第十四候 鴻雁北

 遅霜で、咲きかけた白木蓮が全滅した。
 練り絹のように柔らかな花弁が、春の日射しで綻びかけていたのに、一夜にして茶色くなってしまった。
 庭師は大きな木を仰ぎ見て溜め息をつく。
 お屋敷の奥さまが殊の外、大切にしている木なのだ。
「ここでは滅多に綺麗に咲けないのね」と、いつか呟いたことがあった。
 奥さまの生まれ故郷は南の方だという。そこではきっと、白木蓮がゆったりと花開くのだろう。
 あの時の奥さまの悲しそうな笑顔を思い出すと、庭師の胸がぎゅっと苦しくなる。

 親方に連れられて初めてお屋敷に行ったのは、庭師が二十歳の春先だった。
 親方が刈り落とした枝を束ねたり、雑草をむしったりしていると、庭に出て来た奥さまに声を掛けられた。
 こんなに綺麗な人がいるのかと、庭師は素直に感動した。
 奥さまは、柳色の紬に桜色の帯を締めていた。銀の帯留めは燕。挨拶と自己紹介をした程度の短い時間だったのに、半襟の白さまでくっきりと覚えている。
 あれから十五年、庭師はずっと奥さまに憧れていた。
 旦那さまはほとんどお屋敷には来なかった。若い愛人と暮らしていたが、五年ほど前に事業に失敗して失踪した。
 庭師はお屋敷に行く度に、深い森のように静かだと思った。
 寂しく暮らす奥さまに同情し、想いを募らせた。
 もちろん身分が違い過ぎる。
 せめてもと、奥さまが好きだという花や木を植えて、丹誠込めて世話をした。

 庭師は故郷に帰ることになった。
 三十歳を越えた頃から、「早く身を固めろ」と周囲がうるさくなっていた。とうとう年老いた母の「孫の顔を見せてくれ」という泣き落としに負けた。
 もう独り立ちする時期だからと、親方からも背中を押された。
 奥さまへの想いを断ち切るいい機会だと、庭師も思った。
 お屋敷での仕事を片付けて別れの挨拶をすると、奥さまは悲しそうに笑った。
「そう、お前も行ってしまうのね」
 最後だからと庭師を引き止め、奥さま自らがお茶を運んできて長年の労をねぎらってくれた。
「もうすぐ牡丹が咲くわ。次の庭師も、お前みたいに上手に咲かせてくれるかしら」
 奥さまは庭の花々を次々と数え上げた。
 梅に沈丁花に枝垂れ桜。牡丹が終われば若葉が綺麗。一重の白い薔薇が庭の風景に馴染んで嬉しい…。
 庭師はそれだけで嬉しかった。嬉し過ぎて、湯のみを持つ手が震えている。震えを隠そうと慌てて飲み干す。
 と同時に、湯のみは滑り落ちて、庭師の足元で砕け散った。
 欠片を拾おうとかがみ込んだ庭師は、そのまま前のめりに倒れた。
「みんな、私を置いて行ってしまおうとするの。お前は白木蓮の下がいいわね」
 奥さまは、庭師の開いたままの目を優しく閉じてやる。



〜鴻雁北(がん きたへ かえる/こうがん かえる)〜




桜が咲きました。
毎年、自分だけの「標準木」を決めて、自分だけの「開花宣言」をするのですが。
今年、浮き浮きとその木に会いに行ったら、切り倒された後でした。
樹齢が六十年ほどになる古いソメイヨシノですから、仕方がないと言えば仕方がないのです。
でも。。。
花の季節にしか会いに行かない薄情者なのだから、今更嘆いてもいけないよなぁ…という気持ちもあって、泣きべそをかきました。
ちょっと寂しい春です。

鴻雁=雁(かり)が、北へ帰る頃ということですが、私には雁が分かりません。
白鳥が来る土地なので、白鳥の北帰行は風物詩です。白鳥たちは冬の終わりの頃に飛び立ちます。真っ青な空に隊列を組んで飛んで行く姿は、やはり綺麗。
海の旬は鰹(たたき大好き)。ホタルイカ。
山の旬は春キャベツ。山椒。

少し変わった植物の展示会を覗いてきました。
名前が…カタカナばかりで覚えられないけれど、面白い形の多肉植物が並んでいました。
それにしてもサボテンの花って、無意味に可愛いですよね。
私はいつも、「ヒゲ面マッチョが花をくわえている図」を想像してしまうのです。

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次回は4月15日「虹始見」に更新します。





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# by bowww | 2014-04-10 09:05 | 七十二候 | Comments(2)