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小満

 夏帆はむしゃくしゃした気分でタクシー乗り場に向かった。
 客の姿を認めて、タクシーは静かに後部座席のドアを開く。
 夏帆はずだ袋を放り込むようにドサリと身を投げ、行き先を告げた。
(だいたい、終電が十一時だなんて!夜遊びどころか、残業だって落ち着いてできやしないじゃない)
 終電を逃し、タクシーで帰宅するのは今月二度目だった。
 前回は取引先との宴席の後、今回は残業。
 地方都市にある支社に転勤して半年、なかなか職場に馴染めない。
 ずっと東京の本社に居た夏帆にとっては、これが同じ会社なのかと思うほど仕事の進み具合がまどろっこしい。
 もっと効率的にと提案すれば、決まって、
「本社のやり方はそうなんだ。さすがだね」「東京とは違うんだよ、ここにはここの流儀があって…」
 と返ってくる。
 女の子たちは、
「夏帆さんって素敵ですよね。断然、垢抜けてるもの」「お買い物はやっぱり東京ですか?もしかして、行きつけの美容院なんかも?」
 と褒めるふりをしながら、「私たちとは違う人」と遠ざかる。
(東京と違うなんて嫌ってほど分かってるわよ!)
 店がない。洋服や靴をどこで探せばいいのか。充実した本屋はどこにあるのか。気持ちよく寛げるカフェは?
 仕事帰りに寄れるジムも、映画館、美術館もない。
 ないない尽くしだ。
 覚悟していたつもりだったのに、職場でもプライベートでも気を許せない日々が続き、さすがに気持ちが荒れてくる。
(東京に戻りたいな)
 軋む肩と首を回し、シートに深く沈み込む。
 所在なく、運転席の背もたれにぶら下がった名札に目を遣った。
 小松悦子。
「笑顔と安全運転を心がけます」という言葉も手書きで添えてある。
(…あれ?この名前…)
 前回乗ったタクシーと同じ運転手だと気がついた。
「あの…お客さん、確かこの前も…」
 運転手も思い出したらしく、ルームミラーを見ながら控えめに声を掛けてきた。
「はい、先日もお世話になりました。偶然ですね」
「やっぱり!お綺麗な人だから覚えていたんですよ」
(うちのお母さんよりは少し若い、かな)
 夏帆は斜め後ろから、小松悦子さんの顔を眺めて見当をつけた。
 がっしりとした肩。ショートヘアには白髪も混じる。
「うちの娘と同じぐらいのお年かしら、なんて思ったりしてね」
 少し低めの声と、落ち着いた話しぶりが心地好い。
「お嬢さんはもう働いていらっしゃるんですか?」
「ええ、なんとか無事に就職できまして東京に居ますよ」
「私、東京で働いていたんですよ」
「あら!それまた偶然。道理で、モデルさんみたいと思ってました」
 いつもなら気に触る言葉も、何故か笑って受け止められた。
「東京は楽しいことがいっぱいなんでしょ?うちの娘、ちっとも帰って来なくて…」
 小松さんは少し恨めしげに言った。
「…そうですね、人は多いしゴミゴミと気忙しいし、良い事ばかりじゃないんですけど…。でも、うん、そうですね、楽しいですよね…」
(戻りたいな)と、夏帆は胸の中で呟いた。
 小松さんは、ミラー越しに夏帆の顔をちらりと見た。
 車内が少しの間、静かになる。
「あの、お客さん、少しだけ回り道してもいいです?」
「え?」
「もちろん、お代は結構ですから」
 朗らかな声に釣られ、夏帆は曖昧に頷いた。

 タクシーは街を抜け、街灯も少ない暗い道に入った。
 林の中の坂道をぐんぐん登っていく。
 どこに連れて行かれるのか、土地勘がない夏帆には全く分からない。
 やがて林が途切れ、ぽっかりと空が開けた場所に着くと、小松さんはエンジンを止めた。
「ほら!」
 高台になっているその場所からは、夏帆が働く街が一望できた。
「都会とは比べ物にならない夜景ですけどね」
 駅前はさすがに明るい。光の粒が慎ましやかにそこここに固まっている場所は住宅地だろう。真っ暗に静まって見えるのは田畑だろうか。
 小松さんは車を降りて、夏帆を手招きする。
 夏帆も渋々、車を降りた。
 少しひんやりした風と、土の匂い、草木の匂いが夏帆を包む。
 街に背を向けると、林が黒々とした影になって覆い被さってきた。
「空。見てみて」
「うわぁ…」
 満天の星。微かに発光して空を横切る白い帯は天の川。
 理科の授業で習って、でも名前も忘れてしまった星座が、いくつもいくつも指先で辿れる。
「はい、ここで深呼吸!」
 小松さんの楽しそうな号令に従って、夏帆は思いっきり息を吸って吐き出した。
 初夏の夜風は澄んだおいしい水のようだと夏帆は思った。

 二人を乗せたタクシーが、夏帆のマンションの前に静かに止まった。
「本当にありがとうございました」
 夏帆は車を降りて運転席側に回り、小松さんにお礼を言った。
 小松さんはにこにこと手を振る。
「娘を思い出して、ついお節介しちゃった。
 またお会いできたら楽しいですね」
 夏帆は去っていくタクシーを見送って、もう一度、深呼吸した。
 どこかの庭で、薔薇が咲いているらしい。



小満=5月20日〜6月4日頃
初候・蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)次候・紅花栄(べにばなさく)末候・麦秋至(むぎのときいたる)


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緑がキラキラと眩しい季節になりました。
五月は、朝も昼も夕暮れも美しいですね。
先日、美術館の庭で…などという身辺雑記、あらためて書いてみたいなと思います。
素敵な写真展のお話と、激混み展覧会のお話も。
とりあえず(最近の決まり言葉)、作り話のみ更新。
次回の芒種で、ひとまずは一区切りと思っております。

※写真、最初にアップしたものと差し替えました



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by bowww | 2016-05-20 09:52 | 作り話 | Comments(2)

立夏

 一つ違いの姉は、いつもどこでも人気者だった。
 器量が良い上に愛嬌がある。勉強やスポーツが得意で友達も多い。
 私は地味な顔立ち、平凡な成績、内気な性格と、ちょうど姉の裏返しのような存在だった。
 両親は揃って小学校の教師だったせいもあって、私たち姉妹をとても理性的に平等に扱った。
 姉がとびきり優遇されていた記憶はない。無責任な他人が姉をちやほやすると、やんわり私を庇った。
 欲しいものは姉も私も同じように与えられ、または与えられなかった。
 洋服や靴を新調する時は、同じものを同じタイミングで用意してくれた。
 お揃いの白いワンピースを着て、二人並んで撮った写真が残っている。
 姉はふんわり白い花のようだ。
 私は、その格好を懸命に真似している奇妙な子供だ。
 今思えば、母は無意識のうちに、姉に似合う洋服ばかり選んでいたのではないか。
「なんでも平等っていうのは、残酷なものよね」
 半世紀も生きてくれば、そんな思い出も笑い話にもできる。

 子供の頃に読んだ童話の「眠り姫」には、生まれたばかりのお姫さまに、妖精たちが様々な贈り物を与えるという場面が出てくる。
 美貌だとか知恵だとか優雅さだとか。
 きっと姉には、キラキラしたギフトが山のように贈られたのだろう。
 そして、あまりに気前良く贈ってしまったものだから、私に回すギフトがほとんど残らなかったのだ。
 小さな頃は可愛らしい姉にひたすら憧れ、思春期になればコンプレックスに苛まれた。
 それでも、数は少ないながら良い友人に恵まれ、私は私なりの楽しみを見つけていった。
 私には似合わない服は選ばなくなった。
 姉はいつでも私に優しかったが、共通の話題は少なく、互いになんとなく距離を置いていた。
 姉は短大に、私は教職を目指して大学に進んだ。
 教職は自分に向かないと早々に判断し、図書館司書の資格を取ろうと方向転換した頃、姉には早くも縁談が持ち上がっていた。
 短大の教授に気に入られ、ぜひ息子の嫁にと請われたのだ。
 息子は開業医で、姉が短大を卒業したらすぐに式を挙げるという。
「お姉ちゃん、もったいなくない?私なんかより頭良いんだし、モデル顔負けの美人なんだし…」
 もっと自由を楽しんでから結婚すればいいのに。
「女の人は、請われて結婚するのが幸せなのよ。それにいつまでも美人でいられるわけでなし」
 と、母は笑った。
 姉には玉の輿というギフトも用意されていたらしい。
 となると、私は自活できる道を考える方が手っ取り早い。
 華やかな結婚式で、姉は咲き誇る花よりも美しかった。

 その後、姉は二回離婚した。
 一度目の医者には実は数人の愛人がいて、隠し子騒動まで勃発、二年で実家に戻ってきた。教授夫妻が二人揃って実家を訪れ、誠実に詫びてくれたことは救いだった。
 なかなかドラマティックな展開になったのだが、姉は案外、あっけらかんとしていた。
 短大で取得した資格を生かして、病院の事務で就職した。
 当然、言い寄る医者は多かったようだが、「もう医者はこりごり」と見向きもせず、友人の紹介で知り合ったという会社員と再婚した。
 再婚相手の男性は、姉をとても大切にしてくれた。
 慎ましくてもあたたかい家庭になりそうだと皆で安心していたら、今度はなんと、姉が「ほかに好きな人ができた」と言い出した。
 別れる別れたくないとかなり揉めて、結局は三年後に離婚が成立した。
 それでその「好きな人」と結婚するのかと思ったら、「前の夫に申し訳が立たないから」ときっぱり別れたという。
 きわめて常識的な両親は、一連の騒動でぐったり老け込んだ。
 私は同じ頃、大学図書館で働いていた。
 就職と同時に実家を出たので、姉と両親の様子を遠巻きに眺めているような状態だった。
 自慢の娘が、どうしてこんな騒動ばかり起こすのか、老いた両親には皆目見当がつかないようだった。
 姉が戻った翌年、父が倒れ、半年ほど患ってから亡くなった。
 健康に気をつけていた母も、三年後に倒れた。
 姉にばかり介護を任せるわけにはいかないと、私も実家に戻ろうとすると、
「いかず後家と出戻りが揃った家なんて、格好悪いわよ。あなたはあなたの生活をお続けなさい」
と、姉がおっとりと笑い飛ばした。
「私が二人の寿命を縮めたようなものだもの、責任取るわ。時々、手伝いに来てね」
 私はしげしげと姉の顔を見つめた。
 姉は変わらず美しく、美しい上に強い。
(無敵だな)と思うと、なんだか可笑しさがこみ上げてきた。

 母を見送った頃には、姉も私も四十代になっていた。
 姉はさっさと実家と敷地を片付けると、私が住む街に越して来た。
「バラバラでいるより、二人まとまって暮らす方が経済的」と意見が一致し、結局は「いかず後家と出戻り」が、喧嘩しながら一つ屋根の下で暮らすことになった。
「子供の頃は喧嘩なんかしなかったのに…」
「あの頃はお姉ちゃん、優しかったもん」
「あなたはもっと素直で可愛かったわ」
 お互いに憎まれ口を叩きつつ、気楽に日々を送った。
 年齢を重ねて、やっと近づく距離もあるのだと思った。

 一生、独り身だと思っていたら、五十歳を目前にして恋人ができた。
 同級会で再会したクラスメイトと、話をしてみたら思った以上に会話が弾んだ。
 相手はバツイチで、気ままな独身生活が長いという点が共通していた。
「残り僅かな人生、笑いながら支え合って過ごそうよ」というプロポーズの言葉が、やたらと現実的に響いた。
 姉に話すと、
「あら!それなら一緒に結婚式やっちゃいましょ」
「…はい?」
「私もプロポーズされちゃったの。ちょうど良かったわね
「プロポーズ?誰から?受けるの?三回目?」
「ほら、夫だった人、二度目の。この前ばったり会ったって話、しなかったかしら?
 そうしたら、もう一度やり直そうって…。
 気心も知れてるし、何より『今でも好きだ』なんて五十歳になって言ってくれる人なんて、そうそう居ないでしょ」
 …呆れて何も言えない。
「三度目の正直っていうのかしら?今度はうまくいくと思うの」
 おっとりと笑う姉は、やはり無敵だ。
 ウェディングドレス姿は絶対に姉に適わないから、私は着物にしようと思っている。
 



立夏=5月5日〜19日頃
初候・蛙始鳴(かわずはじめてなく)次候・蚯蚓出(みみずいずる)末候・竹笋生(たけのこしょうず)

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今年は季節の進み方が早くて、すでに初夏の気配濃厚ですね。
写真の八重桜、実は去年の5月4日に撮ったものでした。今年はとっくに散っています。
ツバメが元気よく飛び回っているのですが、この数日は風が強くて、紙切れのようにヒラヒラと煽られています。

今回の作り話、なかなかネタが思いつかず。。
ええぃ!と書き始めたら、なんだか呑気な二人の話になってしまいました。
本当はもう少し、屈託した話にするつもりだったのですが、スカッとした青空を見ていたらこんな感じに…。
書いている本人が能天気なので、仕方がないですかねぇ…。

とりあえず、作り話のみ更新です。


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by bowww | 2016-05-05 11:17 | 作り話 | Comments(2)