<   2014年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

第五十三候 霎時施

 冷たい雨が降っている。
 朝の冷え込みは和らいだものの、今日はこのまま、気温が上がらないらしい。
 クローゼットの奥から、白いニットのカーディガンを引っ張り出す。
 思い直して、カナリアンイエローのニットに着替える。
 こんな空模様の日は、少しでも明るい色を着ないと顔色も気持ちも沈む。
 私を可愛がってくれた伯母に、昔から「本当にお前は地味な格好ばかりで…」と、よく呆れられた。
 自宅で洋裁の教室を開いていた伯母は、上等な生地を買い込んでは自分のスーツやワンピースを仕立てていた。
 お気に入りの姪である私にも誂えてくれるのだが、如何せん、趣味が合わない。
 華やかなパステルカラーやフリル、リボン、金ボタン。
 私の好みからすると、どこか必ず飾りが多い。
 服を作ってもらうのも、買ってもらうのも、だからちょっとだけ憂鬱だったものだ。
 今になれば懐かしい。
 今日は伯母の見舞いに行く。
 たぶん、今日が最後になるだろう。

 伯母は賑やかな場所が好きで、人を招いて振る舞うのが趣味だった。
「人生なんてケセラセラよ」と、よく笑ってたくさん食べた。
 大柄な体型に、ピーコックブルーやフィーシャピンクの服がよく映えた。
 その伯母が入退院を繰り返し、会う度に小さくなっていった。
 人に会うのを嫌がり、愚痴が多くなった。献身的に世話を焼く夫にも悪態をついた。
 もっとも、伯父へ文句を言うのは元気な頃からの習慣だったから、口が達者なのは変わりがないと言える。
 衰えていく伯母を見るとのはつらかったが、会わずにいればきっと後悔する。
 感謝の気持ちを伝えたくても、「ありがとう」と言えばそれが最後になるような気がして、なかなか口に出せなかった。

 伯母はほとんどの時間を、病室で眠って過ごしているらしい。
 枕の上の伯母の顔は、水に晒したように白々としていた。
 二十年以上前に亡くなった祖母に、やっぱりよく似ている。
 細く細くなった手を、そっと握る。
 目を開けて、私を見つめようとする。でも、焦点を合わせることさえ億劫なのか、再び瞼が閉じる。
 代わりに、私の名前を呟く。
「うん、来たよ」
 伯父が、伯母の耳元に口を寄せて、喉が渇かないか、寒くはないかと声を掛ける。
 伯母はうるさそうに首を振った。
 もう一度、私の名前を呼んだ。
 私が近寄ると、目を閉じたまま、
「…きれいな色のセーター。あんたは美人なんだから、もっとそういう色、着なさい」と言った。
 そして、僅かに微笑んだ。
「ありがとう。おばちゃん、いっぱいありがとうね」
 伯母は小さく頷いてくれた。

 病院を出ると雨は上がっていた。
 水たまりが鈍色に光る。
 私を守ってくれた人たちは、順繰りに彼岸へ旅立って行く。
 暖かい毛布を、一枚、また一枚と剥がされていく気持ちがする。
 水たまりを覗くと、呑気な黄色のニットが映った。
 お別れを言う時間を与えてくれた伯母に敬意を表して、ストロベリーアイスのような色のマフラーを買おうと思う。
 
 

〜霎時施(こさめ ときどき ふる)〜


b0314743_01283414.jpg


雨が降る度に秋が深まります。
「霎」で「こさめ」と読むのですね。
陰暦10月の異称は「時雨月」。
秋から冬にかけて、一時的に降ったり止んだりする雨(時に雪も)のことを、時雨というそうです。
   神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりけり   詠み人知らず(「後撰集」)
インターネットって便利だなぁと思うのは、「確かこんな言葉を使った歌や句があったはず…」という不確かな記憶の断片を打ち込むだけで、いとも容易く、その作品を手繰り寄せてくれる時です。
「降りみ降らずみ」がキーワードでした。
水たまりのことは「にわたずみ(潦)」と呼ぶらしいということも、不意に思い出しました。
これまたネットで確認したりして。
私の記憶の倉庫はとっても乱雑なので、なにが何処に仕舞われているか、本人にも見当がつきません。
探し物は、まず見つかりません。
昔々に仕舞っておいた言葉が、脈絡もなく転がり出てきます。
役立たずな倉庫です。

海の旬は、ノドグロ(日本海側の超高級魚なんですね。どんな味でしょうか)などなど。
山の旬は、サツマイモ、長芋などなど。
近くに長芋の産地があります。
長芋の蔓や葉も、なかなか見事に黄葉するのです。この葉が枯れる頃、芋が太って収穫の季節を迎えます。
長芋、すり鉢ですってとろろ汁にするのも美味しいけれど、私はみじん切りにして出汁を加えて伸ばしたものの方が好きです。歯ごたえが残るので。
短冊に切って海苔をまぶし、わさび醤油で食べるのも好きです。

次回は11月2日「楓蔦黄」に更新します。

エキサイトブログさん、今日はこれからメンテナンスに入るそうで、数時間ログインが出来なくなるようです。
更新できなくなると嫌なので、今回は真夜中に更新。
コメント欄も仕様が変わっているようで、どうもどんどん使いづらくなっていくなぁ。。



[PR]
by bowww | 2014-10-28 02:16 | 七十二候 | Comments(0)

第五十二候 霜始降

 その国のお姫さまは、とても美しい方でした。
 透き通るような肌に深い深い碧い瞳。プラチナの髪は豊かに波打って、ほっそりとした背中に流れます。
 踊りを踊ればどんな妖精も敵わないほど軽やかに、楽器を奏でれば小鳥が聞き惚れるほど美しく、詩を詠えば師が涙を流すほど感動的に。
 まるでお伽噺から抜け出たように、すべてにおいて完璧なお姫さまでした。
 ただ一つ、欠けていたもの。
 それは心でした。
 あまりに多くを与えたため、神さまは肝心なものを入れ忘れてしまったのかも知れません。
 泣きも笑いも怒りもしないお姫さまは、きれいなだけのお人形のようでした。
 ただ、大変賢い方でしたから、上手に笑顔をつくることができました。
 そして、「どうして私は皆と同じように泣いたり笑ったりできないのかしら」と、いつも不思議に思っていらっしゃいました。

 お姫さまのお母さまは、お姫さまがお生まれになって間もなく亡くなりました。
 忠実な乳母が、お姫さまの母親代わりでした。
 乳母は良き魔女の血をひく者でしたから、深い知恵と優しさを持ち合わせていました。
 お姫さまの心が行方不明なことを、乳母だけが気付いていました。 
 悲しみを知らなければ、ほかの誰かの痛みに気づくことができません。
 喜びを感じなければ、本当の幸せは見つけられないでしょう。
 乳母はどうしたものかと、密かに頭を悩ませていました。

 ある日のことです。
 お姫さまと乳母はお忍びで城下へ出掛けました。
 街は秋の収穫祭で、多くの人々でごった返していました。
 子供から年寄りまで、みな嬉しそうにはしゃぎ、飲み食いし、歌い踊っています。
 お姫さまは不思議そうに人々の様子を眺めていましたが、やがて慣れない人混みに疲れて立ちくらみを起こしました。
 乳母は木陰にお姫さまを休ませて、飲み物を買いにその場を離れました。
 林檎の果汁を冷やしたものを手に再び木の下に戻ると、なんとお姫さまに若い男が話しかけているではありませんか。
 乳母は青ざめました。お姫さまに、もしものことがあれば大変です。
 慌てて駆け寄ると、男は人懐こい笑顔で乳母にも挨拶しました。
「お嬢さんをダンスにお誘いしたんです、一曲だけ許してください」
 どうやら悪い人間ではないらしい。物腰は礼儀正しく服装も清潔だし、目鼻立ちはすっきりと男らしい。
 それだけ見てとると、乳母はお姫さまの顔を窺いました。
 もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。
「…では、一曲だけですよ」
 乳母が答えると、男は嬉しそうにお姫さまの手を引いて広場の真ん中へ駆けて行きました。
 楽団が陽気な音楽を奏で始めました。
 男は巧みにお姫さまをリードします。
 お姫さまは踊りは得意ですから、軽々と相手に合わせます。
 やがて二人は踊りの輪の中心になりました。ほかの踊り手たちや見物人たちから、賞賛の声が上がります。
 結局、二人は三曲立て続けに踊りました。
 乳母は四曲目が始まる前に、お姫さまに合図をしました。
 男は名残惜しそうにお姫さまの手を離し、彼女の後ろ姿を見送りました。
 帰りを急かす乳母に、お姫さまは言いました。
「…ここが熱くて苦しいの」。
 胸をトントンと叩きます。頬は赤く染まっていました。
「これは何かしら?私、どうしたのかしら」
「もしかしたら、心が目を覚ましたのかも知れませんね」
 乳母は機嫌良く答えました。

 しかし、目を覚ました心はとても厄介でした。
 お姫さまは途方に暮れました。
 街での出来事を思い出しては笑みが浮かび、次の瞬間には涙が流れます。もう、あの男と会うこともないと自分に言い聞かせれば、居ても立ってもいられなくなるのです。
 夜も眠れず、ご飯も喉を通らなくなりました。
 乳母は困ってしまいました。
 お姫さまの心は、生まれたての赤ん坊と同じです。
 このままではお姫さまは、自分の心に振り回されて憔悴してしまうでしょう。
 疲れきったお姫さまは、乳母に泣きながら頼みました。
「お願い、私の心とやらを、もう一度眠らせて」
 こんなに苦しいのなら、心なぞ要らない。
 乳母は迷いました。
 愛するお姫さまの苦しむ姿を見るのはつらい。
 でも、お姫さまを再びお人形に戻すわけにはいかない。
「それでは姫さま、その心を凍らせて差し上げましょう」
 乳母は少しだけ魔法が使えます。
 ずきずきと痛む心を凍らせて、春まで静まるように呪文をかけました。
 こうしてお姫さまは、ようやく安らかに眠ることができたのでした。
 
 ところが、春が来る前に、乳母は突然の病で亡くなってしまいます。
 凍りついた心を融かす呪文は、もう誰にも分かりません。
 お姫さまは、胸をトントンと叩きました。
 何か忘れている気がするのだけれど…。
 首を傾げているお姫さまに、王さまがお声をお掛けになりました。
「姫よ、お前は美しく賢く優雅な自慢の娘だ。そろそろ婿を取らねばなるまいな」
「はい、お父さま。御意のままに」
 美しく微笑んだお姫さまの胸の辺りで、キン…と何かが砕ける音がしました。



〜霜始降(しもはじめてふる)〜


b0314743_03233806.jpg


二十四節気も「霜降」。空気が冷えて霜が降りる頃です。
写真は数年前の1月に撮ったもの。さすがにここまでは冷え込みませんが、それでも一週間ほど前に初霜の知らせがとどきました。
初霜の次は、山の初冠雪。
今降っている雨は、山の上では雪になっているかも知れません。
その雪が徐々に麓に下りてきて、やがて里も雪の季節。
冬ごもりの準備をしなくては。

海の旬は、鮭などなど。
山の旬は、シメジ、クルミ、新蕎麦などなど。
鮭と言えば筋子!今年は生筋子を何回か買って、家で醤油漬けにしました。
去年はケチケチと「もう少し安くなったら…」なんて言っているうちに、店頭から姿を消してしまったので、今年は見つけ次第、「えいや!」と買っていました。
ピッカピカの炊きたての新米に乗せて堪能しました。
私、通風でなくて良かった…。
今年の山は、キノコが本当に凶作でした。
松茸、結局、口に入らず。。
イクラで敵を討ったような気持ちです。

私の住む辺りは蕎麦の産地です。
美味しいお店も沢山ある…ようです。
残念ながら、私の舌はそれほど上等にできていないらしく、蕎麦の風味の微妙な違いが分かりません。
蕎麦通の方には怒らせそうですが、蕎麦よりもつゆの味で好き嫌いが決まります。
あまり甘すぎるのも辛すぎるのも苦手です。
出汁が程よくきいた(濃すぎるのも駄目)好みのつゆで出してくれるお店が嬉しいです。
蕎麦を打ってもらっている間に、板わさなんかでお酒を飲んで、〆にお蕎麦を手繰る。
…なぁんてことをやってみたいものですが、美味しいお店ほど辺鄙な場所にあるものですから、車で行かざるを得ないのです。
運転手さんがほしい。
みずみずしい新蕎麦はもちろん美味しいですが、駅そばも捨てがたいですよね。
5代目の柳家小さん師匠の「時そば」を聞くと、温かい蕎麦を食べたくて食べたくて仕方がなくなります。


次回は10月28日「霎時施」に更新します。



[PR]
by bowww | 2014-10-23 09:19 | 七十二候 | Comments(2)

第五十一候 蟋蟀在戸

  この明るさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美しさに耐へかね
  琴はしづかに鳴りいだすだらう
            八木重吉
 
b0314743_02445943.jpg


〜蟋蟀在戸(きりぎりす とに あり)〜




「蟋蟀(こおろぎ)」と書いて「キリギリス」と読むのですが、その実体は「ツヅレサセコオロギ」とのことです。
えっと…結局はコオロギのことでいいのでしょうか。
ツヅレサセ=「綴れ刺せ」という漢字を当てるそうです。昔の人は、「着物の繕いものをしろ。冬が来るぞ」と急かす声だと聞きなしたのですね。
翡翠のようなキリギリスは、夏の終わりに「スイ~ッチョン」と鳴きます。
夜に涼しさが混じる頃。
今はもう、涼しさを通り越して寒いくらいです。
朝晩にはストーブを使っています。

海の旬はカマス、鯖などなど。
山の旬はチンゲンサイ、柿などなど。
柿、どんなに甘くても、どこかに渋みが残っている気がします。
私が子供の頃は、お庭で取れた柿を分けて下さる方がいらっしゃいました。
小粒だけれど毎年甘いのです。
喜んで食べていると、時々、イジワルのように渋柿が混じっています。
口の中がギューッと絞り上げられるような渋さ。
こんな渋柿も、干せば甘くなるのですから不思議ですね。
山間の村に行くと、オレンジ色の柿がいっぱいに実って枝を撓らせている木をたくさん見かけます。
お年寄り世帯が増えて、柿の収穫ができないのだそうです。
その柿を狙って猿や熊がやって来るので、住民にとっても行政にとっても頭が痛い問題なのです。
山村で枝いっぱいの柿の木を見ると、ちょっと切なくなります。


この季節になると、八木重吉の大好きな詩が思い浮かびます。
よし、これをヒントに作り話を…と思ったのですが、夜明け近くまで考えても膨らみませんでした。。
こんなシンプルな言葉だけで、尊いくらいに美しい秋の陽射しを表現してしまうなんて…。
陳腐な作り話は(当たり前だけれど)太刀打ちできません。
うぅ。。


次回は10月23日「霜始降」に更新します。
その前に霜が降りそうですが。

[PR]
by bowww | 2014-10-18 10:12 | 七十二候 | Comments(2)

第五十候 菊花開

 夏の観光シーズンが過ぎて、紅葉の季節にはまだ早い。
 そんな中途半端な季節なら静かな京都が楽しめるだろうと、平日に連休を取って出掛けた。
 修学旅行や友人との旅行では何度か訪れたことがあったが、一人旅は初めてだ。
 来てみれば名所の神社仏閣は、それでも観光客で賑わっている。
 定番の清水寺や金閣寺、南禅寺などは避けて、唯一の目的だった太秦の広隆寺で弥勒菩薩像を拝観した後は、気ままに京都の街を歩き回った。
 町家をうまく改装した雑貨店を覗き、モダンな雰囲気の古道具屋で小さなグラスを二つ買い、昔ながらの喫茶店で一息つく。
 さすがに歩き疲れて河原町にあるホテルに戻り、シャワーを浴びて三十分ほど眠った。
 空腹で目が覚めた。夕食は外で食べることにしていたから、ガイドブックを開いてめぼしい店を探す。
 すると、老舗のバーがホテルの近くにあることに気づいて、俄然、元気が出る。
 一人で食事を取るのはファストフードの店でも苦手なくせに、バーは平気なのだ。
 食べるとき、一人ではどうにも手持ち無沙汰な気持ちになる。
 バーでは客あしらいが上手いバーテンダーが、程よく相手をしてくれるから気楽なのだろう。
 食前酒を飲んで、バーテンダーにお薦めの飲食店を紹介してもらえばいい。
 髪や服を整え、化粧を簡単に直して、暮れ始めた街に出た。

 バーの前でため息をつく。重厚な木の扉には「臨時休業」の張り紙。
 定休日ではなく、「臨時」というタイミングにぶつかってしまう自分の間の悪さが恨めしい。
 気持ちはすっかりアルコールに傾いている。どうしたものかと迷ったが、確かもう一軒、良さそうなバーがあったと思い出す。
 ガイドブックはホテルに置いてきたし、店の名前も忘れたからスマホで検索することもできない。
 確か高瀬川沿い、木屋町通を南に行って路地を少し入った所だった。
 とりあえず行ってみようと歩き出す頃には街はすっかり灯ともし頃で、仕事帰りに一杯飲もうというサラリーマンや、食事会やデートに向かう華やいだOLたちで賑わっていた。
 川沿いの歩道の石畳が、街灯の明かりで照り光る。川の水面もチロチロと光を返す。 
 なんとなく艶めいて見える街の表情を楽しみながら、目的のバーを探した。
 通りから右に折れて、たぶん数十メートル。
 見当をつけた場所に、果たして小さなバーの看板が出ていた。銀色の瀟洒なプレートに、素っ気ないぐらいの簡素さで店名が書かれている。小さな明かりが灯っているから、営業中ではあるのだろう。
 古いけれど小ぎれいな雑居ビルの半地下にあるらしい。
 敷居が高そうだが、「旅の恥は…」と呟いて扉を押した。あまりに場違いなら、物を知らない観光客の顔をしてそのまま退散すればいい。

 入ってみれば、何の変哲もないバーだった。
 よく磨かれた一枚板のカウンターにスツールが八つ。酒の瓶がずらりと並ぶ棚。奥には小さなテーブルが二つある。ジャズが低く流れ、カウンターの上だけが明るい。
 カウンターの真ん中に、女性客が一人、座っていた。
 白髪のマスターが穏やかに「いらっしゃいませ」と声を掛ける。
 ほっとしながら入り口近くの席に座る。
 手渡されたおしぼりは温かく、仄かに檜の香りがした。
 空きっ腹だからと、モスコミュールを軽めに作ってくれるように頼んだ。
 よく冷えた銅製のマグに唇をつけて傾けると、生姜の辛みも鮮やかなモスコミュールが喉に流れ込んで来た。思わず「美味しい」と声が漏れる。
 マスターが笑顔になる。
 と、女性客の肩も揺れた。
 一杯目を飲み終える頃、マスターが「観光でいらしたのですか?」と声を掛けてきた。
 京都は初めてか、どこの名所に行ったか、どこから来たのか、などと煩わしくない程度に質問が続く。こちらも旅先の気楽さから、機嫌良く答えた。
 気のせいか、女性客も聞き耳を立てているように感じる。
 観光客はあまり入り込まないようなバーだったろうか、と思う。地元の常連ばかりが来る店かも知れない。
 居心地は悪くないが、もう一杯飲んだら店を出ようと思い始めたとき、女性客がこちらを見た。
「もし良かったら、一緒にいかがです?」
 女性はカウンターの上にある透明な瓶を指し示した。
「京都の面白いお店なんかもお教えできると思うけど」
 とても綺麗な人だと思った。
 陶器のような肌に、墨を流したような切れ長の瞳。少し薄い唇は透明感のある赤。耳の下で切り揃えられた黒髪が、首を傾ける度に濡れたように光る。
 つり込まれるように頷いていた。
 彼女ははしゃいだ声を上げて、隣の席に移った。
「退屈していたの。お話し相手が欲しくて」
 マスターがショットグラスに透明な酒を注いだ。
 ストレートのウオッカやジンだとしたら、とてもお付き合いできない。
 こちらの不安を察したのか、彼女はくつくつと笑って言った。
「これは日本酒。雰囲気を出すためにグラスに注いでもらったの」
 瓶を振って見せる。
 瓶の底で、薄紫色の欠片が揺らめいた。
「…それは?」
「菊の花」
 彼女は細い指でグラスを持ち上げると、すい、と飲み干した。濃紺のニットから覗く喉が、透けるように白い。
 恐る恐るグラスに口をつける。
 確かに日本酒だ。
 ほの甘い酒の香りに、ひんやりとした花の香りが一筋。口に含むと、その香りが膨らんで鼻に抜けていく。舌に微かな苦みを残して。
「…美味しい」
「菊のお酒は不老長寿のお薬だから。もっと召し上がる?」
 彼女はまたはしゃいだ声を出して、こちらを覗き込んだ。
 でも、その綺麗な瞳はどこまでも黒く深く、底が見えない。
 酔っているのだろうか。
「いいわね、柔らかそうな唇。きれいな肌。若いっていいわね」
 冷たい指先が頬に触れる。
「でもね、あと十年。…ううん、五年もすれば衰え始めるわ。ここに皺が出来て…」
 目尻に触れる。
「ここが落ち窪んで…」
 瞼に。
「ここは色褪せて…」
 唇に。
「どう?年を取らない方法、知りたくない?」
 囁く声が心地好くて、墨色の瞳から目が逸らせない。
 指先が鎖骨を撫でる。
 ぞくり。
 慌てて身を退いた。
「やっぱり、これで失礼します」
 女性は「あら残念」と、にっこり微笑んだ。
 バーテンダーは何事もなかったように会計を済ませると、
「本当に残念。よいお客様になって頂けるかと思いましたが…」と呟いた。

 バーからどうやってホテルに戻ったか覚えていない。
 バスタブにお湯を張り、震えながら肩まで浸かった。
 バーの名前が、どうしても思い出せない。
 ただ、体を何度洗っても、あの菊の香りは朝まで消えてくれなかった。



~菊花開(きくの はな ひらく)~


b0314743_19590968.jpg

旧暦の9月9日の頃です(でも、今年の旧暦9月9日は、10月2日でした)。重陽の節句です。
菊の花を浸したお酒を酌み交わし、不老長寿を願った日だそうです。
3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句などに比べて、どうにも地味ですね。
どうして廃れてしまったのでしょうか。
やっぱり菊の花が地味なイメージだからかな。
「アンチエイジングの日」なんて感じで売り出せばよろしいのではないかしらん。
今回の作り話、半分は実話です。
京都に一人旅に行って、バーに行って。
美人さんには会いませんでしたが、バーテンダーさんと楽しくお喋りしました。
でも、数年後に再びそのバーを訪れようとしたのですが、どうしても見つけられなかったのです。

海の旬は、ハタハタ(食べたことないです)などなど。
山の旬は、小豆、ナメコなどなど。
今年の山は、キノコ凶作だそうです。キノコ採り名人の同僚が嘆いていました。
それでも、私の大好物のチャナメツムタケを分けてくれました。
牡蠣醤油とお酒を垂らして、ホイル蒸し焼き。山の香りと一緒に頂きました。
ありがたや。

また台風が近づいています。今年は天に「どうか鎮まって…」と祈る日が特に多い気がします。
どうか静かにお通り下さい…と、台風の映像を見ながら思っています。


次回は10月18日「蟋蟀在戸」に更新します。


[PR]
by bowww | 2014-10-13 10:14 | 七十二候 | Comments(2)

第四十九候 鴻雁来

「お前は、おばあちゃんそっくりだ」
 小絵(さえ)は子供の頃から、よくそう言われた。ほとんどの場合は呆れ声で。
 母方の祖母は、小絵が生まれて間もなく亡くなった。だから当然、小絵に祖母との思い出はない。
 写真に残る祖母の面影も淡い。小柄で華奢な体に地味な着物を纏ったその人は、どの写真も伏し目がちで表情が読めない。そのくせ唇は真一文字に引き結んでいる。
 小絵は父親似で、目はいつもびっくりしたように丸く大きい。手足が長く、女性としては大柄なタイプだろう。
 自分ではどこが似ているのか分からない。
 一度、母に「どこが似ているの?」と尋ねると、「性格」と返ってきた。
 進学する大学も、就職する会社も、結婚も離婚も、振り返ってみれば小絵が自分一人で決めてきた。
 その度、「おばあちゃんそっくり」と繰り返された。
 夫だった人からは「最後まで俺を信じてくれなかった」と言われた。
 親友からは「もう少し楽にしたら?そんなにいつも張りつめてたら、自分も周りも疲れちゃうでしょ」とアドバイスされた。
「…と言われてもねぇ。生まれつきの性分だもんね」
 小絵は胸の中で祖母に同意を求める。

 両親から、実家に残してある本の処分を言い渡された。
 結婚して実家を出る際に、ほとんどの蔵書を置いてきた。離婚後もマンションの部屋が手狭なのを言い訳にそのままにしていたのだが、兄夫婦が来春から同居するという。
 さすがに部屋を空けなくてはいけないだろう。
 秋の休日、小絵は渋々と実家を訪ねた。
 自分の本のほかに、祖父母が残した本もある。
 祖父が亡くなった際に古本屋を呼んで、ある程度の本は処分したのだが、文学全集や美術全集の類いは引き取ってもくれなかった。
「どこのご家庭でも持て余しているようで…。うちの倉庫にも、もう何組も眠っているんですよ」と、にべもなかった。
 文学全集は泣く泣くゴミに出した。
 祖母が残した日本画の全集ものは、それでも捨てるには惜しく取っておいたのだった。
 小絵は自分の本をざっと仕分けてから、祖母の本を手に取った。
 祖母が買った当時は相当高価だったであろう画集は、一冊だけでもずしりと重い。
 祖父は特に興味もなかったようだから、この全集を見て、諦め顔でため息をついたのではないか。
 竹内栖鳳、菱田春草、横山大観、川端龍子、小林古径、東山魁夷…。
 どれもページは真新しく、色鮮やかだった。
 祖母はほとんど読まずに、コレクションすることで満足していたのではないか、と小絵が思い始めたとき、一冊の画集から何かが落ちた。
「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」
 与謝野晶子の歌が、黄ばんだ便箋に書き付けられている。便箋に包まれていたのは、色を残した紅葉の押し葉。
 小絵は思わず微笑んだ。
 祖母の密かな恋心だろうか。娘時代の淡い片思いを思い出して。
 画集は上村松園の画集だった。
 ページを繰ると、着物姿の女性たちがどれも気品高く、煙るような美しさで描かれている。
 祖母はどの絵を見て、晶子の歌を思い出したのだろう。
 「花筐(はながたみ)」。
 そこにもう一枚、紅葉の押し葉が挟まれていた。
 血のように赤い袴、襟元はぐずりと弛み、袿は左肩からだらしなく滑り落ちている。花籠を提げる右手は露に白い。
 整った顔は笑っているようだけれど瞳の焦点が定まらず、赤い唇が奇妙に歪む。
 恋人と無理矢理引き離されて、焦がれて狂った女性・照日の前。
 秋の花咲く野を彷徨い歩く狂女に舞い散る紅葉。
 小絵は、言葉もなく絵に見入った。
 こうして花野にやってきたのに、どうして貴方は居ないの?どこに行ったの?なぜ私を一人にするの?
 月は人を狂おしくさせる。
 祖母は誰に焦がれたのか。

 母の呼び声で小絵は我に返った。
 便箋と紅葉を画集に挟み直し、再び本棚に戻す。
「私、また誰かを好きになれるのかな」
 小絵は母に返事をして、唇をキュッと結んだ。


 
~鴻雁来(こうがん きたる)~



b0314743_09491130.jpg



二十四節気では寒露。秋が一段と深まりました。
暦通り、今朝は冷え込みました。布団から出るのがつらくてなりません。
北の国から、日本で冬を越すために雁が渡ってくる季節。秋の風物詩ですね。
とはいえ、私、雁がどの鳥なのか分かりません。
私の住む辺りでは、もうすぐ白鳥が渡ってきます。冬の使者です。

海の旬は、ホッキ貝などなど。
山の旬は、アケビは栗などなど。
秋になると栗のお菓子がたくさん出てきますね。
栗のきんとんで餅を包んだ「栗子餅」が名物のお店があります。
素朴な栗子餅はもちろん美味しいのですが、実はここのお店の「和栗のモンブラン」が!
それまでのモンブラン、ただただ甘ったるくてあまり好きなお菓子ではなかったのですが、こちらのモンブランを食べて目が覚めました。
栗本来の甘さを殺さない程よい甘さが上品で、クリームでちょっと味に奥行きを出した感じ。食べ終わるのが惜しい美味しさでした。
以来、秋になると「和栗のモンブラン、和栗のモンブラン」と、うわ言のように呟くのですが、お店が遠いためになかなか口に入りません。故に余計に焦がれるという…。

今日は満月。皆既月食が見られるそうですね。
午後6時過ぎから部分食が始まるそうです。
昨夜の月は冴え冴えと美しかったです。台風一過で空が澄んでいたせいでしょうね。
今夜は仕事の合間にこっそりと観測したいと思います。


次回は10月13日「菊花開」に更新します。


[PR]
by bowww | 2014-10-08 10:00 | 七十二候 | Comments(4)

10月4日 きょうの空

b0314743_18004931.jpg

大好きな喫茶店に行って、ちょっとご無沙汰していた方々と挨拶を交わして、家に戻る途中。
少しどぎついくらいの夕焼け雲。
台風が近づいているせいでしょうか。
振り返ると、うるうるに潤んだ半月が浮かんでいました。
台風、大きな被害が出ませんように。

ずっと会社の中に居る仕事をしているせいで、時々、外の人と無性に会いたくなります。
ほんの数年間、外に出ていろいろな方のお話を聞く仕事をした際、自分で思っていた以上に「ヒトナツコイ」性格だったことに気がつきました。
…いや、知識と経験のなさを、愛想でカバーしようとした結果でしょうか。
話をするのも聞くのも大好きです。
なので、今日は良い一日でした。




[PR]
by bowww | 2014-10-04 18:08 | 番外編 | Comments(5)

第四十八候 水始涸

【前回からの続きです…】


 ジャケットを脱いでネクタイを緩める。
 乗客は駅を過ぎるごとに減っていって、終点で降りたのは私を含めて5、6人ほどだった。
 会社の最寄り駅から約一時間半、この駅で乗り換えてさらに一時間ほど北へ向かえば海に出る。
 接続さえ良ければ、海を見に行くのもいいかも知れないと思っていたが、生憎と次の電車は一時間後だった。
 帰りの電車の時間を確認して駅を出る。
 古ぼけた観光案内の地図があり、車で二十分ほどの場所に紅葉の名所があることが分かった。
 私は、ロータリーに暇そうに停まっていたタクシーに乗り込んで、行き先を告げた。
「紅葉にはちょっと早いですけどねぇ」
 私と同じぐらいの年格好の運転手が、のんびりとした声で応じた。

 山が近いだけあって、この辺りは街よりも季節の深まりが一段と早い。道端の芒(ススキ)の穂が銀色に光る。
 タクシーは登山口近くの駐車場で停まった。
「すぐそこが水泡(みなわ)池です。池の周りを歩けば、一時間近くかかりますよ」
 私はすぐに戻るから、待っていてくれるように頼んだ。
 遊歩道があるとはいえ、革靴で歩くのは大変そうだ。池を眺めてみるだけでいい。
 案内板によると、池の周囲は約二キロ。ダケカンバやカエデが自生していて、黄色や赤色に紅葉すると池の水鏡に映えて美しいとある。
 池の周囲の木々はまだ青々としているが、池の水は静かに澄んで青空を映している。紅葉の季節はさぞかし見事だろうなと思う。
 繋がりトンボが汀の葦の茎に止まって、尾でちょんちょんと水面を叩いていた。
 少しだけ遊歩道を歩き、池を一望できる場所に移動する。
 ふかふかとした地面の感触が気持ちいい。
 相変わらず左耳は真綿を詰めたようだが、人工の音がほとんどないせいか不快な響きは気にならなくなっていた。
 昔々、この池に棲んでいた大蛇が、葦原に時折舞い降りる一羽の白鷺に恋をした。
 美しい白鷺に比べて、あまりに醜い己の姿。
 蛇は叶わぬ恋に焦がれて、大きな大きなため息をついた。
 ため息がプクプクと水面に浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
「今でも池の水面には、大蛇のため息が泡となって浮かぶのです」と案内板に書いてあった。



「いつもありがとうございます」
 会社の給湯室で、いきなり言われて面食らった。
 今年の春に入社したばかりの女子社員だった。
「ゴミ出しやコピー用紙の補充とか…。私たちがやらなきゃいけないことなのに…」
 彼女がほかの誰よりも早く来て、掃除をしていることを知っていた。
 容姿も仕事ぶりも派手ではないが、教わったことはきちんと実行する。挨拶や受け答えはいつも穏やかで好感が持てた。
「…いやいや、僕も長年やってきたことだから。習慣みたいなもんなんだよ」
「それに、『ありがとう』って言って下さるの、係長だけです」
 ふわっと微笑んだ顔を、それからずっと胸の奥に仕舞い込んでいる。


 水泡池に風が渡る。
 水面にさざ波が立ち、金色の光がキラキラと反射する。
 彼女の笑顔をまた思い出す。
 西日を受けた大きな木の幹に触れてみる。手のひらが温い。
 誰も居ないのをいいことに、聞こえない左耳を木肌に押し付ける。
 このまま溶け込んでしまえたらいいのに、と不意に思う。


 待ちくたびれた運転手に詫びて、再び駅へ戻る。 
 電車を待つ間に携帯電話を確認する。
 メールが一件、届いていた。


  秋の森出できて何かうしなへり 西東三鬼

  
〜水始涸(みず はじめて かる)〜




※文中、なぜか無意味に文字が大きくなっている箇所がありますが、本当に何の意味もありません。
何度か書き直してみたのに、整わず…。。
見苦しくて申し訳ありません。
b0314743_03472451.jpg


田んぼの水を落として稲刈りが始まる季節ということですが、私の住む辺りの田んぼは、もうとっくに丸裸(?)です。
稲架(はぜ)に掛けて干してあるお米は、ほとんどが自家用。天日干しは時間がかかるけれど、やっぱり特別に美味しい気がします。
早く新米が食べたい!
子供の頃は、稲刈り前の田んぼでイナゴ捕りをしました。
そうです、私の住む辺りではイナゴを食べる習慣があるのです。
…苦手な方もいらっしゃるでしょうから、詳細を書くのは控えます。
実は私も食べる方は苦手です。
ちょっとしたトラウマがあるのですが、詳細を書くのは控えます。
でも、イナゴを捕まえて歩くのは楽しかったなぁ。

海の旬は、トラフグなどなど。鱧も梅雨時に続いて二度目の旬だそうです。
山の旬は、何と言っても松茸!(…今年はまだ頂けておりません)落花生や生姜などなど。
これからの季節、生姜ジャムや生姜シロップを常備しておくと便利ですよね。
風邪のひき始めなんかに、お湯で溶いて飲めば温まります。
緑茶に入れても、意外と合います。


次回は10月8日「鴻雁来」に更新します。


[PR]
by bowww | 2014-10-03 10:01 | 七十二候 | Comments(2)