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磨いて待たう(清明)〜その1〜

 町外れの、もう廃止されたはずの簡易郵便局の屋根に、古ぼけた風見鶏が取り付けられました。
 日光や雨風に晒された看板が戸口に立てかけられ、近付いてよくよく見れば『春風郵便局』と読めます。
 町の人たちは慣れたもので、看板をちらりと横目で見ては「ああ、今年もそんな季節だね」と言うのです。
 春だけ開かれる郵便局の局長はハルばあさん。
 本名なのか郵便局の名前から取った愛称なのか、誰も知りません。
 頭のてっぺんで丸めた髪は真っ白で、腰はすっかり曲がっています。
 お客さんがやってくると、大きな目をぎょろりとさせます。
 小さな子供たちが初めてハルばあさんを見ると、お伽噺に出てくる魔女を思い出して泣き出しそうになります。
 それでも、期間限定の春風郵便局にはお客さんが絶えません。
 実はこの郵便局には、伝えたい想いを絶対確実に相手に届けてくれる葉書があるのです。
 想いを書き留めた葉書は、風が運んでくれます。
「春は四方八方から風が吹くからね。好都合ってことさ」
 だから、春風郵便局。
「葉書に書けるのはカタカナ十文字まで。それ以上だと重たくなって、風じゃ運びきれないよ」
 その葉書が一枚千円。
 ボロ儲けじゃないかと陰口を叩く人もいましたが、ハルばあさんは気にしません。
「春は短いんだ。稼がないとね」
 にやりと笑います。
 なるほど、魔女そっくりです。

 高校二年生の陽菜(ひな)ちゃんは、埃っぽい南風が吹く朝、郵便局にやってきました。
 頬を真っ赤に染めて、緊張した様子で千円札を取り出します。
 ハルばあさんは「ほいほい」と葉書を一枚、陽菜ちゃんに渡しました。
「そこにある色鉛筆でね。カタカナ十文字までだよ」
 陽菜ちゃんは少し迷って水色の鉛筆を手に取ると、より一層、頬を赤くしました。
 葉書の隅っこに小さな字で
『ズット ダイスキデシタ』と書き記しました。
 卒業して遠くの大学へ行ってしまう先輩宛てです。
「…お願いします」
「ほいほい。確かにお預かり」
 ハルばあさんは葉書をエプロンのポケットに仕舞いました。
 陽菜ちゃんは気が気ではありません。
「あの…本当に届くんでしょうか?」
 ハルばあさんは、じろりと陽菜ちゃんの顔を見返します。
「南風は昼近くなればもっと強くなるのさ。もうちょっとお待ち」
 陽菜ちゃんは黙るしかありません。
「先輩って人は男前かい?」
 陽菜ちゃんは、こくりと頷きます。
「ふぅん。さてはスポーツができて優しくて、皆の人気者だろ?」
 陽菜ちゃんは項垂れてしまいました。
 私なんか、先輩に釣り合うわけがない。告白なんて、とんでもない。
 だからせめて、好きだったとだけ伝えたい。
「でもねぇ、そんな人気者なら、届いた『ダイスキデシタ』は誰からのか分からないんじゃないのかい?」
 ハルばあさんは表に出て、風見鶏を見上げました。
「うん、こんなもんだね」と呟くと、ポケットから取り出した葉書を、ツイッと放り上げます。
 一際強く吹いた風が、白い葉書をひらりと攫っていきました。
 陽菜ちゃんも空を見上げます。
「ほら!ぼーっとしてない!命短し恋せよ乙女!」
 ハルばあさんが陽菜ちゃんのお尻を叩きました。
 陽菜ちゃんは、なんだか分からないまま駆け出しました。
 今ならまだ、先輩は駅に居るはずです。
 
 史郎さんが春風郵便局に飛び込んだのは、北風が吹きつける午後でした。
 冬に戻ったような寒さです。
「葉書一枚!」
 史郎さんは、カウンターにバンッと千円札を叩き付けました。
 ハルばあさんがじろりと史郎さんを見上げます。
 葉書を「ほれ」と渡しました。
 史郎さんは黒鉛筆で、ぐいぐいと書き始めました。
 どうやら職場の課長宛てのようです。
『クソッタレ シン…』
「お前さん、人を呪わば…って言葉知ってるかい?ほどほどにしとくこった」
 史郎さんはハルばあさんを睨みつけました。
 …が、眼力でハルばあさんに勝てるわけがありません。
 苛立たしげに、書きかけた後ろ半分に線を引くと、『ハゲチマエ』と書き直しました。
 ハルばあさんは、「やれやれ…。まぁ、仕方がないね、お預かり」と葉書を受け取りました。
 吹き荒れる北風は、ハルばあさんの手から葉書をもぎ取っていきました。
「で、お前さんの上司は禿げそうなのかい?」
「…てっぺんが結構、やばいです」
 課長はトイレの鏡の前で、時々、不安そうに髪を撫で付けています。
 その貴重な髪がゾクゾクと抜け始めたら、さぞかし慌てふためくだろうと想像すると、史郎さんの気持ちは少し晴れました。
「それにしても、そんなに嫌いな奴の下で働いてると、今にかお前さんも禿げそうだね」
 史郎さんは、思わず自分の頭を撫で付けました。


【…続きます】

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長くなりました。まだ半分。
残りは明日、更新します。
そして写真は、その場しのぎで昨年の桜です。手抜きでごめんなさい。
本当はまだ、蕾の状態です。今年は少し遅そうです。
それにしても、咲きたてほやほやのソメイヨシノは、こんなにもピンクが濃いんですよね。


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by bowww | 2017-04-04 11:47 | 身辺雑記 | Comments(0)

磨いて待たう(清明)〜その2〜

 東からの風は、微かに花の匂いを含んでいます。
 薬屋のコウちゃんは幼稚園に通う男の子です。
「ハルばあさん、葉書をください」
「ほいほい。お金は持ってるかい?」
 ハルばあさんは、幼稚園児といえど容赦はありません。
「うん!あるよ!」
 コウちゃんは背伸びすると、握り締めていた百円玉を三枚、カウンターに並べました。
「お年玉取っておいたの」
「…これなら、三文字分だね」
 無邪気なコウちゃんの笑顔にも、ハルばあさんは負けません。
「うん、いいの。三文字だけ、書く」
 コウちゃんはオレンジ色の色鉛筆を選ぶと、ハルばあさんに訊ねます。
「『あ』と『そ』と『ぼ』って、どうやって書くの?」
「やれやれ、字も書けないのに来たのかい」
 ハルばあさんは仕方がなく、お手本で「アソボ」と書いてやりました。
「ほら、これを見て書きな」
 コウちゃんは鉛筆を握り締めて、一生懸命、書き写します。
「違う違う、それじゃ『リ』になっちまう。点はもっと左…そっちの点じゃなくて!」
 結局はハルばあさんがコウちゃんの右手に自分の手を添えて、やっとのことで書き上げました。
 郵便局の風見鶏が、パタパタと揺れています。
 東風は葉書を受け取ると、コウちゃんが通う幼稚園の方へピュッと去っていきました。
 ハルばあさんは、曲がった腰をとんとんと叩き「やれやれ」とため息をつきました。
 コウちゃんは満面の笑みです。
「お前さん、友達がいないのかね?」
 コウちゃんは途端にしゅんとしてしまいました。
 ハルばあさんは、「ふん」と鼻で笑いました。
「『アソボ』は届いてるんだから、あとはお前さん次第さね。友達に会ったら、おっきな声で『おはよ!』って言ってごらん。お腹に力が入れば怖いものなんかなくなるさ」
 コウちゃんの笑顔、復活です。
「ハルばあさん、ありがとう!ハルばあさんは、きっと良い魔女だね!」
 手を振るコウちゃんに、ハルばあさんは力なく手を振り返しました。

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 中学生の智己君は喧嘩したお母さん宛てに『ベントウ ウマカッタヨ』、八百屋の仁さんは行方不明になった猫宛てに『マッテルゾ スグカエレ』、小学1年生の大樹くんは泣かせてしまった大好きなリカちゃん宛てに『モウシナイヨ ゴメンネ』。
 それぞれ風に託して送りました。
 夕子さんが春風郵便局を訪れたのは、桜の蕾がだいぶ膨らんだ穏やかな日でした。
 ハルばあさんはちらりと夕子さんを見ました。
 菫色のカーディガンを羽織った夕子さんは、去年の春に比べてだいぶ痩せています。以前はお日さまのような笑顔が可愛らしい女性だったのです。
 夕子さんは去年の秋、結婚を約束した彼を見送りました。夏の初めに見つかった病気が、あっという間に彼を連れ去ってしまったのです。
「葉書を一枚」
 夕子さんは藍色の鉛筆を取り、葉書を前に暫く考え込みました。
 そしてゆっくりと、『アイタイ アイタイ アイ…』と書きました。
「…足りないわ」
 困ったように微笑む夕子さんを、ハルばあさんは黙って見つめました。
「…やれやれ。一文字百円ずつ、追加料金を頂くよ」
「ありがとう!」
 夕子さんはまた少し考えてから、『…シテル』と書き足しました。
「ほい、お預かり。追加三百円」
 ハルばあさんは葉書と小銭を受け取ると、夕子さんを連れて外に出ました。
 霞がかった空はどこまでも穏やかで、風はまったくありません。これでは葉書が飛び立てません。
 夕子さんは心配そうに、ハルばあさんの顔を覗き込みました。
「やれやれ、今日が今季最後だから、大サービスさね」
 ハルばあさんは空に向かって手招きしました。
 すると、空の高い場所で機嫌良く歌っていた一羽の雲雀が、「チチッピー」と返事をするように一声鳴いて、二人の元に舞い降りたのです。
「ご苦労だけどね、この葉書を届けておくれ」
 雲雀は両足で葉書を掴むと、再び高く高く、天上を目指しました。
 すぐに姿は見えなくなりましたが、囀りだけはいつまでも降るように聞こえてきました。

 翌朝、夕子さんが家のポストを覗くと、白い葉書がありました。
『ソバニイル ナカナイデ』
 恐る恐る手に取り、読み返します。
『ソバニイル ナカナイデ』
 葉書は次の瞬間、はらはらと零れ落ちました。
 夕子さんの手のひらには、桜の花びらが数枚、残されました。
「大サービスさね」
 ハルばあさんの声が聞こえた気がします。

 桜が咲けば、春風郵便局は今季の営業終了。
 来年の春まで、長いお休みに入ります。


  白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう  斎藤 史


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長い!長過ぎる!
明日、ちょっとだけ更新します。

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by bowww | 2017-04-04 03:31 | 作り話 | Comments(0)

清明その2

【前回からの続きです】


 雅樹さんを送り出した後で、テキパキと家事を片付けてから一息入れるのが、葉子さんの日課です。
 コーヒーの香りに包まれながら、頬杖をついた葉子さんは考えました。
 浮気かも知れない。
 あんなに上機嫌な夫を見たのは久しぶりです。僅かとはいえ、帰宅時間が遅くなったことも気になります。
 そして何より、あの花の香り。
 上等な香水かも知れないと、念入りに嗅ぎ分けようとした途端に、するりと溶け去ってしまうのです。
「…買い物のついでに…」
 ついでのフリをして、市役所に回ってみようと思いつきました。
 手元のコーヒーは、すっかり冷めていました。

 市役所の庁舎で葉子さんは、「緑地・公園課」の窓口は四階にあることを案内板で確認しました。
 エレベーターに乗ろうとして、足が止まりました。
 もし雅樹さんが窓口近くにいれば、葉子さんにすぐ気がつくでしょう。見つかったら、何と言い訳すればいいのか。
 立ち止まった葉子さんを見て、胸に「ご案内係」と札をつけた女性職員が近寄ってきました。
「どんなご用件でしょうか?転入届などでしたら、住民課にご案内しますが」
「…いえ、違うんです、あの…そのね。……お手洗いはどちらでしょう?」
 案内係はにっこり笑うと、「こちらになります」と近くのトイレまで付き添ってくれました。
 最近の市役所は本当に親切になったものだと感心しつつ、葉子さんはトイレの鏡の中の自分を見て、ほっとため息をつきました。
「…馬鹿らしい」
 葉子さんはジャブジャブと手を洗って、このまま家に帰るつもりでトイレを出ました。
 玄関の方を見ると、雅樹さんが居ました。若い男性職員と話しながらこちらに歩いて来ます。
 葉子さんは慌てて柱の陰に隠れました。
 二人は葉子さんに気づかないまま近づいて来ます。
「…課長のおかげです、助かりました」
「いやいや、こちらこそ助かったよ、ありがとう」
「今度、一杯ご馳走させてくださいよ」
「俺、飲めないからね。うまい昼飯の方がいいなぁ」
 二人は笑いながら、葉子さんの前を通り過ぎました。
 葉子さんは二人の背中を見送ってから、市役所を後にしました。
 雅樹さんはやっぱり、ちゃんと働いています。仕事のふりをして何処かの女性と会っているわけではないようです。
「ほんと、馬鹿みたい」
 葉子さんは自分に腹が立って仕方がありません。
「…あの人、ちゃんと若い人に冗談も言えるのね」
 雅樹さんは家で見るよりも若々しかったと、ふと思いました。

 もう疑うのは止めようと思った葉子さんですが、一人で夕飯の用意をしていると、またソワソワし始めました。
 今夜もあの香りがまとわりついてくるのだろうか。
 そう思うだけで落ち着かなくなりました。
 時計を見ると、五時過ぎです。
「…そうだ、卵。タイムセールだったわ」
 財布と買い物袋をつかみ、適当なコートを羽織ると、葉子さんはスーパーに向かいました。
 簡単な買い物を済ませて、雅樹さんが乗り降りするバス停留所に行ってみました。
 ちょうどバスが到着して、数人が降りてきました。
 見慣れた雅樹さんの姿を見つけると、葉子さんはそっと後をつけました。
 大股で歩く雅樹さんの背中を見ながら、何処で声を掛けようかと葉子さんが迷っているうちに、不意に雅樹さんの姿が脇に逸れました。
 辺りは黄昏時、街灯が灯り始めた頃です。
 葉子さんはびっくりして、足を速めました。

 公園と呼ぶにはあまりに狭い、道路と水路と住宅に挟まれて取り残された三角形の空き地に、雅樹さんは居ました。
 空き地には、一本の大きな枝垂れ桜がありました。
 八分咲きほどの枝を思うままに広げ、小さな空き地に花の天蓋を作っています。
 宵闇が濃くなる中、そこだけはぼんやり発光しているかのように明るいのです。
 雅樹さんは桜の根元に置かれたベンチに腰掛け、花天井を嬉しそうに見上げていました。
 無数の花枝がカーテンのように雅樹さんを包み込み、風もないのにゆらんゆらんと揺れています。
 一本の枝が、しなやかに雅樹さんの背中を撫でました。
「…あなた!」
 葉子さんは思わず叫びました。
 雅樹さんは飛び跳ねるように立ち上がりました。
「…びっくりした!どうしたんだ、こんな所で?」
「…卵。タイムセールだったから…」
 葉子さんは上の空で、買い物袋をかざして見せました。
 雅樹さんは空き地から出て来て、誇らしげに桜を指差しました。
「見事だろ?樹齢百年にはなるらしいんだ。
 去年、邪魔だという苦情が市役所に寄せられてさ、調べに来てみたらこんな立派な桜だろ?
 切ってしまうのはあまりに惜しいと思って、地域の皆さんに頼み込んで残したんだ。
 少しでも見栄えのいい場所にしようと、仕事のついでに雑草を刈ったり、花壇を作ったりしているうちに愛着湧いちゃってさ」
 よく見れば、小さな花壇にムスカリやヒヤシンス、スイセンも咲いているようです。
 枝垂れ桜は身じろぎもしません。
「樹木医さんに診てもらったせいか、今年は一段と花の付きがいいんだよ」
 樹木医のせいではないと思う。
「…本当に見事。
 …そうだ、今度の週末、ここでお花見でもしましょうか?私、久しぶりにお花見弁当を作るわよ。子供たちにも声掛けてみるわ」
 葉子さんは雅樹さんを見上げながら、その後ろに控える桜に向かって言いました。
「それはいいな。少しでも賑やかにすれば、ご近所の人たちも足を運びやすくなるもんな」
 無邪気な雅樹さんの答えを聞くと、桜はざわりと枝を揺らしました。
「週末辺りが満開だろうな」
「お天気だといいわね。…さ、帰りましょうよ」
 桜に背中を向けると、葉子さんは雅樹さんのコートの袖をちょんと引っ張りました。
 そして胸の中で、(雨が降るといいな)と呟きました。
 雨で冷えれば、香りも少しは落ち着くでしょう。




清明=4月5日〜4月19日頃
初候・玄鳥至(つばめきたる)次候・鴻雁北(こうがんかえる)末候・虹始見(にじはじめてあらわる)



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「清明」という文字や響きには、もう初夏の気配が紛れ込んでいるような気がします。
花の季節から新緑の季節へ移り変わる頃。
良い季節ですね。

今年の桜はせっかちです。
暖かかったせいか、あっという間に咲いてしまいました。
大慌てで近間の桜名所(自分だけの名所も含む)を巡っています。
でも、パトロールの結果、街の桜以外はまだまだ三分咲きから四分咲き。木曜日の雨風にも耐えられそうです。
週末は魂が抜け出る程、桜に耽溺しようと企んでいます。
写真は、枝垂れではありませんが、何年も前に撮った桜。
朝も夕も夜も、桜が好きです。
今年も良い桜に会えますように。

田舎なので、見事な枝垂れ桜ポイントも幾つか知っています。
ただ、見事な桜は墓守り桜やお堂守り桜であることが多いのです。
流れ落ちる花の滝は、それはそれは美しいのですが、なんとなく写真を撮るのは憚られます。
ずかずかと土足で立ち入ってはいけない場所ってあるんじゃないかな、と思います。


次回は4月20日「穀雨」に更新します。

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by bowww | 2016-04-06 09:53 | 作り話 | Comments(0)

清明その1

 葉子さんが、夕飯の準備の手を止めて時計を見上げたちょうどその時、夫の雅樹さんが帰ってきました。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 迎えた葉子さんは、(あれ?)と思いました。
 雅樹さんの頬が、上気したようにほんのり赤いのです。
「あなた、どこかで飲んできた?」
 雅樹さんは、きょとんと葉子さんを見返しました。
「そんなわけないさ、まっすぐ帰ってきたよ」
 確かにまだ六時半を回ったばかりです。定時に仕事を終えても、お酒を飲んでくる時間はないでしょう。
「今夜はだいぶ暖かいよ。歩いていると暑いぐらいだ」
 雅樹さんは上機嫌でコートを脱ぎました。
 葉子さんは、(陽気にのぼせたのかも知れないわね)と思いながら、コートを受け取りました。
 ふわり。
 何か良い香りがしました。
 花の香りです。
 梅?沈丁花?ヒヤシンス?薔薇にはまだ早いし…。
 今年の春は例年よりも早く暖かくなったせいか、花々が一斉に咲き始めました。
 生ぬるい風は、いつも花の香りを孕んでいるようです。
 その風が、雅樹さんにまとわりついてきたのかも知れません。
(香水ではなさそうね)
 葉子さんはわざと、女性の姿を思い浮かべてみました。そしてすぐに打ち消しました。
「何をニヤニヤしてるんだ?飯、まだなのか?」
「ごめんなさい、もう出来るわ」
 葉子さんは鍋を火に掛けながら、「あり得ない、あり得ない」と呟きました。
 
 市役所に勤めている雅樹さんは、あと五年で定年です。
 かなり忙しい時期もありましたが、「緑地・公園課」に異動してからは、ほとんど定時に帰宅するようになりました。
 五十歳を過ぎてから「健康のために」と、バス停一つ分、歩くようにしています。
 「これ」と決めると、こつこつ続けるのが雅樹さんの癖で、雨の日も風の日も、最寄りより一つ先のバス停まで歩きます。
 初めは半ば呆れながら見守っていた葉子さんですが、健康診断の数値が正常になったと聞くと、「継続は力なり、なのね」と思わず感心してしまいました。
 二人はお見合い結婚です。二人の息子に恵まれ、長男は社会人、次男は大学生です。 
 葉子さんは親しい友達に、
「公務員でしょ?遊び癖もないし、真面目に働くし…。将来安泰だなと思って結婚したの。
 気がつけば三十年。
 本当に真面目が取り柄。面白みなんてないわよぉ。
 でも、結婚なんてそんなものよね」
 と笑って話します。
 息子たちが家を離れ、夫婦二人だけになった食卓は特に会話もありません。
 中高年の夫婦なんてそんなものだろうと、葉子さんは思っていました。

 雅樹さんは、今日も上機嫌で帰宅しました。
 花の香り。
 そういえば最近、少しだけ帰宅時間が遅くなりました。
 とはいえ、夕飯には十分間に合う時間なのですが。
 花の香り。
 気にし始めると気になります。
 でも、どこかの女性と「逢い引き」するような時間はないはずです。
 花の香り。
 意識し始めると、日毎に濃く甘くなっていくようなのです。
 雅樹さんの後を追うように香る気がして仕方がありません。
「俺、そんなに臭いか?」
 雅樹さんは情けなさそうに言いました。
 葉子さんが、すごい勢いで雅樹さんのコートやスーツに消臭剤をスプレーするせいです。
 葉子さんは上手く説明できないことに苛立って、消臭剤のボトルをソファに投げ出しました。



【…続きます】


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またまた取り急ぎ。
早くも桜が咲き始めて、心がザワザワソワソワしています。


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by bowww | 2016-04-04 02:34 | 作り話 | Comments(0)

第十五候 虹始見

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 聞こえている、分かっている。
 目が開かないだけ、手が足が指が動かないだけ。
 もう痛みも感じない。心臓も肺も、そろそろお役御免とばかりに静まっている。
 喉が渇いたな。
 泣かなくていいよ、ばあさん。
 できることなら、少しの間、二人だけになれないか。
 孫たちがうるさくてかなわんよ。

 自分の家で死ぬのが理想だったが、なぁに、病院も悪くない。
 シーツはいつも乾いて清潔だし、看護師たちも皆優しかった。
 贅沢言っちゃいけないな。
 でもなぁ。
 やっぱり、ばあさんの料理が恋しかったよ。

 あっという間だったよな。
 出会って結婚して子供を育てて。
 あれは出会ったばかりの頃だったかな。
 いや、新婚の頃か。
 初めて喧嘩して、ばあさんを泣かせてさ。
 でも謝るきっかけがなくてさ。
 決まりが悪くて庭に出て煙草を吸ってたら、雨上がりだったんだな、大きな虹が出て。
 思わず「おい、虹だよ」と呼ぼうとしたら、先にお前が「虹!虹!」とはしゃいだ声を上げたっけ。
 見上げると、二階の窓から大きく身を乗り出してた。
 子供みたいだと笑うと、ぷっと膨れた。
 
 このところ、ずっとそんな些細なことばかり思い出してるよ。
 泡(あぶく)みたいに、プクプクプクプク浮いてくる。
 取るに足らないことばかり、でもまぁ、おおむね楽しかった。
 ばあさんはどうだった?
 なんと言っても、ばあさん、お前さんはきれいだったよ。
 今じゃもう、お互いにしわくちゃになっちまったけどな。
 きれいだった。
 若いときにもっと、そう言ってやれば良かったな。

 先に行って待ってるから、ゆっくりおいで。
 喉が渇いたな。
 …おや、分かったのかい?
 …ああ、甘露、甘露。

「ばあさん、ありがとうな」
 


〜虹始見(にじ はじめて あらわる)〜




私のじいさまの命日は四月十四日です。
花冷えの年で、桜が長く咲いていたことを覚えています。
作り話のおじいさんと違って、奥さんにはずっと前に先立たれました。
でも、残っている者たちへ「ありがとう」と言い置いていってくれたのは、このおじいさんと同じです。
私も、最期には感謝の言葉を残せるといいなぁと思います。

春、空気が潤み、虹が現れやすくなる頃ということですが、実際のところはひどく乾燥しております。。
写真の虹は、先日の雨上がりに。
最近の気象はどうも荒々しくて、朝から雨風だったのに時々、強い日射しが射し込むというお天気でした。
海の旬は、トビウオ(西日本では、これで「アゴ出汁」にするのですよね?実は味わったことがないのです)、桜えび(かき揚げ大好き)などなど。
山の旬は、コゴミ、三つ葉などなど。

次回は4月20日、「葭始生」に更新予定です。
その前に、もしかしたら番外編があるかもです。


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by bowww | 2014-04-15 08:45 | 七十二候 | Comments(0)

第十四候 鴻雁北

 遅霜で、咲きかけた白木蓮が全滅した。
 練り絹のように柔らかな花弁が、春の日射しで綻びかけていたのに、一夜にして茶色くなってしまった。
 庭師は大きな木を仰ぎ見て溜め息をつく。
 お屋敷の奥さまが殊の外、大切にしている木なのだ。
「ここでは滅多に綺麗に咲けないのね」と、いつか呟いたことがあった。
 奥さまの生まれ故郷は南の方だという。そこではきっと、白木蓮がゆったりと花開くのだろう。
 あの時の奥さまの悲しそうな笑顔を思い出すと、庭師の胸がぎゅっと苦しくなる。

 親方に連れられて初めてお屋敷に行ったのは、庭師が二十歳の春先だった。
 親方が刈り落とした枝を束ねたり、雑草をむしったりしていると、庭に出て来た奥さまに声を掛けられた。
 こんなに綺麗な人がいるのかと、庭師は素直に感動した。
 奥さまは、柳色の紬に桜色の帯を締めていた。銀の帯留めは燕。挨拶と自己紹介をした程度の短い時間だったのに、半襟の白さまでくっきりと覚えている。
 あれから十五年、庭師はずっと奥さまに憧れていた。
 旦那さまはほとんどお屋敷には来なかった。若い愛人と暮らしていたが、五年ほど前に事業に失敗して失踪した。
 庭師はお屋敷に行く度に、深い森のように静かだと思った。
 寂しく暮らす奥さまに同情し、想いを募らせた。
 もちろん身分が違い過ぎる。
 せめてもと、奥さまが好きだという花や木を植えて、丹誠込めて世話をした。

 庭師は故郷に帰ることになった。
 三十歳を越えた頃から、「早く身を固めろ」と周囲がうるさくなっていた。とうとう年老いた母の「孫の顔を見せてくれ」という泣き落としに負けた。
 もう独り立ちする時期だからと、親方からも背中を押された。
 奥さまへの想いを断ち切るいい機会だと、庭師も思った。
 お屋敷での仕事を片付けて別れの挨拶をすると、奥さまは悲しそうに笑った。
「そう、お前も行ってしまうのね」
 最後だからと庭師を引き止め、奥さま自らがお茶を運んできて長年の労をねぎらってくれた。
「もうすぐ牡丹が咲くわ。次の庭師も、お前みたいに上手に咲かせてくれるかしら」
 奥さまは庭の花々を次々と数え上げた。
 梅に沈丁花に枝垂れ桜。牡丹が終われば若葉が綺麗。一重の白い薔薇が庭の風景に馴染んで嬉しい…。
 庭師はそれだけで嬉しかった。嬉し過ぎて、湯のみを持つ手が震えている。震えを隠そうと慌てて飲み干す。
 と同時に、湯のみは滑り落ちて、庭師の足元で砕け散った。
 欠片を拾おうとかがみ込んだ庭師は、そのまま前のめりに倒れた。
「みんな、私を置いて行ってしまおうとするの。お前は白木蓮の下がいいわね」
 奥さまは、庭師の開いたままの目を優しく閉じてやる。



〜鴻雁北(がん きたへ かえる/こうがん かえる)〜




桜が咲きました。
毎年、自分だけの「標準木」を決めて、自分だけの「開花宣言」をするのですが。
今年、浮き浮きとその木に会いに行ったら、切り倒された後でした。
樹齢が六十年ほどになる古いソメイヨシノですから、仕方がないと言えば仕方がないのです。
でも。。。
花の季節にしか会いに行かない薄情者なのだから、今更嘆いてもいけないよなぁ…という気持ちもあって、泣きべそをかきました。
ちょっと寂しい春です。

鴻雁=雁(かり)が、北へ帰る頃ということですが、私には雁が分かりません。
白鳥が来る土地なので、白鳥の北帰行は風物詩です。白鳥たちは冬の終わりの頃に飛び立ちます。真っ青な空に隊列を組んで飛んで行く姿は、やはり綺麗。
海の旬は鰹(たたき大好き)。ホタルイカ。
山の旬は春キャベツ。山椒。

少し変わった植物の展示会を覗いてきました。
名前が…カタカナばかりで覚えられないけれど、面白い形の多肉植物が並んでいました。
それにしてもサボテンの花って、無意味に可愛いですよね。
私はいつも、「ヒゲ面マッチョが花をくわえている図」を想像してしまうのです。

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次回は4月15日「虹始見」に更新します。





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by bowww | 2014-04-10 09:05 | 七十二候 | Comments(2)

第十三候 玄鳥至

 祖母の葬式で、喪主の伯父はオンオンと泣いた。
 初めのうちは貰い泣きしていた列席者も、帰る頃には苦笑いだった。
 祖母の骨と一緒に祖母の家に戻ると、玄関の軒先からツバメがひょいっと飛び立った。
「ばあちゃん逝っちまったに、お前たちは今年も来ただか」
 伯父が再び、オンオンと泣き始めた。
「放っておこう」
 従兄弟たちとさっさと家に入り、片付けを始めた。
 伯父はそういう人なのだ。

 伯父は定年退職して間もなく離婚した。
 奥さんに愛想を尽かされたらしい。
 従兄弟の二人はとっくに独立してそれぞれに家庭を持っていたし、「まぁ、親父とおふくろが、仲良く落ち着いて老後を過ごせるとは思えなかったからな」とサバサバしたものだった。
 伯父は真面目で人が好い。だから損をする人間の典型だった。
 都心の会社でこつこつと働き、郊外に家を建て、子供二人をちゃんと育て上げた。それだけで大したものなのだと思えるのは、自分も働くようになってからだ。そして、「ああ、伯父は出世できない人なんだ」ということも、なんとなく分かってしまった。
 自分のことはいつも後回しで、せっかくのチャンスが巡ってきても他人に譲ってしまう。ちょっとした「ずる」が苦手で、かといって糾弾する度胸もない。
 つまりは要領が悪いのだ。
 家事も趣味も、万事につけてきぱきとこなす伯母とは正反対だった。
 子供たちが大きくなってからパートタイマーで働き始めた伯母は、めきめきと実力をつけてやがて正社員になった。端で見ていても、みるみる若返っていった。
 伯母に離婚を言い渡された伯父はどこかで覚悟をしていたようで、揉めることもなく家を相手に譲り、自分はさっさと田舎に引っ込んだ。
 まだ元気だった祖母は、急に戻ってきた還暦過ぎた息子に、露骨に迷惑そうな顔をした。
 私が会いに行くと、二人はしょっちゅう口喧嘩をしていた。
 漫才のようなやり取りを見ていると、こういう第二の人生も楽しいんじゃないかと思えた。

 祖母の認知症がだいぶ進み、ほとんど寝たきりになると、伯父はホームヘルパーの助けを借りながら自宅で介護を続けた。
 ある日、見舞いに行くとちょうど祖母の食事の時間だった。
 夢うつつのようにご飯を口に運んでいた祖母が、急に「苦い!」と顔をしかめた。
「お前の作る蕗味噌は、どうしてこんなに苦いだね。アクを抜かなんだずろ?」
 そして伯父に、蕗味噌の作り方を滔々とレクチャーした。
「おばあちゃん、まともじゃない?」と伯父にこっそり言うと
「まぁず食い意地は張ってるもんで、食べてるときはまともだだよ」と眉毛を下げた。嬉しそうな情けなさそうな笑顔だ。
 伯父の言葉は、いつの間にかすっかり方言に戻っていた。

 祖母を見送って一年後、今度は伯父が亡くなった。
 祖母を亡くしてがっくり老け込んではいないかと心配になって何度か訪れたが、案外けろりとしていた。
 畑作りやら山菜採りやらを楽しみ、「ずっとやってみたかったんだ」と大きなカメラを担いであちこち出掛けた。
 亡くなった日は、春休みの長男家族が遊びに来ていたという。
 孫にさんざんカメラを向けて嫌がられながらも、上機嫌だったそうだ。
 そして翌日には布団の中で亡くなっていた。
「出来過ぎな最期だったかもね」
 葬式に参列した別れた奥さんが、ぽつんと呟いた。
「畑で採れたから、と不格好なニンジンやジャガイモを送ってきたのよ。今年の夏はスイカを作るなんて張り切ってたの」
 そう言って、ちょっと鼻を啜った。

 二人が居なくなった家はきれいに片付いて(伯母が陣頭指揮を執った)、清々しいほどだった。
 軒下の巣に、ツバメは居ない。去年の巣が乾いた泥の塊になってこびりついている。
 人が住まない家に、ツバメは巣を作らないという。ちゃんと分かっているのだと感心した。
 帰り道、ツバメがついっと目の前を過ぎった。
「良かったらうちにおいで」
 声を掛けたせいだろうか。
 二、三日して、我が家の軒先にツバメが二羽、出たり入ったりし始めた。
「玄関先が汚れるからなぁ…」と難色を示す夫を、「毎朝、ちゃんと掃除するから」と説き伏せたのは、幼稚園に入ったばかりの息子だ。
 暇さえあれば、巣作りの様子を飽かず眺めている。
 巣立つまで、ツバメ一家にとってはちょっと迷惑な番人ができたようだ。



~玄鳥至(つばめ きたる)~




二十四節気では今日から「清明」。「清浄明潔」を訳した言葉だそうです。
文字からみても清々しさが伝わってきますよね。花は咲き誇り、緑は日々濃くなり、風は爽やか。
ツバメはもうすぐやってきます。
入学式のシーズン、ちびっ子たちを見ると可愛らしさに思わず笑っちゃいます。
私の住む辺りでは、桜のつぼみが脹らんで紅くなってきました。
でも、この週末は冬並みの寒さが戻るそうです。
木蓮や辛夷が綺麗に咲く頃、必ず寒くなるのです。せっかくの柔らかな白い花弁が、一夜にしてあばた面に。。
酷いなぁ。。
海の旬はサザエなど。
山の旬はワラビ、行者ニンニクなど。山菜の季節ですね。ほかに新ジャガも美味しいですよね。


作り話に登場する伯父さんのモデルは、身内のあの人この人その人…の集合体。
つくづく考えてみると、私の周りにはお人好しな人ばかりでした。
私にもどうやら、同じような血が流れているようです。
でも、時々、「損してるかも。。報われないかも。。」と落ち込んでしまう時点で、まだまだ邪心があるのでしょうね。
自分の厄介な感情を、のらりくらりとやり過ごしていけたらなぁと思います。
…と思いながら見た雨上がりの晴れ間=写真。


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次回は4月10日、「鴻雁北」に更新します。


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by bowww | 2014-04-05 08:19 | 七十二候 | Comments(0)