しずつ穏やかになって、やがて止んだ。
「見ててごらん、蛍が動き出すから」
 公園は池を底にしたすり鉢状で、その縁を辿って遊歩道が続いている。四阿からは池が一望できた。
「ほら!」
 彼が指差す方を眺めても、僅かな明かりに慣れてしまった目には暗闇しか映らない。彼は私の後ろに立って、外灯を遮った。
 大きな影に包まれる。
 目を閉じて深呼吸して、そっと目を開ける。
 すると、窪地のあちこちで、無数の淡い光の粒が瞬いているのが見えた。
 呼吸をするように明滅する光。
 羽を乾かし終わったのか、蛍たちは空気の揺らぎに乗るようにして一斉に舞い上がった。
 無数の光の水尾がフワフワと斜面を滑り上がる。
 私は声もなく見つめていた。
 四阿にも、蛍の一群れが辿り着いた。
 袖口に止まった蛍を、彼がそっと捉えた。
 指の隙間から光が漏れる。
 思わず覗き込む私を見て、彼は嬉しそうに笑った。
「良かった、幸せそうだ」
 その時、携帯が鳴った。
「美沙、どこにいるの?」
 友人たちが、私が居ないことにやっと気が付いたらしい。電話の向こうで「いたいた!無事を確認!」と賑やかな笑い声がした。
「ごめん、雨宿りしてた。待ってて」と告げて電話を切った。
 画面の明かりが眩しくて眉を顰める。
「会えて良かった。ミサオが幸せそうで、良かった…」
 振り向くと、彼はもう居なかった。

 ミサオ…操は、おばあちゃんの名前だ。
 
 公園の出口で待っていてくれた友人たちと無事に合流し、家に帰った。
 浴衣を脱いで衣紋掛けに掛ける。
 あれは結局、誰だったのか、何だったのか…。
 ぶら下がった浴衣をぼんやり眺めていたら、ふと違和感を感じた。
「あれ…。蛍、一匹じゃなかったっけ?」
 襟の近くに描かれた蛍が二匹になっている。
「…ついて来ちゃったのかな」
 カキツバタの葉先が、さっきより少し撓んでいる。

 操おばあちゃんに、心当たりがあるか聞いてみなくては。
 おじいちゃんが居ない時に、こっそりと。



〜梅子黄(うめのみ きばむ)〜



我が家の庭の梅の実は、そろそろ収穫期です。
大きな瓶に、同量の氷砂糖と漬け込んで、お酢をちょっとだけ入れて放置しておくと、それだけで上等な梅シロップが出来上がります(梅がシワシワになるまで、毎日一回、瓶をグルグル回す。梅が常に濡れている状態にしておく)。
梅酒よりも応用範囲が広いので重宝します。
何よりこういう保存食的なものを作ると、「きちんと暮らしている」錯覚に浸れるのが嬉しいのです。
「梅は手を選ぶ」と両親が言います。
どんなに工夫しても、「ぱりぱり漬けの素」なるモノを浸かっても、我が家の梅漬けはどうしてもヤワヤワのクチャクチャになってしまうのです。味はともかく、食感が頗る残念。。
一度、私も紫蘇の葉を揉んだり梅を洗ったりと手伝ってみたのですが、やっぱり結果は同じでした。
うちの家系は、梅とは相性が悪いようです。
海の旬はホヤ(仙台に旅行に行った時に食べた塩辛=「ばくらい」は美味しかった…気がします)、ウニ(新鮮なウニ丼をたらふく食べてみたい…)などなど。
山の旬は梅のほか、トマトなどなど。

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この週末は気持ち良く晴れました。
まさに梅雨の晴れ間。
風が心地好かったです。
写真は近くの美術館の庭に咲くバラ。それほど広い庭ではないけれど、色々な種類のバラを見事に咲かせていて、割と見応えがあるのです。
名札を見たら「シティオブヨーク」とありました。
バラは大輪より、小ぶりの花の方が好きです。

次回は6月21日「乃東枯」に更新します。


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by bowww | 2014-06-16 08:35 | 七十二候 | Comments(3)

第二十六候 腐草為蛍

「浴衣、用意してあるから」
 学校から帰ると母に呼ばれた。
 白地に藍色でカキツバタの絵があっさりと描いてある。母は朱色の帯と濃緑色の帯を交互に当てて、「若いんだから、やっぱり赤か…」と独り言を言っていた。
 ちょっと地味なんじゃないかな…。
 今夜、高校の友人たちと蛍を見に行く。
「せっかくだから、皆で浴衣で行こう!」と話はまとまって、私は二週間ほど前から母に頼んでおいたのだ。
 友達たちは、きっともっと華やかな浴衣を選んでいるに違いない。
 私が浮かない顔をしているのを察した母は、
「夜に出掛けるなら白地の方が目立っていいのよ。それにこれ、おばあちゃんが娘時代に大切に着ていた浴衣なんだって」と宥めるように言った。
 手に取ると、ぱりっと糊がきいている。
「美沙が着れば、おばあちゃん、喜んでくれると思うな」。
 そこまで言われて「嫌だ」と言うほど子供でもない。待ち合わせの時間も迫っている。
 急かされながら、母に着付けてもらう。
「髪の毛はちゃんと上げていきなさい。襟は時々、きちんと合わせ直すのよ。おはしょりも整えて。浴衣はこざっぱり着るのが一番かっこいいんだから」
 はいはいと適当に答えて鏡を見る。
 胸元に描かれているカキツバタの葉先に、蛍が一匹、とまっていた。
 なかなかお洒落だ。
 少し気を取り直して、私は待ち合わせ場所へ向かった。

 駅からバスで二十分、郊外の公園に向かう。
 友人たちはやっぱり、黒地にピンクや水色や、紫色の花柄といった鮮やかな浴衣を着ていた。「美沙、渋い〜。大人っぽいね」と、皆は褒めてくれたけれど…。
 朝からどんより曇り空だったが、なんとか降らずにいてくれた。バスから降りると、モワッと湿気に包まれる。
 蛍の見学用に照明を落としているようで、園内は思っていたより暗かった。
 昔からあった池や小川の周りを整備した公園で、一時は蛍も姿を消したそうだ。地元の人たちが十年以上前から幼虫を放流するなどして、蛍の名所に戻したという。
 でも、おばあちゃんに言わせれば「昔はあんなもんじゃなかった。一面に蛍が舞ってね、それは見事だった」そうだ。
 遊歩道は砂利道で、下駄なんか履いているせいでとても歩きづらい。まだ時間が早いせいか、蛍もいない。
 皆で文句を言いながら歩いていると、視界の隅で小さな小さな緑色の明かりが瞬いた、ような気がした。
 思わず立ち止まって、目を凝らす。
 いた。光った。
 草影の小さな光は、細い草の茎を伝って移動して、葉の先まで辿りつくとフワッと飛び立った。光の跡を残して、林の奥へ飛んで行く。
 見届けて気が付くと、私は完全にはぐれていた。
 遊歩道にはたくさんの人が歩いている。けれど、暗くて顔がよく見えない。友達たちがどこまで行ったのか見当がつかない。
 たぶん、私が居ないことにも暫くは気が付かないだろう。
 慌てて歩き出そうとすると、袂がクイッと引かれた。
 枝にでも引っかかったのだろうかと振り返ると、紺色の浴衣を着た男性が立っていた。
 もちろん知らない人だ。
 こんな所で絡まれても困ると、気づかなかったフリをして行こうとすると、
「…ミサ…」と聴こえた。
 この人、誰なんだろう。
 とても懐かしそうに、私の名前を呼ぶ。
 だからつい、足を止めてしまった。

【続きます…】


〜腐草為蛍(くされたる くさ ほたると なる)〜



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じめじめした毎日で憂鬱になります、梅雨まっさかりですね。
写真は、少しでもカラッとした空気を思い出したくて、先月末に隣の街で行われたクラフトフェアで撮った1枚です。
毎年、日本全国から作家さんがやってきて、素敵な工芸品がたくさん並ぶフェアです。今年はお天気にも恵まれて楽しくブース巡りができました。
…はてしない物欲との戦いでもあるのですが。。

蛍は、湿度も気温も高い夜によく動くそうです。
昔は家の裏にも毎年1匹2匹はいたのですが…。田舎でも、最近はあまり見かけることがありません。
近くのキャンプ場で、数年前、ヒメボタルの観察会に参加しました。
ゲンジボタルやヘイケボタルよりも光は弱いのですが、チカチカチカチカとフラッシュのように点滅するのです。
「恋に焦がれて(恋し恋しと)鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」なぁんていう都々逸は有名ですね。
ヒメボタルの光り方は「身を焦がす」というよりも、小鳥がさえずるような可愛らしさがありました。「早く早く!」と誘ってるみたいで。

  ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜  桂信子

この句の女性は、きっと着物を着慣れている人なのでしょうね。襟元をいつもより僅か寛げてゆったりと着こなす。それでいて着崩れしない。
蛍狩りのお相手は、蛍の瞬きよりも彼女のうなじの方が気になって仕方がないだろうなぁ。
事が起こるか起こらないか。
身支度している時が、気持ちは一番華やぐかも知れませんね。
艶っぽいのに品のある景色が思い浮かびます。

海の旬はシマアジ(絶品だそうですね。どんなお味かしらん)、イサキなどなど。
山の旬は枇杷(なかなか甘い枇杷に当たりません)などなど。

次回は6月16日「梅子黄」に更新します。



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by bowww | 2014-06-11 15:09 | 七十二候 | Comments(0)

第二十五候 蟷螂生

 気が付くと、僕は長谷川沙織の手元ばかりを見ていた。
 料理を取り分ける、グラスや小皿を持ち上げる、箸を使う。
 ネイルを施していない爪は短く切り揃えられている。手の甲はふっくらとしているのに、指は細くて長い。
「田崎君はビールでいいの?」
 彼女はそう言って、僕のグラスにビールを注いでくれた。瓶を支える手首と添えた指がよく撓る。
 仕草の一つ一つが緩やかなのだ。
 ビールを飲み干してグラスをテーブルに置いたとき、そう気が付いた。
 仕事中は、同じ手がてきぱきと的確に動くのに。

 大勢の飲み会が苦手で、必要に迫られなければ出席しない。
 今夜の会社全体の宴会も欠席する理由を探していたが、斉田課長に「当然、出るよな?」と釘を刺された。
 渋々と会場に足を運ぶと、隣の席に長谷川さんが座っていた。
 総務部の経理担当で、営業部の僕は、仕事以外でほとんど喋ったことがなかった。
 いつもデスクで伏し目がちに電卓を叩き、細かな数字を計算している。年齢も社歴も上の女性ということもあって、受付の女の子たちへ言うような軽口も出てこなかった。
 だから当然、制服ではない私服の長谷川さんも初めて見た。
 濃紺のシルクのブラウスに、象牙色のレースのタイトスカート。職場では一つに束ねているだけの髪を、緩く巻いて肩まで下ろしている。
「長谷川さんは何を飲んでるんですか?」
 返杯しなくてはと訊ねると、彼女はこちらに半身を傾けた。
「ごめんね、私、右耳がよく聴こえないの。騒がしい場所だと、特に聴こえにくくて
…」
 言いながら、右の耳にさらりと髪をかけた。
 一瞬、白いうなじが露になった。
「すみません、何も知らなくて…」
 声が届くように、僕も自然と彼女の方に半身を傾ける。
 柔らかな花の香りがした。
 
「長谷川は何でもグイグイ飲めるよな」
 斉田課長が、後ろからいきなり声を掛けてきた。
「あら、人をうわばみみたいに…。斉田君は飲んでる?」
「俺は車だから、ウーロン茶。田崎は弱いんだから、あまり飲ませないでくれよな」
 課長は、僕の後頭部をパシッと叩き、
「お前も先輩に注がせてなにやってるんだ?酌に回る立場だろ?」
 僕は慌ててビール瓶を持って立ち上がった。
 確かに上司の誰にも挨拶に行っていなかった。さすがにまずい。
 一通り、ビールや酒を注いで回って戻ると、長谷川さんは僕の同期の溝口と話し込んでいた。空になったワイングラスをゆらゆらと回している。溝口はだいぶ酔っているようで、長谷川さんの顔を覗き込むようにして話し続けていた。
 僕はなんとなくつまらなくなって、テーブルを離れた。
 
 宴会がお開きになり、二次会に行く気もない僕は駅に向かって足を早めた。
「おい、送っていこうか?」
 斉田課長に呼び止められた。
 上司に運転させて帰るなんて気詰まりだから断ろうとしたが、ちょうど雨が振り出し、傘を会社に忘れてきたことも思い出して甘えることにした。
「長谷川さんて、課長と同期なんですね」
「ああ」
 車の中で、少し沈黙が続く。
「田崎さ、お前、もう少しだけでいいから、社内の噂にも気を配れ」
「はい?」
「長谷川さ、専務のお気に入りなんだよ」
 僕は彼女の撓る指を思い出した。
「今年は溝口が犠牲者だな」
 課長は苦々しげに呟いた。

 しばらくして、溝口は地方の支社に異動になった。
 あの宴会以来、僕はますます飲み会が億劫になった。



〜蟷螂生(かまきり しょうず)〜



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梅雨入りしました。
しばらくはジメジメとした憂鬱な日々が続きますね。
二十四節気も移り、芒種です。穀物の種まきや麦の刈り入れなどに適した時期を指すそうです。
カマキリ、卵から孵化したばかりのチビチビカマキリは可愛いです。
いっちょまえに鎌を振りかざしたりして。
でも、カマキリと言えば、メスの凶暴さが有名ですよね。
交尾の際に、相手のオスをそのまま食い殺して栄養源にしてしまうという…。
頑張れ、男性諸氏。

海の旬はマナガツオ、アイナメなどなど。
山の旬は茗荷、ラッキョウなどなど。

次回は6月11日「腐草為蛍」に更新します。
 



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by bowww | 2014-06-06 09:51 | 七十二候 | Comments(0)