<   2017年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

袖の香(小満)

 洗いたての白いTシャツに袖を通し、着古したデニムを履く。
 鏡を見て、苦笑いが浮かぶ。
 こんなさりげない格好が似合うのは、やっぱり二十代、頑張っても三十代前半までだろう。
 全身の輪郭がぼやけ始めた年代に、洗い晒しのTシャツは下着のようで野暮ったい。
 去年の夏は、もう少しマシに見えたと思ったのだが。
 ため息をついてシャツを脱ぐ。
 せめて、アイロンを当ててパリッとさせよう。
 アイロンを温めている間に霧吹きをする。
 ラベンダーの香りが部屋に広がった。
 不意をつかれて手を止める。
 そういえば娘が、リネンウオーターを買っておいたと言っていたっけ。


 良く晴れて暑いぐらいの高原。埃っぽい道。繋いだ手は暖かく乾いていた。
 要らないと言うのに、「頭痛に効くし、リラックスできるよ」とラベンダーの精油を買ってくれた。
 本や写真、万年筆、指輪。手紙。
 小さなプレゼントをしまっておく箱には、ラベンダースティックも混じっていた。
 開ける度に、日向の花畑のような香りが立ち昇った。
 積もる想いが息苦しく、握られた手を捥ぎ離すようにして別れた。


 窓を開けて風を入れる。
 多少はしゃっきりしたTシャツを、風に晒す。
 リネンウオーターの匂いはすぐに飛んでいった。
 再び袖を通し、いつもより少しだけ多めにトワレを纏う。
 口紅は赤にしよう。


  さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  よみ人知らず
  橘のにほふあたりのうたた寝は夢も昔の袖の香ぞする  藤原俊成女(ふじわらのしゅんぜいのむすめ)
 
 
b0314743_07212387.jpg


ラベンダーの香りは、「時をかける少女」でも印象的な小道具になっていましたっけ。
スケッチ作り話、和歌とは真逆の雰囲気になってしまいました。。
本当は、懐かしい恋しい人を、橘の香りで思い出すロマンティックな歌です。
精油はいくつか持っていますが、ラベンダーの香り、実はあまり好きではないのです。
薄荷油は常備しています。
ゴキブリが嫌う匂いだそうなので、薄荷油を振りかけたペーパータオルを、シンク下や床下収納庫、靴箱なんかに入れてあります。
悪魔退散!の、お札みたい。
効果があるのか、今のところ、ゴキさんとは遭遇していません。
薄荷油に、ひのき精油をブレンドしたルームスプレーは重宝しています。


b0314743_07214299.jpg


「香水」は夏の季語ですね。
汗ばむ季節のエチケットだから、ということだそうです。
香水、オードトワレ、オーデコロン。
自分の好きな香りを、そぉ〜っと身につけているのが好きです。
周りの人には分からないくらい、でも、つけ忘れると落ち着かないのです。
どうやら、女っぷりの良い香りよりは、少し中性的な、男性でも女性でも使える香りが好きなようです。

数年前、ちょっとしたことから、グズグズひねくれた気持ちになって、そのまま戻れなくなってしまったことがあります。
どこかで切り替えなきゃ…と、きっかけを探していたときに、おフランスから日本に「上陸」したばかりだというトワレのことを知りました。
東京の百貨店のキラキラとしたフレグランス売り場に行って、ドキドキしながらその香りを試させてもらいました。
(一流の百貨店の店員さんは、田舎者でも優しく接してくださる…)
一嗅ぎ惚れ。
30分ほど、別の売り場を回って考えてから、そのトワレを買いました。
我ながら、背伸びも背伸び、足裏が攣りそうなぐらいの背伸びをして手に入れた香りです。
分不相応ではあるのだけれど、このトワレを纏うと否応なく背筋が伸びました。
毎日こっそり身につけているうちに、グズグズした気持ちもいつの間にか薄らいでいました。
今でも自分に喝を入れたいときには、この香りに助けてもらいます。
「普遍なる水」という名前のトワレ自体は、柑橘系をベースにした凛々しくも軽やかな香りです。


b0314743_10213147.jpg


ニセアカシアの花が満開です。
夜気に、甘い香りが混じります。
昨日、今日と真夏日になりました。
このまま夏本番になってしまうんじゃないかと心配です。
過ごしやすい季節は、本当に短いですね。

[PR]
by bowww | 2017-05-21 22:40 | 身辺雑記 | Comments(2)

みどりつめたき(立夏)

 実家に帰ってドアを開けると、「我が家の匂いだ」と思う。
 結婚して家を出るまでは意識したことなどなかったのに、今では帰る度に鼻を掠める「我が家の匂い」を確認する。
 去年からはそこに、線香の匂いが混じっている。
 父は仏壇に、新しい花と毎朝の線香を欠かさない。

 母が亡くなって父が一人取り残された。
 私と姉は結婚し、家を出ていた。
 父は典型的な会社人間だったから、家の事など全くしたことがなかった。
 だが母は、虫が知らせたかのように、定年退職した父にあれこれ根気よく教え込んだ。
 おかげで母が亡くなった後、父はある程度、身の回りのことは自分で片付けられるようになっていた。
 今日も二階のテラスには、タオルやシーツが整然と干され、風に翻っている。
 几帳面な父は、毎日の家事といえども、きちんとこなさないと気が済まないらしい。
「ただいま」
「おう」
 父は私を出迎えると、そのままキッチンに引っ込んだ。
 後について、私もキッチンに向かう。
 見ればシンクの周りはピカピカだし、冷蔵庫の中も一目瞭然に整頓されている。
 万事おおらかだった母が主婦だった頃よりも、むしろ片付いているかも知れない。
「体調はどう?お薬は忘れずに飲んでる?」
 特に心配することはなさそうだが、ほかに話すこともない。
「ああ」
 父も簡単に答え、私が持ってきた柏餅の包みを見てお湯を沸かし始める。
 母は父と、どんな話をしていたのだろう。
 父は朝早くから夜遅くまで仕事に出ていたし、休日もあまり家にはいなかった。
 父と母が、ゆっくり会話を楽しんでいる様子は記憶にない。
 父の退職後、娘たちも家を出て、二人っきりになった二人はどうやって過ごしていたのか、そういえば私や姉はよく知らない。

 薬缶がシュンシュンと鳴り始めた。
 父は手際良く急須と湯呑みを取り出し、お湯を差して温める。
「あれ?お父さん、急須替えたの?」
 ホームセンターで間に合わせに買ってきた急須に代わり、夕日のような色の萩焼がテーブルの上に鎮座していた。
 ぽってりとした下膨れの形が可愛らしい。
「母さん、自分で買ってきたくせに、『もったいない』と言っては仕舞い込んでいたからな」
 戸棚を整理していると、新品の器やキッチンマットなどがわんさか出てきて、萩焼の急須も新聞紙で包まれたままだったという。
「俺だってそう長くないんだから、使わなきゃかえってもったいない」
 父はそう言いながら、少し冷ましたお湯を急須に注ぐ。
 会話が途切れて、二人でなんとなく庭を眺めた。
 狭い庭で、小手毬や山吹が吹きこぼれるように花を咲かせている。
「…春になったらぞくぞくと芽が出てきてな、何かと思っていたらチューリップやらヒヤシンスやら…。
 たぶん適当にありったけ、球根を植えたんだろう。
 まったく、母さんの残したものは不意に出てくるからな」
 かなわんよ、と苦笑しながら、父は湯呑みにお茶を注ぐ。
「母さんにもやってくれ」
 母が使っていた小ぶりの湯呑みを受け取る。
 仏壇の前に座ると、山吹の花束に埋もれて母の写真が見えない。
 父が柏餅を持ってきた。


  しぼり出すみどりつめたき新茶かな  鈴鹿野風呂


b0314743_22210481.jpg

この季節の小さな贅沢は、福岡・八女の新茶のお取り寄せです。
以前、伯母の家で頂いたお茶がとても美味しくて、訊ねてみると福岡の友達が毎年送ってくれる新茶だとのこと。
気前のいい伯母は、封を開けたばかりの新茶を一缶、お土産に持たせてくれました。
香りがよくて、渋みの中にほのかな甘みが感じられて、しみじみ「緑茶って美味しいもんだ」と思ったのでした。
今年も早速、いつものお店に注文しました。
あとは美味しい和菓子を見つけよう。

b0314743_22213273.jpg

田んぼにすっかり水が入りました。
田んぼの中を歩いていると、細い用水路にまで勢いよく水が流れています。
水路は田畑の血管。新鮮な水が隅々まで行き渡って、美味しいお米や野菜ができるのだと実感します。
そして、夜はカエルたちの大合唱が始まりました。
風のない朝の水鏡はもちろん良いですが、日が暮れた後、田んぼ地帯に点在する民家の明かりが、暗い水面に映り込む景色も好きです。
「早く帰って、カエルの声を聞きながら晩酌しようよ」と、酒の虫が騒ぐのです。

夏が特別好きなわけではないのですが、「立夏」という言葉を目にすると心が弾みます。
本当に良い季節ですね。

b0314743_22220484.jpg


[PR]
by bowww | 2017-05-05 22:26 | 作り話 | Comments(2)