カテゴリ:作り話( 45 )

ひざまづく(寒露その3)

 ある日、お嬢様から一冊の本を手渡された。
「森田さんは、源氏物語を読んだことあるかしら」
「…漫画でなら…」
 お嬢様は「あらあら」と笑い声を上げた。
「原文の朗読は無理ね」
「いえ、普通の活字で書かれているなら、たぶん大丈夫だと思います」
「では、第十帖を読んでいただける?」
 恐る恐る本を開き、漫画で読んだストーリーと場面を必死で思い出す。
 第十帖は、源氏の君の年上の恋人・六条御息所が、自身の嫉妬心に耐えきれず、娘と共に伊勢へ下向することを決めて野の宮に籠っているところへ、源氏が会いに行くという場面だ。
「遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。」
 気位の高い御息所を持て余し、自ら離れていったというのに、秋の野の宮の風情と心弱りした御息所の艶っぽさに、「やっぱり手放すのは惜しい人」と涙する源氏の君。
 血を吐く思いで諦めた若い恋人の涙を見て、心が揺れてしまう御息所。
 時々、つかえながらも何とか読み終えた。
 田上お嬢様は二度、三度ゆっくりと頷いてから、私に訊ねた。
「森田さんは、源氏物語はお好き?」
「…源氏の浮かれポンチっぷりに腹が立ちますけど。すぐに泣くし」
 思わず本音が出た。
 お嬢様は今度こそ、心底楽しいというように笑い声を上げた。
 口を覆う右手には、大きな翡翠の指輪がとろりと輝く。大きすぎて、細い細い指が折れてしまいそうだと、いつも少しだけ不安になる。
 サカキさんがドアをノックして、お茶の時間を告げた。

「えっ⁉︎ 森田さん、田上さんたちの話、信じちゃったの?」
 田上さんとの契約が終わり、朗読ボランティアの集まりに久しぶりに顔を出すと、会長の押尾さんが素っ頓狂な声を上げた。
「没落したお金持ちだか名家だかのお嬢様って教わったんでしょ?
 違うのよ、あのお二人ご夫婦なのよ」
 私は呆気にとられて押尾さんの顔を見返した。
「ごく普通のご夫婦なのよ、旦那さんは元サラリーマンで奥さんは専業主婦。確か息子さんが二人いたはずよ」
 数年前、奥さんが大病し、命は取り留めたけれど記憶が混乱する後遺症が残ってしまったという。
「きっと憧れだったのね、お嬢さまの生活が。
 旦那さんは奥さんがパニックにならないように、話を合わせてあげてるというわけ」
「あそこの旦那さん、なかなかの男前でしょ。若い頃は結構、奥さんを泣かせたみたいよ。仕事が忙しいから、家事も育児も任せっぱなしだったみたいだし…。
 介護大変ですねって声を掛けたら『罪滅ぼしと恩返しのようなものです』って」
 別の会員が押尾さんの声を聞きつけて口を挟み、噂話がどんどん広がっていく。
 私はトイレに行くふりをして席を離れた。
(騙された!)
 洗面台でじゃぶじゃぶ手を洗いながら、カーッと血が上った頭を冷やす。
 年寄りのおままごとに、疑いもなく巻き込まれた自分の間抜けっぷりが恥ずかしい。
 鏡の前に飾られた紫苑が目に留まる。
「…秋の花、みな衰へつつ…」
 西向きの窓から射し込む秋の陽射しが眩しくて目を細めた。
それにしても、サカキさんの紅茶は美味しかった。
何があったにせよ、今のお嬢様は、穏やかな夢を見ながら微睡んでいる。
 ほんの少しだけ、あの部屋のほの暗さを懐かしく思い出す。
  


  ひざまづく八千草に露あたらしく 坂本宮尾
 

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すっかり長くなりました、お付き合いありがとうございます。
秘密の小部屋、モデルは作家の森茉莉さんです。
唯一無比の美意識を頼りに集めた自分だけの宝物(他人から見れば完全なガラクタ)に囲まれて、薔薇色の夢を見ながら生きた人ですね。
今の断捨離ブームの対極にある暮らしぶり。
宝石箱のような言葉の数々は、何度読み返してもため息ものです。





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by bowww | 2017-10-10 11:07 | 作り話 | Comments(2)

ひざまづく(寒露その2)

 足までの長い緑色のワンピースに黒天鵞絨のカーディガン、エメラルドグリーンのストールを羽織った老女が、「お嬢様」であることにまず驚く。そして、部屋の有様にも言葉を失う。
「ボランティアの方?ご苦労さま。まずは声を聞かせていただける?」
 動揺を押し隠し、ゆっくりと自己紹介する。
 田上お嬢様はほとんど目が見えないのだという。
「あら、良いお声。私が好きなお声だわ。
 森田さん、でしたっけ?あなた、フランス語は?」
「…えっと、全く習ったことがなくて…」
「それは残念ね、久しぶりに原書で読んでみたい本があったのだけれど…」
 そっと本棚に目を走らせる。確かに何冊か洋書も混じっているようだ。背表紙は灼けて、書名の箔押しはほとんど剥げ落ちているが。
 なんなら、断ってもらっても構わない。
 この不思議な部屋に通い続ける自信がない。
「まあ良いでしょう、耳に障らない声の方って、なかなか見つからないものね。
 サカキ、こちらの方にお願いしましょう」
 どうやら合格してしまった。
 高くも低くもない、のっぺりとした声だと自分では思っているのだが、お嬢様のお気には召したらしい。
 以来、週に一度、田上邸に通うことになった。

 読んでも読んでも、声が吸い取られて消えていく。
 お嬢様の部屋の音響効果は、限りなく無に等しい。ガラクタたちが音を端から吸収してしまうから、知らず知らずのうちに、声を張り上げてしまう。
「森田さん、少しボリュームを下げてくださるかしら」
 お嬢様は、ちょっとだけ右手を上げて見せる。
 私は慌てて詫びて、自分の声の行方に無頓着でいようと心がける。
 そうしているうちに、自分もこのままこの部屋の一部になってしまう錯覚に捕われる。
 仄暗い部屋の隅で埃が光にきらめく様を、もう何年も何十年も眺め続けているような…。
 ドアをノックする音で我に返る。
「お嬢様、森田様、お茶の時間でございます」
 サカキさんが淹れてくれる紅茶はとびきり美味しい。
 紅茶の香りと温かい湯気に、ほっと一息つく。
 お茶の時間は、サカキさんがお嬢様につきっきりでお世話をする。
 紅茶が熱すぎないか確認し、カップをそっと手渡す。頃合いを見て、ミルクを足したり、焼き菓子を取り分けたりと、目が不自由なお嬢様が不便を感じないように働き続ける。
 動きの一つ一つに無駄がない上にこまやかだ。
「サカキさんは、ずっとお嬢様とご一緒だったんですか」
 一度、帰りがけの玄関で聞いてみたことがある。
「…いえ、先代にお世話になった後、一度は田上家を出ました。お嬢様がお一人になられたと聞いて戻ってまいりました」
 お嬢様とサカキさんはきっと年齢も近い。
 何かロマンスがあったのではないかという想像も楽しく、いつしか田上邸に通うのが嫌ではなくなっていた。


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もう一回だけ、続きます…。

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by bowww | 2017-10-09 07:05 | 作り話 | Comments(0)

ひざまづく(寒露その1)

 整然と、しっちゃかめっちゃか。
 田上さんの部屋入った途端、濃密な空気に圧倒される。
 まず薄暗い。昼間でも分厚いカーテンを引きっぱなしだからだ。
 次に匂い。外国の石鹸のような粉っぽくて甘ったるい匂い。
 そして、大量のガラクタ。
 大小様々で色とりどりのガラス瓶と古い本が、造り付けの棚いっぱいに詰め込まれ溢れ出ている。小さな書き物机は大量の紙類(上等な千代紙から何かの包装紙、紙箱、雑誌や新聞の切り抜きなどなど)が堆積している。鏡台周りにも大量のガラス瓶。本物なのかイミテーションなのか、アクセサリーの類いが無造作に並べられている。華奢な椅子の上には、レースが幾重にも波打つ子供用ドレス。もともとは薔薇色であったらしいサテンのリボン。
 壁一面には絵はがきと写真。はがきの文字はすっかり色褪せて消えかかっている。昔の外国の女優・俳優の写真が何枚も。セピア色の家族写真に写っている女の子は、レースのドレスを着て大きなリボンを髪に結んでいる。
 しっちゃかめっちゃかなのに、手を出せない。
 何か一つ抜き出せば、たちどころに雪崩落ちそうな危うい均衡を保っている。
「お嬢様、森田様がおいでになりました」
「そう。お通しして」
 私は慌てて一歩、後ろに下がる。許しもなく部屋に立ち入っていた。
 サカキさんは穏やかに、私を田上さんの近くに導く。
「お嬢様、今日はどの本にいたしますか」
「なにか二、三冊持って来てちょうだい。森田さんに選んでいただきましょう」
 サカキさんはごちゃまぜの本棚から、絶妙な力加減で三冊を引っ張り出して私に手渡した。
 三十年前の経営指南の本と、女優(すでに故人の)が書いたレシピ集、谷崎潤一郎の短編集。
「…谷崎潤一郎の小説でよろしいですか?」
 田上さんはおっとりと頷くと、真っ白く骨張った手を伸ばして、私に座るように促す。
 座れと言われても、部屋はあらゆるガラクタに占拠されていて、腰を下ろすスペースもない。
 サカキさんは、素早くベッドの上の山積みの服を片付けて、「どうぞ」と微笑んだ。
 私がなんとか僅かなスペースに腰を落ち着けたのを見届けて、サカキさんは静かに部屋を出て行った。
 手元にフロアライトを引き寄せ、私は本を開く。
「それでは、お読みしますね」
 田上さんはまたおっとりと頷き、指を組んだ。僅かな身じろぎで、座っている椅子がぎしりと軋む。
 私はできるだけゆっくりと、谷崎の短編を読み始めた。

 朗読ボランティアの会に登録して、初めて派遣されたのが田上さんの家だった。
 マンションや雑居ビルの狭間に、ぽつんと取り残された庭付きの古い家を訪ねると、品の良いおじいさんが出迎えてくれた。
 スーツはやや大きめで形も古いが、糊のきいた白いシャツに真新しいネクタイを締めている。
「ボランティアでお伺いした森田です。ご主人さまですか?」
「お待ちしておりました、私は田上の使用人でサカキと申します」
 きょとんとした私に微笑んで見せると、サカキさんは声を潜めて続けた。
「森田さんはお若いですから、ご存知ないのも無理はない。田上家はこの辺りの名家だったのですが、先代、つまりお嬢様のお父様が早くにお亡くなりになってから、ご不運が重なりまして…」
 後は察して欲しい、という目で見つめられても、私としては返す言葉がない。
 お金持ちがお金持ちでなくなって、今に至るということなのだろう。
 ボランティアの立場で、派遣先の事情をあれこれ詮索するのは憚られる。
 私は曖昧に微笑み、促されるままに田上邸に足を踏み入れた。


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長くなりましたので、分けてアップします。
汗ばむような陽気の寒露になりました。


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by bowww | 2017-10-08 11:16 | 作り話 | Comments(2)

白萩や(秋分)

 実家に寄ったのは、母の三回忌以来だから二年ぶりになる。
 予め言っておいたのに、訪ねてみれば兄は外出中で、兄嫁の和子さんが出迎えてくれた。
「すぐに戻るから」とダイニングに通される。
 広々と明るいダイニングキッチンに、座り心地の好いソファ。
 空色の皿に、和子さんが焼いたパウンドケーキが一切れ。揃いの空色のティーカップには、淹れたてのコーヒー。
 いつ来ても掃除が行き届き、部屋の片隅には小さな花が飾られている。
 母の介護中でも、家の中はこざっぱりと片付いていた。
 パート勤務とはいえ和子さんも働いているのに、家事や介護の手を抜くことはなかった。
 母が歩けなくなってからは、娘の私でさえ手出し口出しする必要がないほど、こまやかに面倒をみてくれた。
 感謝してもしきれないと思っている。
 ケーキを食べながら、窓の外を眺める。
 小さな庭もきれいに手入れがされていて、色づき始めた庭木が美しい。
 昔はあの辺りに大きな柿の木があって、この季節になると渋い実を鈴生りにつけた。
 台所は狭くて、冬は寒く夏は西日が射し込んだ。
 いつも何やらごちゃごちゃ物があって、母はいつもバタバタ忙しそうだった。
 溢れ出しそうになる思い出を、コーヒーと一緒に飲み込む。

 和子さんは美人で優しく気が利くと、結婚した当時でさえ周りから「今時珍しい」出来たお嫁さんと褒められた。
 兄は子供が生まれたのを機に実家を改築した。
 古くて隙間風でがたつく家は、明るく清潔に生まれ変わった。キッチンは使い勝手が良くなり、訪ねれば、和子さんの凝った手料理が振る舞われた。
「母さん、出番ないわぁ」
 そう言って母は、私たちの家に来てはあれこれと世話を焼いた。
「あれだけ完璧なお嫁さんだと、嫁いびりする隙もないでしょ?」
 私の冗談に、母は真顔で
「そんなことしたら罰が当たるわ」と答えた。
 本当に良くやってくれるもの、と続けた母の横顔を今でも思い出す。

 兄は帰って来ない。
 互いの子供たちの近況、自分の体の調子と健康情報の噂、夫への愚痴を一通り話し終えると、和子さんと私の間の話題は尽きてしまった。
 特別な用事があったわけではない、お彼岸が近いから両親の仏壇に挨拶に来たようなものだ。
 またお邪魔するからと腰を上げた。
「これ、作ってみたの。食べてみて」
 帰りしな、和子さんは小さな重箱を持たせてくれた。
 見た目より持ち重りがする。
「おはぎ。お母さん直伝なんだけど、どうしても上手に作れなくて、毎年挑戦してるのよ」
 目尻に深い皺を寄せて、和子さんは微笑んだ。

 玄関を出ると、生け垣の萩が風に煽られて花を散らした。
「萩は枝が伸びるから、手入れが厄介でしょ?」
「ううん、ほったらかしよ。私も好きな花だからいいの」
 家に着いて、着替えて湯を沸かす。
 ガスコンロの青い炎をぼんやり眺めていて思い出した。
 母は、萩の花が好きだと言っていた。
 あの生け垣は昔からあったのか、それとも和子さんが育ててくれたのか、私には思い出せない。
 考えてみれば、私が母と暮らした時間より、和子さんが母と過ごした時間の方が長いのだ。
 お湯が沸いた。
 熱い焙じ茶を淹れて、重箱の蓋を開ける
 ごつごつした小豆の餡をまとったおはぎが、ぎゅぎゅっと不格好に詰まっている。
 何とか一つだけ引っ張り出して、齧りつく。
 美味しい。
 けれど、これが母の味かどうか、私はとうに忘れてしまった。
 今度は和子さんに会いに、実家に行こうと思う。


  白萩や母なき里の遠くなり


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…白萩の写真が撮れず、その対極にあるような深紅のケイトウ…。

白萩の句は、実はラジオで聞いただけなので、どなたの作品なのか分からないのです。
昨年、NHKラジオの「文芸選評」という番組を聞くともなく聞いていたとき、入選したこの句がとても心に残りました。
車の運転中だったため、作者のお名前を聞きそびれ、メモも取れずにうろ覚えです。
満開の白萩とそれを眺める人(作者は女性でした)の品のある佇まいや、清々しいような寂しさまで想像できて、佳い句だなぁと思います。
こんな俳句が詠めたら、嬉しいでしょうね。

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雨が降るごとに気温が下がって、秋がぐっと深まります。
お天気もようやく安定してきたでしょうか。
日没直後、たなびく雲が金色に輝く龍のようで、色褪せるまでぼんやり眺めていました。
瑞兆…ではなかったようですけど(特に良いことは起こりませんでした…)。
自分が住んでいる場所を、春夏秋冬、「良い所だなぁ」と思えるのは、本当にありがたいことだと思います。

 


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by bowww | 2017-09-23 16:23 | 作り話 | Comments(0)

金糸雀(白露)

 よりにもよって、王様の目の前で。
 歌姫の声は、ぴたりと止まってしまったのです。

 貧しい村で生まれた少女は、言葉を覚えるよりも先に歌を歌いました。
 母親の子守り唄も、村の年寄りたちが口ずさむ古い歌も、一度聞けばすぐに覚えました。
 小鳥たちの鳴き声も、そっくりそのまま真似ました。
 もっと、もっと歌いたい。
 耳に入る歌だけでは飽き足らず、やがて少女は自分の中から音を汲み出し、歌にしたのです。
 少女の周りにはいつも人が集まりました。
 喜びの歌、悲しみの歌、鼓舞する歌、鎮める歌。
 思わず踊り出す人、涙を流す人、胸を張って再び歩き始める人、拳をそっと背中の後ろに隠す人。
 少女の歌は、人々の心を映して自在に響きました。

 評判は瞬く間に広がります。
 少女の父親は、彼女の歌がお金になることに気づきました。
 村を出て街へ、もっと大きな街へ。
 人が増えるほど評判は高まり、お金もたくさん入ってきます。
 父親は少女に、お金を取らずに歌うことを禁じました。
「商売道具を安売りしちゃいけない」
 惜しみなく払ってくれる金持ちにだけ聞かせればいいのです。
 身分のある人たちの前に立つ度に、歌声は美しく洗練されていきました。
 でも、少女の心は次第に、カサカサと乾燥していったのです。

 小さな歌姫の評判は、とうとう王宮にまで届きました。
 王様のお誕生日を祝う宴に呼ばれたのです。
 有頂天になる父親に、歌姫は言いました。
「なんだか声が掠れ気味なの」
 父親は、喉に良い薬草をたっぷり入れた蜂蜜を娘に飲ませました。
「頭が痛くて、歌の言葉を忘れそう」
 父親は楽団に、もしもの時は楽器の音を大きくして凌ぐように言い含めました。
「王様の宴にふさわしい衣装が…」
 父親は、それはそれは美しいドレスと靴、髪飾りを用意しました。
 それだけのお金は、もう持っていたのです。
 歌姫は気が進まないまま、王宮へ赴きました。
 きらびやかな宮殿の豪奢な宴。
 歌姫は王様の前に呼び出されました。
 評判の歌姫に、大勢の視線が集まります。
 お祝いの歌を。
 楽団の演奏に合わせて、美しい声が流れ出すはずでした。
 歌姫の口が、ぽっかりと開きました。
 楽器の音だけが、飾り立てた広間に虚しく響きました。

 王様の前での大失態で、歌姫の評判は地に落ちました。
 歌を失くした歌姫は、みすぼらしい少女に戻りました。
 どんなに歌おうと思っても、耳を澄ませても、旋律も言葉も出てきません。
 少女は話すことさえ止めてしまいました。
 そんな少女を、母親は黙って見守り続けました。
 浅い眠りに就く娘の傍らで毎晩、小さな声で子守り唄を口ずさみました。

 ある美しい秋の朝、少女は空を見上げました。
 南へ帰るツバメが、少女の目の前で一声鳴いて宙返りしました
 少女は思わず手を差し伸べ、「チィ…」と声を返しました。
 途端に、風の音、木々の葉のざわめき、小川のせせらぎ、動物や小鳥たちの鳴き声、人々の笑い声がどっと少女を包み込みます。
 あっという間に、少女に豊かな音が沁み込み、涌き出し、満ち溢れました。
 気づけば、少女の唇から懐かしい歌が零れ出ていました。



 唄を忘れた金糸雀(カナリヤ)は
 後ろの山に棄てましょか
 いえいえ それはなりませぬ

 〜中略〜

 唄を忘れた金糸雀は
 象牙の舟に銀の櫂
 月夜の海に浮かべれば
 忘れた唄をおもいだす

   西条八十作詞

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実はこっそり、童謡唱歌が好きなのです。
(同年代の友達に、そんな人はいません…)
シンプルなメロディーと、美しい歌詞が好きなのだと思います。
「夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫鳴く…」
「埴生の宿も我が宿 玉の装い羨まじ…」
「更けゆく秋の夜 旅の空の 侘しき思いに一人悩む…」
などなど、秋になると口ずさむことが多くなります。
でも、私が将来、おボケおばあちゃんになっても、一緒に歌ってくれる人は居ないんだろうなぁ…と思うと、ちょっと寂しいです。


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「白露」とは、なんて綺麗な言葉なんだろうと毎年思います。
明日は久しぶりの青空が見られるでしょうか。



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by bowww | 2017-09-07 21:50 | 作り話 | Comments(2)

心かたむく(処暑)

 智花(ちか)と暮らし始めて四年が過ぎた。
 食事は智花が作って、僕が後片付けをする。週末には僕がカレーなんかを作ることもある。
 洗濯は一日おきに、先に帰った方が洗濯機を回しておく。
 ゴミ出しは基本的に僕がやっているが、細かい分別は智花に任せている。
 時には喧嘩もしながら、それでもスムーズに日々を過ごすため、役割分担やルールを決めてきた。
 おかげで居心地のよい毎日が送れている。
「誠司たち、居心地がよすぎて結婚のタイミングが分かんなくなってるんじゃないか?」
 共通の友人たちに、時々そう言われる。
 僕たちは二人とも、あまり実家に寄りつかないせいもあって、家族に結婚を急かされることもない。
「ま、ぼちぼちでいいんじゃないかな、てさ」
 互いに忙しいながらも、仕事は充実している。
 帰れば、気持ちよく片付いた部屋に気心の知れたパートナーが居る。
 僕は今の生活にとても満足している。

『ごめん、今夜も遅くなりそう。誠司もどこかで夕飯済ませて来てもらえると助かる』
 そろそろ帰る支度を始めようとした時、智花からメールが来た。
 最近、彼女は残業が多い。
 同年代の女性の同僚たちが産休に入ったり、育児中だったりで手が足りないのだという。
「こういう時、独身だと都合良く使われちゃうのよね」
 今朝も朝食を食べながら、智花は軽く愚痴をこぼしていた。
「でも、それだけ智花が頼りにされてるってことだろ?キャリアを積むチャンスじゃん」
「キャリアねぇ…」と苦笑いして、智花はコーヒーを飲み干した。
『こっちはもう上がれるよ。たまには夕飯作っとく。リクエストある?』
 今朝の智花の様子を思い出して返信したが、忙しいのか返事は来なかった。

 作ると言っても、大してレパートリーはない。
 週末用に買っておいたカレーの材料を、前倒しで使ってシチューにすることにした。
 パン屋でバケッドを、スーパーでワインを買って帰る。
 智花の帰りが多少遅くなっても、このメニューならすぐに温め直して食べられる。
 洗濯機を回している間にシチューを作る。野菜や肉は細かく切れば、煮込む時間が短くて済む。
(家事のスキル、実は上がってるよな、自分…)などと思いながら、出来上がったシチューを一人で食べる。少し考えて、ワインは開けずに冷やしておく。

 洗濯物を干し終えて風呂にも入った後、智花がようやく帰ってきた。
「おかえり。遅かったね、お疲れさん」
 智花の目元がほんのり赤い。微かに酒のにおいがした。
「うん、課長の接待に付き合わされた。『若い子だと気が利かないからさ、頼むよ』だって。いちいち腹立つわぁ」
 そう言いながらも機嫌は良い。
「それなら飯はいらないよな。ワイン冷やしておいたけど、どうする?」
「赤?白?ロゼ?」
「白。チリの。安いけど美味かったやつ」
「じゃあ飲む。これと」
 智花は、ぶら下げていたビニール袋から、桃を二つ取り出して見せた。
「どうしたの?それ」
「果物屋さんの前を通った時、『桃が大好きなんです』って言ったら課長が買ってくれたの。付き合ってくれたお礼だって。でも二個だけ。どうせなら、一山買ってくれればいいのにね」
 今夜の智花はよく喋る。
 確か智花の課長は、仕事ができて厳しいけれど、面倒見がよいから部下からの信頼も厚いという人だったはずだ。
 着替えもせずにお喋りを続ける智花から、桃を取り上げる。
 甘く濃厚な匂いに噎せ返りそうになる。
「皮つきのままでいいよな?」
 水道の水を勢いよく流して、桃をゴシゴシ洗う。
「うん、いいよ。ありがと」
 智花は座って、ゆっくりとグラスを口に運ぶ。
「誠司も飲むよね?」
 刃を立てると、桃は果汁と香りを迸らせた。
 桃の産毛が手のひらにこびりついて、チクチクする
 智花のお喋りは続いている。


  白桃や心かたむく夜の方 石田波郷

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青空をほとんど見られないまま、八月も下旬になりました。
そのくせ、しっかり暑いのですからやりきれません。
少しでも日が射すと、トンボたちが盛んに飛び交います。
夜には虫の声。
せめて穏やかな秋になりますように。

桃が大好きです。
先日、スーパーで1箱、オトナ買いしました。
でも、ビンボーなオトナなので、ついケチって1箱1000円のものを選んでしまいました(ほかは1670円とか、2700円とか…)。
見事に失敗。。
美味しくない桃ほど、悲しい買い物はありません。
母親に「好物を買うときは、ケチっちゃ駄目」と笑われました。
子々孫々、家訓として伝えていきたいと思います…。

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畳2枚分ほどの庭は、父のフリースペースです。
朝顔、向日葵、マリーゴールド、黄色い薔薇、トマト、茄子が植わっていてカオスです。
それでも、今年は朝顔がきれいに咲いてくれました。
もう暫くは楽しめそうです。

 

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by bowww | 2017-08-23 14:06 | 作り話 | Comments(0)

そよりともせいで(立秋)

 八月の昼下がり、中途半端に降った雨のせいで、街はまるで蒸し風呂だ。
 熱い空気に包まれて息も出来ない。
 普段、冷房が利き過ぎた屋内に籠って仕事をしているせいで、暑さにまったく免疫がないのだ。
 郵便局はすぐそこだからと、考えなしに出掛けたのがまずかった。書類の入った分厚い封筒が、手のひらの汗でじっとり湿ってくる。
 強過ぎる日の光を避けて俯けば、アスファルトの照り返しに灼かれる。 
 ようやく郵便局が見えて来た。
 少しほっとして、ふと気がついた。
 会社を出てからここまで、そういえば誰ともすれ違っていないじゃないか。
 平日のオフィス街、いくら炎天下とはいえ、人の行き来は絶えないはず。
 立ち止まって、辺りを見回す。
 人は居ない。
 後ろにも前にも左右にも、ビルの出入り口にも、店先にも、誰も居ない。
 白々と灼けた、がらんどうの街。ガラス窓は容赦なく光を返すだけ。
 貧弱な街路樹に凭れ掛って、大きくを息を吐いた。
 ビルとビルの間の細い暗がりに、目が吸い寄せられる。
 あそこを抜ければ…。

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○●○●○


 久しぶりにお盆に休みが取れたから、子供たちを連れて両親と姉家族が住む実家に帰省した。
 うちは男の子二人、姉夫婦には男の子と女の子、合計四人の子供たちが集まったわけだから、それはそれは賑やかな夏休みになった。毎日が保育園状態だ。
 プールに昆虫採集、バーベキュー、スイカ割り。家に戻ればお決まりのゲーム。
 子供のパワーは計り知れない。
 でも、女の子は一人だけだからちょっと分が悪い。お兄ちゃんたちに邪魔者扱いされて、泣きべそをかいていることもあった。
 最後の夜は花火大会になった。
 水を張ったバケツを置いて、火を点けるための蝋燭を灯す。
 子供たちが取り囲んで、花火に火が点く瞬間を息を詰めて見守る。
 パッと鮮やかな炎が立つと、一斉に歓声が上がった。
 一人一人に花火を持たせてやる。
 怖々と逃げ腰の子、持った途端に振り回して大人から叱られる子、ただうっとりと炎を見つめる子。
 反応はそれぞれだけれど、花火に照らし出された横顔は、どれも同じようなふっくら頬だ。
 いつもは大人しい姪っ子も、「ねぇ、こっちで花火やろうよ」と、隣の子の手を引いてはしゃいでいる。庭の隅で女の子たちの楽しげな笑い声が響いた。
 大人たちは縁側に座って、子供たちの様子を笑いながら見守っている。
 小さな五つのシルエットが花火の明かりに浮かび上がった。
 …五つ?
「…ねぇ、ご近所のお子さんでも呼んだ?」
「ううん?うちの子たちだけよ?」
 最後の花火が消えて、庭は急に静かになった。


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○●○●○


 帰宅すると、鞄を置くのももどかしく、買ったばかりの本を取り出す。
 アメリカのミステリ小説のシリーズ最新刊だ。やんちゃな主人公が傷だらけになりながら、事件の真相に迫っていく。小気味よい台詞の応酬や、個性的な脇役たちも魅力的なのだ。
 読み始めると止まらない。
 「ちょっとだけ…」のつもりで、自分の家なのに立ち読み。いつの間にかソファの端に腰を下し、そのままズルズルと床に座り込み、お尻が痛くなれば寝転がり、ページを繰るのに夢中になる。
「ほら!また!」
 母の呆れ声にも生返事で、読み耽る。
「暗い所で読むと目を悪くなるってば!」
 ついに後頭部を小突かれた。
 気づけば外はすっかり暮れている。
「…またやっちゃった…」
 慌ててカーテンを引いて明かりをつける。
 仏壇に水を供えると、写真の中の笑顔の母に、軽く睨まれた。


【お盆の頃三景】

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 そよりともせいで秋立つことかいの 上島鬼貫

残暑お見舞い申し上げます。
それにしても、この息苦しいほどの暑さ。
山国とは思えない粘っこさです。
今年の夏は、どうにも毒々しいですね。ノロノロ台風に大雨。
祈るような気持ちで、空を見上げています。


子供の頃、じい様にお話をしてもらうのが好きでした。
それもやっぱり、怖い話が大好き。
美しい幽霊がカランコロンと下駄を鳴らして恋しいお侍さんを訪れる話、大蛇がお寺の鐘に巻き付いて恋人を焼き殺す話、崩れた顔で亭主に恨み言を言う女の人の話。
もう少し大きくなってから、その怖いお話は、牡丹灯籠や安珍清姫、四谷怪談だったのだと知りました。
ほかにも、雨月物語・春雨物語を読んで「あれ?この話知ってる…」と思ったものは、たぶん、じい様の話で聞いていたのでしょう。
そのせいか、ン十年たった今でも、怪談や不思議な話が大好きです。
昔は夏になると、テレビで「本当にあった怖い話!心霊特集!」といった番組をよくやっていましたね。
喧嘩ばかりしていた弟と、この時ばかりは一緒に毛布にくるまって(暑いって!)、テレビを見ていたのを思い出します。
あ、ホラー映画は駄目です、緊張感に耐えられない。
お化け屋敷も嫌い。
肝試し的に、心霊スポットに行くのも絶対NG。
人には入ってはいけない領域があって、そこは尊重すべきだと考えているので。
…単なるビビリですね。


 


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by bowww | 2017-08-07 09:47 | 作り話 | Comments(0)

合歓の花(大暑)

 蝉時雨に、溺れそうになる。
 真夏の日盛り、足元がゆらりと歪む。

 母方の叔父が、家を残して亡くなった。
 独り身だった叔父に家族は居ない。親戚付き合いも希薄だった。
 急な最期だったらしい。
 丸一日、姿を見せず連絡も取れないことを不審に思った同僚が家を訪ね、冷たくなった叔父を発見してくれたそうだ。
「あんなにきちんとした方が、無断欠勤するなんてあり得ませんから」
 親戚から「少々変わり者」と思われていた叔父は、普通の真面目な勤め人だったのだと初めて知った。
 叔父が住んでいた古い家は、駅や学校から離れたやや不便な場所にあり、売却するにしても大した金額にはならない。
 建物を取り壊して更地にして、といった手続きも厄介だ。
「和馬、とりあえず、あんた住んでてくれない?」
 人が居ないと家は荒む。
 叔父と同じく独り身の僕に、お鉢が回ってきた。
「雅哉叔父さんもあんたのことは可愛がっていたから、きっと喜ぶでしょ」
 母がいい加減なことを言う。
 僕には可愛がってもらった記憶はないのだが…。
「あら、覚えてない?生まれたばかりの和馬を抱っこして、『大きくなれよ』って言ってくれたのよ」
 …そんな記憶が残っていたら、僕は天才だっただろう。
「とにかく、あんたは独身だし、車持ってるし、何よりいつまでも実家暮らしというわけにはいかないでしょ」
 確かに、社会人になって親と同居しているのも、そろそろ気詰まりではある。
 空き家の世話係は気楽でいいかも知れない。
「ただ、和馬は雅哉と似たところがあるから気をつけなさいよ。
 ちゃんと結婚してよ、母さん、孫の顔見ないうちは死ねないんだからね」
 母の勝手な言い分を聞き流し、僕は行ったこともない叔父の家へ引っ越した。

 木造の平屋の家は、覆い被さる濃い緑に飲み込まれそうだ。
 庭に二本、家の正面に一本、大きな木々が悠々と枝を広げている。
「母さん、庭の手入れは一人じゃ無理だよ。庭師さん呼んでよ」
 僕は庭いじりにも植物にも、まったく興味がない。
 叔父は小まめに手入れしていたらしく、よく見れば、日当りが良い場所に花壇があったり、薔薇や紫陽花の鉢が残っていたりした。
「頼りないわねぇ。植木屋さんにお願いしておくから、草むしりぐらいはしてちょうだいよ」
 母に言われて渋々、休みの一日を草取りに充てることになった。

 近所で生まれた蝉が、全部この庭に集結したんじゃないだろうか。
 ミンミンなのかジィジィなのか、とにかく何十もの鳴き声が一塊になって落ちてくる。
 木陰なのはありがたいが、雑草が生い茂った地面からは草いきれが立ち昇り、しゃがみ込んでいると息苦しささえ感じる。
 汗が絶えず滴り落ち、腰が痛い。想像以上の重労働だ。
 立ち上がって腰を伸ばす。
 見上げると、羽毛のような桃色の花が咲いている。真夏の日の光が、ふわふわの花弁を白く縁取る。
 これが合歓(ネム)の花かと思っているうちに、蝉の声がすっと遠のいた。
 手足が強張って、「まずい」と気づいたときには動けなくなっていた。

 額に、首筋に、ひんやりしたものが当てられる。
 汗でぐっしょり濡れた全身に、涼しい風が心地好い。
 やっと呼吸が楽になって、目を開ける。
 僕はどうやら、合歓木の下で伸びているらしい。
「これを飲むといい。ゆっくりと」
 湯呑みを受け取って口に含むと、香ばしい香りが広がった。
 美味しい麦茶だなと思ったところで、ようやく気がついて身を起こす。
「…あの、どちらさまでしょう」
 翡翠色のワンピースを着た女の子が、こちらを心配そうに見守っている。
 長く艶やかな黒髪の、見たこともないような美少女だ。
「…頭でも打ったのか?マサヤ。私が分からなくなったか」
 白い手が、何かを探すように差し伸べられる。
 勇気を出して、少女の大きな瞳を覗き込む。
 真っ黒の宝石のような目は、たぶん何も映していない。見えないのだ。
「あの、ごめんなさい、おじ…雅哉は亡くなって、僕は甥で…」
 しどろもどろの僕の説明に、少女は息をのんだ。
「マサヤではない?マサヤはいない?…いない?
 帰って来るのか?」
 呟く声は透きとおり、とても美しい。
「…いいえ、帰って来ないんです。死んでしまったんです」
 夕立がくるのか、日が翳り、木陰は暗さを増した。
 合図でもあったように、蝉たちがぴたりと鳴き止んだ。
 少女はゆっくりと首を傾げる。
 黒髪がさらさらと流れ落ちる。
 僕は、焦点が合わない不思議な瞳から目が離せない。
 白く細い指が、僕の頬を探り当てる。
「では、お前の名前を教えてほしい」
「…和馬」
 瞳に光が走る。
「カズマ…カズマ…」
 指が、僕のカサカサになった唇をなぞる。
 そして少女は、初めて微笑んだ。


  うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花  松瀬青々

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雨上がりの合歓の花を撮ってきたので、ふわふわの羽毛のような質感ではなくなっていますね。
暑さに負けて、日盛りの花を撮りに行けませんでした…。
それにしても、私が書く「美しい人」は、ほとんど同じタイプですね。
もう少し、バリエージョンを増やしたいと思います。。

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暑い暑い七月です。
風通しの良い我が家ですが、すでに3回ほど、エアコンを使ってしまいました。
八月もこの調子が続くのでしょうか。
そして、九州に続いて秋田でも大雨の被害。
災害の多い夏です。
天に祈るしかないのは、古代も現代も変わりありませんね。





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by bowww | 2017-07-23 05:28 | 作り話 | Comments(2)

遠く行かんため(小暑)

 埃っぽい街道を、歩き、歩き、歩き疲れた辺りに、水を売る店がある。
 旅人は皆、地獄に仏とばかりに駆け込み、一杯の水を購っては「甘露」と飲み干す。
 人心地ついて、振り向けば来た道、前には行く道、遥々と見晴るかす小高い丘に立っている。
 南へ向かえば海、北を目指せば山。
 数多の旅人が、海辺の街へ山間の村へと街道を行き交う。

 若い男は、喉を鳴らして水を飲み、続けてもう一杯も浴びるように飲み干した。
 昨夜泊まった宿で、安酒を飲み過ぎたのだ。
 強い陽射しに、目の奥がずきずき疼き、吐き気が絶え間なくこみ上げる。
 水屋の裏にある木立の下へ逃げ込み、べたりとしゃがみ込んだ。
 元々重かった足は、萎えて二度と立ち上がらないかも知れない。
 男は海の街から歩いて来た。
 一旗揚げようと生まれ育った山の村を捨てて海の街へ下り、そして再び、ここに戻ってきた。
 男には何もない。
 残してきた家族も待っている親戚も居ない。
 行く当てもないまま歩き続けて、気がつけば故郷へ向かっていた。
 木立はみっしりと茂り、陽射しを遮ってくれる。
 汗で粘つくこめかみに、涼しい風が気まぐれのように通り過ぎた。
「これが海の匂いかね?」
 男は驚いて目を上げる。
 木陰には先客が居た。
 小柄だが、がっちりとした体躯に日に焼けた肌。髪も髭もすっかり白いものの、声は明るく強い。
 老人は南の方へ向かって、鼻をうごめかしている。
「風の匂いが変わった、海の匂いかね?」
 男は釣られて風の匂いを嗅ぐが、違いは分からない。
「…さぁ、どうでしょう。海はかなり向こうですから…」
「あんたさんは、海の方から来たのでしょ?分からないものかね」
 相手をするのは面倒と、男は返事もせず黙り込んだ。
 老人は男の顔色を眺め、懐から小さな瓶を取り出した。
「気付けになる。ちっと苦いが、飲めば後が楽だ」
 差し出された丸薬を、男はしぶしぶ受け取った。後で捨てればいいと思ったが、老人は目を離さない。
 仕方がなく、丸薬を飲み込んだ。
 舌を抓るような苦みが口に広がり、喉に流れ、胃の腑に落ちていった。
 一瞬、強烈な吐き気が迫り上がってきたが、それをやり過ごすと気分がぐっと楽になった。
「…ありがとうございました」
 男は素直に頭を下げた。
 老人は小さく頷いた。
 日は高く、影はいよいよ濃い。

 老人は先日、連れ合いを亡くした。
 生まれてこの方、故郷を離れたことはなかった。
 春夏秋冬朝も夕も、田畑を耕し、肥やし、穫り込み、家族を養ってきた。
 妻は海の街の出だった。
 よく働き、子を育て、老人を支えた。
 里帰りしたのは、ほんの数回だけだった。
 山の暮らしに、すっかり馴染んだのだと思っていた。
 だが、最期が迫った時、子供に帰ったような妻は「海を見たい、海を見たい」と呟いた。
 老人は途方に暮れた。
 今まで我慢していたのか、故郷が恋しかったのか。
 長年連れ添った相手の心中を、腰を据えて推し測ったことがなかったと気づいた。
 途方に暮れている間に、妻は死んだ。
 葬る前に、小指の骨だけそっと抜き出しておいた。
 それを懐深くに仕舞って、老人は初めて旅に出た。
 妻の育った街を見てみようと思った。
 骨はとても軽く、小さく、頼りなかったから、懐に手を入れて何度も確かめずにはいられなかった。

 若い男は立ち上がった。
 老人にもらった丸薬の苦みで、腸(はらわた)が動き始めた。
 萎えた足に、再び力が戻る。
「ここからもう少し歩けば、海がちらっと見える場所がありますよ」
 男は南を指差した。
「そうかね。それは楽しみだ」
 老人も立ち上がった。
 並んで木立から出て、白く伸びた街道に立つ。
「それじゃ、お気をつけて」
「あんたさんも」
 男は北へ、老人は南へ。


 やがて男は、風の匂いが変わったことに気づく。
 老人は、遠くに光る海の欠片を見つける。


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  緑陰に憩ふは遠く行かんため 山口波津女


梅雨明け間近になると大雨が降るというけれど、九州の豪雨はあまりに酷いです。
報道で映像を見る度に切なくなります。
被災された方々は、本当にお気の毒です。
どうかどうか、これ以上の被害が出ませんように。


先月、学生時代の友人たちと、「オトナの修学旅行in東京」に出掛けました。
東京駅で待ち合わせて、美味しいモノを食べたり、こじゃれたお店を覗いたり、夜はホテルで喋り倒したり。
メインイベントはスカイツリー!
個人では絶対に行かないであろう名所へ、ヤイヤイ言いながら繰り出しました。
…でも、超高い場所って、すぐに慣れちゃうものですね。
キャーキャー言ったのは最初の10分だけでした…。
蔵前のお店でオーダーしたノート(好みの表紙や中の紙、紙留めなどを選んで、その場でノートに仕立ててもらえる)をお土産に、大満足の修学旅行でした。
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友達は少ない方、だと思います。
大勢で賑やかに楽しむのが苦手で、気を使うぐらいなら一人の方がよっぽど気楽。
でも、粒選りの友人たちが各地に居てくれるだけで、いつもちょっとだけ元気になります。
安心して一人遊びができる。
ありがたいです。
…会えば互いに毒づいてばかり、なんですけど…。





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by bowww | 2017-07-07 12:15 | 作り話 | Comments(0)

地軸の軋む音(夏至)

 どうして子供の頃は、寝るのがあんなに嫌だったのだろう。
 特に、昼寝が大嫌いだった。
 外はまだ明るい。眠くない。ちっとも眠れない。もっと遊ぶ。もっともっと遊ぶ。
 寝かしつける大人の手を払いのけ、駄々をこねていたはずなのに、いつもいつの間にか眠りに落ちていた。
「今なら、いつでもどこでも何時間でも眠れるのに…」
 お風呂上がり、髪を乾かしてから床にごろりと転がる。

 そういえば、祖母は私を寝かすのが得意だった。
 夏、祖母の家に遊びに行くと、蚊取り線香の匂いがした。
 昼ご飯を食べ終えると、昼寝の時間がやってくる。
 遊びたいとせがむ私を、祖母は「まぁまぁ」とかわして自分が畳の上に横になった。
 うつ伏せになって、耳をぴたりと畳につける。
「ほぉ…なるほどね。うんうん、なるほどなるほど」
 一人、頻りに頷き、感心した風になる。
「おばあちゃん、なぁに?誰とお話してるの?」
「こうしてると地面の音が聞こえてくるの。いろんな音が聞こえるから、いろんな事が分かるんだよ」
 私も真似して、畳に耳をつける。
「何も聞こえないよ」
「…しっ!静かぁに待たないと。
 今はね、庭のキュウリが大きくなってる音がする。朝、水をやったから、嬉しくてぐんぐん大きくなってるんだね。
 おや、池で何か跳ねたかな?カエルかな?
 う〜んと遠くで、雨粒の音がするよ。もうすぐここにも雨が降るね」
 私は耳に意識を集中する。
「…ザッ!ザッ!ザッ!て音がする」
「ああ、それはきっと、小さな小さな兵隊さんたちが、嫌な夢を追い払うために行進しているんだね」
 開け放した窓から、気持ちの良い風が流れ込む。
 小さな兵隊を見たくて目をこじ開けようとするけれど、瞼はとろりと重たくなっている。
 ザッ!ザッ!ザァッ…ザァッ…。
 波の音にも似ているなと思った頃には、私はすっかり眠りに落ちている。
 そして、大粒の雨がパタパタと地面を叩く頃、私はバスタオルにくるまって目を覚ますのだ。左の頬っぺたに、畳の目の跡をくっつけて。

 床に耳をつける。
 ここはマンションで地面から遠いから、耳に届くのは、空調や冷蔵庫が低く唸る音ばかりだ。
 おばあちゃんの家の畳は、もっと賑やかだった。
 目を閉じて、深く息を吸い、息を吐く。
 地面に向かって耳を澄ます。


  夏至ゆうべ地軸の軋む音少し  和田悟朗


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夏至の前日、昨日の朝焼けです。
4時半にもなれば、夜が明けますね。
日の長さを一番楽しめる季節なのに、日本はちょうど梅雨の季節。
雨模様の空の上で、お日さまは少しずつ、寝坊になっていくのですね。
今日は久しぶりの雨です。
大雨は心配ですが、草木も地面もやっと潤ってくれそうです。





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by bowww | 2017-06-21 12:09 | 作り話 | Comments(0)