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処暑

 抱えているプロジェクトの進行が遅れ気味で、厭味な部長からきつくプレッシャーを掛けられた。
 それで苛々していたのかも知れない。
 午前中のチームミーティングで、青木との議論がつい度を過ぎた。
 青木香奈恵は海外支社での勤務経験もあり、仕事が出来る分、物言いに遠慮がない。ただ、意見は的確な事が多く、感情的になることもないから、僕にとっては安心して議論できる相手だ。
 いつもは互いに落とし所を見つけて、ほかのメンバーがそれを拾い上げて方向性が決まるのだが、この日は僕が「お嬢さんの意見はいつもきれいごとばかりだな」と皮肉を言って無理矢理打ち切った。
 青木はぎゅっと奥歯を噛み締めるような顔をして黙った。
 ミーティングはつまらない雰囲気で終わった。
「真田係長、」
 会議室を出たところで、青木に呼び止められた。
「さっきは生意気なことを言って申し訳ありませんでした」
 ブンッ!と音が聞こえそうなぐらい、勢い良く頭を下げる。
 そして、もう一度、ブンッ!と顔を上げた。
「でも、私はきれいごとを言ったんじゃありません。目的にもう一度立ち返るべきだと言いたかったんです。第一、私は三十三歳で『お嬢さん』なんかじゃないです」
 こちらを見上げる目が赤い。マスカラやアイラインが盛大に滲んでいる。
 小狸みたいだ。
「…悪かった。失礼なこと言ったな。
 明日、改めて皆で問題点を洗い直そう。
 …でさ、」
 僕は我慢できずに吹き出した。
「鏡見てから戻った方がいいぞ」
 青木は真っ赤になってトイレに飛び込んだ。

 十年前に妻と別れて、息子の圭介と二人でやってきた。
 前の妻は口数が少なく、いつも静かに微笑んでいるような女性だった。
 だから「好きな人ができたから別れてほしい」と突然言われて、心底びっくりしたのだ。
 まさに青天の霹靂。
 喧嘩一つしたこともなく、子供も生まれて穏やかな日々を送っていた。
 つもりだった。
 怒りや嫉妬よりも、「女は分からない」という気持ちが一番強かった。
 青木とプライベートで会うようになった。
 職場から離れた青木は、呆れるほどよく笑い、よく怒り、よく泣く。
 言いたい事を互いにぽんぽん言い合って、彼女のくるくる変わる表情を面白がっているうちに、女性に対する臆病な気持ちはいつの間にか消えていた。
「ずっと一緒にいたい」
 青木の率直さにつられて本音を言ったら、彼女は一瞬、きょとんと僕を見つめた。
 そう、この小狸顔が好きなのだ。

 圭介には青木のことをきちんと紹介するつもりだった。
「父さん、昨日、街で父さんたちを見たよ」
 月曜日の朝、慌ただしく朝食を食べていると、圭介が何気なく言った。
 青木と映画館から出てきたところを見かけたらしい。
「…ああ、映画館で職場の後輩と偶然会ってな…」
「ふぅん」
 圭介はそれ以上は何も言わず、トーストにジャムを乗せた。ガラス瓶にスプーンがカツカツと当たる。
「ジャムと牛乳、帰りに買って来るね」
「…ああ、卵もついでに頼む」
 気持ちの準備が出来ていなくて、とっさに嘘をついてしまった。
 シンクでザァザァ水を流し、皿を洗う。
 横から圭介が「出し過ぎ」と、水を細める。
「そうだ、俺、夏休みにバイトしたいんだけど。どこか住み込みで」
 いい自転車が欲しいから、がっつり稼ぎたいんだと言う。
 僕は半ば上の空で「いいんじゃないか」と答えた。

 会社へ向かう電車の中で、青木から「今度の週末、花火大会に行きませんか?浴衣姿をご披露します」というメールを受け取った。
 文末にニヤリと笑った絵文字がついている。
 昔、圭介と妻と三人で花火大会に行った。
 離婚を切り出されたのは、その日の夜、圭介が寝た後だった。
 火薬の匂いが鼻先から離れなかった。
 以来、花火大会には行っていない。圭介から「行きたい」とせがまれたこともない。
 圭介についた嘘と、火薬の匂いと、会場の人混みを思うと、気持ちがずしりと沈み込む。
 昼休みに「ごめん、ちょっと夏バテ気味だからパスしたい。浴衣は見たいけど」と返信した。
 帰り際、またメールが来る。
 「給湯室の冷蔵庫に、栄養ドリンク冷えてマス」。
 頬が緩む。
 胸の中で「ごめん」ともう一度謝った。

 圭介は結局、妹の綾に預けた。
 知らない場所で一人でアルバイトをさせるより、身内の側に置く方が安心だ。
 綾の喫茶店で、なかなか役に立っているらしい。
 僕は久しぶりの気楽な独り身暮しを楽しむつもりだったが、猛暑にやられたのか本当にバテ気味で、週末はただゴロゴロしてばかりだった。
 圭介が居ない間に青木と会うのは、なんとなくフェアじゃない気もしていた。
 青木も無理には誘ってこない。花火大会には友人たちと出掛けると言っていた。
 テレビを見ながら缶ビールを飲んでいると、一気に老け込んだ気がして滅入る。
 ビールを半分残して、風呂に入った。
 久しぶりに湯船に浸かっていると、遠くで「ドーン」と低い音が響いた。
 花火大会が始まったらしい。
 風呂上がりにテラスに出る。
 ビルとビルの合間から、少しだけ花火が見えるのだ。
 光の筋が音もなく夜空を駆け上り、パッと炎の花が咲く。
 光の欠片がキラキラと舞い散る頃、ドーンと音が遅れて鳴り響く。
 青木は今頃、あの下で花火を見上げているのだろう。
 大はしゃぎしている顔が目に浮かぶ。
 携帯電話が鳴った。
 青木からだった。
「すっごく綺麗!ど迫力!」
 案の定、大はしゃぎだ。周りの喧噪や花火の音にも負けない、明るい声が飛び込んで来る。
「ああ、うちからもちょっとだけ見えるんだ。今、テラスから見てた」
 二人同時に、「あ!」と叫ぶ。
 ひと際大きな花火が上がった。ビルの明かりが霞み、藍色の夜空に雲がくっきり浮かぶ。
 音が追いかけてきた。
「来年は、一緒に行こうな」
「え?ごめんなさい、聞こえない、なに?」
 僕は笑って電話を切って、すぐにメールを送る。
「一緒に行こうな」
「一緒に見たかった!」
 送信と同時に着信した。
 僕は一人、声を出して笑った。
 冷蔵庫から冷えたビールを取り出し、あらためて飲み干した。
 むき出しの腕に、夜風が少しだけ涼しい。

 寝ようと思ったら、今度は圭介から電話が来た。
「今日さ、母さんと会ったよ」
「…どこで?」
「綾ちゃんの店で。来てくれたんだ、母さん」
 こんな時は、なんと言えばいいんだろうか。
「元気だったよ。旦那さんと二人暮しなんだってさ。二人で絵画教室の先生をやってるんだって」
 圭介はいつも通りの声で続ける。
「特に父さんへの伝言はなかったけどね。普通に幸せそうだった」
「…そうか、それならいいんだ」
 心から、それなら良かった、と思った。
「今夜は花火大会だったでしょ?行ったの?」
 圭介が笑いながら言う。
「おっさんが一人で行くワケないだろ」
「二人で行けばいいじゃん」
「……」
「父さん、意地張ってたり遠慮してたりすると逃げられちゃうよ。父さんの方がどう見ても先は短いんだから急がなきゃ。父さんを好きになってくれるなんて、貴重な人材だよ」
「…ケイが帰ってきたら、ちゃんと紹介する」
 やっとのことで電話を切って、ベッドに転がる。
 不意打ちを食らわせるのが得意なのは、母親譲りなんじゃないだろうか。
 それにしても、今夜の圭介はよく喋ったな。
 青木に、「来週末、うちに来ないか?若いイケメンを紹介するよ」とメールを送って眠りに落ちた。
 きっと青木は小狸顔をしている。


処暑=8月23日〜9月7日頃
初候・綿柎開(わたのはなしべひらく)次候・天地始粛(てんちはじめてさむし)末候・禾乃登(こくものすなわちみのる)
 


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今朝、母に「今日は風がひやんひやんするね」と言うと、「うん、ショショだからね、ショショ」と得意げに返ってきました。
本当に暦通りです。
朝夕の風がすっかり涼しくなりました。
ついこの前まで青々としていた田んぼも、淡く金色を帯び始めました。
稲穂がぺこりと頭を下げています。
隣の田んぼのおじいさんはとっても働き者。
朝早くから田んぼの世話をしています。
稲穂が出ると賑やかになるのが雀たち。ご馳走なんでしょうね。
そして、それを追い払うために、一斗缶をガンガン打ち鳴らすおじいさん…。
雀よりも、ぐうたらな私の方がびっくりして目が覚めます。
心臓バクバク。。
でも、美味しい美味しい新米のために我慢します。


次回は9月8日「白露」に更新します。


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by bowww | 2015-08-23 09:53 | 作り話 | Comments(2)

立秋 その2

【…前回からの続きです】


「そんなわけで、バイト代をもっと弾みたいんだけど」
 私からの中間報告の電話に、兄は愉快そうに笑った。
 店の定休日に合わせて、ケイは実家に顔を出している。今頃、祖父母孝行をしているはずだ。
「あいつ、器用なんだよな。了解、バイト代、値上げするか」
「ところで、兄さんは再婚するの?」
 兄は「う」とも「え」ともつかない声を上げて黙り込んだ。
「…図星か…」
「…圭介が何か言ったのか?」
「ううん、大方そんなことじゃないかなと思ってね。ケイとはその話、一度もしたことがないわ」
 離婚して、男手一つでケイを育ててきた。
 一番手が掛かる時期を過ぎて余裕が出てきた今、兄に再婚話が持ち上がってもおかしくはない。
 そして、「男同士」で頑張ってきた親子の間に、微妙な隙間が出来てしまうことも想像がつく。
「お前って、昔から無駄に鋭いんだよな」
 ぼやきながら、兄は諦めたように話し始めた。
「向こうに…かみさんにさ、ある日突然、『ほかに好きな人ができた』と言われたんだよ。
 つまり、俺は捨てられたわけ」
 親権は争うことなく兄のものになった。
 前妻から「ケイに会わせてほしい」と言われても断り続けた。
 しかし、夫婦の関係は解消できても、母と子の絆は、ほかの人間が無理に断ち切れるものではない。
「ケイに『お母さんに会いたければ会いに行っていいんだぞ』って言えるまで、三年ぐらいかかったかなぁ。
 ところがケイは『会いたくない』の一点張り。
 俺に遠慮したのか、それとも二人で意地になってたのか…」
 いずれにしても、ケイは母親と再会することなく高校生になった。
「再婚はまだまだ先の話。今は、もう一度誰かを好きになれて良かったって思ってる」
 言ってから相当恥ずかしくなったらしい。
 兄は「じゃ、俺、仕事残ってるから。ケイのことよろしくな」と早口で言うと、ぶっきらぼうに電話を切った。

「父さんは俺に遠慮しないで好きにすればいいんだよ」
 翌朝、ケイにそれとなく話を振ってみる。
 ケイは焼きたてのパンに、たっぷりバターとジャムを乗せた。苺ジャムは実家の母のお手製で、昨日、たっぷり入った大瓶をケイがお土産に持ち帰った。パンは今日の店のランチに使う。
 私は目玉焼きをつつく手を止めて、ケイを窺う。
「…なに?」
「いや、ケイも遠慮してるんじゃないかな、てね」
「俺、もうガキじゃないしね。父さんの気持ちを尊重したいと思ってるだけ」
「…ほぉ」
 父と息子は、きっと会話が不自由なのだ。
 私は目玉焼きをご飯に乗せて醤油をちょろっと掛け回し、ワシワシとかき込んだ。
 ケイも盛大にパン屑を散らかしながら、トーストに齧りつく。
「ところでさ、明日、母さんが店に来るって言うんだけどいいかな?」
 私は箸を持ったまま、ぽかんとケイの顔を見た。
「…母さんって誰の母さん?」
「俺の。父さんの前の奥さん」
 ケイはトマトをつついている。
「連絡取ってたの?兄さんは…お父さんは知ってるの?」
「連絡先は、ずっと前に父さんから聞いてたよ。自分で連絡したのは夏休みに入ってから。今、綾ちゃんの店でバイトしてると言ったら、会いたいって。
 父さんにはまだ話してない」
「お母さんとずっと会ってなかったんだよね?」
「うん」
 ケイはぐずぐずになったトマトを口に放り込んだ。
「綾ちゃん、口の端っこに黄身がついてるよ」
 男の子って分からない!

 翌日は開店からそわそわしていた。
 ガラスの引き戸につけているベルが鳴る度、私は弾かれるように顔を上げた。
 ケイは平気な顔をして、いつも通りに働いている。
 ランチタイムが過ぎて人気(ひとけ)が退いた午後二時過ぎ、小柄な女性のシルエットが戸に映った。
 ケイが小さく「…あ」と声を上げた。
「…いらっしゃいませ」
 私とケイの声が重なる。
 ミントグリーンのサマーニットに、白いスカート。髪は後ろに一つに束ねている。
 忘れかけていたけれど、元・兄嫁はケイとよく似た美しい人だった。
「…ご無沙汰しております」
 彼女はまず、私に向かって深々と頭を下げた。
 そして一歩足を進めて、
「…圭介」
 と呟いた。
 ケイは黙ったまま、一番奥のテーブルに案内する。
 私は冷たい水で満たしたグラスを二つ、二人の前に置いてカウンターに戻った。
 コーヒー豆を挽いて丁寧にドリップする。
 温めたカップに注いでソーサーに乗せると、ケイが素早く受け取りに来た。
「お砂糖とミルクは?」
 ケイはお母さんの方をちょっと振り返ってから、
「たっぷりめでお願い」と言った。

 二人は一時間ほど向かい合っていた。
 言葉は少ないまま、それでも穏やかに時間が過ぎていく。
 別れ際、二人は笑顔で手を振っていた。
 ケイの母親の目は、少し赤かった。
 ケイはいつもより、頬が赤かった。

 夕飯は頑張ってハンバーグを作った。
 ソースはケチャップを多めにして、ちょっと甘い味付けにした。
「母さん、なんだか普通のおばさんだった」
 ハンバーグを食べながらケイが言った。
「もっと綺麗な人だった気がするんだけどなぁ」
「なに言ってるの、今でもとても綺麗じゃない。ケイにそっくり」
 普通だったよ、と言いながら俯くケイが、いつになく嬉しそうだ。
 サラダに伸ばした箸がふと止まる。
「綾ちゃん、実は俺、トマトが嫌いなんだ」
 私は「実は知ってた」とニヤリと笑う。
 開け放した窓の外では、もう秋の虫が鳴き始めていた。


     算術の少年しのび泣けり夏 西東三鬼


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西東三鬼の句、本当は夏の俳句なのですが、ご容赦くださいませ。
「13日に更新」とウソをついたのも、ご容赦くださいませ。。

あれだけ暑かったのに、思った以上に涼しいお盆です。
暗くなると虫の声が盛んに聞こえてきます。
「夜の秋」とはよく言ったものだなぁ、と思います。
来週になると暑さが戻ってくるらしいので、この涼しさに慣れないようにしなくては。
母親とスーパーに買い物に行ったら、お盆らしく家族連れで賑わっていました。
お惣菜コーナーも、揚げ物の盛り合わせとかお寿司とか華やかです。
「おばあちゃん、そんな大きな盛り合わせ買うの?」
「いいだいいだ。皆で食べるだ」
そんなやり取りを聞いて、母親と思わず笑ってしまいました。
きっと、普段は静かなお宅に、ご親戚が集まって賑やかで、おばあちゃん嬉しいんでしょうね。


次回は8月23日「処暑」に更新します。

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by bowww | 2015-08-14 10:06 | 作り話 | Comments(4)

立秋

「頼むよ、夏休みの間だけ。な?」
 兄が電話の向こうで、片手で拝むような仕草をしているのが目に浮かぶ。
「だって、私だってお店があるもん。夏休みは書き入れ時よ。ケイの相手をしてあげる暇はないわ」
「大丈夫だって。あいつももう高校生だから、店の手伝いでもさせてくれればいいんだよ」
「バイト代を出せるほど余裕はないわよ」
 三年前に一人で開店したカフェも、ようやく軌道に乗り始めた。とはいえ、人件費に割けるほどの儲けはない。
「分かった、ケイのバイト代はこっそり俺が持つよ」
「そんな回りくどいことしないで、お小遣いであげればいいでしょ」
「…あいつ、俺の小遣いなんて受け取らないさ」
 兄は低い声で笑うと、すぐに声の調子を元に戻して言い足した。
「店が繁盛しているのはいいことだ。投資した甲斐があるというもんだよな」
 そうなのだ、カフェを始める際、兄には少なからず迷惑をかけた。資金援助もしてもらった。
 そこを突かれると弱い。
 押し切られる形で、高校生の甥を一夏預かることが決まった。

 兄夫婦は十年前に離婚した。一人息子の圭介は兄が引き取った。
 夫婦の間に何があったのかは知らない。
 ケイが小学校に入学する頃までは、家族でよく実家に遊びに来ていた。幼いケイは「綾おばちゃん、綾ちゃん」と私を慕ってくれた。
 そのうち、兄家族の足は次第に遠のいた。
 今から思えば、その頃から夫婦の仲がぎくしゃくし始めたのだろう。
 離婚が成立した直後の正月に、兄がケイを連れて実家に来た。
 ケイは唇を真一文字に結んで、滅多に笑わない子になっていた。
 彼を預かってほしいと兄に頼まれた時、あの寂しそうな顔がちらついて余計に気が重くなったのだ。
 独身の私には、当然、子育ての経験がない。
 他人と暮らしたことがないから、自分のペースを乱されるのもストレスだ。
 そんな私が、多感な年頃の男の子をうまく扱えるわけがない。
 兄の電話を切ってから、大きなため息をついた。

 私のカフェは、駅前通りから一本路地を入った場所にある。
 一応は観光地と呼ばれる街だから、夏休みの季節はそこそこ賑わう。
 とはいえ、観光客だけを相手にしていては商売が成り立たない。地元の常連さんができるまで、三年かかった。
 カフェと自称しているものの、もしかしたら「喫茶店」という呼び名の方がしっくりくるかも知れない。
 元は床屋だった建物の、大きな窓が気に入って借り受けた。
 それなりにデザインを考えて改装したつもりだが、床屋時代の残り香のようなものがそこはかとなく漂う。
 一言で言えば、「昭和」なのだ。
 西日が射す店内で、常連の小田さん(推定六十七歳。ループタイを欠かさない)が新聞を広げていたり、同じく常連の酒井さん(推定六十二歳。たぶん、頭髪は人工)が何やらテーブルに広げて書き物をしていたりする光景を見ると、何とも言えないノスタルジーを感じる。
 一人で切り盛りするには限界があるから、メニューの軽食はごく僅か。ケーキも三種類程度に絞った。
 華やかさに欠ける。
 そのかわり、コーヒーは飛び切り美味しい豆を使っている。師匠と仰ぐマスターから淹れ方を厳しく仕込まれたから、味にも香りにも自信がある。実際、「ここのコーヒーじゃなくちゃ」と通ってくれるお客さんも増えたのだ。
「だから『昭和』なんじゃない?」
 夏休み限定のアルバイト君が、さらりと言ってのけた。
「コーヒーの味を云々する人って、ちょっと偏屈なおじさんが多いじゃん?
 『朝採り無農薬野菜のサラダ付きパンプレート』とかさ、『地鶏の卵で焼き上げたふわふわシフォンケーキ』とかさ、ちょこっとオーガニックっぽいメニューを並べれば、もっと若いお客さんや女性客が来ると思うよ」
 ケイはてきぱきとテーブルを拭きながら続けた。
「材料費で採算取れなくなっちゃうわよ」
「無農薬野菜なんて、おばあちゃんの畑でいくらでも取れるでしょ?卵も大きさが揃ってないのを安く手に入れればいいんだし。せっかくの田舎なんだから、地の利を生かさなくちゃ」
 …参りました。
 心配していたのが馬鹿らしくなるくらい、ケイは優秀だった。
 挨拶はきちんと出来るし、客あしらいもなかなか堂に入っている。
 何より、目鼻立ちがすっきり垢抜けてスタイルもいいから、女性客の受けがいい。
 聞けばカフェ(正真正銘、おしゃれなカフェ)でバイトの経験があるそうだ。
 最近の高校生は器用なものだと感心する。
「後さ、綾ちゃん、もう少し笑顔の方がいいよ」
 カウンターの上を手際良く整頓しながら、チラッと私の顔を見た。
 ほとんど私と同じ目線になる。
「うそ!私、いつも笑顔のつもりでいたけど…」
「店が混んでくると、顔が真剣すぎて怖い」
 一人で夢中で注文を捌いているから余裕がなくなるのだ。
「綾ちゃんは美人タイプだから、とっつきにくいんだと思うよ。
 笑顔が多くなればお客さんも増えるって」
 にっこり笑ってすかさずフォロー。
 …こやつ、出来る…。
 バイト代を割り増ししなくてはいけないかも知れない。
 と、兄に連絡しておこう。

 いつも一人で片付けるように食べる食事も、やっぱり他人と一緒だと違う。
 ケイと差し向かいで食べると、くすぐったいような気持ちになる。
 ケイは好き嫌いなく何でも食べてくれるので、そこも気分が好い。
 ただ、どうやらトマトだけは苦手なようだ。それでも残すのは大人げないと思っているのか、きちんと平らげる。
 私は知らぬ振りをして、サラダにたっぷり入れてやる。
 高校生らしからぬ大人びた甥っ子に、小さな嫌がらせをしてやるのだ。


【…続きます】
 
 
立秋=8月8日〜8月22日頃
初候・涼風至(すずかぜいたる)次候・寒蝉鳴(ひぐらしなく)末候・蒙霧升降(ふかききりまとう)
 
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思った以上に長くなりそうなので、続きは改めて。
13日頃までには更新したい…と思っております。頑張ります。

  そよりともせいで秋立つことかいの 上島鬼貫

暦の上では秋…なんて言葉を鼻先で笑いたくなる暑さが続きますね。
皆さんも夏負けしませんように。



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by bowww | 2015-08-08 10:40 | 作り話 | Comments(5)

絵本館のこと

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先月、安曇野にある小さな絵本館が長期のお休みに入りました。

「大人になってしまった人たちが、かつて子供だったことを再認識する場に」。
開館から四半世紀、緑深い林の中に静かに佇む絵本館です。
海外の作家を中心に、上質な絵本とその原画を紹介してきました。
少しダークな、陰影の深い絵本が多かった気がします。
日本の作家では酒井駒子さんの企画展が印象深く、ビロードのような画面が素敵でした。
ガブリエル・バンサンの描く絵本は、線だけで豊穣な世界が広がっていました。
自分の知らなかった絵本に出会える楽しみはもちろんでしたが、何よりもオーナーご夫妻とのお喋りがお目当てでした。
訪れる度に、「ああ!いらっしゃい」と歓迎して頂きました。
館内をゆっくり巡って作品や絵本を眺めた後は、奥さまが淹れて下さるコーヒーを飲みながら時間を忘れてお喋りしました。
館長さんは私の父親とほぼ同年代。なのに、いつも大きな瞳がキラキラとして若々しいのです。
奥さまは柔らかな雰囲気で聞き上手。エネルギッジュな館長さんと呼吸がピッタリです。
お二人に甘えて、世間話からちょっとした悩み事まで、取り留めなく聞いて頂きました。

絵本館を大切に思い、休館を惜しむ人たちが全国からやって来て、休館前の1ヶ月ほどは特にお忙しかったようです。
そして皆さん一様に「再開を待ってます」と言い置いていかれたそうです。
お二人は初めての「夏休み」を取って、のんびり旅行を楽しまれるとのこと。
今後のことは帰って来てから改めて考えるとおっしゃっていました。

駐車場に車を停めて深呼吸して、アプローチを辿って、少し重い扉を開けて、もう一度深呼吸。
とびきり上等な空気です。澄んだ冷たい水を飲むような。
帰り道はいつも満ち足りて、素直に「よし、また頑張るか」と思えるのです。
ちゃちな言葉になってしまうかも知れませんが、絵本館は私にとっての「パワースポット」。
思い浮かべると心がフワッと膨らむような、宝物のような場所を知っているだけで、私はちょこっとだけ強くなれます。
私、お金も才能も知恵も恵まれた容姿もない、ないない尽くしなのだけれど、「人の運」にだけは恵まれているのです。
いつでも必ず、手を差し伸べてくれる人や背中を押してくれる人がいます。
なので一度繋がったご縁は、さもしいほど手放しません。
絵本館のお二人と出会えて本当に良かった。
いつか恩返しが出来ますように。


猛烈に暑い日が続きますね。
作り話は8日に更新予定ですが、脳みそがお味噌汁になりそうなので、甚だ心許ないです。。
皆さんもご自愛くださいませ。



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by bowww | 2015-08-02 17:59 | 身辺雑記 | Comments(0)