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地軸の軋む音(夏至)

 どうして子供の頃は、寝るのがあんなに嫌だったのだろう。
 特に、昼寝が大嫌いだった。
 外はまだ明るい。眠くない。ちっとも眠れない。もっと遊ぶ。もっともっと遊ぶ。
 寝かしつける大人の手を払いのけ、駄々をこねていたはずなのに、いつもいつの間にか眠りに落ちていた。
「今なら、いつでもどこでも何時間でも眠れるのに…」
 お風呂上がり、髪を乾かしてから床にごろりと転がる。

 そういえば、祖母は私を寝かすのが得意だった。
 夏、祖母の家に遊びに行くと、蚊取り線香の匂いがした。
 昼ご飯を食べ終えると、昼寝の時間がやってくる。
 遊びたいとせがむ私を、祖母は「まぁまぁ」とかわして自分が畳の上に横になった。
 うつ伏せになって、耳をぴたりと畳につける。
「ほぉ…なるほどね。うんうん、なるほどなるほど」
 一人、頻りに頷き、感心した風になる。
「おばあちゃん、なぁに?誰とお話してるの?」
「こうしてると地面の音が聞こえてくるの。いろんな音が聞こえるから、いろんな事が分かるんだよ」
 私も真似して、畳に耳をつける。
「何も聞こえないよ」
「…しっ!静かぁに待たないと。
 今はね、庭のキュウリが大きくなってる音がする。朝、水をやったから、嬉しくてぐんぐん大きくなってるんだね。
 おや、池で何か跳ねたかな?カエルかな?
 う〜んと遠くで、雨粒の音がするよ。もうすぐここにも雨が降るね」
 私は耳に意識を集中する。
「…ザッ!ザッ!ザッ!て音がする」
「ああ、それはきっと、小さな小さな兵隊さんたちが、嫌な夢を追い払うために行進しているんだね」
 開け放した窓から、気持ちの良い風が流れ込む。
 小さな兵隊を見たくて目をこじ開けようとするけれど、瞼はとろりと重たくなっている。
 ザッ!ザッ!ザァッ…ザァッ…。
 波の音にも似ているなと思った頃には、私はすっかり眠りに落ちている。
 そして、大粒の雨がパタパタと地面を叩く頃、私はバスタオルにくるまって目を覚ますのだ。左の頬っぺたに、畳の目の跡をくっつけて。

 床に耳をつける。
 ここはマンションで地面から遠いから、耳に届くのは、空調や冷蔵庫が低く唸る音ばかりだ。
 おばあちゃんの家の畳は、もっと賑やかだった。
 目を閉じて、深く息を吸い、息を吐く。
 地面に向かって耳を澄ます。


  夏至ゆうべ地軸の軋む音少し  和田悟朗


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夏至の前日、昨日の朝焼けです。
4時半にもなれば、夜が明けますね。
日の長さを一番楽しめる季節なのに、日本はちょうど梅雨の季節。
雨模様の空の上で、お日さまは少しずつ、寝坊になっていくのですね。
今日は久しぶりの雨です。
大雨は心配ですが、草木も地面もやっと潤ってくれそうです。





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by bowww | 2017-06-21 12:09 | 作り話 | Comments(0)

氷菓一盞(芒種)

 常連客の一人である山内さんは、実はなかなかの男前だった。
 うちの店に来るときはいつも、寝起きのようなボサボサ頭に無精髭(実際、起きたばかりなのだと思う)。
 洗濯を繰り返して、色がすっかり抜けきったチェックのシャツに、穴が開いたジーンズ。つっかけ履き。
 分厚いレンズの眼鏡に猫背、聞き取りにくい小さな声。
 つまり一言でいえば、まったくもって風采が上がらない。
 それがどうしたことか、今日はボーダーのTシャツにコットンジャケットなぞ羽織っている。
 髪も髭もすっきり整えられ、眼鏡なんて細い鼈甲フレームだ。
「いらっしゃいませ、お一人ですか?」
 山内さんと気づかず、「よそいき」の声で迎えてしまった。「どこの男前が来たかと…」と軽口を叩こうとして、山内さんのお連れさんに気づく。
 なんと、女連れだったか。
 ほっそりとした長い手足、背中まで伸びたさらさらの髪、水色のシャツワンピースがよく似合う、賢そうな大きな瞳と白い頬。
 絵に描いたような美少女・推定十二歳。
 山内さんは片手をちょっとだけ上げて、カウンターから一番遠い窓際のテーブルに着いた。
 美少女は、こちらにぺこりと頭を下げて後を追った。

「そうか、綾ちゃんは知らなかったんだっけ」
 カウンターに座った小田さんが、小声で教えてくれた(町会の役員を歴任した小田さんは近所の情報通だ)。
 美少女は山内さんの十歳になる娘さんだそうで、名前は一花ちゃん。今はお母さんに引き取られている。離婚したのは五、六年前で、山内さんは娘さんと、三ヶ月に一度会えることになっている。養育費は…。
「なるほどなるほど。はい、コーヒーお待たせしました」
 カウンター越しに、小田さんの前へカップを置く。放っておくと、山内家のすべてを語り尽くされてしまいそうだ。
 カフェを開いて五年、地元のお馴染みさんも増えて、何とか続けてこられた。
 ただ、私が想定していたよりも、お客さんの年齢層が高い。平日はほとんど、ご近所のお年寄りたちの寄り合い場と化している。
 「この店は落ち着くんだよねぇ。なんだか懐かしい感じがしてさ」というお言葉はありがたいが、古い建物を改築して「モダンな昭和レトロ」を目指したこちらとしては、とても複雑な気持ちになる。
 このままでは「懐かしの昭和遺産」だ、お客さんも含めて。
 一花ちゃんは、そんな店内が珍しいらしく、きょろきょろを辺りを見回している。
 山内さんは向かいの席で、知り尽くしているはずのメニュー表とにらめっこしている。
「ご注文は?ジュースもありますよ?」
 気を利かせたつもりだったが、美少女は毅然と
「アイスティーで」と答えた。
「…じゃあ僕は、アメリカンで」
 山内さん、うちのメニューにはアメリカンなんてありません。
 とは言えないので、いつものブレンドコーヒーを持っていくことにする。

 カウンターに戻り、ティーポットやカップを用意する。
 読んでいた新聞を畳みながら、小田さんがクスクス笑う。
「父親はやっぱり緊張するもんかね」
「それにしても、山内さん見違えちゃいますね」
「うん、ああしてりゃあ、さすがデザイナーって思うわな」
 危うく薬缶を取り落とすところだった。
 デザイナー?山内さんが?
「そうだよなぁ、普段はニートか引きこもりか?って感じだもんな」
 もう少し話を聞くと、どうやら山内さんは雑誌や本、カタログなどの編集デザインをしているらしい。自分で事務所を立ち上げて、若い人たちも数人働いているそうだから大したものだ。
「一花ちゃんはお母さん似だわな。奥さんって人が相当の美人でね。ただ二人とも仕事が忙しくて、すれ違いが多かったんだろうなぁ、いつだったか…」
「小田さん、コーヒーのおかわりどうぞ」
 有無を言わさずコーヒーを注いでお喋りを遮る。
 奥のテーブルをそっと窺えば、一花ちゃんも山内さんもそれぞれ、窓の外眺めている。
 テーブルの上が、がらんと寂しい。

「もし良かったら、試食してもらえますか?
 夏限定のメニューに載せようかと試作してみたんです」
 一花ちゃんの前に、細長いグラスを置く。
 アイスティーに、あり合わせのバニラアイスを浮かべた。
 山内さんには、エスプレッソをかけたバニラアイス。
 二人が揃ってスプーンを取り上げ、アイスを一掬いするのを見届けてカウンターに戻る。
 アイスがなくなる頃には、ぽつん、ぽつんと言葉が行き交い始めていた。

 店内に西日が入り込む。
 そろそろ西側に葭簀を立てなければいけない季節だ。
「ごちそうさまでした」
 山内さんがレジの前に立つ。
 照れくさいのか、財布の中を覗き込むようにしてこちらを見ない。
「…アイスは…」
「お代は結構ですよ、味見してもらったんですから」
 一花ちゃんはまっすぐこちらを見ている。睫毛が長い。
「あの、美味しかったです。ありがとうございました」
 お父さん、見習ったらどうでしょう、このハキハキさ加減。
「でも、あのままだと見た目が殺風景だと思うんです。お店に出すなら、ミントの葉をちょっと乗せるとかした方が売れると思います」。
 …的確なアドバイス、頂戴しました。

 店を出る親子の背中を見送る。
 一花ちゃんが、お父さんの背中をぽんぽんと払っている。ジャケットに糸くずでも付いていたらしい。
 どちらが親なんだか…と可笑しくなる。
 そして、実際の年齢よりも少しだけ速く大人になっていく美少女に、自分の甥っ子の姿を重ねてみた。
 高校生の甥は三年生になった。毎年、夏休みにアルバイトに来てくれていたのだが、受験を控えていることだし、今年はさすがに無理だろうか。
 片付けをしていると、携帯電話が鳴った。
 甥のケイからだ。想うと呼び水になるのだろうか。
 とにかく、夏のメニューについて相談に乗ってもらおう。


   六月の氷菓一盞(いつさん)の別(わかれ)かな  中村草田男

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西日に輝く麦の秋。
梅雨入り目前ですね。


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by bowww | 2017-06-05 17:24 | 作り話 | Comments(2)

袖の香(小満)

 洗いたての白いTシャツに袖を通し、着古したデニムを履く。
 鏡を見て、苦笑いが浮かぶ。
 こんなさりげない格好が似合うのは、やっぱり二十代、頑張っても三十代前半までだろう。
 全身の輪郭がぼやけ始めた年代に、洗い晒しのTシャツは下着のようで野暮ったい。
 去年の夏は、もう少しマシに見えたと思ったのだが。
 ため息をついてシャツを脱ぐ。
 せめて、アイロンを当ててパリッとさせよう。
 アイロンを温めている間に霧吹きをする。
 ラベンダーの香りが部屋に広がった。
 不意をつかれて手を止める。
 そういえば娘が、リネンウオーターを買っておいたと言っていたっけ。


 良く晴れて暑いぐらいの高原。埃っぽい道。繋いだ手は暖かく乾いていた。
 要らないと言うのに、「頭痛に効くし、リラックスできるよ」とラベンダーの精油を買ってくれた。
 本や写真、万年筆、指輪。手紙。
 小さなプレゼントをしまっておく箱には、ラベンダースティックも混じっていた。
 開ける度に、日向の花畑のような香りが立ち昇った。
 積もる想いが息苦しく、握られた手を捥ぎ離すようにして別れた。


 窓を開けて風を入れる。
 多少はしゃっきりしたTシャツを、風に晒す。
 リネンウオーターの匂いはすぐに飛んでいった。
 再び袖を通し、いつもより少しだけ多めにトワレを纏う。
 口紅は赤にしよう。


  さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  よみ人知らず
  橘のにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする  藤原俊成女(ふじわらのしゅんぜいのむすめ)
 
 
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ラベンダーの香りは、「時をかける少女」でも印象的な小道具になっていましたっけ。
スケッチ作り話、和歌とは真逆の雰囲気になってしまいました。。
本当は、懐かしい恋しい人を、橘の香りで思い出すロマンティックな歌です。
精油はいくつか持っていますが、ラベンダーの香り、実はあまり好きではないのです。
薄荷油は常備しています。
ゴキブリが嫌う匂いだそうなので、薄荷油を振りかけたペーパータオルを、シンク下や床下収納庫、靴箱なんかに入れてあります。
悪魔退散!の、お札みたい。
効果があるのか、今のところ、ゴキさんとは遭遇していません。
薄荷油に、ひのき精油をブレンドしたルームスプレーは重宝しています。


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「香水」は夏の季語ですね。
汗ばむ季節のエチケットだから、ということだそうです。
香水、オードトワレ、オーデコロン。
自分の好きな香りを、そぉ〜っと身につけているのが好きです。
周りの人には分からないくらい、でも、つけ忘れると落ち着かないのです。
どうやら、女っぷりの良い香りよりは、少し中性的な、男性でも女性でも使える香りが好きなようです。

数年前、ちょっとしたことから、グズグズひねくれた気持ちになって、そのまま戻れなくなってしまったことがあります。
どこかで切り替えなきゃ…と、きっかけを探していたときに、おフランスから日本に「上陸」したばかりだというトワレのことを知りました。
東京の百貨店のキラキラとしたフレグランス売り場に行って、ドキドキしながらその香りを試させてもらいました。
(一流の百貨店の店員さんは、田舎者でも優しく接してくださる…)
一嗅ぎ惚れ。
30分ほど、別の売り場を回って考えてから、そのトワレを買いました。
我ながら、背伸びも背伸び、足裏が攣りそうなぐらいの背伸びをして手に入れた香りです。
分不相応ではあるのだけれど、このトワレを纏うと否応なく背筋が伸びました。
毎日こっそり身につけているうちに、グズグズした気持ちもいつの間にか薄らいでいました。
今でも自分に喝を入れたいときには、この香りに助けてもらいます。
「普遍なる水」という名前のトワレ自体は、柑橘系をベースにした凛々しくも軽やかな香りです。


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ニセアカシアの花が満開です。
夜気に、甘い香りが混じります。
昨日、今日と真夏日になりました。
このまま夏本番になってしまうんじゃないかと心配です。
過ごしやすい季節は、本当に短いですね。

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by bowww | 2017-05-21 22:40 | 身辺雑記 | Comments(2)

みどりつめたき(立夏)

 実家に帰ってドアを開けると、「我が家の匂いだ」と思う。
 結婚して家を出るまでは意識したことなどなかったのに、今では帰る度に鼻を掠める「我が家の匂い」を確認する。
 去年からはそこに、線香の匂いが混じっている。
 父は仏壇に、新しい花と毎朝の線香を欠かさない。

 母が亡くなって父が一人取り残された。
 私と姉は結婚し、家を出ていた。
 父は典型的な会社人間だったから、家の事など全くしたことがなかった。
 だが母は、虫が知らせたかのように、定年退職した父にあれこれ根気よく教え込んだ。
 おかげで母が亡くなった後、父はある程度、身の回りのことは自分で片付けられるようになっていた。
 今日も二階のテラスには、タオルやシーツが整然と干され、風に翻っている。
 几帳面な父は、毎日の家事といえども、きちんとこなさないと気が済まないらしい。
「ただいま」
「おう」
 父は私を出迎えると、そのままキッチンに引っ込んだ。
 後について、私もキッチンに向かう。
 見ればシンクの周りはピカピカだし、冷蔵庫の中も一目瞭然に整頓されている。
 万事おおらかだった母が主婦だった頃よりも、むしろ片付いているかも知れない。
「体調はどう?お薬は忘れずに飲んでる?」
 特に心配することはなさそうだが、ほかに話すこともない。
「ああ」
 父も簡単に答え、私が持ってきた柏餅の包みを見てお湯を沸かし始める。
 母は父と、どんな話をしていたのだろう。
 父は朝早くから夜遅くまで仕事に出ていたし、休日もあまり家にはいなかった。
 父と母が、ゆっくり会話を楽しんでいる様子は記憶にない。
 父の退職後、娘たちも家を出て、二人っきりになった二人はどうやって過ごしていたのか、そういえば私や姉はよく知らない。

 薬缶がシュンシュンと鳴り始めた。
 父は手際良く急須と湯呑みを取り出し、お湯を差して温める。
「あれ?お父さん、急須替えたの?」
 ホームセンターで間に合わせに買ってきた急須に代わり、夕日のような色の萩焼がテーブルの上に鎮座していた。
 ぽってりとした下膨れの形が可愛らしい。
「母さん、自分で買ってきたくせに、『もったいない』と言っては仕舞い込んでいたからな」
 戸棚を整理していると、新品の器やキッチンマットなどがわんさか出てきて、萩焼の急須も新聞紙で包まれたままだったという。
「俺だってそう長くないんだから、使わなきゃかえってもったいない」
 父はそう言いながら、少し冷ましたお湯を急須に注ぐ。
 会話が途切れて、二人でなんとなく庭を眺めた。
 狭い庭で、小手毬や山吹が吹きこぼれるように花を咲かせている。
「…春になったらぞくぞくと芽が出てきてな、何かと思っていたらチューリップやらヒヤシンスやら…。
 たぶん適当にありったけ、球根を植えたんだろう。
 まったく、母さんの残したものは不意に出てくるからな」
 かなわんよ、と苦笑しながら、父は湯呑みにお茶を注ぐ。
「母さんにもやってくれ」
 母が使っていた小ぶりの湯呑みを受け取る。
 仏壇の前に座ると、山吹の花束に埋もれて母の写真が見えない。
 父が柏餅を持ってきた。


  しぼり出すみどりつめたき新茶かな  鈴鹿野風呂


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この季節の小さな贅沢は、福岡・八女の新茶のお取り寄せです。
以前、伯母の家で頂いたお茶がとても美味しくて、訊ねてみると福岡の友達が毎年送ってくれる新茶だとのこと。
気前のいい伯母は、封を開けたばかりの新茶を一缶、お土産に持たせてくれました。
香りがよくて、渋みの中にほのかな甘みが感じられて、しみじみ「緑茶って美味しいもんだ」と思ったのでした。
今年も早速、いつものお店に注文しました。
あとは美味しい和菓子を見つけよう。

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田んぼにすっかり水が入りました。
田んぼの中を歩いていると、細い用水路にまで勢いよく水が流れています。
水路は田畑の血管。新鮮な水が隅々まで行き渡って、美味しいお米や野菜ができるのだと実感します。
そして、夜はカエルたちの大合唱が始まりました。
風のない朝の水鏡はもちろん良いですが、日が暮れた後、田んぼ地帯に点在する民家の明かりが、暗い水面に映り込む景色も好きです。
「早く帰って、カエルの声を聞きながら晩酌しようよ」と、酒の虫が騒ぐのです。

夏が特別好きなわけではないのですが、「立夏」という言葉を目にすると心が弾みます。
本当に良い季節ですね。

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by bowww | 2017-05-05 22:26 | 作り話 | Comments(2)

花酔い(穀雨)

 同僚たちと、仕事帰りに夜桜見物へと繰り出した。
 小学校と公園が道を挟んで向かい合わせにある通りは、双方の桜並木が競い合うように満開で、街灯に照らされた艶姿に歓声が上がる。
 けれど、寒い。
 昼間の暖かさに気を許し、薄いコートのまま出掛けてきてしまった。
 桜見物もそこそこに、結局は皆でいつもの居酒屋になだれ込んだ。

 楽しい酒につい羽目を外し、店を出た頃には夜もだいぶ更けていた。
 火照った頬に、冷え冷えとした夜気が心地好い。
 同僚たちと別れ酔いに任せて、人気(ひとけ)が絶えた桜の通りを一人で歩く。
 見上げれば、白々と照る豪奢な花天井。
「贅沢な花見だよな」と思わず頬が緩む。
 視界の隅に、何かが動く気配を捉えて足を止めた。
 ……あれ?子供?小学生?
 今度は頬が強張る。
 数歩先の一際大きな桜の木の下に、子供が二人、立っている。
 こんな夜更けにこんな場所に、子供なんか居るはずがない。
 だとすれば、あれか?この世の者じゃない類いの、あれか?
 酔いは吹っ飛んで、血の気が音を立てて引いていく。
 気づけばもう知らぬふりはできないほど、二人のすぐ近くに居た。
 恐る恐る目を遣る。
 男の子だ。足は一対ずつ、ちゃんとある。
 ようやく大人としての責任を思い出し、「君たちどうしたの?」と声を掛けた。
 二人は、飛び上がって驚いた。
「…このおじさん、僕らが見えるみたいだね」
「酔っ払いだからかな」
「じゃあ、明日には忘れるね」
「うん、忘れるね」
 双子だろうか、そっくりの顔かたちだ。
 額を寄せ合ってひそひそと、なかなか失礼なことを話している。
 一つ咳払いをしてから、もう一度訊く。
「何をしてるの?お家に帰らなきゃ駄目だよ、危ないよ」
 二人は顔を見合わせて、肩をすくめた。
「僕たち、仕事中なんだ」
「おじさんこそ、足元危ないよ」
 それだけ言うと右の男の子は、桜の枝に手を掛けてそっと揺さぶった。
 左の男の子は、一抱えもあるような白磁の壷を、その枝の下に差し伸べた。
「ねぇねぇ、本当に何をしてるの?仕事って何?」
 二人は、うんざりといったふうにこちらを振り返った。
「あのね、おじさん、僕たち忙しいんだ」
「おじさん、早く帰りなよ」
「教えてくれるまで帰らないよ。それに、まだおじさんじゃない」
 二人は同時にため息をついた。
「…どうせ、忘れちゃうだろうから、」
「教えてやって、さっさと帰ってもらおう」
「こんな酒臭いのが側にいて、」
「匂いが移ったら台無しだしね」
 本当に失礼な子供たちだ。

  桜の香りを集めて
  壷に集めて
  お酒を造るんだ
  佐保姫様のお酒を造るんだ
  夜露に濡れた桜の花は
  夜風に冷えた桜の花は
  香りを凝らせて
  色香を凝らせて
  上等なお酒になるんだよ
  とびきりのお酒になるんだよ

 よく見れば、白磁の壷に淡く淡く桜色が滲んでいる。
 喉がごくりと鳴った。
「だめだよ!おじさんにはあげられない」
「…待って」
 壷を隠す男の子を、もう一人が止めて耳打ちした。
 二人は小声で話し合ってから頷いた。
 壷が差し出される。
「ちょっとだけ、」
「飲んでみる?」
 受け止めた壷はひんやりと冷たい。
 再び、喉がごくりと鳴った。


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もうとっくに桜の季節が終わった場所も多いでしょうが、私の住む辺りはようやく散り際です。
飢えたように桜を追いかける季節が終わります。
寂しいような、ホッとしたような…。
2枚目の写真は、サングラス越しの夕日の桜です。いたずらしました。
桜の写真、明日も更新させてください。



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by bowww | 2017-04-20 16:17 | 作り話 | Comments(2)

磨いて待たう(清明)〜その1〜

 町外れの、もう廃止されたはずの簡易郵便局の屋根に、古ぼけた風見鶏が取り付けられました。
 日光や雨風に晒された看板が戸口に立てかけられ、近付いてよくよく見れば『春風郵便局』と読めます。
 町の人たちは慣れたもので、看板をちらりと横目で見ては「ああ、今年もそんな季節だね」と言うのです。
 春だけ開かれる郵便局の局長はハルばあさん。
 本名なのか郵便局の名前から取った愛称なのか、誰も知りません。
 頭のてっぺんで丸めた髪は真っ白で、腰はすっかり曲がっています。
 お客さんがやってくると、大きな目をぎょろりとさせます。
 小さな子供たちが初めてハルばあさんを見ると、お伽噺に出てくる魔女を思い出して泣き出しそうになります。
 それでも、期間限定の春風郵便局にはお客さんが絶えません。
 実はこの郵便局には、伝えたい想いを絶対確実に相手に届けてくれる葉書があるのです。
 想いを書き留めた葉書は、風が運んでくれます。
「春は四方八方から風が吹くからね。好都合ってことさ」
 だから、春風郵便局。
「葉書に書けるのはカタカナ十文字まで。それ以上だと重たくなって、風じゃ運びきれないよ」
 その葉書が一枚千円。
 ボロ儲けじゃないかと陰口を叩く人もいましたが、ハルばあさんは気にしません。
「春は短いんだ。稼がないとね」
 にやりと笑います。
 なるほど、魔女そっくりです。

 高校二年生の陽菜(ひな)ちゃんは、埃っぽい南風が吹く朝、郵便局にやってきました。
 頬を真っ赤に染めて、緊張した様子で千円札を取り出します。
 ハルばあさんは「ほいほい」と葉書を一枚、陽菜ちゃんに渡しました。
「そこにある色鉛筆でね。カタカナ十文字までだよ」
 陽菜ちゃんは少し迷って水色の鉛筆を手に取ると、より一層、頬を赤くしました。
 葉書の隅っこに小さな字で
『ズット ダイスキデシタ』と書き記しました。
 卒業して遠くの大学へ行ってしまう先輩宛てです。
「…お願いします」
「ほいほい。確かにお預かり」
 ハルばあさんは葉書をエプロンのポケットに仕舞いました。
 陽菜ちゃんは気が気ではありません。
「あの…本当に届くんでしょうか?」
 ハルばあさんは、じろりと陽菜ちゃんの顔を見返します。
「南風は昼近くなればもっと強くなるのさ。もうちょっとお待ち」
 陽菜ちゃんは黙るしかありません。
「先輩って人は男前かい?」
 陽菜ちゃんは、こくりと頷きます。
「ふぅん。さてはスポーツができて優しくて、皆の人気者だろ?」
 陽菜ちゃんは項垂れてしまいました。
 私なんか、先輩に釣り合うわけがない。告白なんて、とんでもない。
 だからせめて、好きだったとだけ伝えたい。
「でもねぇ、そんな人気者なら、届いた『ダイスキデシタ』は誰からのか分からないんじゃないのかい?」
 ハルばあさんは表に出て、風見鶏を見上げました。
「うん、こんなもんだね」と呟くと、ポケットから取り出した葉書を、ツイッと放り上げます。
 一際強く吹いた風が、白い葉書をひらりと攫っていきました。
 陽菜ちゃんも空を見上げます。
「ほら!ぼーっとしてない!命短し恋せよ乙女!」
 ハルばあさんが陽菜ちゃんのお尻を叩きました。
 陽菜ちゃんは、なんだか分からないまま駆け出しました。
 今ならまだ、先輩は駅に居るはずです。
 
 史郎さんが春風郵便局に飛び込んだのは、北風が吹きつける午後でした。
 冬に戻ったような寒さです。
「葉書一枚!」
 史郎さんは、カウンターにバンッと千円札を叩き付けました。
 ハルばあさんがじろりと史郎さんを見上げます。
 葉書を「ほれ」と渡しました。
 史郎さんは黒鉛筆で、ぐいぐいと書き始めました。
 どうやら職場の課長宛てのようです。
『クソッタレ シン…』
「お前さん、人を呪わば…って言葉知ってるかい?ほどほどにしとくこった」
 史郎さんはハルばあさんを睨みつけました。
 …が、眼力でハルばあさんに勝てるわけがありません。
 苛立たしげに、書きかけた後ろ半分に線を引くと、『ハゲチマエ』と書き直しました。
 ハルばあさんは、「やれやれ…。まぁ、仕方がないね、お預かり」と葉書を受け取りました。
 吹き荒れる北風は、ハルばあさんの手から葉書をもぎ取っていきました。
「で、お前さんの上司は禿げそうなのかい?」
「…てっぺんが結構、やばいです」
 課長はトイレの鏡の前で、時々、不安そうに髪を撫で付けています。
 その貴重な髪がゾクゾクと抜け始めたら、さぞかし慌てふためくだろうと想像すると、史郎さんの気持ちは少し晴れました。
「それにしても、そんなに嫌いな奴の下で働いてると、今にかお前さんも禿げそうだね」
 史郎さんは、思わず自分の頭を撫で付けました。


【…続きます】

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長くなりました。まだ半分。
残りは明日、更新します。
そして写真は、その場しのぎで昨年の桜です。手抜きでごめんなさい。
本当はまだ、蕾の状態です。今年は少し遅そうです。
それにしても、咲きたてほやほやのソメイヨシノは、こんなにもピンクが濃いんですよね。


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by bowww | 2017-04-04 11:47 | 身辺雑記 | Comments(0)

磨いて待たう(清明)〜その2〜

 東からの風は、微かに花の匂いを含んでいます。
 薬屋のコウちゃんは幼稚園に通う男の子です。
「ハルばあさん、葉書をください」
「ほいほい。お金は持ってるかい?」
 ハルばあさんは、幼稚園児といえど容赦はありません。
「うん!あるよ!」
 コウちゃんは背伸びすると、握り締めていた百円玉を三枚、カウンターに並べました。
「お年玉取っておいたの」
「…これなら、三文字分だね」
 無邪気なコウちゃんの笑顔にも、ハルばあさんは負けません。
「うん、いいの。三文字だけ、書く」
 コウちゃんはオレンジ色の色鉛筆を選ぶと、ハルばあさんに訊ねます。
「『あ』と『そ』と『ぼ』って、どうやって書くの?」
「やれやれ、字も書けないのに来たのかい」
 ハルばあさんは仕方がなく、お手本で「アソボ」と書いてやりました。
「ほら、これを見て書きな」
 コウちゃんは鉛筆を握り締めて、一生懸命、書き写します。
「違う違う、それじゃ『リ』になっちまう。点はもっと左…そっちの点じゃなくて!」
 結局はハルばあさんがコウちゃんの右手に自分の手を添えて、やっとのことで書き上げました。
 郵便局の風見鶏が、パタパタと揺れています。
 東風は葉書を受け取ると、コウちゃんが通う幼稚園の方へピュッと去っていきました。
 ハルばあさんは、曲がった腰をとんとんと叩き「やれやれ」とため息をつきました。
 コウちゃんは満面の笑みです。
「お前さん、友達がいないのかね?」
 コウちゃんは途端にしゅんとしてしまいました。
 ハルばあさんは、「ふん」と鼻で笑いました。
「『アソボ』は届いてるんだから、あとはお前さん次第さね。友達に会ったら、おっきな声で『おはよ!』って言ってごらん。お腹に力が入れば怖いものなんかなくなるさ」
 コウちゃんの笑顔、復活です。
「ハルばあさん、ありがとう!ハルばあさんは、きっと良い魔女だね!」
 手を振るコウちゃんに、ハルばあさんは力なく手を振り返しました。

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 中学生の智己君は喧嘩したお母さん宛てに『ベントウ ウマカッタヨ』、八百屋の仁さんは行方不明になった猫宛てに『マッテルゾ スグカエレ』、小学1年生の大樹くんは泣かせてしまった大好きなリカちゃん宛てに『モウシナイヨ ゴメンネ』。
 それぞれ風に託して送りました。
 夕子さんが春風郵便局を訪れたのは、桜の蕾がだいぶ膨らんだ穏やかな日でした。
 ハルばあさんはちらりと夕子さんを見ました。
 菫色のカーディガンを羽織った夕子さんは、去年の春に比べてだいぶ痩せています。以前はお日さまのような笑顔が可愛らしい女性だったのです。
 夕子さんは去年の秋、結婚を約束した彼を見送りました。夏の初めに見つかった病気が、あっという間に彼を連れ去ってしまったのです。
「葉書を一枚」
 夕子さんは藍色の鉛筆を取り、葉書を前に暫く考え込みました。
 そしてゆっくりと、『アイタイ アイタイ アイ…』と書きました。
「…足りないわ」
 困ったように微笑む夕子さんを、ハルばあさんは黙って見つめました。
「…やれやれ。一文字百円ずつ、追加料金を頂くよ」
「ありがとう!」
 夕子さんはまた少し考えてから、『…シテル』と書き足しました。
「ほい、お預かり。追加三百円」
 ハルばあさんは葉書と小銭を受け取ると、夕子さんを連れて外に出ました。
 霞がかった空はどこまでも穏やかで、風はまったくありません。これでは葉書が飛び立てません。
 夕子さんは心配そうに、ハルばあさんの顔を覗き込みました。
「やれやれ、今日が今季最後だから、大サービスさね」
 ハルばあさんは空に向かって手招きしました。
 すると、空の高い場所で機嫌良く歌っていた一羽の雲雀が、「チチッピー」と返事をするように一声鳴いて、二人の元に舞い降りたのです。
「ご苦労だけどね、この葉書を届けておくれ」
 雲雀は両足で葉書を掴むと、再び高く高く、天上を目指しました。
 すぐに姿は見えなくなりましたが、囀りだけはいつまでも降るように聞こえてきました。

 翌朝、夕子さんが家のポストを覗くと、白い葉書がありました。
『ソバニイル ナカナイデ』
 恐る恐る手に取り、読み返します。
『ソバニイル ナカナイデ』
 葉書は次の瞬間、はらはらと零れ落ちました。
 夕子さんの手のひらには、桜の花びらが数枚、残されました。
「大サービスさね」
 ハルばあさんの声が聞こえた気がします。

 桜が咲けば、春風郵便局は今季の営業終了。
 来年の春まで、長いお休みに入ります。


  白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう  斎藤 史


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長い!長過ぎる!
明日、ちょっとだけ更新します。

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by bowww | 2017-04-04 03:31 | 作り話 | Comments(0)

ねびまさりけり(春分)

 高校に入って一年、樹(たつき)が平井君也と話したのは二、三度しかない。
 それでも、ほかの同級生に比べれば多い方らしい。大半は挨拶を交わす程度だという。
「そんなわけで中川、プリント類を自宅に届けてやってくれ」
 三学期の終業式の後、樹は担任の先生に紙の束を渡された。
 学級委員として、ついでに平井の様子を見てきてほしいと注文もついた。
「俺、そんな親しいわけじゃないんですから」 
 平井は不登校でも引きこもりでもない。休みがちとはいえ、成績は申し分ない。
 樹が見ている限り、いじめられている様子もない。
「教師より、同級生の気軽な声掛けの方がいいんだよ。気持ちが萎えたまま長い休みに入ると、そのまま学校に出てこられなくなる生徒って結構いるんだ。
 中川だって同級生のことは気になるだろ?」
 平井の家は近くまで行けばすぐに分かると、担任は地図を書き示しながら言葉を継いだ。
「ほい、電車賃とお駄賃」
 小銭とコロッケパンを渡されて、樹は渋々と頷いた。

 毎日乗り降りする駅を通り越して、四つ目の駅で降りる。
 樹の家や高校がある街よりも、山が近く空が狭い。
 手書きの地図に従って駅の西口に出て少し歩く。
 郵便局の角を左に曲がれば、「黒い板塀」が見えるはずだ。
 分からなければ、この郵便局で訊ねてみようと思いながら、樹は角を曲がった。
 右手に、確かに墨色の板塀がある。それが延々と続いている。
(まさか、あの一角全部が平井の家?)
 樹は半信半疑で塀に沿って歩き、入り口を探す。
 もう一度角を曲がったところで、ようやく「平井」の表札を見つけた。
 もちろん門はぴちりと閉まって、中の様子は分からない。
 樹は怖々とインターフォンのボタンを押した。
「はい、どちら様でしょうか」
 女の人のきれいな声がした。
「あの、君也さんの同級生の中川といいます。届け物があって…」
 緊張で声が裏返る。
「ああ、君也のお友達!すぐに開けますね。そのまま玄関までいらしてくださいな」
 門扉がギギッと軋んで内側に開いた。

 門から玄関まで、どれぐらいあるのだろう。
 大きく枝を広げた松の下をくぐり、しっとりと濡れた飛び石を踏む。
 花の香りに誘われて目を上げて、樹は首を傾げた。
 玄関へと続く小道の左側には、京都の寺のような日本庭園が広がっている。
 ところが右手の奥には、今は枝だけの薔薇のアーチが見え、ヒヤシンスやクロッカスが花畑を作っている。
 どちらも丁寧に手入れがされているものの、和洋折衷というにはあまりにもバラバラだ。
 そして、どこかに沈丁花の大木もあるらしい。
 甘い香りは歩くにつれていよいよ濃くなり、噎せ返りそうになった樹は思わず目を閉じた。
 どん!
 肩に何か、誰かがぶつかった。
「ごめんなさい!」
 咄嗟に謝って目を開ける。
 女の人が立っていた。
 薄紫の着物に銀糸の刺繍。銀鼠の帯に茄子紺色の帯締め。帯留め代わりのアメジストのブローチ。
 黒い髪を艶やかに結い上げて、驚くほど赤い口紅がよく似合う。
 樹は言葉をなくして女の人を見つめた。
 平井のお母さんだろうか。
「中川さん?」
 向こうから、樹を呼ぶ声がした。
 女の人はにっこり笑って会釈すると、樹とすれ違った。
 濃い花の香りも通り過ぎる。

 玄関先で待っていたのが平井のお母さんだった。
 樹はプリント類だけ渡して帰ろうとしたが、「せめてお茶でも」と引き止められた。
 通された座敷には、豪華な雛壇が二組、飾られていた。
 君也と差し向かいに座った樹は落ち着かないまま、出されたお茶を飲み干した。
 普段から付き合いがないのだから、話などすぐに途絶えてしまう。
 君也は話が尽きても、穏やかにニコニコ笑っている。
 夕暮れにはまだ間があるはずなのに、日が陰ってきたせいか広い座敷は仄暗い。
 お母さんがやってきて、「お雛様も見てやってくださいね」と雪洞に灯を灯した。
 途端に人形たちに生気が宿ったような気がして、樹はますます居心地が悪くなる。
「…見事なお雛様だよね、平井はお姉さんか妹さんがいるんだっけ?」
「ううん。僕は一人っ子なんだ。これは母と祖母のもの」
 言われてみれば、それぞれ相応に古びている。
「お姉さん、いないの?」
 樹は先ほど庭ですれ違った女の人を思い浮かべ、重ねて訊ねた。
「うん。父は滅多に家にいないから、母と祖母と僕の三人だけ。
 普段から『男一人』で分が悪いんだけど、雛人形が出ている間は完全に孤立無援。囲まれて、なんだか息苦しいぐらいだよ」
 君也は笑顔のまま答えた。
 樹は、君也の後ろに控える男雛の面差しが、君也とよく似ていることに気がついた。

 玄関の戸が開く音がした。
「ただいま」
「あ、おばあちゃんが帰ってきた」
 微かな衣擦れの音と足音が、座敷に近づいて来る。
「おばあちゃん、こちら僕の同級生の中川樹君」
 樹は挨拶しようと頭を下げたが、喉がひりついて声が出ない。
 視界の隅に、真っ白い足袋と薄紫の着物の裾が見える。
 声が出ない。
「あら、さきほどは…」
 沈丁花の香りが、樹を包んだ。


  綿とりてねびまさりけり雛の顔  宝井其角
  春の闇幼きおそれふと復(かへ)る  中村草田男
  沈丁花その存在を闇に置く  稲畑汀子

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都心ではそろそろ桜が開花するかどうかというタイミングですから、お雛様の話題はちょっと時期外れかも知れませんね。
私の住む辺りは月遅れの雛祭りですので、ご勘弁ください。
我が家のお雛様、「お前さん、まだ居たのかい?」と呆れ顔です。
毎年毎年ご期待に添えず申し訳ない…と思いながら、お詫びにチューリップを飾りました。
 
穏やかな暖かな三連休になりましたね。
空は春霞、山々のシルエットが淡く溶けてしまいそうです。
ところが明日は雪の予報。
冬はまだまだ、グズグズ駄々をこねる気のようです。
 

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by bowww | 2017-03-20 11:04 | 身辺雑記 | Comments(2)

仰ぎ癖(啓蟄)

 できたばかりの老人福祉センターは、陽射しがたっぷり入る明るい雰囲気の建物だった。
 昼間のこの時間帯は、デイサービスを利用する比較的元気なお年寄りが多い。
 スタッフにも余裕があるようで、こちらの問いかけにも快く応じてもらえた。
 地元の市役所に勤めて十年、昨年から市の広報作りを担当している。
 市からのお知らせや市議会の議題、市が主催したイベントなどを数ページの冊子にまとめて、二ヶ月に一度発行する。
 新しい施設を紹介するコーナーで、こちらのセンターを取り上げることになった。
「できれば利用者さんのお話も伺いたいのですが、可能でしょうか?」
 一通り施設の説明を受けた後、ベテランといった風情の女性スタッフに訊ねてみた。
「それなら、斉木さんがいいかな」
 彼女は、近くを通りかかった男性スタッフを呼び止める。
「斉木さんなら、庭にいらっしゃいましたよ」
「そう、ありがと」
 中庭が見える窓際へ案内された。
 焦げ茶色のカーディガンに紺色のジャージのパンツを履いた男性が、木の下に佇んでいる。
「あちらが斉木さん。今日は体調が良さそうだから、きっとお話できると思いますよ。
 元々、学校の先生だったせいか、しっかりしたおじいさんなの」
 昼食の用意があるからと足早に去っていく女性に頭を下げて、再び庭に目を遣る。
 斉木さんは左足が不自由らしい。杖で半身を支えている。
 もつれる足がもどかしいのか、右足をせかせかと動かし右腕を大きく振ってバランスをとっている。
「斉木先生…」
 あのせっかちな動き方は、中学生時代に毎日見ていた。

 学校に行くのが嫌いだった。
 私は成績こそ良かったものの、引っ込み思案でクラスになかなか馴染まなかった。
 いじめられていたわけではないが、女子特有のグループごっこが苦手だった。
 担任だった斉木先生は五十代で、熱心な教師として保護者や同僚からの信頼が厚かった。
 確かに、斉木先生は熱心だった。
 クラスは皆、互いに助け合い切磋琢磨し団結しなければならない。
 落ちこぼれは出さない、決して見捨てない。
 もちろん、校則は厳守。
 そんな先生だったから、私のような生徒は見逃せなかったのだろう。
 何かと声を掛けてくれたのだが、私は先生が目の前に立つ度に目を伏せた。
 二年生の春、突然、クラス委員長に指名された。
 必死で無理だと訴えたのだが、
「河瀬ならできる。自分を変えるチャンスだ」と取り合ってもらえなかった。
 結果、惨敗。
 私のか細い声は、ワイワイと騒がしい教室の中では掻き消えてしまう。
 おどおどとした態度が苛立たしいのか、クラスメイトたちは途端に意地悪になった。
 誰も私の話を聞いてくれない。助けてくれない。
 夏頃には、クラスはすっかりまとまりを欠いてしまった。
 私は学校を休みがちになった。
 家庭訪問に来た斉木先生は無理しなくていいと言いながら、去り際に、
「河瀬はもっと仲間を信じないと。いつまでもこのままだぞ」という言葉を残していった。

 庭に出て、斉木さんの側に行く。
「失礼します、市の職員の者ですが、少しだけお話よろしいですか?」
 振り向いた斉木さんの顔には、特に何の表情も浮かばない。
「こちらのセンターの印象を教えていただけますか?市の広報で紹介させて頂くんです」
 ああ…と唸るように返事をする。
「みんな優しくて明るい。良くしてもらってありがたいよ」
 少し言葉が不明瞭で聴き取りづらい。病気の影響だろうか。
「ありがとうございます。お名前とお年はお聞きしてもよろしいでしょうか」
 斉木さんは右手を大きく横に振った。
「いいいい。名前はいい」
 ぐらりと体が傾ぐ。
 とっさに支えた。
 斉木さんは思っていたよりずっと小柄だった。
 すぐに体勢を立て直すと、斉木さんは頭の上の梢を指差した。
「もうすぐ咲く」
 見れば紅梅の蕾が膨らみ始めている。
 堂々と枝を張った古木にあらためて見入った。
「立派な木ですね」
 斉木さんは、うんうんと満足そうに頷いた。

 出来上がった広報を持って、お礼を兼ねてセンターを再訪した。
 先日お世話になったスタッフに声を掛けると、彼女は窓際で私を手招いた。
「ほら、梅が咲いたんですよ」
 春の光を受けて紅梅が満開になっていた。
「斉木さんが、『河瀬さんが来たら教えてやってくれ』と言ってたの」
「…私の名前…」
 きっと私のことは忘れたか思い出せないかだろうと、先日はあえて名乗らなかった。
 斉木さんも何も聞かなかったのに。
「ええ、ちゃんと『河瀬さん』て仰ってましたよ」
 聞けばあの梅の木は、斉木さんが寄贈したものだという。
 自宅で育てた木だが、手入れも行き届かなくなったから、と。
「移したばかりのせいか、なかなか蕾が開かなくてね、今年は咲かないかしらと皆で話していたら、斉木さんが『時機がくれば咲く。焦らなくていいんだ』って」 
 
 梅の木の下に立ち、梢を見上げる。
 柔らかな香りに包まれる。
 斉木先生は、梅がほころぶ前に亡くなったと聞いた。


   青天に紅梅晩年の仰ぎ癖(ぐせ)  西東三鬼


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仰ぎ見るのは、紅梅ではないのですが…。

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by bowww | 2017-03-05 11:13 | 身辺雑記 | Comments(0)

持重りする柔らかさ(雨水)

 店に入るまでは、一つずつ、と決めていたのに。
 頬っぺたが苺大福のような女の子が、ニコニコしながら注文を待っている。
「…あら、うぐいす餅も出たのね」
「はい、さきほど本店から届いたばかりですから、特に柔らかいんですよ」
 受け答えが明るくて気持ちいい。
「…じゃあ、桜餅と草餅、うぐいす餅を二つずつ…」
 ガラスケースから目を上げて、女の子の顔を見て、
「苺大福も…」という言葉はやっと飲み込んだ。

 一人暮らしなのに、「一つだけ、お願い」がなかなか出来ない。
 一つだけ包んでもらうのが申し訳ない気がするし、寂しい人と思われるのが嫌だという見栄も、多少あるのかもしれない。
 餅菓子の包みは、見た目よりも重いし傾けられないから、意外と気を使う小荷物だ。
 バスに乗り込み、膝の上に包みを置く。
 包装紙越しに、桜の葉がふわんと香った。
 バスの中は暖房が効いて暖かい。数少ない乗客は皆、私と同じような年寄りばかりだから静かなものだ。
 つい、うとうととしかけて目を覚ます。
 気がつくと、隣の席に誰かが腰掛けていた。
 そっと隣を窺うと、むき出しの膝小僧が見える。
 年がら年中日に焼けて、擦り傷切り傷かさぶたが絶えない膝小僧だ。
 こんなたくましい膝は、今時なかなかお目にかかれない。
 その上に、握った手をちょこんと乗せて、男の子はおとなしく座っている。
 小学校の五年生ぐらいだろうか。
 停留所でバスが止まり、開いたドアから冷たい風が吹き込んだ。
 桜餅の葉が、再び香る。
 ぐうぅぅう…!
 びっくりするほど大きな音で、男の子のお腹が鳴った。
 思わず、隣を覗き込む。
 男の子は顔を真っ赤にして俯いている。
 桜餅の匂いに釣られてしまったらしい。
 だとしたら、私にも責任がある。
「あのね、ちょっと助けてもらえないかしら」
 私は男の子に声を掛けながら、包みを手早く開いた。
「私ね、帰っても一人なのに、こんなに沢山、お菓子買っちゃったの。
 半分、もらってもらうとすごく助かるんだけど…」
 私の膝の上で、薄いビニールフィルムにくるまった桜餅、草餅、うぐいす餅が行儀良く並んでいる。
 私はハンカチを取り出した。出掛けにアイロンをかけておいて良かった。
 男の子はまん丸な目で私を見た。
「…いいの?」
「うん。人助けだと思って。それとも、こういうお菓子は嫌いかな?」
 ぶんぶんと頭を横に振る。
 日向の匂いがした。
「…妹が、桜餅食べたいって言ってた」
「それなら良かった」
 私が降りる停留所が近い。大急ぎでハンカチに三つ、餅菓子をくるむ。
 アナウンスが停留所の名前を告げる。
 慌てて降車ボタンを押してから、男の子の膝にハンカチの包みを置いた。
「妹さんと仲良く食べてね」
「はい。ありがとうございます!」
 席を立つ私に、男の子は嬉しそうに頭を下げた。
 ハンカチの包みを、両手で抱えている。

 家に戻って、熱いほうじ茶を淹れる。
 桜餅を食べる。葉っぱもむしゃむしゃ食べる。
 湯呑みや皿を洗った後も、指先に桜の葉の香りが残っている。
 ちょっと愉しくなって指をくんくん嗅いでいるときに、唐突に思い出した。
「お兄ちゃん…」
 昔々、私はよく熱を出して寝込む子供だった。
 あの日もたぶん、風邪をひいて寝ていたのだと思う。
 五つ年上の兄が、そっと部屋に入ってきて枕元に座った。
 神妙に正座している。
「桜と草とウグイス、どれがいい?」
 熱でぼんやりした頭では、何を言われているのかさっぱり分からない。
 腫れぼったい瞼をこじ開けると、得意げな兄の顔が見えた。
「やっぱり桜だよな?俺はウグイス!」
 私に見えるように、枕元で包みを解く。
 開いたハンカチの上に、桜餅、草餅、うぐいす餅が行儀良く並んでいた。

「それで、草餅はどうしたんだっけ?」
 半分こ、したんだっけ?
 もう居ない兄に、胸の中で呼びかけてみる。

 
鶯餅の持重りする柔らかさ 篠原温亭

 
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我が家はやたら風通しが良い土地に建っています。
夜、気持ちよく眠っていると、「ドンッ!ミシミシッ!」という音で目が覚めます。
南風が全力で体当たりしてくる音です。
お願い、安普請なんだから、もう少し手加減して。。
一昨夜のこの南風が、春一番、になるのでしょうか。
暦に合わせたように、昨日は雨が降りました。
ただ、雪ではないとはいえ、冷たい雨です。
春一番が吹いた後は、「必ず、絶対、確実に」寒くなりますよ、と何人もの気象予報士さんが言ってました。
最近は天気予報だけでなく、気象の仕組みを分かりやすく解説してくれるのでありがたいですね。
解説の通り、本当に今日は冬に逆戻りの寒さです。

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写真は二枚とも、一昨日、家の近くをフラフラ歩いて撮ってきたものです。
薄氷(うすらい)などという儚げな氷ではありません。日が当たらない場所はがっつり凍りついたままです。
一方で、南向きの土手の斜面には、柔らかい草が萌え始めています。
冬と春を行ったり来たり。
当分は、冬が優勢、でしょうか。

 
 

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by bowww | 2017-02-18 10:52 | 身辺雑記 | Comments(2)