<   2014年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

第五候 霞始靆

 三津は茶屋の二階から、男たちの後ろ姿を眺めていた。三人は時々、じゃれ合うようにもつれ合う。
「犬っころだね、まったく」。
 男たちは幾つになっても連れ立って悪さをしたがる。まして灯ともし頃の吉原だ。「兄ぃ、厄落としだぜ」などと言って、何処ぞの見世になだれ込むのだろう。
「おみっちゃん、本当に良かったのかい」
 茶屋の女将が上がって来て声を掛ける。
 三津は横座りで手すりに凭れた姿勢のまま、生返事をした。
「あんた、この三月で本当に年季が明けるんだろ?棟梁ンとこに嫁く気だったんじゃないの」
「…そんな小娘の戯言…。おかぁさん、覚えてたの」
 十三で親に売られた。
 女中奉公と騙されたと後で父親が言い訳していたが、どうせ嘘だろう。
 三津にとっては、貧乏たらしくて辛気くさい長屋より、華やかで騒々しい色街の方が性に合っていた。
 品川の小見世で初めは女中の真似事をしていたが、十五のときに主に誘われ、「喜瀬川」という名で客を取るようになった。
 棟梁に会ったのは十八の頃だったか。
 その頃はようやく独り立ちしたばかりの青年だった。腕自慢の大工だった。喧嘩っ早いくせに人の好いところがある。品川で馴染みとなり、三津が吉原に移っても、変わらずに通って来た。
 ある時、ふとしたことで本名を教えると、「みつ」としか呼ばなくなった。見世に出ているときは喜瀬川だと、何度たしなめても聞かなかった。
「惚れてたんだろ?」
 女将が三津の隣に座る。
「…おかぁさん、私、此処よりほかン所は知らないんだよ」。大工の棟梁のおかみさんなんて、勤まるわけないさね。
「品川に居るときにくれてやったんだよ、あの起請。まだ持ってたなんてさ…。物持ちのいい人だよ、とんだしみったれだ」
 気の早い客が芸者を呼んだらしい。何処の座敷か、もう三味線の音が聞こえてくる。
 水の匂いがする。茶屋の裏手を流れるどぶ川の水面が暗い。月明かりが届かない。
 三津は空を見上げた。今夜は朧月だ。
「支度しなくちゃね」
 着物を替えて帯締めて。紅はいつもより濃くさそう。
 いつもの夜が始まる。

〜霞始靆(かすみ はじめて たなびく)〜




落語、大好きなのです。
といっても、いたって底の浅いファンなのですけれど。
ご存命の師匠なら柳家喬太郎さん、柳家さん喬さん。さん喬師匠の高座は美しくてうっとりします。柳家三三さんも素敵。立川流の皆さんは、ちょっと濃過ぎてナンですが、聞くと上手すぎて夢見心地になります。
でも、一番好きなのは故・古今亭志ん朝師匠。
同じ噺を何十回聞いても、心が明るくなるのです。
で。
「三枚起請」という噺を下敷きにしました。
(興味を惹かれた方は、志ん朝師匠の落語をぜひ聞いてみてくださいませ)
起請は、遊女が客に「年季が明けたら貴方と結婚します」と約束した誓紙。もらった方は有頂天になって通い詰めるという作戦なのです。
遊女の営業活動ですね。
この噺は、3人の男がひょんなことから同じ女=喜瀬川から起請文をもらっていたことを知って、「悔しい!騙された!」と仕返しに行くというもの。
喜瀬川は初めのうちはしらばっくれようとしますが、「女郎は騙すのが商売」と居直って啖呵を切ってみせます。
「騙され連中」の掛け合いが可笑しい噺なのですが。
いつもこの噺を聞く度に、このしたたかな喜瀬川に純な気持ちが残っていたとしたら…と考えてしまうのです。啖呵を切って男どもを追い返した後、もしも…と。
ま、どうせならずっとしたたかに生き延びて欲しいと思うのは、自分も年を重ねてきた証拠ですね。


空気も緩んで霞がたなびく頃。
遊郭のお話は、そんな春の気配が濃くなった頃にぴったりかな…と勝手に思って書いてみました。
旬は辛子菜や菜の花。魚はムツ。などなどだそうです。
写真は頂き物のマカロン。春っぽいかしら…と。…文章とか無関係です。
マカロンって、お味はあまり…ですが、見た目はとてもときめきます。

次回は「草木萌動」、3月1日に更新予定です。


b0314743_00463748.jpg



[PR]
by bowww | 2014-02-24 00:48 | 七十二候 | Comments(0)

第四候 土脉潤起

 老いた天使が死んだ。
 天使にも寿命があるらしい。
 全うして、仲間に見守られて。
 安らかな眠りについたそうだ。

 ほたりほたりと降る雪とともに、少し煤けた羽が舞う。
 今日は天使のお弔い。


〜土脉潤起 (つちの しょう うるおい おこる)〜



今日は二十四節気の雨水。厳しい寒さが和らいで、雪が雨に変わる頃。
そして凍りついていた大地が潤い、命を育み始める…そうですが。
私の住む辺りは現在、数十センチの積雪が地面を覆って見渡す限りの銀世界です。
天気予報の精度が上がって、一週間も前から大雪が降ると分かっていても何もできないものですね。ずんずん降り積もる雪に手も足も出ないまま…。
雪かきで体のあちこちがガチガチです。。
いつもだったら、雪も大粒のぼたん雪になる季節なのですが…。

  夜の町は紺しぼりつつ牡丹雪   桂 信子


春キャベツ明日葉、トビウオ、ホウボウなどが旬です。
苺もそろそろお手頃価格になってきました(クリスマスやお正月の頃なんて、高級すぎて手が出ません…)。
雪のせいで苺のハウスが倒壊したり、燃料費が高騰したりしなければいいのですが。
春に植える野菜たちの苗も心配です。

次回は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」、2月25日に更新予定です。





b0314743_01223836.jpg

[PR]
by bowww | 2014-02-19 01:23 | 七十二候 | Comments(0)

第三候 魚氷上

 残暑見舞いの葉書には、「会えませんか」と書かれていた。
 最後に会ったのは何年前か。
 連れ合いを亡くしたのが6年前。病んだ夫に嘘をついて出掛けて、数時間ずつとはいえ彼と過ごした。
 7年以上、音沙汰がなかった。
 恋しさも後ろめたさも、風化するには十分な時間が経った。
 子供たちが独立し、寂しいが気ままで穏やかな日常にも慣れていた。
 彼から届いた一枚の葉書。見慣れた文字を見て、何よりも煩わしさが先立った。今更、なにを話すことがあるだろうか。
 それなのに、約束の日、のこのこと出掛けた。
 久しぶりに空色のストールを巻いて。

 彼は老いた。
 ということは、私自身も老いたということだ。
 移り変わりの激しい街の中、周りから取り残されたように変わらない喫茶店で、以前のように落ち合った。以前は二人にとっての隠れ家みたいに思えたのに、今はただ、古ぼけたインテリアが気に障る。
 私は店の扉を開けた瞬間に後悔していた。
 とはいえ、踵を返す勇気もなく、とりあえず彼の前に座った。
 おずおずと笑みを交わし、当たり障りのない会話をした。
 一杯のコーヒーを飲み終えないうちに話題は尽きた。
 共通の友人もなく、互いの家族構成さえよく知らない。彼には確か息子がいたはずだが、一人だったか二人だったかも定かではない。仕事の話もほとんどしたことがなかった。
 あの頃はそれで良かった。
 実生活から離れたところで共通点を探し出し、感性が似ている、出会うべくして出会ったのだと有頂天になっていた。一瞬一瞬が完結していた。
 積み重ねがない。
 私はコーヒーを飲み干し、席を立つ準備を始めた。
 彼は特に引き止めるでもなく、私の様子を眺めていた。
 伝票を取り上げた彼の指を見て、そういえばいつも、乾いてあたたかな手だったと
思い出していた。
 別れ際、握手を求められそうな気配を感じて、今度こそ踵を返した。
 手が冷たかったら、過去さえ後悔しそうだった。

 半年後、風の噂で彼が亡くなったと聞いた。
 そうか…と思い、洗濯をして掃除をして、夕飯の買い物に出掛けた。
 スーパーでは、無意識のうちに子供の好物に手が伸びる。苦笑いして買い物かごから棚に戻す。夫が好きだった食べ物はほとんど忘れたというのに。
 寒い、今夜は湯豆腐で簡単に済ませようと帰り道を急いだ。
 角を曲がるといきなり視界が開けた。空き地になっている。
 さて、ここには何の建物があったか…と暫く考えて、あの喫茶店の跡だと思い当たった。「売地」と札が立っている。
 足元には、数日前に降った雨で水たまりができていた。
 街灯の光を、てろりと反射した。凍っている。
 そっと足を乗せると、はりはりと崩れた。
 
 夕飯の下準備をしてから風呂を沸かす。
 冷えた体を湯船に沈めたとき、ふいに涙が溢れ出した。
「可哀想に、可哀想に」と、声を上げて泣いた。
 彼か、夫か、自分か。
 誰が可哀想なのか、もう分からない。

 
 〜魚上氷(うお こおりを いずる)〜

 

 しまった、今日はバレンタインデーなのですね。
 愛を告白する日なのに、こんな作り話を…。
 どれだけトキメキに縁がないのでしょうか。。

 さて、「魚上氷」。水がぬるみ、湖や川の氷が薄くなって(薄氷=うすらい)、魚が跳ね上がる頃、だそうです。
 おひなさまは、立春から今ぐらいの時季までに飾るのがいいそうです。桃の節句ですね。
 私の住む辺りでは、ドカ雪にやられています。
 春は来てくれるのかしら…と毎年思います。
 お日様さえ出れば多少寒くても、雪はどんどん融けていきます。でも朝の冷え込みで再び凍って…の繰り返し。軒下に氷柱がぶら下がります。
 氷柱は昔「垂氷(たるひ)」と呼ばれていたそうです。
 写真は氷点下10℃を記録した朝の我が家のガラス窓(ボロ家なのです)。
 梅よりも氷の花が咲いています。
 薄氷どころではありません。

b0314743_00252811.jpg
 次回は「土脉潤起(つちのしょう うるおい おこる)」、2月19日の更新予定です。


[PR]
by bowww | 2014-02-14 00:46 | 七十二候 | Comments(0)

第二候 黄鶯睍睆

 祖母は桜餅、祖父はうぐいす餅が好きだった。
 私は桜餅派、父と兄も仲間。母は甘いものはあまり好まない。
 祖母はよく、お気に入りの和菓子屋で桜餅を4つ、うぐいす餅を2つを買って来た。
「うぐいすは一つでいいんじゃないの?」と訊ねると、「だって一羽じゃ寂しそうでしょ」と微笑んだ。
「菓子などいらん」と言っていた祖父が、こっそり二つ食べていたことを家族は皆、知っていた。
 昔気質の祖父は感情を露にする人ではなかった。孫の私たちを猫可愛がりすることもなかった。
 だけれど、小学生の私の筆箱には、祖父が毎朝、小さなナイフで削ってくれた鉛筆がきちんと並んでいた。ランドセルには、祖父があちこちで買い求めた「学業成就」やら「交通安全」やらのお守りが幾つもぶら下がっていた。
 祖母はよく笑う人で、物静かな祖父とは対照的だった。
「おじいさんの分まで笑ってあげてるのよ」と言ってはコロコロ笑った。

 夏の終わりに患い、年が明けてすぐに、祖父は静かに旅立った。
 祖母は「お花見に連れて行ってくれる約束、やっと取り付けたのに。まったく、私、おじいさんに言いたいことがまだまだあったのよ」と、コロコロ笑った。
 そして、ポロポロ泣いた。

 少し日射しが明るくなった頃、祖母は菓子の包みを抱くようにして外出から帰ってきた。
 桜餅を3つ(兄は社会人になって独立していた)、うぐいす餅を2つ。
 祖母と私はお茶をいれて桜餅を食べた。
「おじいさんね、最期に『ありがとう』って言ってくれたのよ。あら、この人、ちゃんとお礼が言えるのねって驚いちゃった」と祖母が言った。
「おじいちゃん、優しかったよね」
「どうかしらね、素直じゃない人だったから。
 私たちがまだ若くてすごく貧乏だった時、一杯のご飯も一つのパンも二人で分け合ったの。そんな時、いつも私の方を少しだけ多くしてくれたのよ。私、それで『ああ、この人は優しい人なんだ』って思っちゃった。
 でもね、お菓子だけは別。絶対に譲ってくれなかったのよ」
 そう言って、コロコロ笑った。

 仏壇には、うぐいすが二羽、仲良く並んでいる。


〜黄鶯睍睆 うぐいすなく〜



 「春告げ鳥」と呼ばれる鶯が鳴く頃…ということです。が。
 春は名のみですね。この辺りでも十数年ぶりの大雪でした。
 それでも、早い所では梅も咲き始めているそうですから、それほどかけ離れた感覚ではないのでしょうか。
 学生時代のアパートは山際にあったせいか、ホーホケキョがよく聞こえました。初めての一人暮らし、部屋で手持ち無沙汰に膝を抱えていた時、「鶯って本当にホーホケキョと鳴くんだなぁ」と感心したことを思い出しました。
 この時季の旬のものはサヤエンドウや小松菜、ニシンなどだそうです。

 鶯の声を聞くにはまだ早いので、安易に「うぐいす餅」が登場。
 でも、私は桜餅派です。それも断然、道明寺。
 葉っぱも一緒に食べられるようになったのは、大人になってからです。
 

 次回は「魚上氷(うお こおりをいずる)」、2月14日に更新予定です。




[PR]
by bowww | 2014-02-09 00:16 | 七十二候 | Comments(2)

第一候 東風解凍

 がらんとした廊下を、足を引きずるようにして歩く。床に落ちた夕方の光が弱々しい。
 冬の間はグラウンドにも人気(ひとけ)が少ない。5、6人が長い影を踏みながらダラダラと走っているだけ。早々に練習を切り上げるつもりなのだろう。
 上履きを脱いで下駄箱に突っ込む。
 昇降口には誰も居ない。
 こっそりあいつの姿を期待していた自分に腹が立つ。
 再び下を向いて校舎を出た。

 苛立っていたのだ。
 センター試験の成績はそこそこだった。志望校の二次試験までは一ヶ月余り。「これならいけそうだな」と、担任からも背中を叩かれた。
 なのに、勉強に集中できない。緊張の糸が切れてしまったようだった。
 気持ちは焦るのにはかどらず、苛立ちが募っていた。
 あいつは留学先を決めていた。
 早くから打ち明けられていたことだし、心から応援していた。春が来ればしばらく会えなくなる寂しさも覚悟していたつもりだった。
 隣の県にある大学への進学を目指し、塾や集中講座に通い始めると、留学の準備を進めるあいつと生活のリズムがずれ出した。クラスメイトが模試やテストの結果に一喜一憂しているときも、あいつは一歩離れた場所に居た。
 今朝、通学の電車の中で「勉強が進まない」とぼやくと、あいつはいつもの笑顔でいつも通りに「大丈夫」と言った。いつもだったらそれで気が晴れるはずだった。
「お前はいいよな。もう心はイギリスだろ?準備、楽しそうだよな」
 並んで窓の外の景色を眺めていたあいつは、一瞬、こちらを見た。そして視線を元に戻して「そうだね」と呟いた。
 駅から学校までは普段通りだったと思う。
 それぞれの教室に分かれるとき、あいつは「しばらく、先に帰るから」となんでもないことのように言い置いていった。

 どうしてあんな嫌みを言ってしまったのだろう。
 いつだってこちらの都合を優先してくれた。
 「大丈夫」に何度も救われた。
 なのに何故、あんな言葉を投げつけたのだろう。
 完全に八つ当たりだ。

 帰り道はすっかり暮れて風が冷たい。
 手袋を忘れて手がかじかむ。
「電車が来るまで肉まんで食べようか」と、あいつが言い出すから、駅前のコンビニに寄るのが日課になってしまった。
 今日も惰性でコンビニのドアの前に立った。
 と、同時に、店内から黄色と白と赤のかたまりが飛び出して来た。
 正面衝突する寸前で、「ごめんなさい」と小さな声が聞こえた。
 3年生ぐらいか、黄色い帽子をかぶって白いマフラーをぐるぐる巻きにした小学生の女の子だ。赤いランドセルがピョコンと跳ねた。
 とっさのことで返事ができずにいると、こちらを見上げてもう一度「ごめんなさい」と言った。今度ははっきりと。
 へどもどしながら脇によけて通してやると、元気よく駆けて行った。
 帽子についたポンポンが上下に揺れている。

 なんとなく後ろ姿を見送って、暖房がきいた店内に入る。
 凍えていた耳が火照り始める。
 手が温まって指が動くようになったら、とにかくあいつにメールしよう。
「ごめん」は言った者勝ちだ。

〜東風解凍 はるかぜ こおりをとく〜



予想より大分長くなってしまいました。。
毎回、こんなに長くは書けないと思います。一言ぐらいで終わってしまう場合もあるかも知れないです。

今日は二十四節気の立春。「暦の上では春」ですね。
七十二候は「東風解凍」。暖かい東風(こち)が氷を溶かす頃、という意味だそうです。
旬はフキノトウ、伊勢エビ、白魚。
春の萌し…とはいうけれど、私が住む地域では寒さはこれからが本番なのです。雪もドサッと降ります。氷点下10℃になることもままあります。
それでも、少しずつ少しずつ、太陽の光が力強さを増しています。冬が厳しいだけにほんの僅かな春の気配を捕まえようと、貪欲になっているのかも知れません。

立春なので、財布を新調しました。
昨年の秋頃、財布が欲しいと呟いたところ、親しい人から「秋に買うと『空き財布』、春だと『張る財布』と言うそうな…」と教えてもらいました。
せっかくですから「張る」財布で。
春よ来いこい、福(主にお金)よ来い。

次回は9日「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」を更新予定です。


 

[PR]
by bowww | 2014-02-04 01:02 | 七十二候 | Comments(0)