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秋分 その2

【…前(の前)回からの続きです】

 二人暮らしだから大したことはないだろうと高をくくっていたのだが、引っ越すとなると想像以上の荷物になった。
 クローゼットの奥から、同じような柄のストールが何枚も出て来る。買った張本人である朝子(とうこ)は、「あれ?これはいつ買ったんだろ?」と首を傾げている。
 それを笑って見ていた僕も、本棚の奥から同じ本が二組、同じCDが一組出てきた。
 朝子は黙って、にやりと笑う。
 十年も暮らせば、いつの間にか荷物は増えていく。
 机の抽斗(ひきだし)をゴソゴソ片付けていた朝子が、「あ!」と声を上げた。
「これ、ずっと探していたペンダントトップ。落としちゃったんだって諦めてたの」
 雫の形をした紫水晶が、朝子の手のひらで転がる。
 そう言えば一昨年の夏だったか、「ないない」と大騒ぎをしていた。
「探しものは、忘れた頃にひょっこり現れるのです」
「出た!弘道さんの『今日のひとこと』」
 朝子は紫水晶を摘んで日に透かす。
「そういう理屈っぽいところは、お義父さんに似たのかも知れないよね」
 朝子の独り言に、僕は返す言葉がない。
 父の生前、朝子は一人暮らしの父を心配して月に一度は実家を訪ねていた。
 あんな無愛想な年寄りと居て何が楽しいのだろうかと不思議に思い、無理はしなくていいと言うと、
「大丈夫、弘道さんの情報収集を兼ねているんだから」
と笑って返された。
 朝子の方が父に詳しい。

 朝子の計画通り、リフォームが終わった実家に引っ越したのは僕の夏休みだった。
 近所への挨拶も終えて、まだ未開封の段ボール箱が幾つかあるものの、当面はなんとか暮らせるように片付いた。
 引っ越してくるまではエアコンを設置するかどうか迷っていたが、住んでしまえば風通しもよく、思っていたより涼しく過ごせる。
「クヌギが西日を大分遮ってくれるね」
 西向きのキッチンで夕飯の用意をしながら、朝子が窓の外を見た。
 エアコンもクヌギの伐採も、もう少し様子をみることにした。

 クヌギの管理をはじめ、庭を小ぎれいに保つにはこまめな手入れが必要だ。
 休みの朝は寝坊を諦め、草むしりや生け垣の枝払いをすることに決めた。
 朝子は虫が出る度に騒ぐので、結局は僕が一人で片付けることになる。
 九月の終わりにもなると、朝夕の空気がしんと澄み始める。朝露に湿った土の匂いを、そう言えば長いこと忘れていた。
 今日のうちに、花が終わった朝顔や白粉花を片付けてしまおうと黙々と手を動かしていると、生け垣の向こうから声を掛けられた。
「おはようございます、お休みの日に申し訳ありません」
 顔を上げると、僕と同年代の女性がぺこりと頭を下げた。
 小学生らしき男の子も、慌ててお辞儀する。
 見慣れない親子連れだ。
「あの…突然で大変申し訳ないのですが…」
 母親が子供の背中を、「ほら」とそっと押す。
「…ドングリください!」
 男の子は真っ赤な顔をして声を張り上げた。
 母親が続けて説明してくれる。
「実は一昨年、こちらのおじいさまにお庭のドングリを頂いたんです。
 お家の裏側が、この子たちの通学路になっていて…」
 一昨年の秋、男の子が道で転んで膝小僧を擦りむいたところに、父が居合わせたらしい。泣きべそをかく男の子を慰め、傷の手当てをしてからドングリをお土産に持たせたそうだ。
「おじいちゃんが、土に埋めておくと芽が出て、ドングリの木になるよって教えてくれたの」
「それでこの子、鉢に植えて大切に面倒みていたんですけど、せっかく出た芽が去年の夏の暑さで枯れてしまったんです」
 もう一度、ドングリを分けてもらおうと親子で訪ねたが、既に家は無人になっていた。
「ご近所の方におじいさまが亡くなったと聞いて、二重にショックだったみたいで…。
 それが最近、またお家に明かりが灯ったので、もしかしたら…と思って失礼を承知で伺いました」
 僕は二人を裏庭に案内した。
「ほら、この中にドングリが入っているんだよ」
 枝に、モコモコの帽子を冠った緑のドングリが幾つもついている。
「まだちょっと早いね、もう少ししたら茶色に熟して落ちてくるから、また取りにおいでよ」
 男の子は目を丸くして枝を見上げる。仰向けた顔に、木漏れ日がチラチラと踊る。
 それを見て、僕は唐突に思い出した。
 そう、僕のドングリの木だ。
 また来ます、と嬉しそうに帰って行く親子を見送ってから、僕は木の根元にしゃがみ込んだ。
「思い出した?」
 いつの間にか、朝子が後ろに立っていた。

  弘道さんが保育園のときにね、親子遠足があったんだって。
  お義父さん、なんとか行くつもりでいたんだけど、担当の地区で大きな交通事故があって、行けなくなっちゃったんだって。
  その日の夜に帰ったみたら、もうあなたは寝ていて、枕元にドングリがたくさん転がっていたんだって。
  お母さんに聞くと、「お父さんへのお土産ですってよ」と言うから、捨てられなくなっちゃったんだって。
  それで仕方がないから幾つか鉢植えにして、芽が出たのを選んで盆栽仕立てにして、単身赴任の時も連れて行ったんだって。
  この家を建てたのも、ドングリの苗を地面に下ろしてやりたい気持ちもあったんだって。
  「とんでもない大きな土産になっちまったなぁ…」って。
  お義父さん、笑ってたよ。

 根元には何本ものひこばえが生えていて、一丁前に葉を震わせている。
「探しものは、忘れた頃にひょっこり現れるのです」
 朝子がおどけて言う。
 そのままの調子で、
「あのですね、私の方の探しものも、ひょっこり現れたようなのです」
 振り返ると、朝子がお腹に手を当てて笑っていた。
「…じゃあ、猫はお預けかな」
「弘道さんが頑張って、まとめて面倒みてくれれば良いと思います」
 僕は思わず吹き出した。
 クヌギの向こうの空が高い。

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なんとか滑り込みで9月のうちに更新…。
作り話の結末をどうしようか、あれこれ考え込んでしまって。
色々な形の幸せがあるものなぁ…。
いたずらに長くなってしまいました。
反省。

昨年、ドングリの話を書いたのは11月でした。
今はまだ、緑色のドングリです。
もう少ししたら、まん丸のクヌギ坊やに会いに行こうと思っています。


次回は10月8日「寒露」に更新します。


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by bowww | 2015-09-30 23:53 | 作り話 | Comments(0)

スーパームーンのこと

勤務時間中ではありましたが、ちょうどぽっこり時間が空いたので、会社の窓辺でスーパームーンの登場を待ちました。
東の山の端を、光の筆でさっと一はけ。雲の縁も染まります。
いよいよかしらんとワクワクするも、雲が邪魔してなかなか姿が見えません。
痺れを切らして仕事に戻ろうとしたとき、一際濃いオレンジ色の光が垣間見えました。
スーパームーン、堂々の登場。
本当にでっかい!
健康に育った卵の黄身のような色(ちょっと美味しそう)。
群青色の磨りガラスのような夜空に、まるで芝居の書き割りのように浮かんでいました。
これだけ大きければ、ウサギも好き放題、飛び跳ねられるでしょうね。

そして今は月点心。
群雲が結構なスピードで西から東へと流れていきます。
僅かな隙間を狙って撮ってみた写真です。
チャンスを窺って空を見上げていると、雲ではなく、月が滑るように動いて見えました。


 天空を行く帆船。
 生まれたての風が耳を掠める。

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「秋分」のお話後編、もう少しだけ、いじりたいと思います。
長月が終わるまでには!

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by bowww | 2015-09-28 23:25 | 身辺雑記 | Comments(0)

秋分

 空き家になった僕の実家に住もうと言い出したのは、朝子(とうこ)だった。
 父が一人で暮らしていた築四十年の木造平屋。住み手がなく、このままでは荒れ放題になってしまう。
 特に、家の西側で大きく枝を張るクヌギが心配だと、近所の人たちから苦情が出かけていた。放っておけば毛虫が発生するし、秋の落ち葉も大量だ。太い枝が道路に落ちれば、通行人に怪我をさせてしまう心配もある。
 まずは木を切り倒して、家と敷地を片付ける算段をしなくてはいけないだろうと、父の一周忌を前に考え始めたところだった。
「弘道さん、あの家に住みませんか」
 日曜日の朝、管理を頼んでいる地元の不動産屋から、手放すなら相談に乗るという電話をもらった。
 僕と不動産屋の話を聞いていた朝子は、コーヒーを淹れて僕の前に座った。
 背筋がピンと伸びている。
「お前、またそんな思いつきで…」
「思いつきではありません、お義父さんが亡くなってからずっと考えてました」
 にこにこと笑いながら返事をする。
 彼女のこの笑顔と丁寧語は曲者だ。梃でも動かないサインなのだ。
「あんな古い家、不便だぞ。あちこち改修しなくちゃ」
 小さな私鉄の駅の近く、昭和五十年代に開発された古びた住宅地の中でも、ひときわ古ぼけて見えるのが僕の実家だった。周りの家々は建て替えたり、マンションになったりしている。
「いずれにしても、このマンションは出る予定だったでしょ?あの家なら車を停める場所もあるし、あなたの通勤圏内じゃない。近くに商店街や病院もあるし、車を使えるなら少し離れたショッピングセンターにも行けるわ」
 確かに、そろそろ家かマンションを買おうかという話にはなっていたし、そのための蓄えも或る程度まとまった金額になっていた。
 それでは候補の一つということなら、と渋々僕が承諾すると朝子は再び微笑んだ。
「では、ランチを食べがてら、家を見に行きましょう」
「え?今日?」
「思い立ったら何とやら、です。駅の近くにちょっと素敵なカフェがあって、行ってみたいと思っていたのです」
 こうなると従うしかない。
 ノロノロと顔を洗いに行こうとする僕の背中に、朝子が、
「私、あの家、好きよ」と声を掛けた。

 警察官だった父は転勤続きだった。
 三十代であの家を建ててからも、単身赴任で家に居ない時期の方が長かった。
 僕にとって父親とは、たまに帰って来る人でしかなかった。
 元々が寡黙な人なのか職業柄なのか、話をした記憶がほとんどない。父の前ではいつも少し緊張していた。
 そして外では、「警察官の家族」として品行方正な振る舞いを要求される。
 どこに行っても、なんとなく窮屈な思いが付き纏った。
 保育園の運動会も遠足も、付き添いは母だけだった。
「お父さんじゃないお父さんが良かった…」
 小学校の入学式、両親に挟まれて嬉しそうに歩く同級生たちを見て、僕はつい呟いた。
 母は黙って、僕の頭をぽんぽんと叩いた。
 僕は俯いていたから母の顔を見ていない。
 父が家を建てたのは、たぶん母と僕への罪滅ぼしでもあったのだと思う。退職後に、母とのんびり暮らすつもりだったのだろう。
 しかし母は、そんな時間をほとんど味わうことなく、父が退職して僅か一年ほどで亡くなった。気丈な人だったから、自分の不調を押し隠して、周りが気付いたときには既に手遅れだった。
 結婚式は間に合わなかったものの、朝子を連れて婚約の報告に行ったとき、母は目を潤ませて喜んでくれた。
 母が亡くなった家で、父はその後、きっかり十年暮らして逝った。
 隣街で暮らしているのに、その間、僕が実家に行ったのは、たぶん二十回もない。つまり、年に二回行けばいいぐらいだった。
 父と話すことは何もなかった。
 共有した時間があまりに少なかったために、向かい合えば子供の頃のあの窮屈な思いが蘇ってくる。
 孫がいれば、もう少し頻繁に足を運んだかも知れない。
 だが、結婚して十年、僕と朝子には子供が出来なかった。不妊治療も試してみたが、互いに三十代半ばになって見切りをつけた。
 父は一人で亡くなった。真冬の朝、朝刊が取り込まれず、門灯も点いたままなのを不審に思った近所の人が、玄関で倒れている父を見つけてくれた。
「お父さん、とてもきちんとされた方だったから、すぐにおかしいと思ったんですよ」
 玄関先を掃く父の姿を時計代わりにする人も居たほど、父の朝は規則正しかったらしい。
 寂しい最期にしてしまった申し訳なさよりも、几帳面な性格や暮しは、こんな時に役立つものなのかという感心が先に立った。

 朝子と実家に着くと、連絡を受けた不動産屋が待っていてくれた。
 手を入れれば住めるだろうか、と尋ねてみる。本当は、新しい家を買った方が早くて安上がりだと言ってほしかったのだが、相手はとても嬉しそうに、
「まだまだ大丈夫ですとも」と請け合った。
 定年間近であろうその担当者は、この家の土台も普請も、見た目よりもずっと丁寧で丈夫なのだと説明してくれる。
「昭和のあの頃は、安普請の家をドカスカ大量生産していましたからね。長持ちする家なんて、本当に僅かなんですよ。その点、この家は手抜きなくきちんと造られていて、未だに歪みが少ないんです。腕のいい職人さんが建てたんでしょうな。正直、取り壊すのは勿体ないと思っていたんですよ」
 朝子が隣で、誇らしげに胸を張る。
 屋根や外壁の補修は父が生前済ませていたし、後は水回りの改修や断熱材の入れ替え、多少の耐震補強を施せば安心して住めるだろうということだった。
 初老の担当者と、改めて家の内外を点検して歩く。
 家の西側、裏手に回って、屋根と同じ高さにまで生長したクヌギを見上げた。
 葉をすっかり落とし、傾きかけた日の光に影を伸ばしていた。足元でカサカサと落ち葉が鳴る。
 朝子が幹にそっと手を置く。
「弘道さんのドングリの木」
「…?」
 問い返そうとすると、僕の携帯電話が鳴った。会社の電話番号が表示されている。
 慌てて出てみると、当番で出勤していた後輩からの簡単な問い合わせだった。
 ほっとして、朝子と担当者の元へ戻る。
「では、主人と相談して改めてお電話します」
「はい、ぜひお待ちしております」
 意気投合したような二人の様子を見れば、もう八割方、話は決まったのだろうと見当がついた。
 
 朝子が行きたがっていたカフェに入って、温かいカフェオレを注文する。
 朝子はメニューを真剣に覗き込み、散々迷った挙げ句、カフェオレを注文する。ケーキはあっさりとチーズケーキを選んだ。
「結局はいつもと同じじゃん」
「いいの。迷って選ぶことに意味があるの」
「…で?やっぱりあの家がいいんだ?」
 僕の言葉に勢いよく頷いてから、
「でも、弘道さんが嫌なら諦めます」と殊勝げに呟く。
 諦める気なんてないくせに。
 僕はこっそり苦笑する。
「…ま、あの家なら猫に爪を研がれても齧られても、ダメージ少ないもんな」
 朝子がパッと顔を上げた。
「猫、飼ってもいいの?」
「また野良猫を餌付けされても困るからね」
 賃貸マンションに住んでいたこともあるが、何よりも子供が生まれたら世話が大変になるから、ペットは我慢しようと決めていたのだ。
 のんびりした性格の朝子は、不妊治療の間も特に神経質になることもなく、普段と変わらずに見えた。
 ちょうどその頃、近所に子連れの野良猫がやって来た。
 毛糸屑の塊のような二匹の子猫が、母猫の近くでじゃれ合う。朝子は子猫たちの鳴き声が聞こえると、夜中でも牛乳を温めて猫たちに届けた。
 警戒心の強い野良親子が人間に懐くわけもなく、朝子も遠巻きに眺めるだけだったが、牛乳を入れた皿が空になっていると嬉しそうに僕に報告してきた。
 そんな朝子の様子をみて、何故だか、子供のことは一区切りつけようと思った。
「ただし、猫を飼うのは引っ越しが終わってから」
「はい!」
 年が明けたらリフォームの打ち合わせをして、今のマンションの片付けを始めて、会社の夏休みに合わせて引っ越しができるといいね。
 彼女の頭の中では、もうしっかり段取りが組まれているようだ。
 僕はもう一度、苦笑する。



【…続きます】   



秋分=9月23日〜10月7日頃
初候・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ) 次候・蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ) 末候・水始涸(みずはじめてかる)


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今年はどうやら、地元の山の松茸は、なかなかの豊作らしいです。
8月後半の雨で土中にたっぷり水分を蓄えた上に、晴れた日の朝晩の冷え込みで好条件が揃ったようです。
松茸が生える場所(=しろ)は、子供にも孫にも教えないと言うそうな。
ただ、素人が松茸山に入っても、滅多に見つけられないそうです。
写真のキノコは、食べられるのかどうかは不明。でも、仮に食べられたとしても美味しくはなさそうですね。
家の周りの田んぼも稲刈りが進んでいます。
日が暮れると、稲藁が乾いていく甘い匂いがします。
田んぼが空っぽになると、いよいよ寒い季節。
だから、この季節のうっとりするような日の光が、とても貴重に思えます。
この明るさと暖かさを、ガラス瓶にでも詰めて保存できたらいいのになぁ。

作り話の続きは、蟄虫坏戸の頃までには更新したいと思います…。





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by bowww | 2015-09-23 21:59 | 作り話 | Comments(0)

白露

 独り立ちして間もないというのに、佐吉の染める着物の評判は瞬く間に近隣に鳴り響いた。
 花鳥風月を描く筆の確かさ、色の鮮やかさ。
 花ならば香りが零れそう、鳥であれば今にも羽ばたきそうだと皆が噂し、裕福な商人や武家から注文が舞い込んだ。
「佐吉の描いた着物であれば、どんな模様でも構わん、とにかく欲しいとおっしゃる方も多くてな」
 日本橋の呉服商・京屋の主である善右衛門は、注文の品を納めにきた佐吉に茶を勧め、愛想良く声を掛けた。
 ここの主には、まだ見習いの小僧の頃から世話になっている。職人として独立した佐吉を、真っ先に引き立ててくれた相手でもある。
「…しかし、手前一人でやっておりますんで、なかなかご注文に追いつかなくて…」
 佐吉は大きな体を絞るように小さくして、頭を下げた。
 職人よりも相撲取りが向いているのではないかという背格好、丸々とした顔に、申し訳程度の団子鼻がちょこんと乗っかっている。目は細く、笑えばすっかり埋もれてしまう。
(こんな大男があんなに雅で繊細な染め物を仕上げるのだから、分からないものよ)
 湯呑み茶碗を押し包むふくふくとした佐吉の指を見て、善右衛門はそっと微笑んだ。
「ところで、こうやって仕事を急かしておいてなんだが、一つ私の頼みを聞いてはくれまいか」
「なんでございましょう?」
「うちの娘に…千鶴に、花嫁衣装を作ってほしい」
 佐吉は静かに湯呑みを置いた。
「…千鶴様が、嫁がれるのですか?」
「ああ、あのはねっ返りもようやく片付く。小間物問屋の若狭屋さんが、ぜひにと請うてくれた」
「…それは益々、ご身代も安泰で…。まことにおめでとうございます」
 善右衛門には息子と娘がいた。息子は一昨年に嫁を迎え、跡継ぎとして店で立ち働いている。
 小町娘と謳われる千鶴は数えで十八。口さがない近所の者たちは、京屋の箱入り娘が何処に縁付くのか面白可笑しく噂していた。
「身内の支度のためにお客さまのご注文を脇へ押し退けるなんぞ、商人(あきんど)の面目が立たないが…。
 お前さんの打掛を着た千鶴をどうしても見てみたくてな」
 男親なんてものは、馬鹿なもんだよ。
 上機嫌な善右衛門に、佐吉もにこにこと相槌を打った。
 やっぱりお名前にちなんで、目出たい鶴を描きましょう。金糸銀糸もふんだんに、金の瑞雲、銀の細波。ああ、刺繍もお任せください、上方の出の兄弟子から習いました。花は桜か牡丹、千鶴様には華やかな模様が合いましょう。お嫁入りはいつ?…ああ、では秋の初めですね。
「精一杯、お作りいたします」
 佐吉は自分が話している言葉を、どこか他人事のように聞いていた。


 親方の使いで京屋に行って初めて千鶴と出会ったのは、佐吉が十二の時だから、千鶴は八つか九つ。
 出入りの職人は裏に回るようにと店先で言われ、お店(たな)の裏側へ回った。
 梅が咲く小さな庭で、赤い振り袖を着た少女が鞠をついて遊んでいた。
「誰?…どなた?」
 大きな瞳で見上げられて、佐吉は慌てて用件を言った。自分の方が明らかに年上なのに、少女の大人びた仕草に気圧された。
「ああ、紺屋の辰吉さんのお使いね?こちらへどうぞ」
 きれいに結われた稚児髷を見ながら後に続く。
「…あ」
 鞠が少女の手から転げ落ち、佐吉の足元で弾む。拾い上げると、鞠の中に仕込まれた鈴がくぐもった音色でチリチリ鳴った。
「ありがとう」
 少女は受け取って、にっこり笑った。
「千鶴様、お母さまが待っておいでですよ」
 女中が縁先から声を掛ける。
「あい。こっちに、辰吉さんの小僧さんが居るの、ええと…」
「佐吉です」
 佐吉は女中にも声が届くように名乗った。
 千鶴はもう一度笑ってこくりと頷くと、鞠を抱えて駆けていった。

「佐吉、この花を描いてみて」
 ある日、京屋に使いに行って帰ろうとすると、庭先で待っていた千鶴に呼び止められた。
 夏の終わり、庭の木が深い影を落とす場所に、瑠璃色の花が咲いていた。
「露草でございますね」
 千鶴は佐吉の返事も待たずに、用意してあった紙と筆を渡す。
「つゆくさ?」
「はい、染め屋はこの花の絞り汁で布に下図を描くんでございますよ。水に晒すと線が消えるので…」
「じゃあ、この花の汁で描いた絵は消えてしまうの?」
「はい」
「綺麗な青なのに…」
 千鶴はしゃがみ込んで花を覗き込む。
「佐吉、早く描いて。朝はもっとたくさん咲いてるのに、お昼時分になるとほとんど萎れちまうの。
 ここだけまだ咲いているから、早く早く」
 佐吉は笑いながら、素早く露草を描き留める。
 千鶴は佐吉の手元と花を交互に見比べながら、「わぁ、そっくり!」と歓声を上げた。
 佐吉は、熱心に絵の稽古をしていて良かったと思った。


 千鶴の輿入れまで半月、佐吉は寝食を忘れて衣装作りに取り組んだ。
 白無垢から深紅の色打掛に替えるのが近頃の流行りのようだが、善右衛門のたっての希望で白地の打掛を任された。
「千鶴がな、佐吉の絵と染めは優しいから、白でなければ勿体ないと言い張って聞かないのだよ」
 背から肩にかけて、鶴を二羽、大らかに舞わせた。裾に百花繚乱、春夏秋冬の花を咲かせた。控えめに入れた金糸の雲が、きっと宴の席の明かりに映えるだろう。
「…できた」
 佐吉は安堵のため息をついた。婚礼の三日前に打掛は仕上がった。
 間もなく京屋の使いが受け取りに来るだろう。
 衣桁に広げた打掛を眺めていた佐吉は、つと筆を取った。
 露草の汁をたっぷり含ませ、胴裏に青い花を一輪描いた。

「ご苦労だったね、番頭さん。
それで、やはり佐吉は宴には来ないか?」
「はい、旦那さま、私も重ねてお誘いしたのですが…。
 その日に上方へ立つとのことでした」
「上方?」
「はい、なんでも兄弟子を頼って京の紺屋に行くそうです。暫くは上方の染めを習うのだと…。
 すでに旅支度が整っておりました」
「そうか…。佐吉の筆は上方の方が合うかも知れんな。さぞかし腕を上げるに違いない。
 番頭さん、必ず江戸に戻るように伝えてくださいよ」
 番頭を店に戻し、善右衛門は千鶴を呼んだ。
「やっぱり、白にして良かった…」
 千鶴は満足そうに呟いた。
 善右衛門は娘と並んで見事な出来映えの打掛を眺めていたが、ふと胴裏の花に気付いた。
「おや、こんな所に。描き損じかね?」
「…いいえ、大丈夫。この花はもうすぐ消えてしまうから」
 千鶴はにっこり微笑み、露草にそっと指を滑らせた。


白露=9月8〜22日頃
初候・草露白(くさのつゆしろし)次候・鶺鴒鳴(せきれいなく)末候・玄鳥去(つばめさる)


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7月の終わりから8月の初めまではカラッカラの天気、お盆からこの頃まではグズグズの雨空。
日本もついに、雨期と乾期の国になってしまったのかしら。
「もぉ、駄目!暑い!」と愚痴っていたのは、わずか10日間あまりのことだったでしょうか。
振り返れば、とてもとても短い夏でした。
夏物の洋服、ほとんど着ないまま衣替えです。。
そして曇り空や雨だと、なかなか写真が撮れませぬ。
FUJIFILMのX10を持ち歩いているのですが、私の腕では、やはり晴れている時でないと上手に撮れなくて…。
素敵な写真ブログを覗かせて頂いていると、「ミラーレス一眼、欲しいな…」なんて思ってしまいます。
…ええ、カメラじゃないんですよね、撮りたい気持ちと技術ですよね、分かってはいるのです。。


次回は9月23日「秋分」に更新します。



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by bowww | 2015-09-08 09:47 | 作り話 | Comments(0)