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月光に(霜降)

「いつでもここに来ればいいよ」。
 ふと、思い出す声。

 昨日まで王様は僕だったのに、ちっぽけな赤い猿みたいな生き物が登場した途端に、僕の天下は終わった。
 父さん母さんはもちろん、おじいちゃんおばあちゃん、通りすがりの大人たちまで、生まれたばかりの弟に微笑みかける。
 僕は弟のおまけみたいだ。
 泣いても笑っても怒ってもほったらかし。
 弟なんか、いらない。


「ほら。一口齧れば充分さ」。
 誰の声だっただろう。
 苔むした木の根もと。

 彼女は一番の友達。何でも話せる親友。
 頭が良くて明るくて、そしてとても可愛い。中途半端なアイドルより、ずっと可愛い。
 私の大好きな友達。いつも一緒。
 でも、時々、たとえば二人並んで大きな鏡の前に立った時。
 たとえば担任の先生が、彼女にだけ優しい言葉をかける時。
 ずるい。
 息が詰まる。


「効き目はゆっくりだけど、確実だよ」。
 よく知っている、懐かしい声。
 落ち葉が朽ちていく匂い。
 しんと冷えた空気。

 娘を連れて実家に行く。
 フリルのついたワンピースや知育絵本、オーガニックな材料で作ったお菓子。
 行く度に、子供の為になる何かが用意されている。
 三歳の娘は自己主張が始まったばかりで、好き嫌いが激しい。
 為になるものほど、見向きもしない。
「あらあら、お母さんとそっくりの我がままさんね。
 あのね、つまらない物ばかり与えていると、くだらない女の子になっちゃうのよ」
 淡いピンクベージュの口紅で整えられた母の唇が、見事な弧を描く。 
 ねぇ、お母さん、私はあなたが嫌いです。


 近所の公園で、学校の裏庭で、寂れた避暑地の林で。
 静かに肥えていく茸。
「もうすぐ月が満ちるよ」
 

  月光に毒を蓄へ毒きのこ 遠藤若狭男


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秋の台風は大事になりやすいですね。
野分と呼ぶには、あまりに荒々しい秋の台風が通過していきました。
久しぶりの青空はありがたいのですが、濁流や土砂崩れの映像を見ると心が塞ぎます。

仕事でドタバタしていましたが、日付が変わらぬうちになんとかブログ更新。。
写真の茸、子供の小指の爪よりも小さかったのです。




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by bowww | 2017-10-23 22:30 | 作り話 | Comments(0)

ひざまづく(寒露その3)

 ある日、お嬢様から一冊の本を手渡された。
「森田さんは、源氏物語を読んだことあるかしら」
「…漫画でなら…」
 お嬢様は「あらあら」と笑い声を上げた。
「原文の朗読は無理ね」
「いえ、普通の活字で書かれているなら、たぶん大丈夫だと思います」
「では、第十帖を読んでいただける?」
 恐る恐る本を開き、漫画で読んだストーリーと場面を必死で思い出す。
 第十帖は、源氏の君の年上の恋人・六条御息所が、自身の嫉妬心に耐えきれず、娘と共に伊勢へ下向することを決めて野の宮に籠っているところへ、源氏が会いに行くという場面だ。
「遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。」
 気位の高い御息所を持て余し、自ら離れていったというのに、秋の野の宮の風情と心弱りした御息所の艶っぽさに、「やっぱり手放すのは惜しい人」と涙する源氏の君。
 血を吐く思いで諦めた若い恋人の涙を見て、心が揺れてしまう御息所。
 時々、つかえながらも何とか読み終えた。
 田上お嬢様は二度、三度ゆっくりと頷いてから、私に訊ねた。
「森田さんは、源氏物語はお好き?」
「…源氏の浮かれポンチっぷりに腹が立ちますけど。すぐに泣くし」
 思わず本音が出た。
 お嬢様は今度こそ、心底楽しいというように笑い声を上げた。
 口を覆う右手には、大きな翡翠の指輪がとろりと輝く。大きすぎて、細い細い指が折れてしまいそうだと、いつも少しだけ不安になる。
 サカキさんがドアをノックして、お茶の時間を告げた。

「えっ⁉︎ 森田さん、田上さんたちの話、信じちゃったの?」
 田上さんとの契約が終わり、朗読ボランティアの集まりに久しぶりに顔を出すと、会長の押尾さんが素っ頓狂な声を上げた。
「没落したお金持ちだか名家だかのお嬢様って教わったんでしょ?
 違うのよ、あのお二人ご夫婦なのよ」
 私は呆気にとられて押尾さんの顔を見返した。
「ごく普通のご夫婦なのよ、旦那さんは元サラリーマンで奥さんは専業主婦。確か息子さんが二人いたはずよ」
 数年前、奥さんが大病し、命は取り留めたけれど記憶が混乱する後遺症が残ってしまったという。
「きっと憧れだったのね、お嬢さまの生活が。
 旦那さんは奥さんがパニックにならないように、話を合わせてあげてるというわけ」
「あそこの旦那さん、なかなかの男前でしょ。若い頃は結構、奥さんを泣かせたみたいよ。仕事が忙しいから、家事も育児も任せっぱなしだったみたいだし…。
 介護大変ですねって声を掛けたら『罪滅ぼしと恩返しのようなものです』って」
 別の会員が押尾さんの声を聞きつけて口を挟み、噂話がどんどん広がっていく。
 私はトイレに行くふりをして席を離れた。
(騙された!)
 洗面台でじゃぶじゃぶ手を洗いながら、カーッと血が上った頭を冷やす。
 年寄りのおままごとに、疑いもなく巻き込まれた自分の間抜けっぷりが恥ずかしい。
 鏡の前に飾られた紫苑が目に留まる。
「…秋の花、みな衰へつつ…」
 西向きの窓から射し込む秋の陽射しが眩しくて目を細めた。
それにしても、サカキさんの紅茶は美味しかった。
何があったにせよ、今のお嬢様は、穏やかな夢を見ながら微睡んでいる。
 ほんの少しだけ、あの部屋のほの暗さを懐かしく思い出す。
  


  ひざまづく八千草に露あたらしく 坂本宮尾
 

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すっかり長くなりました、お付き合いありがとうございます。
秘密の小部屋、モデルは作家の森茉莉さんです。
唯一無比の美意識を頼りに集めた自分だけの宝物(他人から見れば完全なガラクタ)に囲まれて、薔薇色の夢を見ながら生きた人ですね。
今の断捨離ブームの対極にある暮らしぶり。
宝石箱のような言葉の数々は、何度読み返してもため息ものです。





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by bowww | 2017-10-10 11:07 | 作り話 | Comments(2)

ひざまづく(寒露その2)

 足までの長い緑色のワンピースに黒天鵞絨のカーディガン、エメラルドグリーンのストールを羽織った老女が、「お嬢様」であることにまず驚く。そして、部屋の有様にも言葉を失う。
「ボランティアの方?ご苦労さま。まずは声を聞かせていただける?」
 動揺を押し隠し、ゆっくりと自己紹介する。
 田上お嬢様はほとんど目が見えないのだという。
「あら、良いお声。私が好きなお声だわ。
 森田さん、でしたっけ?あなた、フランス語は?」
「…えっと、全く習ったことがなくて…」
「それは残念ね、久しぶりに原書で読んでみたい本があったのだけれど…」
 そっと本棚に目を走らせる。確かに何冊か洋書も混じっているようだ。背表紙は灼けて、書名の箔押しはほとんど剥げ落ちているが。
 なんなら、断ってもらっても構わない。
 この不思議な部屋に通い続ける自信がない。
「まあ良いでしょう、耳に障らない声の方って、なかなか見つからないものね。
 サカキ、こちらの方にお願いしましょう」
 どうやら合格してしまった。
 高くも低くもない、のっぺりとした声だと自分では思っているのだが、お嬢様のお気には召したらしい。
 以来、週に一度、田上邸に通うことになった。

 読んでも読んでも、声が吸い取られて消えていく。
 お嬢様の部屋の音響効果は、限りなく無に等しい。ガラクタたちが音を端から吸収してしまうから、知らず知らずのうちに、声を張り上げてしまう。
「森田さん、少しボリュームを下げてくださるかしら」
 お嬢様は、ちょっとだけ右手を上げて見せる。
 私は慌てて詫びて、自分の声の行方に無頓着でいようと心がける。
 そうしているうちに、自分もこのままこの部屋の一部になってしまう錯覚に捕われる。
 仄暗い部屋の隅で埃が光にきらめく様を、もう何年も何十年も眺め続けているような…。
 ドアをノックする音で我に返る。
「お嬢様、森田様、お茶の時間でございます」
 サカキさんが淹れてくれる紅茶はとびきり美味しい。
 紅茶の香りと温かい湯気に、ほっと一息つく。
 お茶の時間は、サカキさんがお嬢様につきっきりでお世話をする。
 紅茶が熱すぎないか確認し、カップをそっと手渡す。頃合いを見て、ミルクを足したり、焼き菓子を取り分けたりと、目が不自由なお嬢様が不便を感じないように働き続ける。
 動きの一つ一つに無駄がない上にこまやかだ。
「サカキさんは、ずっとお嬢様とご一緒だったんですか」
 一度、帰りがけの玄関で聞いてみたことがある。
「…いえ、先代にお世話になった後、一度は田上家を出ました。お嬢様がお一人になられたと聞いて戻ってまいりました」
 お嬢様とサカキさんはきっと年齢も近い。
 何かロマンスがあったのではないかという想像も楽しく、いつしか田上邸に通うのが嫌ではなくなっていた。


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もう一回だけ、続きます…。

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by bowww | 2017-10-09 07:05 | 作り話 | Comments(0)

ひざまづく(寒露その1)

 整然と、しっちゃかめっちゃか。
 田上さんの部屋入った途端、濃密な空気に圧倒される。
 まず薄暗い。昼間でも分厚いカーテンを引きっぱなしだからだ。
 次に匂い。外国の石鹸のような粉っぽくて甘ったるい匂い。
 そして、大量のガラクタ。
 大小様々で色とりどりのガラス瓶と古い本が、造り付けの棚いっぱいに詰め込まれ溢れ出ている。小さな書き物机は大量の紙類(上等な千代紙から何かの包装紙、紙箱、雑誌や新聞の切り抜きなどなど)が堆積している。鏡台周りにも大量のガラス瓶。本物なのかイミテーションなのか、アクセサリーの類いが無造作に並べられている。華奢な椅子の上には、レースが幾重にも波打つ子供用ドレス。もともとは薔薇色であったらしいサテンのリボン。
 壁一面には絵はがきと写真。はがきの文字はすっかり色褪せて消えかかっている。昔の外国の女優・俳優の写真が何枚も。セピア色の家族写真に写っている女の子は、レースのドレスを着て大きなリボンを髪に結んでいる。
 しっちゃかめっちゃかなのに、手を出せない。
 何か一つ抜き出せば、たちどころに雪崩落ちそうな危うい均衡を保っている。
「お嬢様、森田様がおいでになりました」
「そう。お通しして」
 私は慌てて一歩、後ろに下がる。許しもなく部屋に立ち入っていた。
 サカキさんは穏やかに、私を田上さんの近くに導く。
「お嬢様、今日はどの本にいたしますか」
「なにか二、三冊持って来てちょうだい。森田さんに選んでいただきましょう」
 サカキさんはごちゃまぜの本棚から、絶妙な力加減で三冊を引っ張り出して私に手渡した。
 三十年前の経営指南の本と、女優(すでに故人の)が書いたレシピ集、谷崎潤一郎の短編集。
「…谷崎潤一郎の小説でよろしいですか?」
 田上さんはおっとりと頷くと、真っ白く骨張った手を伸ばして、私に座るように促す。
 座れと言われても、部屋はあらゆるガラクタに占拠されていて、腰を下ろすスペースもない。
 サカキさんは、素早くベッドの上の山積みの服を片付けて、「どうぞ」と微笑んだ。
 私がなんとか僅かなスペースに腰を落ち着けたのを見届けて、サカキさんは静かに部屋を出て行った。
 手元にフロアライトを引き寄せ、私は本を開く。
「それでは、お読みしますね」
 田上さんはまたおっとりと頷き、指を組んだ。僅かな身じろぎで、座っている椅子がぎしりと軋む。
 私はできるだけゆっくりと、谷崎の短編を読み始めた。

 朗読ボランティアの会に登録して、初めて派遣されたのが田上さんの家だった。
 マンションや雑居ビルの狭間に、ぽつんと取り残された庭付きの古い家を訪ねると、品の良いおじいさんが出迎えてくれた。
 スーツはやや大きめで形も古いが、糊のきいた白いシャツに真新しいネクタイを締めている。
「ボランティアでお伺いした森田です。ご主人さまですか?」
「お待ちしておりました、私は田上の使用人でサカキと申します」
 きょとんとした私に微笑んで見せると、サカキさんは声を潜めて続けた。
「森田さんはお若いですから、ご存知ないのも無理はない。田上家はこの辺りの名家だったのですが、先代、つまりお嬢様のお父様が早くにお亡くなりになってから、ご不運が重なりまして…」
 後は察して欲しい、という目で見つめられても、私としては返す言葉がない。
 お金持ちがお金持ちでなくなって、今に至るということなのだろう。
 ボランティアの立場で、派遣先の事情をあれこれ詮索するのは憚られる。
 私は曖昧に微笑み、促されるままに田上邸に足を踏み入れた。


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長くなりましたので、分けてアップします。
汗ばむような陽気の寒露になりました。


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by bowww | 2017-10-08 11:16 | 作り話 | Comments(2)