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そよりともせいで(立秋)

 八月の昼下がり、中途半端に降った雨のせいで、街はまるで蒸し風呂だ。
 熱い空気に包まれて息も出来ない。
 普段、冷房が利き過ぎた屋内に籠って仕事をしているせいで、暑さにまったく免疫がないのだ。
 郵便局はすぐそこだからと、考えなしに出掛けたのがまずかった。書類の入った分厚い封筒が、手のひらの汗でじっとり湿ってくる。
 強過ぎる日の光を避けて俯けば、アスファルトの照り返しに灼かれる。 
 ようやく郵便局が見えて来た。
 少しほっとして、ふと気がついた。
 会社を出てからここまで、そういえば誰ともすれ違っていないじゃないか。
 平日のオフィス街、いくら炎天下とはいえ、人の行き来は絶えないはず。
 立ち止まって、辺りを見回す。
 人は居ない。
 後ろにも前にも左右にも、ビルの出入り口にも、店先にも、誰も居ない。
 白々と灼けた、がらんどうの街。ガラス窓は容赦なく光を返すだけ。
 貧弱な街路樹に凭れ掛って、大きくを息を吐いた。
 ビルとビルの間の細い暗がりに、目が吸い寄せられる。
 あそこを抜ければ…。

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○●○●○


 久しぶりにお盆に休みが取れたから、子供たちを連れて両親と姉家族が住む実家に帰省した。
 うちは男の子二人、姉夫婦には男の子と女の子、合計四人の子供たちが集まったわけだから、それはそれは賑やかな夏休みになった。毎日が保育園状態だ。
 プールに昆虫採集、バーベキュー、スイカ割り。家に戻ればお決まりのゲーム。
 子供のパワーは計り知れない。
 でも、女の子は一人だけだからちょっと分が悪い。お兄ちゃんたちに邪魔者扱いされて、泣きべそをかいていることもあった。
 最後の夜は花火大会になった。
 水を張ったバケツを置いて、火を点けるための蝋燭を灯す。
 子供たちが取り囲んで、花火に火が点く瞬間を息を詰めて見守る。
 パッと鮮やかな炎が立つと、一斉に歓声が上がった。
 一人一人に花火を持たせてやる。
 怖々と逃げ腰の子、持った途端に振り回して大人から叱られる子、ただうっとりと炎を見つめる子。
 反応はそれぞれだけれど、花火に照らし出された横顔は、どれも同じようなふっくら頬だ。
 いつもは大人しい姪っ子も、「ねぇ、こっちで花火やろうよ」と、隣の子の手を引いてはしゃいでいる。庭の隅で女の子たちの楽しげな笑い声が響いた。
 大人たちは縁側に座って、子供たちの様子を笑いながら見守っている。
 小さな五つのシルエットが花火の明かりに浮かび上がった。
 …五つ?
「…ねぇ、ご近所のお子さんでも呼んだ?」
「ううん?うちの子たちだけよ?」
 最後の花火が消えて、庭は急に静かになった。


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○●○●○


 帰宅すると、鞄を置くのももどかしく、買ったばかりの本を取り出す。
 アメリカのミステリ小説のシリーズ最新刊だ。やんちゃな主人公が傷だらけになりながら、事件の真相に迫っていく。小気味よい台詞の応酬や、個性的な脇役たちも魅力的なのだ。
 読み始めると止まらない。
 「ちょっとだけ…」のつもりで、自分の家なのに立ち読み。いつの間にかソファの端に腰を下し、そのままズルズルと床に座り込み、お尻が痛くなれば寝転がり、ページを繰るのに夢中になる。
「ほら!また!」
 母の呆れ声にも生返事で、読み耽る。
「暗い所で読むと目を悪くなるってば!」
 ついに後頭部を小突かれた。
 気づけば外はすっかり暮れている。
「…またやっちゃった…」
 慌ててカーテンを引いて明かりをつける。
 仏壇に水を供えると、写真の中の笑顔の母に、軽く睨まれた。


【お盆の頃三景】

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 そよりともせいで秋立つことかいの 上島鬼貫

残暑お見舞い申し上げます。
それにしても、この息苦しいほどの暑さ。
山国とは思えない粘っこさです。
今年の夏は、どうにも毒々しいですね。ノロノロ台風に大雨。
祈るような気持ちで、空を見上げています。


子供の頃、じい様にお話をしてもらうのが好きでした。
それもやっぱり、怖い話が大好き。
美しい幽霊がカランコロンと下駄を鳴らして恋しいお侍さんを訪れる話、大蛇がお寺の鐘に巻き付いて恋人を焼き殺す話、崩れた顔で亭主に恨み言を言う女の人の話。
もう少し大きくなってから、その怖いお話は、牡丹灯籠や安珍清姫、四谷怪談だったのだと知りました。
ほかにも、雨月物語・春雨物語を読んで「あれ?この話知ってる…」と思ったものは、たぶん、じい様の話で聞いていたのでしょう。
そのせいか、ン十年たった今でも、怪談や不思議な話が大好きです。
昔は夏になると、テレビで「本当にあった怖い話!心霊特集!」といった番組をよくやっていましたね。
喧嘩ばかりしていた弟と、この時ばかりは一緒に毛布にくるまって(暑いって!)、テレビを見ていたのを思い出します。
あ、ホラー映画は駄目です、緊張感に耐えられない。
お化け屋敷も嫌い。
肝試し的に、心霊スポットに行くのも絶対NG。
人には入ってはいけない領域があって、そこは尊重すべきだと考えているので。
…単なるビビリですね。


 


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by bowww | 2017-08-07 09:47 | 作り話 | Comments(0)

合歓の花(大暑)

 蝉時雨に、溺れそうになる。
 真夏の日盛り、足元がゆらりと歪む。

 母方の叔父が、家を残して亡くなった。
 独り身だった叔父に家族は居ない。親戚付き合いも希薄だった。
 急な最期だったらしい。
 丸一日、姿を見せず連絡も取れないことを不審に思った同僚が家を訪ね、冷たくなった叔父を発見してくれたそうだ。
「あんなにきちんとした方が、無断欠勤するなんてあり得ませんから」
 親戚から「少々変わり者」と思われていた叔父は、普通の真面目な勤め人だったのだと初めて知った。
 叔父が住んでいた古い家は、駅や学校から離れたやや不便な場所にあり、売却するにしても大した金額にはならない。
 建物を取り壊して更地にして、といった手続きも厄介だ。
「和馬、とりあえず、あんた住んでてくれない?」
 人が居ないと家は荒む。
 叔父と同じく独り身の僕に、お鉢が回ってきた。
「雅哉叔父さんもあんたのことは可愛がっていたから、きっと喜ぶでしょ」
 母がいい加減なことを言う。
 僕には可愛がってもらった記憶はないのだが…。
「あら、覚えてない?生まれたばかりの和馬を抱っこして、『大きくなれよ』って言ってくれたのよ」
 …そんな記憶が残っていたら、僕は天才だっただろう。
「とにかく、あんたは独身だし、車持ってるし、何よりいつまでも実家暮らしというわけにはいかないでしょ」
 確かに、社会人になって親と同居しているのも、そろそろ気詰まりではある。
 空き家の世話係は気楽でいいかも知れない。
「ただ、和馬は雅哉と似たところがあるから気をつけなさいよ。
 ちゃんと結婚してよ、母さん、孫の顔見ないうちは死ねないんだからね」
 母の勝手な言い分を聞き流し、僕は行ったこともない叔父の家へ引っ越した。

 木造の平屋の家は、覆い被さる濃い緑に飲み込まれそうだ。
 庭に二本、家の正面に一本、大きな木々が悠々と枝を広げている。
「母さん、庭の手入れは一人じゃ無理だよ。庭師さん呼んでよ」
 僕は庭いじりにも植物にも、まったく興味がない。
 叔父は小まめに手入れしていたらしく、よく見れば、日当りが良い場所に花壇があったり、薔薇や紫陽花の鉢が残っていたりした。
「頼りないわねぇ。植木屋さんにお願いしておくから、草むしりぐらいはしてちょうだいよ」
 母に言われて渋々、休みの一日を草取りに充てることになった。

 近所で生まれた蝉が、全部この庭に集結したんじゃないだろうか。
 ミンミンなのかジィジィなのか、とにかく何十もの鳴き声が一塊になって落ちてくる。
 木陰なのはありがたいが、雑草が生い茂った地面からは草いきれが立ち昇り、しゃがみ込んでいると息苦しささえ感じる。
 汗が絶えず滴り落ち、腰が痛い。想像以上の重労働だ。
 立ち上がって腰を伸ばす。
 見上げると、羽毛のような桃色の花が咲いている。真夏の日の光が、ふわふわの花弁を白く縁取る。
 これが合歓(ネム)の花かと思っているうちに、蝉の声がすっと遠のいた。
 手足が強張って、「まずい」と気づいたときには動けなくなっていた。

 額に、首筋に、ひんやりしたものが当てられる。
 汗でぐっしょり濡れた全身に、涼しい風が心地好い。
 やっと呼吸が楽になって、目を開ける。
 僕はどうやら、合歓木の下で伸びているらしい。
「これを飲むといい。ゆっくりと」
 湯呑みを受け取って口に含むと、香ばしい香りが広がった。
 美味しい麦茶だなと思ったところで、ようやく気がついて身を起こす。
「…あの、どちらさまでしょう」
 翡翠色のワンピースを着た女の子が、こちらを心配そうに見守っている。
 長く艶やかな黒髪の、見たこともないような美少女だ。
「…頭でも打ったのか?マサヤ。私が分からなくなったか」
 白い手が、何かを探すように差し伸べられる。
 勇気を出して、少女の大きな瞳を覗き込む。
 真っ黒の宝石のような目は、たぶん何も映していない。見えないのだ。
「あの、ごめんなさい、おじ…雅哉は亡くなって、僕は甥で…」
 しどろもどろの僕の説明に、少女は息をのんだ。
「マサヤではない?マサヤはいない?…いない?
 帰って来るのか?」
 呟く声は透きとおり、とても美しい。
「…いいえ、帰って来ないんです。死んでしまったんです」
 夕立がくるのか、日が翳り、木陰は暗さを増した。
 合図でもあったように、蝉たちがぴたりと鳴き止んだ。
 少女はゆっくりと首を傾げる。
 黒髪がさらさらと流れ落ちる。
 僕は、焦点が合わない不思議な瞳から目が離せない。
 白く細い指が、僕の頬を探り当てる。
「では、お前の名前を教えてほしい」
「…和馬」
 瞳に光が走る。
「カズマ…カズマ…」
 指が、僕のカサカサになった唇をなぞる。
 そして少女は、初めて微笑んだ。


  うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花  松瀬青々

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雨上がりの合歓の花を撮ってきたので、ふわふわの羽毛のような質感ではなくなっていますね。
暑さに負けて、日盛りの花を撮りに行けませんでした…。
それにしても、私が書く「美しい人」は、ほとんど同じタイプですね。
もう少し、バリエージョンを増やしたいと思います。。

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暑い暑い七月です。
風通しの良い我が家ですが、すでに3回ほど、エアコンを使ってしまいました。
八月もこの調子が続くのでしょうか。
そして、九州に続いて秋田でも大雨の被害。
災害の多い夏です。
天に祈るしかないのは、古代も現代も変わりありませんね。





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by bowww | 2017-07-23 05:28 | 作り話 | Comments(2)

遠く行かんため(小暑)

 埃っぽい街道を、歩き、歩き、歩き疲れた辺りに、水を売る店がある。
 旅人は皆、地獄に仏とばかりに駆け込み、一杯の水を購っては「甘露」と飲み干す。
 人心地ついて、振り向けば来た道、前には行く道、遥々と見晴るかす小高い丘に立っている。
 南へ向かえば海、北を目指せば山。
 数多の旅人が、海辺の街へ山間の村へと街道を行き交う。

 若い男は、喉を鳴らして水を飲み、続けてもう一杯も浴びるように飲み干した。
 昨夜泊まった宿で、安酒を飲み過ぎたのだ。
 強い陽射しに、目の奥がずきずき疼き、吐き気が絶え間なくこみ上げる。
 水屋の裏にある木立の下へ逃げ込み、べたりとしゃがみ込んだ。
 元々重かった足は、萎えて二度と立ち上がらないかも知れない。
 男は海の街から歩いて来た。
 一旗揚げようと生まれ育った山の村を捨てて海の街へ下り、そして再び、ここに戻ってきた。
 男には何もない。
 残してきた家族も待っている親戚も居ない。
 行く当てもないまま歩き続けて、気がつけば故郷へ向かっていた。
 木立はみっしりと茂り、陽射しを遮ってくれる。
 汗で粘つくこめかみに、涼しい風が気まぐれのように通り過ぎた。
「これが海の匂いかね?」
 男は驚いて目を上げる。
 木陰には先客が居た。
 小柄だが、がっちりとした体躯に日に焼けた肌。髪も髭もすっかり白いものの、声は明るく強い。
 老人は南の方へ向かって、鼻をうごめかしている。
「風の匂いが変わった、海の匂いかね?」
 男は釣られて風の匂いを嗅ぐが、違いは分からない。
「…さぁ、どうでしょう。海はかなり向こうですから…」
「あんたさんは、海の方から来たのでしょ?分からないものかね」
 相手をするのは面倒と、男は返事もせず黙り込んだ。
 老人は男の顔色を眺め、懐から小さな瓶を取り出した。
「気付けになる。ちっと苦いが、飲めば後が楽だ」
 差し出された丸薬を、男はしぶしぶ受け取った。後で捨てればいいと思ったが、老人は目を離さない。
 仕方がなく、丸薬を飲み込んだ。
 舌を抓るような苦みが口に広がり、喉に流れ、胃の腑に落ちていった。
 一瞬、強烈な吐き気が迫り上がってきたが、それをやり過ごすと気分がぐっと楽になった。
「…ありがとうございました」
 男は素直に頭を下げた。
 老人は小さく頷いた。
 日は高く、影はいよいよ濃い。

 老人は先日、連れ合いを亡くした。
 生まれてこの方、故郷を離れたことはなかった。
 春夏秋冬朝も夕も、田畑を耕し、肥やし、穫り込み、家族を養ってきた。
 妻は海の街の出だった。
 よく働き、子を育て、老人を支えた。
 里帰りしたのは、ほんの数回だけだった。
 山の暮らしに、すっかり馴染んだのだと思っていた。
 だが、最期が迫った時、子供に帰ったような妻は「海を見たい、海を見たい」と呟いた。
 老人は途方に暮れた。
 今まで我慢していたのか、故郷が恋しかったのか。
 長年連れ添った相手の心中を、腰を据えて推し測ったことがなかったと気づいた。
 途方に暮れている間に、妻は死んだ。
 葬る前に、小指の骨だけそっと抜き出しておいた。
 それを懐深くに仕舞って、老人は初めて旅に出た。
 妻の育った街を見てみようと思った。
 骨はとても軽く、小さく、頼りなかったから、懐に手を入れて何度も確かめずにはいられなかった。

 若い男は立ち上がった。
 老人にもらった丸薬の苦みで、腸(はらわた)が動き始めた。
 萎えた足に、再び力が戻る。
「ここからもう少し歩けば、海がちらっと見える場所がありますよ」
 男は南を指差した。
「そうかね。それは楽しみだ」
 老人も立ち上がった。
 並んで木立から出て、白く伸びた街道に立つ。
「それじゃ、お気をつけて」
「あんたさんも」
 男は北へ、老人は南へ。


 やがて男は、風の匂いが変わったことに気づく。
 老人は、遠くに光る海の欠片を見つける。


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  緑陰に憩ふは遠く行かんため 山口波津女


梅雨明け間近になると大雨が降るというけれど、九州の豪雨はあまりに酷いです。
報道で映像を見る度に切なくなります。
被災された方々は、本当にお気の毒です。
どうかどうか、これ以上の被害が出ませんように。


先月、学生時代の友人たちと、「オトナの修学旅行in東京」に出掛けました。
東京駅で待ち合わせて、美味しいモノを食べたり、こじゃれたお店を覗いたり、夜はホテルで喋り倒したり。
メインイベントはスカイツリー!
個人では絶対に行かないであろう名所へ、ヤイヤイ言いながら繰り出しました。
…でも、超高い場所って、すぐに慣れちゃうものですね。
キャーキャー言ったのは最初の10分だけでした…。
蔵前のお店でオーダーしたノート(好みの表紙や中の紙、紙留めなどを選んで、その場でノートに仕立ててもらえる)をお土産に、大満足の修学旅行でした。
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友達は少ない方、だと思います。
大勢で賑やかに楽しむのが苦手で、気を使うぐらいなら一人の方がよっぽど気楽。
でも、粒選りの友人たちが各地に居てくれるだけで、いつもちょっとだけ元気になります。
安心して一人遊びができる。
ありがたいです。
…会えば互いに毒づいてばかり、なんですけど…。





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by bowww | 2017-07-07 12:15 | 作り話 | Comments(0)

地軸の軋む音(夏至)

 どうして子供の頃は、寝るのがあんなに嫌だったのだろう。
 特に、昼寝が大嫌いだった。
 外はまだ明るい。眠くない。ちっとも眠れない。もっと遊ぶ。もっともっと遊ぶ。
 寝かしつける大人の手を払いのけ、駄々をこねていたはずなのに、いつもいつの間にか眠りに落ちていた。
「今なら、いつでもどこでも何時間でも眠れるのに…」
 お風呂上がり、髪を乾かしてから床にごろりと転がる。

 そういえば、祖母は私を寝かすのが得意だった。
 夏、祖母の家に遊びに行くと、蚊取り線香の匂いがした。
 昼ご飯を食べ終えると、昼寝の時間がやってくる。
 遊びたいとせがむ私を、祖母は「まぁまぁ」とかわして自分が畳の上に横になった。
 うつ伏せになって、耳をぴたりと畳につける。
「ほぉ…なるほどね。うんうん、なるほどなるほど」
 一人、頻りに頷き、感心した風になる。
「おばあちゃん、なぁに?誰とお話してるの?」
「こうしてると地面の音が聞こえてくるの。いろんな音が聞こえるから、いろんな事が分かるんだよ」
 私も真似して、畳に耳をつける。
「何も聞こえないよ」
「…しっ!静かぁに待たないと。
 今はね、庭のキュウリが大きくなってる音がする。朝、水をやったから、嬉しくてぐんぐん大きくなってるんだね。
 おや、池で何か跳ねたかな?カエルかな?
 う〜んと遠くで、雨粒の音がするよ。もうすぐここにも雨が降るね」
 私は耳に意識を集中する。
「…ザッ!ザッ!ザッ!て音がする」
「ああ、それはきっと、小さな小さな兵隊さんたちが、嫌な夢を追い払うために行進しているんだね」
 開け放した窓から、気持ちの良い風が流れ込む。
 小さな兵隊を見たくて目をこじ開けようとするけれど、瞼はとろりと重たくなっている。
 ザッ!ザッ!ザァッ…ザァッ…。
 波の音にも似ているなと思った頃には、私はすっかり眠りに落ちている。
 そして、大粒の雨がパタパタと地面を叩く頃、私はバスタオルにくるまって目を覚ますのだ。左の頬っぺたに、畳の目の跡をくっつけて。

 床に耳をつける。
 ここはマンションで地面から遠いから、耳に届くのは、空調や冷蔵庫が低く唸る音ばかりだ。
 おばあちゃんの家の畳は、もっと賑やかだった。
 目を閉じて、深く息を吸い、息を吐く。
 地面に向かって耳を澄ます。


  夏至ゆうべ地軸の軋む音少し  和田悟朗


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夏至の前日、昨日の朝焼けです。
4時半にもなれば、夜が明けますね。
日の長さを一番楽しめる季節なのに、日本はちょうど梅雨の季節。
雨模様の空の上で、お日さまは少しずつ、寝坊になっていくのですね。
今日は久しぶりの雨です。
大雨は心配ですが、草木も地面もやっと潤ってくれそうです。





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by bowww | 2017-06-21 12:09 | 作り話 | Comments(0)

氷菓一盞(芒種)

 常連客の一人である山内さんは、実はなかなかの男前だった。
 うちの店に来るときはいつも、寝起きのようなボサボサ頭に無精髭(実際、起きたばかりなのだと思う)。
 洗濯を繰り返して、色がすっかり抜けきったチェックのシャツに、穴が開いたジーンズ。つっかけ履き。
 分厚いレンズの眼鏡に猫背、聞き取りにくい小さな声。
 つまり一言でいえば、まったくもって風采が上がらない。
 それがどうしたことか、今日はボーダーのTシャツにコットンジャケットなぞ羽織っている。
 髪も髭もすっきり整えられ、眼鏡なんて細い鼈甲フレームだ。
「いらっしゃいませ、お一人ですか?」
 山内さんと気づかず、「よそいき」の声で迎えてしまった。「どこの男前が来たかと…」と軽口を叩こうとして、山内さんのお連れさんに気づく。
 なんと、女連れだったか。
 ほっそりとした長い手足、背中まで伸びたさらさらの髪、水色のシャツワンピースがよく似合う、賢そうな大きな瞳と白い頬。
 絵に描いたような美少女・推定十二歳。
 山内さんは片手をちょっとだけ上げて、カウンターから一番遠い窓際のテーブルに着いた。
 美少女は、こちらにぺこりと頭を下げて後を追った。

「そうか、綾ちゃんは知らなかったんだっけ」
 カウンターに座った小田さんが、小声で教えてくれた(町会の役員を歴任した小田さんは近所の情報通だ)。
 美少女は山内さんの十歳になる娘さんだそうで、名前は一花ちゃん。今はお母さんに引き取られている。離婚したのは五、六年前で、山内さんは娘さんと、三ヶ月に一度会えることになっている。養育費は…。
「なるほどなるほど。はい、コーヒーお待たせしました」
 カウンター越しに、小田さんの前へカップを置く。放っておくと、山内家のすべてを語り尽くされてしまいそうだ。
 カフェを開いて五年、地元のお馴染みさんも増えて、何とか続けてこられた。
 ただ、私が想定していたよりも、お客さんの年齢層が高い。平日はほとんど、ご近所のお年寄りたちの寄り合い場と化している。
 「この店は落ち着くんだよねぇ。なんだか懐かしい感じがしてさ」というお言葉はありがたいが、古い建物を改築して「モダンな昭和レトロ」を目指したこちらとしては、とても複雑な気持ちになる。
 このままでは「懐かしの昭和遺産」だ、お客さんも含めて。
 一花ちゃんは、そんな店内が珍しいらしく、きょろきょろを辺りを見回している。
 山内さんは向かいの席で、知り尽くしているはずのメニュー表とにらめっこしている。
「ご注文は?ジュースもありますよ?」
 気を利かせたつもりだったが、美少女は毅然と
「アイスティーで」と答えた。
「…じゃあ僕は、アメリカンで」
 山内さん、うちのメニューにはアメリカンなんてありません。
 とは言えないので、いつものブレンドコーヒーを持っていくことにする。

 カウンターに戻り、ティーポットやカップを用意する。
 読んでいた新聞を畳みながら、小田さんがクスクス笑う。
「父親はやっぱり緊張するもんかね」
「それにしても、山内さん見違えちゃいますね」
「うん、ああしてりゃあ、さすがデザイナーって思うわな」
 危うく薬缶を取り落とすところだった。
 デザイナー?山内さんが?
「そうだよなぁ、普段はニートか引きこもりか?って感じだもんな」
 もう少し話を聞くと、どうやら山内さんは雑誌や本、カタログなどの編集デザインをしているらしい。自分で事務所を立ち上げて、若い人たちも数人働いているそうだから大したものだ。
「一花ちゃんはお母さん似だわな。奥さんって人が相当の美人でね。ただ二人とも仕事が忙しくて、すれ違いが多かったんだろうなぁ、いつだったか…」
「小田さん、コーヒーのおかわりどうぞ」
 有無を言わさずコーヒーを注いでお喋りを遮る。
 奥のテーブルをそっと窺えば、一花ちゃんも山内さんもそれぞれ、窓の外眺めている。
 テーブルの上が、がらんと寂しい。

「もし良かったら、試食してもらえますか?
 夏限定のメニューに載せようかと試作してみたんです」
 一花ちゃんの前に、細長いグラスを置く。
 アイスティーに、あり合わせのバニラアイスを浮かべた。
 山内さんには、エスプレッソをかけたバニラアイス。
 二人が揃ってスプーンを取り上げ、アイスを一掬いするのを見届けてカウンターに戻る。
 アイスがなくなる頃には、ぽつん、ぽつんと言葉が行き交い始めていた。

 店内に西日が入り込む。
 そろそろ西側に葭簀を立てなければいけない季節だ。
「ごちそうさまでした」
 山内さんがレジの前に立つ。
 照れくさいのか、財布の中を覗き込むようにしてこちらを見ない。
「…アイスは…」
「お代は結構ですよ、味見してもらったんですから」
 一花ちゃんはまっすぐこちらを見ている。睫毛が長い。
「あの、美味しかったです。ありがとうございました」
 お父さん、見習ったらどうでしょう、このハキハキさ加減。
「でも、あのままだと見た目が殺風景だと思うんです。お店に出すなら、ミントの葉をちょっと乗せるとかした方が売れると思います」。
 …的確なアドバイス、頂戴しました。

 店を出る親子の背中を見送る。
 一花ちゃんが、お父さんの背中をぽんぽんと払っている。ジャケットに糸くずでも付いていたらしい。
 どちらが親なんだか…と可笑しくなる。
 そして、実際の年齢よりも少しだけ速く大人になっていく美少女に、自分の甥っ子の姿を重ねてみた。
 高校生の甥は三年生になった。毎年、夏休みにアルバイトに来てくれていたのだが、受験を控えていることだし、今年はさすがに無理だろうか。
 片付けをしていると、携帯電話が鳴った。
 甥のケイからだ。想うと呼び水になるのだろうか。
 とにかく、夏のメニューについて相談に乗ってもらおう。


   六月の氷菓一盞(いつさん)の別(わかれ)かな  中村草田男

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西日に輝く麦の秋。
梅雨入り目前ですね。


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by bowww | 2017-06-05 17:24 | 作り話 | Comments(2)

袖の香(小満)

 洗いたての白いTシャツに袖を通し、着古したデニムを履く。
 鏡を見て、苦笑いが浮かぶ。
 こんなさりげない格好が似合うのは、やっぱり二十代、頑張っても三十代前半までだろう。
 全身の輪郭がぼやけ始めた年代に、洗い晒しのTシャツは下着のようで野暮ったい。
 去年の夏は、もう少しマシに見えたと思ったのだが。
 ため息をついてシャツを脱ぐ。
 せめて、アイロンを当ててパリッとさせよう。
 アイロンを温めている間に霧吹きをする。
 ラベンダーの香りが部屋に広がった。
 不意をつかれて手を止める。
 そういえば娘が、リネンウオーターを買っておいたと言っていたっけ。


 良く晴れて暑いぐらいの高原。埃っぽい道。繋いだ手は暖かく乾いていた。
 要らないと言うのに、「頭痛に効くし、リラックスできるよ」とラベンダーの精油を買ってくれた。
 本や写真、万年筆、指輪。手紙。
 小さなプレゼントをしまっておく箱には、ラベンダースティックも混じっていた。
 開ける度に、日向の花畑のような香りが立ち昇った。
 積もる想いが息苦しく、握られた手を捥ぎ離すようにして別れた。


 窓を開けて風を入れる。
 多少はしゃっきりしたTシャツを、風に晒す。
 リネンウオーターの匂いはすぐに飛んでいった。
 再び袖を通し、いつもより少しだけ多めにトワレを纏う。
 口紅は赤にしよう。


  さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  よみ人知らず
  橘のにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする  藤原俊成女(ふじわらのしゅんぜいのむすめ)
 
 
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ラベンダーの香りは、「時をかける少女」でも印象的な小道具になっていましたっけ。
スケッチ作り話、和歌とは真逆の雰囲気になってしまいました。。
本当は、懐かしい恋しい人を、橘の香りで思い出すロマンティックな歌です。
精油はいくつか持っていますが、ラベンダーの香り、実はあまり好きではないのです。
薄荷油は常備しています。
ゴキブリが嫌う匂いだそうなので、薄荷油を振りかけたペーパータオルを、シンク下や床下収納庫、靴箱なんかに入れてあります。
悪魔退散!の、お札みたい。
効果があるのか、今のところ、ゴキさんとは遭遇していません。
薄荷油に、ひのき精油をブレンドしたルームスプレーは重宝しています。


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「香水」は夏の季語ですね。
汗ばむ季節のエチケットだから、ということだそうです。
香水、オードトワレ、オーデコロン。
自分の好きな香りを、そぉ〜っと身につけているのが好きです。
周りの人には分からないくらい、でも、つけ忘れると落ち着かないのです。
どうやら、女っぷりの良い香りよりは、少し中性的な、男性でも女性でも使える香りが好きなようです。

数年前、ちょっとしたことから、グズグズひねくれた気持ちになって、そのまま戻れなくなってしまったことがあります。
どこかで切り替えなきゃ…と、きっかけを探していたときに、おフランスから日本に「上陸」したばかりだというトワレのことを知りました。
東京の百貨店のキラキラとしたフレグランス売り場に行って、ドキドキしながらその香りを試させてもらいました。
(一流の百貨店の店員さんは、田舎者でも優しく接してくださる…)
一嗅ぎ惚れ。
30分ほど、別の売り場を回って考えてから、そのトワレを買いました。
我ながら、背伸びも背伸び、足裏が攣りそうなぐらいの背伸びをして手に入れた香りです。
分不相応ではあるのだけれど、このトワレを纏うと否応なく背筋が伸びました。
毎日こっそり身につけているうちに、グズグズした気持ちもいつの間にか薄らいでいました。
今でも自分に喝を入れたいときには、この香りに助けてもらいます。
「普遍なる水」という名前のトワレ自体は、柑橘系をベースにした凛々しくも軽やかな香りです。


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ニセアカシアの花が満開です。
夜気に、甘い香りが混じります。
昨日、今日と真夏日になりました。
このまま夏本番になってしまうんじゃないかと心配です。
過ごしやすい季節は、本当に短いですね。

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by bowww | 2017-05-21 22:40 | 身辺雑記 | Comments(2)

みどりつめたき(立夏)

 実家に帰ってドアを開けると、「我が家の匂いだ」と思う。
 結婚して家を出るまでは意識したことなどなかったのに、今では帰る度に鼻を掠める「我が家の匂い」を確認する。
 去年からはそこに、線香の匂いが混じっている。
 父は仏壇に、新しい花と毎朝の線香を欠かさない。

 母が亡くなって父が一人取り残された。
 私と姉は結婚し、家を出ていた。
 父は典型的な会社人間だったから、家の事など全くしたことがなかった。
 だが母は、虫が知らせたかのように、定年退職した父にあれこれ根気よく教え込んだ。
 おかげで母が亡くなった後、父はある程度、身の回りのことは自分で片付けられるようになっていた。
 今日も二階のテラスには、タオルやシーツが整然と干され、風に翻っている。
 几帳面な父は、毎日の家事といえども、きちんとこなさないと気が済まないらしい。
「ただいま」
「おう」
 父は私を出迎えると、そのままキッチンに引っ込んだ。
 後について、私もキッチンに向かう。
 見ればシンクの周りはピカピカだし、冷蔵庫の中も一目瞭然に整頓されている。
 万事おおらかだった母が主婦だった頃よりも、むしろ片付いているかも知れない。
「体調はどう?お薬は忘れずに飲んでる?」
 特に心配することはなさそうだが、ほかに話すこともない。
「ああ」
 父も簡単に答え、私が持ってきた柏餅の包みを見てお湯を沸かし始める。
 母は父と、どんな話をしていたのだろう。
 父は朝早くから夜遅くまで仕事に出ていたし、休日もあまり家にはいなかった。
 父と母が、ゆっくり会話を楽しんでいる様子は記憶にない。
 父の退職後、娘たちも家を出て、二人っきりになった二人はどうやって過ごしていたのか、そういえば私や姉はよく知らない。

 薬缶がシュンシュンと鳴り始めた。
 父は手際良く急須と湯呑みを取り出し、お湯を差して温める。
「あれ?お父さん、急須替えたの?」
 ホームセンターで間に合わせに買ってきた急須に代わり、夕日のような色の萩焼がテーブルの上に鎮座していた。
 ぽってりとした下膨れの形が可愛らしい。
「母さん、自分で買ってきたくせに、『もったいない』と言っては仕舞い込んでいたからな」
 戸棚を整理していると、新品の器やキッチンマットなどがわんさか出てきて、萩焼の急須も新聞紙で包まれたままだったという。
「俺だってそう長くないんだから、使わなきゃかえってもったいない」
 父はそう言いながら、少し冷ましたお湯を急須に注ぐ。
 会話が途切れて、二人でなんとなく庭を眺めた。
 狭い庭で、小手毬や山吹が吹きこぼれるように花を咲かせている。
「…春になったらぞくぞくと芽が出てきてな、何かと思っていたらチューリップやらヒヤシンスやら…。
 たぶん適当にありったけ、球根を植えたんだろう。
 まったく、母さんの残したものは不意に出てくるからな」
 かなわんよ、と苦笑しながら、父は湯呑みにお茶を注ぐ。
「母さんにもやってくれ」
 母が使っていた小ぶりの湯呑みを受け取る。
 仏壇の前に座ると、山吹の花束に埋もれて母の写真が見えない。
 父が柏餅を持ってきた。


  しぼり出すみどりつめたき新茶かな  鈴鹿野風呂


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この季節の小さな贅沢は、福岡・八女の新茶のお取り寄せです。
以前、伯母の家で頂いたお茶がとても美味しくて、訊ねてみると福岡の友達が毎年送ってくれる新茶だとのこと。
気前のいい伯母は、封を開けたばかりの新茶を一缶、お土産に持たせてくれました。
香りがよくて、渋みの中にほのかな甘みが感じられて、しみじみ「緑茶って美味しいもんだ」と思ったのでした。
今年も早速、いつものお店に注文しました。
あとは美味しい和菓子を見つけよう。

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田んぼにすっかり水が入りました。
田んぼの中を歩いていると、細い用水路にまで勢いよく水が流れています。
水路は田畑の血管。新鮮な水が隅々まで行き渡って、美味しいお米や野菜ができるのだと実感します。
そして、夜はカエルたちの大合唱が始まりました。
風のない朝の水鏡はもちろん良いですが、日が暮れた後、田んぼ地帯に点在する民家の明かりが、暗い水面に映り込む景色も好きです。
「早く帰って、カエルの声を聞きながら晩酌しようよ」と、酒の虫が騒ぐのです。

夏が特別好きなわけではないのですが、「立夏」という言葉を目にすると心が弾みます。
本当に良い季節ですね。

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by bowww | 2017-05-05 22:26 | 作り話 | Comments(2)

花酔い(穀雨)

 同僚たちと、仕事帰りに夜桜見物へと繰り出した。
 小学校と公園が道を挟んで向かい合わせにある通りは、双方の桜並木が競い合うように満開で、街灯に照らされた艶姿に歓声が上がる。
 けれど、寒い。
 昼間の暖かさに気を許し、薄いコートのまま出掛けてきてしまった。
 桜見物もそこそこに、結局は皆でいつもの居酒屋になだれ込んだ。

 楽しい酒につい羽目を外し、店を出た頃には夜もだいぶ更けていた。
 火照った頬に、冷え冷えとした夜気が心地好い。
 同僚たちと別れ酔いに任せて、人気(ひとけ)が絶えた桜の通りを一人で歩く。
 見上げれば、白々と照る豪奢な花天井。
「贅沢な花見だよな」と思わず頬が緩む。
 視界の隅に、何かが動く気配を捉えて足を止めた。
 ……あれ?子供?小学生?
 今度は頬が強張る。
 数歩先の一際大きな桜の木の下に、子供が二人、立っている。
 こんな夜更けにこんな場所に、子供なんか居るはずがない。
 だとすれば、あれか?この世の者じゃない類いの、あれか?
 酔いは吹っ飛んで、血の気が音を立てて引いていく。
 気づけばもう知らぬふりはできないほど、二人のすぐ近くに居た。
 恐る恐る目を遣る。
 男の子だ。足は一対ずつ、ちゃんとある。
 ようやく大人としての責任を思い出し、「君たちどうしたの?」と声を掛けた。
 二人は、飛び上がって驚いた。
「…このおじさん、僕らが見えるみたいだね」
「酔っ払いだからかな」
「じゃあ、明日には忘れるね」
「うん、忘れるね」
 双子だろうか、そっくりの顔かたちだ。
 額を寄せ合ってひそひそと、なかなか失礼なことを話している。
 一つ咳払いをしてから、もう一度訊く。
「何をしてるの?お家に帰らなきゃ駄目だよ、危ないよ」
 二人は顔を見合わせて、肩をすくめた。
「僕たち、仕事中なんだ」
「おじさんこそ、足元危ないよ」
 それだけ言うと右の男の子は、桜の枝に手を掛けてそっと揺さぶった。
 左の男の子は、一抱えもあるような白磁の壷を、その枝の下に差し伸べた。
「ねぇねぇ、本当に何をしてるの?仕事って何?」
 二人は、うんざりといったふうにこちらを振り返った。
「あのね、おじさん、僕たち忙しいんだ」
「おじさん、早く帰りなよ」
「教えてくれるまで帰らないよ。それに、まだおじさんじゃない」
 二人は同時にため息をついた。
「…どうせ、忘れちゃうだろうから、」
「教えてやって、さっさと帰ってもらおう」
「こんな酒臭いのが側にいて、」
「匂いが移ったら台無しだしね」
 本当に失礼な子供たちだ。

  桜の香りを集めて
  壷に集めて
  お酒を造るんだ
  佐保姫様のお酒を造るんだ
  夜露に濡れた桜の花は
  夜風に冷えた桜の花は
  香りを凝らせて
  色香を凝らせて
  上等なお酒になるんだよ
  とびきりのお酒になるんだよ

 よく見れば、白磁の壷に淡く淡く桜色が滲んでいる。
 喉がごくりと鳴った。
「だめだよ!おじさんにはあげられない」
「…待って」
 壷を隠す男の子を、もう一人が止めて耳打ちした。
 二人は小声で話し合ってから頷いた。
 壷が差し出される。
「ちょっとだけ、」
「飲んでみる?」
 受け止めた壷はひんやりと冷たい。
 再び、喉がごくりと鳴った。


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もうとっくに桜の季節が終わった場所も多いでしょうが、私の住む辺りはようやく散り際です。
飢えたように桜を追いかける季節が終わります。
寂しいような、ホッとしたような…。
2枚目の写真は、サングラス越しの夕日の桜です。いたずらしました。
桜の写真、明日も更新させてください。



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by bowww | 2017-04-20 16:17 | 作り話 | Comments(2)

磨いて待たう(清明)〜その1〜

 町外れの、もう廃止されたはずの簡易郵便局の屋根に、古ぼけた風見鶏が取り付けられました。
 日光や雨風に晒された看板が戸口に立てかけられ、近付いてよくよく見れば『春風郵便局』と読めます。
 町の人たちは慣れたもので、看板をちらりと横目で見ては「ああ、今年もそんな季節だね」と言うのです。
 春だけ開かれる郵便局の局長はハルばあさん。
 本名なのか郵便局の名前から取った愛称なのか、誰も知りません。
 頭のてっぺんで丸めた髪は真っ白で、腰はすっかり曲がっています。
 お客さんがやってくると、大きな目をぎょろりとさせます。
 小さな子供たちが初めてハルばあさんを見ると、お伽噺に出てくる魔女を思い出して泣き出しそうになります。
 それでも、期間限定の春風郵便局にはお客さんが絶えません。
 実はこの郵便局には、伝えたい想いを絶対確実に相手に届けてくれる葉書があるのです。
 想いを書き留めた葉書は、風が運んでくれます。
「春は四方八方から風が吹くからね。好都合ってことさ」
 だから、春風郵便局。
「葉書に書けるのはカタカナ十文字まで。それ以上だと重たくなって、風じゃ運びきれないよ」
 その葉書が一枚千円。
 ボロ儲けじゃないかと陰口を叩く人もいましたが、ハルばあさんは気にしません。
「春は短いんだ。稼がないとね」
 にやりと笑います。
 なるほど、魔女そっくりです。

 高校二年生の陽菜(ひな)ちゃんは、埃っぽい南風が吹く朝、郵便局にやってきました。
 頬を真っ赤に染めて、緊張した様子で千円札を取り出します。
 ハルばあさんは「ほいほい」と葉書を一枚、陽菜ちゃんに渡しました。
「そこにある色鉛筆でね。カタカナ十文字までだよ」
 陽菜ちゃんは少し迷って水色の鉛筆を手に取ると、より一層、頬を赤くしました。
 葉書の隅っこに小さな字で
『ズット ダイスキデシタ』と書き記しました。
 卒業して遠くの大学へ行ってしまう先輩宛てです。
「…お願いします」
「ほいほい。確かにお預かり」
 ハルばあさんは葉書をエプロンのポケットに仕舞いました。
 陽菜ちゃんは気が気ではありません。
「あの…本当に届くんでしょうか?」
 ハルばあさんは、じろりと陽菜ちゃんの顔を見返します。
「南風は昼近くなればもっと強くなるのさ。もうちょっとお待ち」
 陽菜ちゃんは黙るしかありません。
「先輩って人は男前かい?」
 陽菜ちゃんは、こくりと頷きます。
「ふぅん。さてはスポーツができて優しくて、皆の人気者だろ?」
 陽菜ちゃんは項垂れてしまいました。
 私なんか、先輩に釣り合うわけがない。告白なんて、とんでもない。
 だからせめて、好きだったとだけ伝えたい。
「でもねぇ、そんな人気者なら、届いた『ダイスキデシタ』は誰からのか分からないんじゃないのかい?」
 ハルばあさんは表に出て、風見鶏を見上げました。
「うん、こんなもんだね」と呟くと、ポケットから取り出した葉書を、ツイッと放り上げます。
 一際強く吹いた風が、白い葉書をひらりと攫っていきました。
 陽菜ちゃんも空を見上げます。
「ほら!ぼーっとしてない!命短し恋せよ乙女!」
 ハルばあさんが陽菜ちゃんのお尻を叩きました。
 陽菜ちゃんは、なんだか分からないまま駆け出しました。
 今ならまだ、先輩は駅に居るはずです。
 
 史郎さんが春風郵便局に飛び込んだのは、北風が吹きつける午後でした。
 冬に戻ったような寒さです。
「葉書一枚!」
 史郎さんは、カウンターにバンッと千円札を叩き付けました。
 ハルばあさんがじろりと史郎さんを見上げます。
 葉書を「ほれ」と渡しました。
 史郎さんは黒鉛筆で、ぐいぐいと書き始めました。
 どうやら職場の課長宛てのようです。
『クソッタレ シン…』
「お前さん、人を呪わば…って言葉知ってるかい?ほどほどにしとくこった」
 史郎さんはハルばあさんを睨みつけました。
 …が、眼力でハルばあさんに勝てるわけがありません。
 苛立たしげに、書きかけた後ろ半分に線を引くと、『ハゲチマエ』と書き直しました。
 ハルばあさんは、「やれやれ…。まぁ、仕方がないね、お預かり」と葉書を受け取りました。
 吹き荒れる北風は、ハルばあさんの手から葉書をもぎ取っていきました。
「で、お前さんの上司は禿げそうなのかい?」
「…てっぺんが結構、やばいです」
 課長はトイレの鏡の前で、時々、不安そうに髪を撫で付けています。
 その貴重な髪がゾクゾクと抜け始めたら、さぞかし慌てふためくだろうと想像すると、史郎さんの気持ちは少し晴れました。
「それにしても、そんなに嫌いな奴の下で働いてると、今にかお前さんも禿げそうだね」
 史郎さんは、思わず自分の頭を撫で付けました。


【…続きます】

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長くなりました。まだ半分。
残りは明日、更新します。
そして写真は、その場しのぎで昨年の桜です。手抜きでごめんなさい。
本当はまだ、蕾の状態です。今年は少し遅そうです。
それにしても、咲きたてほやほやのソメイヨシノは、こんなにもピンクが濃いんですよね。


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by bowww | 2017-04-04 11:47 | 身辺雑記 | Comments(0)

磨いて待たう(清明)〜その2〜

 東からの風は、微かに花の匂いを含んでいます。
 薬屋のコウちゃんは幼稚園に通う男の子です。
「ハルばあさん、葉書をください」
「ほいほい。お金は持ってるかい?」
 ハルばあさんは、幼稚園児といえど容赦はありません。
「うん!あるよ!」
 コウちゃんは背伸びすると、握り締めていた百円玉を三枚、カウンターに並べました。
「お年玉取っておいたの」
「…これなら、三文字分だね」
 無邪気なコウちゃんの笑顔にも、ハルばあさんは負けません。
「うん、いいの。三文字だけ、書く」
 コウちゃんはオレンジ色の色鉛筆を選ぶと、ハルばあさんに訊ねます。
「『あ』と『そ』と『ぼ』って、どうやって書くの?」
「やれやれ、字も書けないのに来たのかい」
 ハルばあさんは仕方がなく、お手本で「アソボ」と書いてやりました。
「ほら、これを見て書きな」
 コウちゃんは鉛筆を握り締めて、一生懸命、書き写します。
「違う違う、それじゃ『リ』になっちまう。点はもっと左…そっちの点じゃなくて!」
 結局はハルばあさんがコウちゃんの右手に自分の手を添えて、やっとのことで書き上げました。
 郵便局の風見鶏が、パタパタと揺れています。
 東風は葉書を受け取ると、コウちゃんが通う幼稚園の方へピュッと去っていきました。
 ハルばあさんは、曲がった腰をとんとんと叩き「やれやれ」とため息をつきました。
 コウちゃんは満面の笑みです。
「お前さん、友達がいないのかね?」
 コウちゃんは途端にしゅんとしてしまいました。
 ハルばあさんは、「ふん」と鼻で笑いました。
「『アソボ』は届いてるんだから、あとはお前さん次第さね。友達に会ったら、おっきな声で『おはよ!』って言ってごらん。お腹に力が入れば怖いものなんかなくなるさ」
 コウちゃんの笑顔、復活です。
「ハルばあさん、ありがとう!ハルばあさんは、きっと良い魔女だね!」
 手を振るコウちゃんに、ハルばあさんは力なく手を振り返しました。

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 中学生の智己君は喧嘩したお母さん宛てに『ベントウ ウマカッタヨ』、八百屋の仁さんは行方不明になった猫宛てに『マッテルゾ スグカエレ』、小学1年生の大樹くんは泣かせてしまった大好きなリカちゃん宛てに『モウシナイヨ ゴメンネ』。
 それぞれ風に託して送りました。
 夕子さんが春風郵便局を訪れたのは、桜の蕾がだいぶ膨らんだ穏やかな日でした。
 ハルばあさんはちらりと夕子さんを見ました。
 菫色のカーディガンを羽織った夕子さんは、去年の春に比べてだいぶ痩せています。以前はお日さまのような笑顔が可愛らしい女性だったのです。
 夕子さんは去年の秋、結婚を約束した彼を見送りました。夏の初めに見つかった病気が、あっという間に彼を連れ去ってしまったのです。
「葉書を一枚」
 夕子さんは藍色の鉛筆を取り、葉書を前に暫く考え込みました。
 そしてゆっくりと、『アイタイ アイタイ アイ…』と書きました。
「…足りないわ」
 困ったように微笑む夕子さんを、ハルばあさんは黙って見つめました。
「…やれやれ。一文字百円ずつ、追加料金を頂くよ」
「ありがとう!」
 夕子さんはまた少し考えてから、『…シテル』と書き足しました。
「ほい、お預かり。追加三百円」
 ハルばあさんは葉書と小銭を受け取ると、夕子さんを連れて外に出ました。
 霞がかった空はどこまでも穏やかで、風はまったくありません。これでは葉書が飛び立てません。
 夕子さんは心配そうに、ハルばあさんの顔を覗き込みました。
「やれやれ、今日が今季最後だから、大サービスさね」
 ハルばあさんは空に向かって手招きしました。
 すると、空の高い場所で機嫌良く歌っていた一羽の雲雀が、「チチッピー」と返事をするように一声鳴いて、二人の元に舞い降りたのです。
「ご苦労だけどね、この葉書を届けておくれ」
 雲雀は両足で葉書を掴むと、再び高く高く、天上を目指しました。
 すぐに姿は見えなくなりましたが、囀りだけはいつまでも降るように聞こえてきました。

 翌朝、夕子さんが家のポストを覗くと、白い葉書がありました。
『ソバニイル ナカナイデ』
 恐る恐る手に取り、読み返します。
『ソバニイル ナカナイデ』
 葉書は次の瞬間、はらはらと零れ落ちました。
 夕子さんの手のひらには、桜の花びらが数枚、残されました。
「大サービスさね」
 ハルばあさんの声が聞こえた気がします。

 桜が咲けば、春風郵便局は今季の営業終了。
 来年の春まで、長いお休みに入ります。


  白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう  斎藤 史


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長い!長過ぎる!
明日、ちょっとだけ更新します。

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by bowww | 2017-04-04 03:31 | 作り話 | Comments(0)