ひざまづく(寒露その1)

 整然と、しっちゃかめっちゃか。
 田上さんの部屋入った途端、濃密な空気に圧倒される。
 まず薄暗い。昼間でも分厚いカーテンを引きっぱなしだからだ。
 次に匂い。外国の石鹸のような粉っぽくて甘ったるい匂い。
 そして、大量のガラクタ。
 大小様々で色とりどりのガラス瓶と古い本が、造り付けの棚いっぱいに詰め込まれ溢れ出ている。小さな書き物机は大量の紙類(上等な千代紙から何かの包装紙、紙箱、雑誌や新聞の切り抜きなどなど)が堆積している。鏡台周りにも大量のガラス瓶。本物なのかイミテーションなのか、アクセサリーの類いが無造作に並べられている。華奢な椅子の上には、レースが幾重にも波打つ子供用ドレス。もともとは薔薇色であったらしいサテンのリボン。
 壁一面には絵はがきと写真。はがきの文字はすっかり色褪せて消えかかっている。昔の外国の女優・俳優の写真が何枚も。セピア色の家族写真に写っている女の子は、レースのドレスを着て大きなリボンを髪に結んでいる。
 しっちゃかめっちゃかなのに、手を出せない。
 何か一つ抜き出せば、たちどころに雪崩落ちそうな危うい均衡を保っている。
「お嬢様、森田様がおいでになりました」
「そう。お通しして」
 私は慌てて一歩、後ろに下がる。許しもなく部屋に立ち入っていた。
 サカキさんは穏やかに、私を田上さんの近くに導く。
「お嬢様、今日はどの本にいたしますか」
「なにか二、三冊持って来てちょうだい。森田さんに選んでいただきましょう」
 サカキさんはごちゃまぜの本棚から、絶妙な力加減で三冊を引っ張り出して私に手渡した。
 三十年前の経営指南の本と、女優(すでに故人の)が書いたレシピ集、谷崎潤一郎の短編集。
「…谷崎潤一郎の小説でよろしいですか?」
 田上さんはおっとりと頷くと、真っ白く骨張った手を伸ばして、私に座るように促す。
 座れと言われても、部屋はあらゆるガラクタに占拠されていて、腰を下ろすスペースもない。
 サカキさんは、素早くベッドの上の山積みの服を片付けて、「どうぞ」と微笑んだ。
 私がなんとか僅かなスペースに腰を落ち着けたのを見届けて、サカキさんは静かに部屋を出て行った。
 手元にフロアライトを引き寄せ、私は本を開く。
「それでは、お読みしますね」
 田上さんはまたおっとりと頷き、指を組んだ。僅かな身じろぎで、座っている椅子がぎしりと軋む。
 私はできるだけゆっくりと、谷崎の短編を読み始めた。

 朗読ボランティアの会に登録して、初めて派遣されたのが田上さんの家だった。
 マンションや雑居ビルの狭間に、ぽつんと取り残された庭付きの古い家を訪ねると、品の良いおじいさんが出迎えてくれた。
 スーツはやや大きめで形も古いが、糊のきいた白いシャツに真新しいネクタイを締めている。
「ボランティアでお伺いした森田です。ご主人さまですか?」
「お待ちしておりました、私は田上の使用人でサカキと申します」
 きょとんとした私に微笑んで見せると、サカキさんは声を潜めて続けた。
「森田さんはお若いですから、ご存知ないのも無理はない。田上家はこの辺りの名家だったのですが、先代、つまりお嬢様のお父様が早くにお亡くなりになってから、ご不運が重なりまして…」
 後は察して欲しい、という目で見つめられても、私としては返す言葉がない。
 お金持ちがお金持ちでなくなって、今に至るということなのだろう。
 ボランティアの立場で、派遣先の事情をあれこれ詮索するのは憚られる。
 私は曖昧に微笑み、促されるままに田上邸に足を踏み入れた。


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長くなりましたので、分けてアップします。
汗ばむような陽気の寒露になりました。


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# by bowww | 2017-10-08 11:16 | 作り話 | Comments(2)