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ねびまさりけり(春分)

 高校に入って一年、樹(たつき)が平井君也と話したのは二、三度しかない。
 それでも、ほかの同級生に比べれば多い方らしい。大半は挨拶を交わす程度だという。
「そんなわけで中川、プリント類を自宅に届けてやってくれ」
 三学期の終業式の後、樹は担任の先生に紙の束を渡された。
 学級委員として、ついでに平井の様子を見てきてほしいと注文もついた。
「俺、そんな親しいわけじゃないんですから」 
 平井は不登校でも引きこもりでもない。休みがちとはいえ、成績は申し分ない。
 樹が見ている限り、いじめられている様子もない。
「教師より、同級生の気軽な声掛けの方がいいんだよ。気持ちが萎えたまま長い休みに入ると、そのまま学校に出てこられなくなる生徒って結構いるんだ。
 中川だって同級生のことは気になるだろ?」
 平井の家は近くまで行けばすぐに分かると、担任は地図を書き示しながら言葉を継いだ。
「ほい、電車賃とお駄賃」
 小銭とコロッケパンを渡されて、樹は渋々と頷いた。

 毎日乗り降りする駅を通り越して、四つ目の駅で降りる。
 樹の家や高校がある街よりも、山が近く空が狭い。
 手書きの地図に従って駅の西口に出て少し歩く。
 郵便局の角を左に曲がれば、「黒い板塀」が見えるはずだ。
 分からなければ、この郵便局で訊ねてみようと思いながら、樹は角を曲がった。
 右手に、確かに墨色の板塀がある。それが延々と続いている。
(まさか、あの一角全部が平井の家?)
 樹は半信半疑で塀に沿って歩き、入り口を探す。
 もう一度角を曲がったところで、ようやく「平井」の表札を見つけた。
 もちろん門はぴちりと閉まって、中の様子は分からない。
 樹は怖々とインターフォンのボタンを押した。
「はい、どちら様でしょうか」
 女の人のきれいな声がした。
「あの、君也さんの同級生の中川といいます。届け物があって…」
 緊張で声が裏返る。
「ああ、君也のお友達!すぐに開けますね。そのまま玄関までいらしてくださいな」
 門扉がギギッと軋んで内側に開いた。

 門から玄関まで、どれぐらいあるのだろう。
 大きく枝を広げた松の下をくぐり、しっとりと濡れた飛び石を踏む。
 花の香りに誘われて目を上げて、樹は首を傾げた。
 玄関へと続く小道の左側には、京都の寺のような日本庭園が広がっている。
 ところが右手の奥には、今は枝だけの薔薇のアーチが見え、ヒヤシンスやクロッカスが花畑を作っている。
 どちらも丁寧に手入れがされているものの、和洋折衷というにはあまりにもバラバラだ。
 そして、どこかに沈丁花の大木もあるらしい。
 甘い香りは歩くにつれていよいよ濃くなり、噎せ返りそうになった樹は思わず目を閉じた。
 どん!
 肩に何か、誰かがぶつかった。
「ごめんなさい!」
 咄嗟に謝って目を開ける。
 女の人が立っていた。
 薄紫の着物に銀糸の刺繍。銀鼠の帯に茄子紺色の帯締め。帯留め代わりのアメジストのブローチ。
 黒い髪を艶やかに結い上げて、驚くほど赤い口紅がよく似合う。
 樹は言葉をなくして女の人を見つめた。
 平井のお母さんだろうか。
「中川さん?」
 向こうから、樹を呼ぶ声がした。
 女の人はにっこり笑って会釈すると、樹とすれ違った。
 濃い花の香りも通り過ぎる。

 玄関先で待っていたのが平井のお母さんだった。
 樹はプリント類だけ渡して帰ろうとしたが、「せめてお茶でも」と引き止められた。
 通された座敷には、豪華な雛壇が二組、飾られていた。
 君也と差し向かいに座った樹は落ち着かないまま、出されたお茶を飲み干した。
 普段から付き合いがないのだから、話などすぐに途絶えてしまう。
 君也は話が尽きても、穏やかにニコニコ笑っている。
 夕暮れにはまだ間があるはずなのに、日が陰ってきたせいか広い座敷は仄暗い。
 お母さんがやってきて、「お雛様も見てやってくださいね」と雪洞に灯を灯した。
 途端に人形たちに生気が宿ったような気がして、樹はますます居心地が悪くなる。
「…見事なお雛様だよね、平井はお姉さんか妹さんがいるんだっけ?」
「ううん。僕は一人っ子なんだ。これは母と祖母のもの」
 言われてみれば、それぞれ相応に古びている。
「お姉さん、いないの?」
 樹は先ほど庭ですれ違った女の人を思い浮かべ、重ねて訊ねた。
「うん。父は滅多に家にいないから、母と祖母と僕の三人だけ。
 普段から『男一人』で分が悪いんだけど、雛人形が出ている間は完全に孤立無援。囲まれて、なんだか息苦しいぐらいだよ」
 君也は笑顔のまま答えた。
 樹は、君也の後ろに控える男雛の面差しが、君也とよく似ていることに気がついた。

 玄関の戸が開く音がした。
「ただいま」
「あ、おばあちゃんが帰ってきた」
 微かな衣擦れの音と足音が、座敷に近づいて来る。
「おばあちゃん、こちら僕の同級生の中川樹君」
 樹は挨拶しようと頭を下げたが、喉がひりついて声が出ない。
 視界の隅に、真っ白い足袋と薄紫の着物の裾が見える。
 声が出ない。
「あら、さきほどは…」
 沈丁花の香りが、樹を包んだ。


  綿とりてねびまさりけり雛の顔  宝井其角
  春の闇幼きおそれふと復(かへ)る  中村草田男
  沈丁花その存在を闇に置く  稲畑汀子

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都心ではそろそろ桜が開花するかどうかというタイミングですから、お雛様の話題はちょっと時期外れかも知れませんね。
私の住む辺りは月遅れの雛祭りですので、ご勘弁ください。
我が家のお雛様、「お前さん、まだ居たのかい?」と呆れ顔です。
毎年毎年ご期待に添えず申し訳ない…と思いながら、お詫びにチューリップを飾りました。
 
穏やかな暖かな三連休になりましたね。
空は春霞、山々のシルエットが淡く溶けてしまいそうです。
ところが明日は雪の予報。
冬はまだまだ、グズグズ駄々をこねる気のようです。
 

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by bowww | 2017-03-20 11:04 | 身辺雑記 | Comments(2)

春分その2

【前回からの続きです…】


 声を掛けようか迷っているうちに、彼女の姿を見失った。
 こんな時間に、いい年をした男が焼き鳥とビールぶら下げている図は、あまり格好いいものじゃないし…。
「格好つけるトシでも立場でもないよな」
 自分の苦笑いが、懐かしさをざらりと引っ掻いた。

「先輩?…加治先輩じゃないですか!」
 翌日、会社近くのコンビニでいきなり声を掛けられた。
「あれ?大岡?」
 人懐こい丸顔は中学生の頃のままだ。サッカー部の仲間の名前と顔は一瞬で思い出せる。
「うっわぁ!やっぱ先輩だ!お久しぶりです、いつ戻ったんですか?」
 一つ下の大岡は、試合ではあまり活躍しなかったもののチームのムードメーカーで、面倒見が良く人望もあった。
 つなぎの作業着の胸に「大岡工務店」と刺繍されている。そういえば大岡の親父さんは、評判のいい大工さんだった。
「年明けてすぐ。支社がこっちにできてさ。
大岡は家継いだんだな」
「継いだは継いだんですけど、まだまだ親父が達者なもんだから、俺は使いっ走り社長ですよ」
「偉いよな、俺なんて島流しみたいなもんだぜ」
「なに仕出かしたんですか、先輩」
 大岡は日に焼けた顔をクシャクシャにして笑って言った。
「んじゃ、ここから一発逆転狙うわけですね」
「無茶言うなよ。俺なんてもうおっさんなんだから」
 店を出て、灰皿があるコーナーに移動した。
 大岡はポケットから煙草を取り出し、うまそうに一服吸った。
「見てください、この腹。俺の方が先輩よりもおっさんおっさんしてますよ」
 見事に丸い腹をぽんぽん叩くと、大岡はふと真顔に戻った。
「俺、何か迷ったら『加治先輩ならどうするだろう』って考えるんです。
 先輩はサッカーうまいし、モテるし、頭も良いし、俺らの憧れだったんですよ。
 でも俺、一番すげぇなって思ったのは、先輩が怪我した後です。
 ちゃんと誰よりも早く来て、一人で筋トレとか済ませて、皆の練習の世話してて…。
 すげぇなぁ、て」
 何と答えればいいのか戸惑っているうちに、大岡は
「…なぁんて話を、今度飲みながらしましょうよ。
 あいつらにも声掛けますから連絡先教えてください」
 照れ隠しのように煙草をもみ消すと、携帯電話を取り出した。


 朝早い人気(ひとけ)が少ない学校が好きだった。
 サッカー部の部室で着替えていると、いつもクラリネットの音が聞こえてきた。
 部室の真上が音楽室だったから、吹奏楽部の練習はよく聞こえた。
 俺と同じように、一人で朝練をするのが好きな奴がいるんだなと思っていた。
 初めのうちは調子っ外れな音は出るし、つっかえつっかえだし、素人でもヘタクソなのが分かった。
 それが毎朝毎朝繰り返され、徐々に滑らかな旋律になり、生き生きとした音楽になっていく。
 誰が吹いているのだろう。
 ある朝、そっと音楽室を覗いてみた。
 小柄な女子が一人、窓に向かってクラリネットを吹いている。
 うちのクラスの学級委員だ。
 曲が途切れたところで声を掛けようかと思ったが、楽譜を覗き込む横顔があまりに真剣だったから黙ってその場を離れた。
 試合中に怪我をしたのは、そのすぐ後だった。
 キャプテンになったばかりの俺は、調子に乗ったのか張り切り過ぎたのか、しつこいディフェンスにカッとなって無理にゴール前へ抜けようとした。そこで相手の選手と激しく接触して転んだらしい。気がつけば膝が動かず、痛みでただただ呻いていた。
 靭帯を傷めて全治四ヶ月。
 キャプテンになったのに、何をやっているのかと自分に腹が立った。
 夏の大会までに回復できるのか、気ばかり焦った。
 
 うちの中学校の吹奏楽部はなかなかレベルが高く、コンクールでも活躍していた。部員も多い。
「千春、今度の地区予選には出られるんでしょ?」
 松葉杖を突いて出歩くのも嫌だったから、昼休みは教室で昼寝(のフリ)をしていた。
 机に突っ伏したまま、女子たちのお喋りを聞くともなく聞いていた。
「…ううん、補欠」
「マジ?あんなに練習してるのに?今度のコンクールが最後のチャンスでしょ?」
「今年の一年生、うまい子いっぱいいるんだもん。仕方がないよ」
 ため息混じりの笑い声が耳に残った。

(もう朝練の必要もないだろうな)
 俺も彼女も。
 そう思いながらも朝早くに部室に足を運び、そうはいってもすることもなく、ぼんやりと椅子に座り込んだ。
 いつものクラリネットの音色が聞こえてくる。何度も聞いているから覚えてしまって、鼻歌で同じメロディーを辿る。
 いつもは失敗する場所も、今朝は音がひっくり返ることもなく心地好く流れていく。
 上達したよな。
「……あれ?」 
 彼女、コンクールに出られないのに?今朝も練習?
 音楽室の小さな後ろ姿を思い浮かべた。
 俺はゆっくり立ち上がって深呼吸する。
 そう、まだまだやれることは沢山ある。


 仕事帰り、いつものスーパーに寄る。
 夕飯の支度を急ぐ女性たちで混雑している。
 真奈美もこうやって買い物をしていたのだろうかとふと思う。
 俺は真奈美の日常をほとんど知らない。いや、知ろうとしていなかっただけだ。
 まず話そう。
 結果はどうであれ、とにかくとことん話をしよう。
 仕事も空回りだろうがなんだろうが、やるべきことはまだ沢山ある。
 そして、大岡たちとバカみたいに飲もう。
 そう決めると、気持ちが軽くなった。
 たまにはサラダでも作ろうと野菜売り場に向かう。
 果物コーナーで、あの後ろ姿を見つけた。
 イチゴを前に首を傾げている。
「…中嶋さん?」
 考えるより先に、声が出ていた。



春分=3月20日〜4月4日頃
初候・雀始巣(すずめはじめてすくう)次候・桜始開(さくらはじめてひらく)末候・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)
 

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汗ばむほどの陽気になったかと思えば、ホタホタと雪が降ったり北風が吹き荒れたり。
春と冬の間を行きつ戻りつしながら、時間は進んでいきます。
今年は桜の開花が早いようですね。
蕾がプゥッと膨らんできました。
桜狂ひの季節が始まります。
ソワソワする!


次回は4月5日「清明」に更新します。


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by bowww | 2016-03-21 21:37 | 作り話 | Comments(0)

春分その1

「加治君、ちょっと昼飯付き合わないか?」
 島村部長に声を掛けられたときから、どんな話になるかは見当がついていた。
 彼とプライベートな付き合いなど一切ない。むしろ避けられ続けている。
 部長がよく使うという蕎麦屋に入ると、慣れた風な中年の女性店員が出て来て、半分個室の席に案内された。
「ここ美味いんだよ。天ざるでいいだろ?」
「いえ、私は蕎麦だけで」
「遠慮するなよ、今なら小柱のかき揚げや菜の花や…」
「申し訳ないです、夕べからこっぴどく腹壊してまして。天ぷらなんて食べたら、トイレに駆け込んだまま、仕事にならないかもしれません」
 愛想笑いを浮かべた先ほどの店員が注文を取りに来る。
 部長は眉を寄せたまま、「いつもの」と答える。
 俺は「あったかいのください。そうだなぁ、たぬき蕎麦…なんてないか、鴨南蛮じゃ油っけが強いし、かけ蕎麦ってあります?…あははは、ないですよね。じゃ、卵でも乗せてください。葱たっぷりで」と、適当な返事をする。
 置かれた厚手のおしぼりが温かい。
 手をゴシゴシ拭いて、ついでに顔も拭いてやろうかと思ったが、さすがに我慢する。
「加治君は入社何年目だっけ?」
「今度の春で十七年になりますかね」
「そうかそうか、もう中堅だよな。社外でも評判いいぞ。この前もクライアントが、『加治君が担当なら安心だ』と言ってたしな」
 島村部長は饒舌だ。それも、気まずいときほどよく喋る。
 時間が惜しい。
「…で、人事の話ですよね?」
 部長が言葉に詰まったところに、タイミングよく蕎麦が来る。
 暫く黙って、二人でズルズルと蕎麦を手繰った。
 出汁の風味がくどい。温かいつゆにしたせいか、魚臭さが鼻につく。
「加治君は長野出身だったよな?」
 天ぷらの油がテラリと光る唇で、部長が再び喋り出す。
「はい」
「そろそろどうだ、地元で落ち着くという考えはないか?」
 長野に支社が置かれる話は聞いていた。確かに俺の実家がある街だ。
「長野支社は甲信越地方の中核だから、役員連中も力が入っててな。
 立ち上げには、ぜひとも優秀な人材を送り込みたいということで、君に白羽の矢が立ったんだ」
 矢を突き立てたのはあなたでしょ?
「本社としても君を手放すのは惜しいんだが、加治君なら地の利はあるし、何よりその実力だ。ぜひ、支社を引っ張っていってもらいたい」
 俺はできるだけゆっくりと箸を置いた。
 部長の顔をしげしげと眺める。
「なるほど。よく分かりました」
 たっぷり眺めて、相手の目が泳ぎ始めた頃にそれだけ答えた。
「そ、そうか!了解してくれるか。私も君を推薦した甲斐があるというものだ」
 ほら、もうぼろが出た。あなたが俺を追い払いたいだけでしょ?
 店を出ても(当然、勘定は部長が済ませた)、部長はさらに上機嫌で喋り続ける。
「長野といえば蕎麦だよな。私は蕎麦に目がなくてね。加治君も向こうに行ったら、美味い店に連れて行ってくれよ」
「喜んで。
 まずはなんといっても、駅そば!美味いっすよねぇ。電車を待ってる間に、あの出汁の匂いがしてくるとたまらないんですよ。高校生の頃、部活帰りによく食いました。小遣いに余裕ある時は天ぷら追加したりしてね。使ってる油が古いせいか、ちょっと油臭いんだけど、こっちは腹が減ってるから立ったままガツガツと。…ま、今でも似たようなもんですけどね。
 一ざるン千円だなんていう気取った蕎麦は、リタイアしてから酒でもゆるゆる飲みつつ食いたいっすよね」
 再び嫌な顔をした部長に、「ではこのまま、お客さんの所に行きますんで」と背中を向けた。

 よくある社内の派閥争いだ。
 俺は鹿島部長に可愛がられていた。
 出世したいとは思っていなかったが、思うように働くには、ある程度「上」に居ないと自由が利かない。自分なりに努力して、成績を上げていた。
 鹿島部長とは馬が合ったから、端から見れば「鹿島派」だったのだろう。
 鹿島部長と島村部長は仲が悪い。俺も、島村部長は好きではなかった。
 一年ほど前、経営者が交代する時期に役員たちの対立が顕著になり、それに伴って管理職たちの派閥争いも活発になった。
 そして残念ながら、鹿島派は負けた。
 だから今年の春の人事異動は、鹿島派の「残党」を処分する絶好の機会なのだろう。
「それにしたって、左遷どころか島流しだろ」
 覚悟はしていたが、まさかここまでの扱いを受けるとは思わなかった。
 相当、嫌われていたらしい。
「俺だって加治の上司だったら、扱いにくくて嫌だと思うもん」
「そうそう。しれっとした顔で上が嫌がるようなこと言うしさ、そのくせ営業成績はいいからさ。
 そんな部下なんて使いにくくて…」
 噂が広まると、同期の奴らがこっそり送別会を開いてくれた。
 元々、口が悪い奴らだったが、酔うとなおさら遠慮がない。
「ここ一年、俺はちゃんと大人しくしてたぞ」
「それが怖いんだってば。島ちゃん、気が小さいからね、いつ加治の反撃食らうか気が気じゃなかったんじゃない?」
「理不尽だなぁ。目が合う度にニコニコ笑顔を返してやってたのに」
「怖い怖い、加治の愛想笑いが一番怖いって」
 どっと笑いが起こる。
 湿気っぽくならないように気遣ってくれているのが、ありがたいし情けなかった。
 騒ぎに紛れて、一番仲がいい西野がそっと訊いてきた。
「かみさんは?一緒に行くのか?」
「…分からん。連絡はしておいたけど」
 妻の真奈美とは半年前から別居をしている。
「仲直りのいいきっかけになるんじゃないか?」
「夫の左遷がか?」
「パートナーのピンチを共に乗り越えれば、絆は深まるんだぞ」
「お前に言われたくないな」
 西野は二年前に離婚している。
「俺だから言うの。
 家に味方が居れば、心強いもんだからさ」
 我が家は結局、敵同士になっちゃったけどなと、西野はあっけらかんと笑った。

 地元では両親が健在だが、ひとまずはアパートに落ち着いた。
 互いの生活のリズムが全然違っているし、真奈美が来るとしたらいきなり同居も気詰まりだろう。
「来るとしたら、か…」
 このままではきっと離婚することになる。
 真奈美は何が気に食わなくて家を出たのか、それさえもよく分からない。
 決定的な喧嘩をしたわけでもない、いつの間にかすれ違っていたということだろうか。
 だが、今の俺には真奈美と話し合う時間も気持ちのゆとりもなかった。
 支社の立ち上げは思った以上に手こずった。
 いくら出身地だとはいえ、離れて二十年近く経つ。その間に街はだいぶ変わった。
 小中学校の頃の友人たちとはほとんど連絡を取っていないから、ツテなどないも同然だった。
 加えて、支社に「流されて」きた同僚たちはやはり曲者揃いで、協調性がある人間などほとんど居なかった。
 僅か三十人足らずの職場で、簡単な連絡事項一つ、まともに回らない。
 支社長の小田さんは定年間近で、俺と同じく実家がこちらにあるという。
「俺は両親の面倒みなきゃいけなかったからな。渡りに船さ。かみさん?ついて来るわけないだろ。子供たちと東京に残るってさ。まぁ独身気分でのんびり余生を過ごすさ」
 そちらは「余生」だろうが、こっちは生活がかかっている。
 きりきりと働くほど周りとは噛み合ず、顧客の開拓もまったくはかどらず、焦りばかりが募る。

 一日が終わると、椅子から立ち上がれないぐらい体が重い。
 こうやって老け込んでいくのだろうか。
 無力感に身を委ねるのが、いっそ快感になってきた。
 帰り道、スーパーに寄って夕飯の総菜を見繕う。
 かごにはビールと焼き鳥。我ながら見すぼらしい。
 たまには野菜を取らないとまずいだろう。
 野菜売り場に戻ろうとしたとき、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
 小柄で華奢な背中に、無造作に束ねた髪が揺れている。
 てきぱきとカートに品物を入れていくけれど、決して雑には扱わない。
 名前は咄嗟に出てこないが、中学校の同級生の女の子だ。
 鉢合わせしそうになって、慌てて棚の後ろに隠れた。名前も思い出せないうちに顔を合わせても、挨拶に困る。
 用もないのに、調味料のコーナーで探し物をしているふりをして、目の前を通り過ぎる彼女をちらっと見た。
 やっぱりそうだ、もの静かなしっかり者で、学級委員をしていて…。
「…名前、何だったけ」
 ちはる。
 そうだ、千春、だ。友達にそう呼ばれてた。
 自分でも思いがけないほど、懐かしい気持ちがこみ上げた。


【続きます…】



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長過ぎますね。。
とりあえず、取り急ぎの「その1」更新です。
写真は薔薇の新芽。
  一旦は赤になる気で芽吹きをり 後藤比奈夫

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by bowww | 2016-03-20 22:17 | 作り話 | Comments(0)

第十二候 雷乃発声

 目が覚めて、彼女をかき寄せる。指に絡まる髪が冷たい。
 彼女は先に起きていたらしく、しばらくはされるがままになっていたが、やがて目を開けてこちらを見つめた。
 夜明けにはまだ間がある。もう少し、このままで居ようと腕に力を込めた。
 唇も冷えきっていた。


 手が届くはずのない人だった。
 六歳上の兄の恋人だった。
 高校時代に出会った二人は長い交際期間を経て、そのまま結婚する予定だった。
 それぞれの家族も一緒に挙式の打ち合わせを始めた矢先、兄が交通事故で死んだ。夜中に彼女の家へ向かう途中、交差点で信号無視をしたトラックに突っ込まれた。
 遺体を前にしても彼女は泣かなかった。青ざめた顔からは表情が消えていた。
 通夜に現れ、僕たち家族に無言のまま深々と頭を下げ、それきり姿を消した。

 職場の近くにある書店で本を探しているとき、後ろを通り抜ける誰かとぶつかった。
 詫びようと振り返ると、彼女が立ちすくんでいた。
 髪を伸ばした彼女は、以前よりむしろ幼く見える。
 こんなに華奢な人だっただろうか。 
 彼女は詰めていた息を吐き出しながら、僕の名を呼んだ。
「…お兄さんかと思った」。
 泣きそうな笑顔を見て、僕は兄に嫉妬した。

 手を離したら、今度こそ二度と戻って来ない。
 僕は強引に会う約束を取り付け、会えばその次の予定を組んでと、彼女の時間に食い込んだ。
 ためらいがちだった彼女も、やがて呆れたように僕と付き合い始めた。
 それでも、時折浮かべる泣き出しそうな笑顔は、相変わらず僕を焦らせた。
「僕を見て。兄貴じゃない、僕を見て」
 素直に言えたら、もっと楽になれるのに。

 薔薇の花束を持って、初めて彼女の家を訪れた。
 白い薔薇を数本束ねただけのささやかな花束なのに、部屋に香りが満ちて息苦しいほどだ。
 香りの中で彼女を抱きしめた。
 兄を思い出すゆとりもないほど、僕で満たしてしまえばいいと思った。


 シーツにくるまったまま、夜明けを待つ。
「…お兄さんは、私が殺したようなものかもしれない」
 僕の腕の中で、彼女が話し始める。
 あの夜、彼女は電話で兄に別れを告げたという。好きな人ができたから、結婚できないと。
 兄は「会って話をしよう」と、真夜中に車を走らせたのだ。
「私があんなことを言い出さなければ、お兄さんは事故になんか遭わなかったのに…」
 これは罰。
「あなたに会ったとき、真っ先にそう思った。あなたの姿を借りて、お兄さんが私を責めているんだ、て」
「…じゃあ、これは罪滅ぼし?」
 僕の言葉に、彼女は一瞬、いつもの笑顔を浮かべた。
 頷きかけた途端、涙が零れた。
 後から後から零れる涙が、僕の腕を濡らす。
 遠くで低く雷が鳴った。間もなく、雨粒が屋根を叩く音が聞こえてきた。
 僕はもう一度、彼女をかき寄せる。



あえかなる薔薇撰りをれば春の雷  石田波郷
黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部



〜雷乃発声(かみなり すなわち こえをはっす)〜




春の好天は長続きしません。
大気が不安定で、思わぬ嵐になることもままあります。
それでも、潤いを得ると草木はぐんぐん生長していきます。
でも、桜の満開のときだけは、なにとぞなにとぞ荒れないで…と祈る思いです。
海の旬はイイダコ、真鯛(鯛飯、大好きです)
山の旬はニラ、ウドなどなど。

ようやく庭の梅が咲きました。福寿草も咲きました。
これから桜が咲くまで、一気呵成に花の季節になります。
日も目に見えて長くなってきました。
ず〜〜〜っと屋内でチマチマと働いているため、外の変化に疎くなりがちです。
窓からいい入り日が見えたりすると、ちょっといい気分になります。

次回は4月5日「玄鳥至」に更新します。

 


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by bowww | 2014-03-31 07:47 | 七十二候 | Comments(0)

第十一候 桜始開

「日が傾くと肌寒くなりますから…」と、宿の女将が親切に声を掛けてくれた。
 荷物になるかと思ったが、薄手のコートを持って出ることにした。
 この宿を使うのは三度目になる。
 温泉のある古い宿場町で、落ち着いた風情が気に入っていた。
 桜の季節に来たのは初めてだ。
 一人で訪れたのも、初めてだ。

 四年間付き合った彼と、春が来る前に別れた。
 互いの仕事が忙しくすれ違いが続き、気づけば修復できないほど距離ができていた。二人ともやり直すという選択肢はなかった。
 寂しさはもちろんあるが、自分を責めて彼を追いつめて再び自分を責めて…という無限ループから脱出できて、憑き物が落ちたようにさっぱりしているのも事実だ。
 旅行をしようと思い立ったとき、何も考えずに慣れている場所や宿を選んだ。「思い出の場所へ一人旅だなんて、未練がましかったかしら」と電車に揺られながら思わず苦笑いが出た。

 川の堤防は桜並木になっていて、地元の人も観光客ものんびりと散歩を楽しんでいた。日当りのいい場所から花を咲かせている。川からの風が冷たいのか、周りよりは多少遅れ気味だ。
 小さな寺には自慢の枝垂れ桜が咲き誇り、いつもは静かな境内も賑わっていた。檀家の人たちが、テントで甘酒を振る舞っている。
 昔の街道をぶらぶら歩き、一休みしようと彼とも来たことがある喫茶店に入る。中庭に濃いピンクの桜が噴き上がるように咲いていた。ヒガンザクラの仲間だろうか。この庭に桜があったとは気づかなかった。
 コーヒーを持って来てくれた女の子に桜の話をすると、「ちょうど良い季節にいらっしゃいましたね」と明るい声が返ってきた。

 喫茶店の居心地が好かったため、つい長居をした。
 外に出ると、街道沿いの家々に明かりが灯り始めていた。コートを羽織って宿への道を急ぐ。
 宿の前庭には大きなソメイヨシノがある。
 ほの暮れに見る満開の桜は、白々と光を発しているようだ。僅かな風に枝が揺らぎ、花びらをひとひら、またひとひらと散らせた。掌に受けると、ひんやりと冷たい。
「桜、綺麗だよ」と彼に伝えようと思いかけて苦笑いをする。
 なんでもない呟きを、もっと伝えていたら、聞いていたら、二人の結論は違ったものになっていただろうか。
 玄関に入ると、女将が笑顔で迎えてくれた。


人恋し灯(ひ)ともしころをさくらちる  加舎白雄


〜桜始開(さくら はじめて ひらく)〜


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桜、東京では開花宣言が出たみたいですね。
私の住む辺りでは4月11日頃だそうです。でも暖かさが続くようなので、多少は早まるでしょうか。
今はようやく、梅が咲くかな、という季節です。
桜にこんなに心を奪われるようになったのは20代後半だったと思います。
名所なんかではない、自分だけの桜をいくつか決めていて、睡眠時間を削ってでも開花から落花まで見届けます。「ものぐるほしけれ」なレベル。
写真は数年前のもの。毎年、カメラを持って行くのですが、「うわ!うわ!」と浮かれて桜をアップで撮るため、後でどこの桜だったのか分からなくなるのです。。

祖父が亡くなったのは4月。花冷えで桜が長持ちした春でした。
ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ  西行法師
生前、この歌を愛誦していたとかいないとか。
かっこつけ屋だったからなぁ、うちのじいちゃん。

海の旬はサヨリ、モズク(ワカメや昆布も美味しい季節ですよね)。
山の旬は浅葱、アスパラガス。緑色の野菜が増えてきます。

次回は3月31日「雷乃発声」に更新します。


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by bowww | 2014-03-26 09:26 | 七十二候 | Comments(0)

第十候 雀始巣

 新幹線から単線のローカル線に乗り換え、窓際の席に落ち着いたところで、美緒がまたぐずり出した。
 通勤時間帯は避けたため車内は落ち着いてはいたが、まだかなりの乗客がいる。多佳子たちが座る四人掛けのボックス席にも、初老の女性が一人、腰掛けていた。
 多佳子は美緒を静かに揺すりながら「もうちょっとだからね、もうちょっと」と、無理を承知で宥めた。
 美緒は顔をしかめ、本格的に泣き声を上げ始めた。
「ごめんなさいね、もしかしたら赤ちゃん、ちょっと暑いんじゃないかしら」
 向かいの女性が話しかけてきた。
 確かに車内は暖房が入っている上に陽射しが射し込み、多佳子自身も軽く汗ばんでいた。風邪をひかせないようにと、必要以上に美緒に厚着をさせていたのかも知れない。靴下を脱がしてやると、美緒はようやく大人しくなった。
 女性は美緒を覗き込み、「ばぁ!」とあやす。美緒は涙がたまったままの目を大きく見開き、女性に手を伸ばした。
「可愛いわねぇ、何ヶ月?」
「ついこの前、10ヶ月になりました」
「じゃあ、うちの孫の方がちょっと大きいかな」
 そうだ、いいものがあるのと、女性は手提げ袋の中から小さな包みを取り出した。包装を解くと、タオル地のウサギのぬいぐるみが出てきた。振ると鈴の音がする。
 美緒は大喜びでぬいぐるみをつかみ、振り回して歓声を上げた。
「お孫さんへのプレゼントですよね?この子、ボロボロにしちゃいますから」
 多佳子は慌てて取り上げようとしたが、美緒は頑として手放さない。
「いいんですよ、お嬢さんが喜んでくれるなら差し上げるわ」
 女性は初めて息子夫婦の家に行くのだと言った。
 若い夫婦とは、小さな諍いがきっかけで疎遠になり、ここ数年は顔を合わせていなかったこと。家を建てて孫も生まれたと聞いて、居ても立ってもいられなくなって会いに来たことを、少し早口に多佳子に話した。
「私がいけなかったの。余計な口出しして息子を怒らせちゃった。謝らなきゃと思うんだけど、なかなかきっかけがなくてね。
 孫にも会わせてもらえるかどうか…」
 アナウンスが、まもなく次の駅へ到着することを告げた。
 女性が降りる準備を始めた。
 美緒は満足したのか、ぬいぐるみを握ったまま眠っていた。
 多佳子はそっとぬいぐるみを取り上げ、汚してはいないか確認してから
「…私も、五年ぶりの里帰りなんです」と呟いて女性に手渡した。
 電車がホームに滑り込んだ。
 軽い会釈と、照れくさそうな笑顔を残して女性は降りていった。
 多佳子は窓から日当りのいいホームを眺めた。
 ベンチに座っていた夫婦が立ち上がった。母親の腕の中には、美緒と同じくらいの赤ん坊が居る。若い父親が誰かに手を振った。
 電車がガタン…とひと揺れして、再び走り始めた。

 三つ目の駅で多佳子は降りた。
 改札口を出ると、小さな駅舎の脇に花壇ができていた。黄色や紫のパンジーが花を咲かせている。
 目を覚ました美緒に「ほら、お花が咲いてるね」と話しかけた。
 五年前には殺風景な空き地だった。
 多佳子の結婚に、両親はいい顔をしなかった。特に父親は激しく反対した。
 泣いて騒いで、二度と帰らないつもりでこの駅から電車に乗った。
 美緒が生まれなければ、戻ってこなかったかもしれない。
 早くに両親を亡くしていた夫が、「じいちゃんばあちゃんが居るって、大切なことだよ」と多佳子の背中を押した。
 花壇から離れ、タクシーに乗ろうとしたとき、多佳子と美緒の名を呼ぶ声が聞こえた。
 母が手を振りながら駆けて来る。
 父はその三メートルほど後ろを、面白くなさそうな顔をしてついてくる。
 ぶら下げている紙袋から、ぬいぐるみのウサギの耳がはみ出て、父の歩調に合わせてピコピコと揺れた。



〜雀始巣(すずめ はじめて すくう)〜



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春分です。昼と夜の長さが同じになって、ぐんぐん春めいてくる頃。
雀が巣を作り始める季節、ということですね。
生きとし生けるものが、本格的に動き始めるイメージなのでしょう。
人間界も年度末は何かと気忙しくて、ソワソワアワアワバタバタジタジタしたりするのです。
あまり雑雑したことに気を取られると、せっかくの春の萌しも見逃してしまいそうですね。日々反省…。
昔、庭に雀の立ちっ子(て、方言かしら?羽もまともに生えていないような雛のことです)が落ちていて、拾った母が大切に育てていました。
でも、いくら可愛がっても、まったく懐かなかったんですよね。
結局、ふとした時に外へ逃げ出してしまいました。
世間知らずのまま飛び出してしまったけれど、無事に寿命を全うできたのかなぁ。

海の旬は白魚(踊り食いでしょうか?未経験です)、ホタテ貝など。
山の旬は土筆(はかまを取るのが大変)、タマネギなど。

次回は「桜始開」、3月26日に更新予定です。
この辺りではまだまだ先ですが、桜の噂が聞こえ始めると居ても立ってもいられません。桜キチガイなのです。



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by bowww | 2014-03-21 08:46 | 七十二候 | Comments(0)