カテゴリ:作り話( 36 )

地軸の軋む音(夏至)

 どうして子供の頃は、寝るのがあんなに嫌だったのだろう。
 特に、昼寝が大嫌いだった。
 外はまだ明るい。眠くない。ちっとも眠れない。もっと遊ぶ。もっともっと遊ぶ。
 寝かしつける大人の手を払いのけ、駄々をこねていたはずなのに、いつもいつの間にか眠りに落ちていた。
「今なら、いつでもどこでも何時間でも眠れるのに…」
 お風呂上がり、髪を乾かしてから床にごろりと転がる。

 そういえば、祖母は私を寝かすのが得意だった。
 夏、祖母の家に遊びに行くと、蚊取り線香の匂いがした。
 昼ご飯を食べ終えると、昼寝の時間がやってくる。
 遊びたいとせがむ私を、祖母は「まぁまぁ」とかわして自分が畳の上に横になった。
 うつ伏せになって、耳をぴたりと畳につける。
「ほぉ…なるほどね。うんうん、なるほどなるほど」
 一人、頻りに頷き、感心した風になる。
「おばあちゃん、なぁに?誰とお話してるの?」
「こうしてると地面の音が聞こえてくるの。いろんな音が聞こえるから、いろんな事が分かるんだよ」
 私も真似して、畳に耳をつける。
「何も聞こえないよ」
「…しっ!静かぁに待たないと。
 今はね、庭のキュウリが大きくなってる音がする。朝、水をやったから、嬉しくてぐんぐん大きくなってるんだね。
 おや、池で何か跳ねたかな?カエルかな?
 う〜んと遠くで、雨粒の音がするよ。もうすぐここにも雨が降るね」
 私は耳に意識を集中する。
「…ザッ!ザッ!ザッ!て音がする」
「ああ、それはきっと、小さな小さな兵隊さんたちが、嫌な夢を追い払うために行進しているんだね」
 開け放した窓から、気持ちの良い風が流れ込む。
 小さな兵隊を見たくて目をこじ開けようとするけれど、瞼はとろりと重たくなっている。
 ザッ!ザッ!ザァッ…ザァッ…。
 波の音にも似ているなと思った頃には、私はすっかり眠りに落ちている。
 そして、大粒の雨がパタパタと地面を叩く頃、私はバスタオルにくるまって目を覚ますのだ。左の頬っぺたに、畳の目の跡をくっつけて。

 床に耳をつける。
 ここはマンションで地面から遠いから、耳に届くのは、空調や冷蔵庫が低く唸る音ばかりだ。
 おばあちゃんの家の畳は、もっと賑やかだった。
 目を閉じて、深く息を吸い、息を吐く。
 地面に向かって耳を澄ます。


  夏至ゆうべ地軸の軋む音少し  和田悟朗


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夏至の前日、昨日の朝焼けです。
4時半にもなれば、夜が明けますね。
日の長さを一番楽しめる季節なのに、日本はちょうど梅雨の季節。
雨模様の空の上で、お日さまは少しずつ、寝坊になっていくのですね。
今日は久しぶりの雨です。
大雨は心配ですが、草木も地面もやっと潤ってくれそうです。





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by bowww | 2017-06-21 12:09 | 作り話 | Comments(0)

氷菓一盞(芒種)

 常連客の一人である山内さんは、実はなかなかの男前だった。
 うちの店に来るときはいつも、寝起きのようなボサボサ頭に無精髭(実際、起きたばかりなのだと思う)。
 洗濯を繰り返して、色がすっかり抜けきったチェックのシャツに、穴が開いたジーンズ。つっかけ履き。
 分厚いレンズの眼鏡に猫背、聞き取りにくい小さな声。
 つまり一言でいえば、まったくもって風采が上がらない。
 それがどうしたことか、今日はボーダーのTシャツにコットンジャケットなぞ羽織っている。
 髪も髭もすっきり整えられ、眼鏡なんて細い鼈甲フレームだ。
「いらっしゃいませ、お一人ですか?」
 山内さんと気づかず、「よそいき」の声で迎えてしまった。「どこの男前が来たかと…」と軽口を叩こうとして、山内さんのお連れさんに気づく。
 なんと、女連れだったか。
 ほっそりとした長い手足、背中まで伸びたさらさらの髪、水色のシャツワンピースがよく似合う、賢そうな大きな瞳と白い頬。
 絵に描いたような美少女・推定十二歳。
 山内さんは片手をちょっとだけ上げて、カウンターから一番遠い窓際のテーブルに着いた。
 美少女は、こちらにぺこりと頭を下げて後を追った。

「そうか、綾ちゃんは知らなかったんだっけ」
 カウンターに座った小田さんが、小声で教えてくれた(町会の役員を歴任した小田さんは近所の情報通だ)。
 美少女は山内さんの十歳になる娘さんだそうで、名前は一花ちゃん。今はお母さんに引き取られている。離婚したのは五、六年前で、山内さんは娘さんと、三ヶ月に一度会えることになっている。養育費は…。
「なるほどなるほど。はい、コーヒーお待たせしました」
 カウンター越しに、小田さんの前へカップを置く。放っておくと、山内家のすべてを語り尽くされてしまいそうだ。
 カフェを開いて五年、地元のお馴染みさんも増えて、何とか続けてこられた。
 ただ、私が想定していたよりも、お客さんの年齢層が高い。平日はほとんど、ご近所のお年寄りたちの寄り合い場と化している。
 「この店は落ち着くんだよねぇ。なんだか懐かしい感じがしてさ」というお言葉はありがたいが、古い建物を改築して「モダンな昭和レトロ」を目指したこちらとしては、とても複雑な気持ちになる。
 このままでは「懐かしの昭和遺産」だ、お客さんも含めて。
 一花ちゃんは、そんな店内が珍しいらしく、きょろきょろを辺りを見回している。
 山内さんは向かいの席で、知り尽くしているはずのメニュー表とにらめっこしている。
「ご注文は?ジュースもありますよ?」
 気を利かせたつもりだったが、美少女は毅然と
「アイスティーで」と答えた。
「…じゃあ僕は、アメリカンで」
 山内さん、うちのメニューにはアメリカンなんてありません。
 とは言えないので、いつものブレンドコーヒーを持っていくことにする。

 カウンターに戻り、ティーポットやカップを用意する。
 読んでいた新聞を畳みながら、小田さんがクスクス笑う。
「父親はやっぱり緊張するもんかね」
「それにしても、山内さん見違えちゃいますね」
「うん、ああしてりゃあ、さすがデザイナーって思うわな」
 危うく薬缶を取り落とすところだった。
 デザイナー?山内さんが?
「そうだよなぁ、普段はニートか引きこもりか?って感じだもんな」
 もう少し話を聞くと、どうやら山内さんは雑誌や本、カタログなどの編集デザインをしているらしい。自分で事務所を立ち上げて、若い人たちも数人働いているそうだから大したものだ。
「一花ちゃんはお母さん似だわな。奥さんって人が相当の美人でね。ただ二人とも仕事が忙しくて、すれ違いが多かったんだろうなぁ、いつだったか…」
「小田さん、コーヒーのおかわりどうぞ」
 有無を言わさずコーヒーを注いでお喋りを遮る。
 奥のテーブルをそっと窺えば、一花ちゃんも山内さんもそれぞれ、窓の外眺めている。
 テーブルの上が、がらんと寂しい。

「もし良かったら、試食してもらえますか?
 夏限定のメニューに載せようかと試作してみたんです」
 一花ちゃんの前に、細長いグラスを置く。
 アイスティーに、あり合わせのバニラアイスを浮かべた。
 山内さんには、エスプレッソをかけたバニラアイス。
 二人が揃ってスプーンを取り上げ、アイスを一掬いするのを見届けてカウンターに戻る。
 アイスがなくなる頃には、ぽつん、ぽつんと言葉が行き交い始めていた。

 店内に西日が入り込む。
 そろそろ西側に葭簀を立てなければいけない季節だ。
「ごちそうさまでした」
 山内さんがレジの前に立つ。
 照れくさいのか、財布の中を覗き込むようにしてこちらを見ない。
「…アイスは…」
「お代は結構ですよ、味見してもらったんですから」
 一花ちゃんはまっすぐこちらを見ている。睫毛が長い。
「あの、美味しかったです。ありがとうございました」
 お父さん、見習ったらどうでしょう、このハキハキさ加減。
「でも、あのままだと見た目が殺風景だと思うんです。お店に出すなら、ミントの葉をちょっと乗せるとかした方が売れると思います」。
 …的確なアドバイス、頂戴しました。

 店を出る親子の背中を見送る。
 一花ちゃんが、お父さんの背中をぽんぽんと払っている。ジャケットに糸くずでも付いていたらしい。
 どちらが親なんだか…と可笑しくなる。
 そして、実際の年齢よりも少しだけ速く大人になっていく美少女に、自分の甥っ子の姿を重ねてみた。
 高校生の甥は三年生になった。毎年、夏休みにアルバイトに来てくれていたのだが、受験を控えていることだし、今年はさすがに無理だろうか。
 片付けをしていると、携帯電話が鳴った。
 甥のケイからだ。想うと呼び水になるのだろうか。
 とにかく、夏のメニューについて相談に乗ってもらおう。


   六月の氷菓一盞(いつさん)の別(わかれ)かな  中村草田男

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西日に輝く麦の秋。
梅雨入り目前ですね。


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by bowww | 2017-06-05 17:24 | 作り話 | Comments(2)

みどりつめたき(立夏)

 実家に帰ってドアを開けると、「我が家の匂いだ」と思う。
 結婚して家を出るまでは意識したことなどなかったのに、今では帰る度に鼻を掠める「我が家の匂い」を確認する。
 去年からはそこに、線香の匂いが混じっている。
 父は仏壇に、新しい花と毎朝の線香を欠かさない。

 母が亡くなって父が一人取り残された。
 私と姉は結婚し、家を出ていた。
 父は典型的な会社人間だったから、家の事など全くしたことがなかった。
 だが母は、虫が知らせたかのように、定年退職した父にあれこれ根気よく教え込んだ。
 おかげで母が亡くなった後、父はある程度、身の回りのことは自分で片付けられるようになっていた。
 今日も二階のテラスには、タオルやシーツが整然と干され、風に翻っている。
 几帳面な父は、毎日の家事といえども、きちんとこなさないと気が済まないらしい。
「ただいま」
「おう」
 父は私を出迎えると、そのままキッチンに引っ込んだ。
 後について、私もキッチンに向かう。
 見ればシンクの周りはピカピカだし、冷蔵庫の中も一目瞭然に整頓されている。
 万事おおらかだった母が主婦だった頃よりも、むしろ片付いているかも知れない。
「体調はどう?お薬は忘れずに飲んでる?」
 特に心配することはなさそうだが、ほかに話すこともない。
「ああ」
 父も簡単に答え、私が持ってきた柏餅の包みを見てお湯を沸かし始める。
 母は父と、どんな話をしていたのだろう。
 父は朝早くから夜遅くまで仕事に出ていたし、休日もあまり家にはいなかった。
 父と母が、ゆっくり会話を楽しんでいる様子は記憶にない。
 父の退職後、娘たちも家を出て、二人っきりになった二人はどうやって過ごしていたのか、そういえば私や姉はよく知らない。

 薬缶がシュンシュンと鳴り始めた。
 父は手際良く急須と湯呑みを取り出し、お湯を差して温める。
「あれ?お父さん、急須替えたの?」
 ホームセンターで間に合わせに買ってきた急須に代わり、夕日のような色の萩焼がテーブルの上に鎮座していた。
 ぽってりとした下膨れの形が可愛らしい。
「母さん、自分で買ってきたくせに、『もったいない』と言っては仕舞い込んでいたからな」
 戸棚を整理していると、新品の器やキッチンマットなどがわんさか出てきて、萩焼の急須も新聞紙で包まれたままだったという。
「俺だってそう長くないんだから、使わなきゃかえってもったいない」
 父はそう言いながら、少し冷ましたお湯を急須に注ぐ。
 会話が途切れて、二人でなんとなく庭を眺めた。
 狭い庭で、小手毬や山吹が吹きこぼれるように花を咲かせている。
「…春になったらぞくぞくと芽が出てきてな、何かと思っていたらチューリップやらヒヤシンスやら…。
 たぶん適当にありったけ、球根を植えたんだろう。
 まったく、母さんの残したものは不意に出てくるからな」
 かなわんよ、と苦笑しながら、父は湯呑みにお茶を注ぐ。
「母さんにもやってくれ」
 母が使っていた小ぶりの湯呑みを受け取る。
 仏壇の前に座ると、山吹の花束に埋もれて母の写真が見えない。
 父が柏餅を持ってきた。


  しぼり出すみどりつめたき新茶かな  鈴鹿野風呂


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この季節の小さな贅沢は、福岡・八女の新茶のお取り寄せです。
以前、伯母の家で頂いたお茶がとても美味しくて、訊ねてみると福岡の友達が毎年送ってくれる新茶だとのこと。
気前のいい伯母は、封を開けたばかりの新茶を一缶、お土産に持たせてくれました。
香りがよくて、渋みの中にほのかな甘みが感じられて、しみじみ「緑茶って美味しいもんだ」と思ったのでした。
今年も早速、いつものお店に注文しました。
あとは美味しい和菓子を見つけよう。

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田んぼにすっかり水が入りました。
田んぼの中を歩いていると、細い用水路にまで勢いよく水が流れています。
水路は田畑の血管。新鮮な水が隅々まで行き渡って、美味しいお米や野菜ができるのだと実感します。
そして、夜はカエルたちの大合唱が始まりました。
風のない朝の水鏡はもちろん良いですが、日が暮れた後、田んぼ地帯に点在する民家の明かりが、暗い水面に映り込む景色も好きです。
「早く帰って、カエルの声を聞きながら晩酌しようよ」と、酒の虫が騒ぐのです。

夏が特別好きなわけではないのですが、「立夏」という言葉を目にすると心が弾みます。
本当に良い季節ですね。

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by bowww | 2017-05-05 22:26 | 作り話 | Comments(2)

花酔い(穀雨)

 同僚たちと、仕事帰りに夜桜見物へと繰り出した。
 小学校と公園が道を挟んで向かい合わせにある通りは、双方の桜並木が競い合うように満開で、街灯に照らされた艶姿に歓声が上がる。
 けれど、寒い。
 昼間の暖かさに気を許し、薄いコートのまま出掛けてきてしまった。
 桜見物もそこそこに、結局は皆でいつもの居酒屋になだれ込んだ。

 楽しい酒につい羽目を外し、店を出た頃には夜もだいぶ更けていた。
 火照った頬に、冷え冷えとした夜気が心地好い。
 同僚たちと別れ酔いに任せて、人気(ひとけ)が絶えた桜の通りを一人で歩く。
 見上げれば、白々と照る豪奢な花天井。
「贅沢な花見だよな」と思わず頬が緩む。
 視界の隅に、何かが動く気配を捉えて足を止めた。
 ……あれ?子供?小学生?
 今度は頬が強張る。
 数歩先の一際大きな桜の木の下に、子供が二人、立っている。
 こんな夜更けにこんな場所に、子供なんか居るはずがない。
 だとすれば、あれか?この世の者じゃない類いの、あれか?
 酔いは吹っ飛んで、血の気が音を立てて引いていく。
 気づけばもう知らぬふりはできないほど、二人のすぐ近くに居た。
 恐る恐る目を遣る。
 男の子だ。足は一対ずつ、ちゃんとある。
 ようやく大人としての責任を思い出し、「君たちどうしたの?」と声を掛けた。
 二人は、飛び上がって驚いた。
「…このおじさん、僕らが見えるみたいだね」
「酔っ払いだからかな」
「じゃあ、明日には忘れるね」
「うん、忘れるね」
 双子だろうか、そっくりの顔かたちだ。
 額を寄せ合ってひそひそと、なかなか失礼なことを話している。
 一つ咳払いをしてから、もう一度訊く。
「何をしてるの?お家に帰らなきゃ駄目だよ、危ないよ」
 二人は顔を見合わせて、肩をすくめた。
「僕たち、仕事中なんだ」
「おじさんこそ、足元危ないよ」
 それだけ言うと右の男の子は、桜の枝に手を掛けてそっと揺さぶった。
 左の男の子は、一抱えもあるような白磁の壷を、その枝の下に差し伸べた。
「ねぇねぇ、本当に何をしてるの?仕事って何?」
 二人は、うんざりといったふうにこちらを振り返った。
「あのね、おじさん、僕たち忙しいんだ」
「おじさん、早く帰りなよ」
「教えてくれるまで帰らないよ。それに、まだおじさんじゃない」
 二人は同時にため息をついた。
「…どうせ、忘れちゃうだろうから、」
「教えてやって、さっさと帰ってもらおう」
「こんな酒臭いのが側にいて、」
「匂いが移ったら台無しだしね」
 本当に失礼な子供たちだ。

  桜の香りを集めて
  壷に集めて
  お酒を造るんだ
  佐保姫様のお酒を造るんだ
  夜露に濡れた桜の花は
  夜風に冷えた桜の花は
  香りを凝らせて
  色香を凝らせて
  上等なお酒になるんだよ
  とびきりのお酒になるんだよ

 よく見れば、白磁の壷に淡く淡く桜色が滲んでいる。
 喉がごくりと鳴った。
「だめだよ!おじさんにはあげられない」
「…待って」
 壷を隠す男の子を、もう一人が止めて耳打ちした。
 二人は小声で話し合ってから頷いた。
 壷が差し出される。
「ちょっとだけ、」
「飲んでみる?」
 受け止めた壷はひんやりと冷たい。
 再び、喉がごくりと鳴った。


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もうとっくに桜の季節が終わった場所も多いでしょうが、私の住む辺りはようやく散り際です。
飢えたように桜を追いかける季節が終わります。
寂しいような、ホッとしたような…。
2枚目の写真は、サングラス越しの夕日の桜です。いたずらしました。
桜の写真、明日も更新させてください。



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by bowww | 2017-04-20 16:17 | 作り話 | Comments(2)

磨いて待たう(清明)〜その2〜

 東からの風は、微かに花の匂いを含んでいます。
 薬屋のコウちゃんは幼稚園に通う男の子です。
「ハルばあさん、葉書をください」
「ほいほい。お金は持ってるかい?」
 ハルばあさんは、幼稚園児といえど容赦はありません。
「うん!あるよ!」
 コウちゃんは背伸びすると、握り締めていた百円玉を三枚、カウンターに並べました。
「お年玉取っておいたの」
「…これなら、三文字分だね」
 無邪気なコウちゃんの笑顔にも、ハルばあさんは負けません。
「うん、いいの。三文字だけ、書く」
 コウちゃんはオレンジ色の色鉛筆を選ぶと、ハルばあさんに訊ねます。
「『あ』と『そ』と『ぼ』って、どうやって書くの?」
「やれやれ、字も書けないのに来たのかい」
 ハルばあさんは仕方がなく、お手本で「アソボ」と書いてやりました。
「ほら、これを見て書きな」
 コウちゃんは鉛筆を握り締めて、一生懸命、書き写します。
「違う違う、それじゃ『リ』になっちまう。点はもっと左…そっちの点じゃなくて!」
 結局はハルばあさんがコウちゃんの右手に自分の手を添えて、やっとのことで書き上げました。
 郵便局の風見鶏が、パタパタと揺れています。
 東風は葉書を受け取ると、コウちゃんが通う幼稚園の方へピュッと去っていきました。
 ハルばあさんは、曲がった腰をとんとんと叩き「やれやれ」とため息をつきました。
 コウちゃんは満面の笑みです。
「お前さん、友達がいないのかね?」
 コウちゃんは途端にしゅんとしてしまいました。
 ハルばあさんは、「ふん」と鼻で笑いました。
「『アソボ』は届いてるんだから、あとはお前さん次第さね。友達に会ったら、おっきな声で『おはよ!』って言ってごらん。お腹に力が入れば怖いものなんかなくなるさ」
 コウちゃんの笑顔、復活です。
「ハルばあさん、ありがとう!ハルばあさんは、きっと良い魔女だね!」
 手を振るコウちゃんに、ハルばあさんは力なく手を振り返しました。

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 中学生の智己君は喧嘩したお母さん宛てに『ベントウ ウマカッタヨ』、八百屋の仁さんは行方不明になった猫宛てに『マッテルゾ スグカエレ』、小学1年生の大樹くんは泣かせてしまった大好きなリカちゃん宛てに『モウシナイヨ ゴメンネ』。
 それぞれ風に託して送りました。
 夕子さんが春風郵便局を訪れたのは、桜の蕾がだいぶ膨らんだ穏やかな日でした。
 ハルばあさんはちらりと夕子さんを見ました。
 菫色のカーディガンを羽織った夕子さんは、去年の春に比べてだいぶ痩せています。以前はお日さまのような笑顔が可愛らしい女性だったのです。
 夕子さんは去年の秋、結婚を約束した彼を見送りました。夏の初めに見つかった病気が、あっという間に彼を連れ去ってしまったのです。
「葉書を一枚」
 夕子さんは藍色の鉛筆を取り、葉書を前に暫く考え込みました。
 そしてゆっくりと、『アイタイ アイタイ アイ…』と書きました。
「…足りないわ」
 困ったように微笑む夕子さんを、ハルばあさんは黙って見つめました。
「…やれやれ。一文字百円ずつ、追加料金を頂くよ」
「ありがとう!」
 夕子さんはまた少し考えてから、『…シテル』と書き足しました。
「ほい、お預かり。追加三百円」
 ハルばあさんは葉書と小銭を受け取ると、夕子さんを連れて外に出ました。
 霞がかった空はどこまでも穏やかで、風はまったくありません。これでは葉書が飛び立てません。
 夕子さんは心配そうに、ハルばあさんの顔を覗き込みました。
「やれやれ、今日が今季最後だから、大サービスさね」
 ハルばあさんは空に向かって手招きしました。
 すると、空の高い場所で機嫌良く歌っていた一羽の雲雀が、「チチッピー」と返事をするように一声鳴いて、二人の元に舞い降りたのです。
「ご苦労だけどね、この葉書を届けておくれ」
 雲雀は両足で葉書を掴むと、再び高く高く、天上を目指しました。
 すぐに姿は見えなくなりましたが、囀りだけはいつまでも降るように聞こえてきました。

 翌朝、夕子さんが家のポストを覗くと、白い葉書がありました。
『ソバニイル ナカナイデ』
 恐る恐る手に取り、読み返します。
『ソバニイル ナカナイデ』
 葉書は次の瞬間、はらはらと零れ落ちました。
 夕子さんの手のひらには、桜の花びらが数枚、残されました。
「大サービスさね」
 ハルばあさんの声が聞こえた気がします。

 桜が咲けば、春風郵便局は今季の営業終了。
 来年の春まで、長いお休みに入ります。


  白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう  斎藤 史


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長い!長過ぎる!
明日、ちょっとだけ更新します。

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by bowww | 2017-04-04 03:31 | 作り話 | Comments(0)

芒種

 璃子の宝物は、ディズニーランドで買ってもらったクッキーの空き缶に入っています。
 澄んだ空のような青い地に、チョコレート色のミッキーマウスのシルエットが描かれています。
 本当は、たくさんのキャラクターたちが踊っているピンクの缶が欲しかったのですが、お母さんは「青い方が断然素敵」と、きっぱり宣言したのです。
 お母さんの「断然」は絶対です。
「璃子には断然、紺色のブラウスが似合う」「お母さんは断然、モンブランが好き」「お父さんは断然、休みを取るべきです」などなど。
 「断然」が出たら、誰も敵いません。
 実際のところ、今では小学生になった璃子も、この青い缶が「大人っぽくてちょっといいかも」と思っています。
 さて、肝心な中身。
 幼稚園で一番仲が良かった珠里ちゃんからもらった手紙(「ずっと なかよしでいてね」と書いてあります)。大好きな従姉妹のお姉さんからもらった白いレースのハンカチ。去年の夏、海で拾ったピンク色の貝殻と青いガラスの欠片。くまのプーさんのレターセット、シール付き(これで珠里ちゃんに手紙を書きました)。ピアノの発表会で髪を結んだ薔薇色のシフォンのリボン。
 そして箱の隅っこには、茶色のしわくちゃな種が三つ転がっています。
 箱を動かす度にカタカタ鳴ります。
「璃子、これは何?」
 璃子と一緒に箱を覗き込んだお母さんが言いました。
「梅の種だよ。梅干しと、梅漬けの。おばあちゃん家で食べたの」
 璃子はまだ小学一年生なのに、おばあちゃんの梅干しと梅漬けが好きなのです。
 特に、甘い梅漬けは大好物です。
「…どうするの?」
「これを植木鉢に蒔いてね、梅の木にするの。
 お花が咲くでしょ?もっと大きくなれば実がなるでしょ?
 そしたら、おばあちゃんに甘い梅漬けをいっぱい作ってもらうつもりだったの」
 璃子は俯いてしまいました。
 おばあちゃんは去年の秋、お友達と行った温泉で亡くなってしまったのです。
 夏休みに会いに行ったときは、とても元気だったのに。
 お母さんは璃子の頭をそっと撫でました。
 梅干しの種では芽が出ないなんて、とても言い出せませんでした。

 璃子のお母さんの大切なものは、学生時代に鎌倉の骨董屋さんで見つけたシェーカーボックスに入っています。
 日本の曲げわっぱによく似た楕円形の木の箱は、古びて飴色になっています。
 学生にはちょっと高価でしたが、「これは断然素敵」と一目惚れして手に入れた箱です。
 さて、中身。
 ガラス細工の小鳥、プレゼントでもらったネックレスや結婚指輪(アクセサリーをいつも身につけているのは苦手なのです)、璃子が初めてプレゼントしてくれた紙のカーネーション、裏に象眼でスズランの絵が施されている小さな銀色の手鏡。
 お母さんは手鏡を取り出してため息をつきました。
 お母さんが子供の頃、お母さんのお母さん、璃子のおばあちゃんに、おねだりして譲ってもらった鏡です。
 去年の夏、璃子を連れて実家に帰ったとき、些細なことからおばあちゃんと喧嘩をしてしまいました。
 「似た者母娘」と言われる二人は、言い出したら聞かないところもそっくりです。
 謝るきっかけを見つけられず、それでも次に会ったときには何でもなかったように話せると思っていたのです。
 結局、仲直りできないまま、おばあちゃんは不意に居なくなってしまいました。
 鏡を覗けば、おばあちゃんに益々似てきた顔が、への字口で見返してきます。
「ごめんね…」
 ごめんなさいもありがとうも、もう届きません。

 璃子のおばあちゃんの宝物入れは、小さな漆塗りのお弁当箱でした。
 おばあちゃんが残した物を整理していたおじいちゃんが、「こんなものがあったよ」と持って来てくれたのです。
「お父さん、開けてみたの?」
「うん、開けてはみたけど、なんだか俺よりお前が見る方がいい気がしてな」
 お母さんは、そっと箱の蓋を開けました。
 璃子もお母さんの手元を覗き込みます。
 さて、中身。
 古い古い絵はがき(おばあちゃんのお父さんとお母さんからでした)、古い手紙(おじいちゃんからおばあちゃんへ)、璃子の赤ちゃんの頃の写真、結婚指輪、空っぽの香水瓶。
「…これ、私が昔あげたトワレだ」
 お母さんが初めてのお給料で買ってあげたプレゼントです。
「まだいい匂いがするね」
 璃子は瓶をくんくん嗅いで言いました。
「お前が預かっておいてくれ」
 ただし、こいつだけは勘弁と、おじいちゃんは自分が書いた手紙を素早く抜き出しました。
「そうだそうだ、冷蔵庫からはこんなものが出てきたぞ」
 種です。
 硬い殻が割れて青白い芽が伸びています。
「もしかして、梅?」
「ああ。璃子がえらく梅漬けを気に入ってただろ?
 母さん、庭の梅の実で熟したやつを拾っておいたんだよ。『璃子と一緒に蒔いて、璃子の梅の木にしてあげるの』って言ってたから、きっとこれがその種だと思うよ」

「璃子、そんなに大きな鉢に植えるの?」
「だって、大きな木にするんだもん」
「…ということは、俺はいずれ庭付きの家を買わなきゃいけなくなるんだな」
 璃子のお父さんは、やれやれと背伸びして笑いました。
 三つの梅の種は、ふかふかの土に具合よく収まりました。
 梅干しと梅漬けの種は、璃子の宝物と一緒に青い缶の中に転がっています。



芒種=6月5日〜21日頃
初候・蟷螂生(かまきりしょうず)次候・腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)末候・梅子黄(うめのみきばむ)


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麦秋は本当は小満の末候ですね。写真、ちょっとだけ季節外れ。
今年も金色の麦畑にうっとりしています。
そんな麦畑や早苗田の上を、ツバメたちが艶やかな黒い羽を閃かせて盛んに飛び交っています。
梅雨入り直前の本当に美しい季節。


さて、二十四節気に合わせて書いてきた作り話、一年ぐるりと巡りましたので、ひとまずこれにてお休みします。
私の頭の中の引き出しの一つは、ちょうど璃子ちゃんの宝物箱みたいなものだと思います。
他の人から見ればガラクタの山ですが、本人にとってはどれも大切な宝物。
その中を引っ掻き回して材料を探して、作り話に仕立て上げて…。
読んで頂くだけでも嬉しいのに、「イイネ」や時々頂くコメントに、毎回舞い上がっておりました。
本当にありがとうございました。
当分の間は、また宝物(ガラクタともいう)探しに専念したいと思います。
今はモリモリ本を読んで、展覧会に行って、映画を観て、人に会って、ありったけインプットしたい。
充電して、次の立春を目処に作り話を更新できたら…と。
それまでは皆様のブログを拝読して、二十四節気の節目ごとに身の回りのことなど書けたらいいな、と思っています。
これからも、お付き合い頂ければ幸いです。



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by bowww | 2016-06-05 09:22 | 作り話 | Comments(8)

小満

 夏帆はむしゃくしゃした気分でタクシー乗り場に向かった。
 客の姿を認めて、タクシーは静かに後部座席のドアを開く。
 夏帆はずだ袋を放り込むようにドサリと身を投げ、行き先を告げた。
(だいたい、終電が十一時だなんて!夜遊びどころか、残業だって落ち着いてできやしないじゃない)
 終電を逃し、タクシーで帰宅するのは今月二度目だった。
 前回は取引先との宴席の後、今回は残業。
 地方都市にある支社に転勤して半年、なかなか職場に馴染めない。
 ずっと東京の本社に居た夏帆にとっては、これが同じ会社なのかと思うほど仕事の進み具合がまどろっこしい。
 もっと効率的にと提案すれば、決まって、
「本社のやり方はそうなんだ。さすがだね」「東京とは違うんだよ、ここにはここの流儀があって…」
 と返ってくる。
 女の子たちは、
「夏帆さんって素敵ですよね。断然、垢抜けてるもの」「お買い物はやっぱり東京ですか?もしかして、行きつけの美容院なんかも?」
 と褒めるふりをしながら、「私たちとは違う人」と遠ざかる。
(東京と違うなんて嫌ってほど分かってるわよ!)
 店がない。洋服や靴をどこで探せばいいのか。充実した本屋はどこにあるのか。気持ちよく寛げるカフェは?
 仕事帰りに寄れるジムも、映画館、美術館もない。
 ないない尽くしだ。
 覚悟していたつもりだったのに、職場でもプライベートでも気を許せない日々が続き、さすがに気持ちが荒れてくる。
(東京に戻りたいな)
 軋む肩と首を回し、シートに深く沈み込む。
 所在なく、運転席の背もたれにぶら下がった名札に目を遣った。
 小松悦子。
「笑顔と安全運転を心がけます」という言葉も手書きで添えてある。
(…あれ?この名前…)
 前回乗ったタクシーと同じ運転手だと気がついた。
「あの…お客さん、確かこの前も…」
 運転手も思い出したらしく、ルームミラーを見ながら控えめに声を掛けてきた。
「はい、先日もお世話になりました。偶然ですね」
「やっぱり!お綺麗な人だから覚えていたんですよ」
(うちのお母さんよりは少し若い、かな)
 夏帆は斜め後ろから、小松悦子さんの顔を眺めて見当をつけた。
 がっしりとした肩。ショートヘアには白髪も混じる。
「うちの娘と同じぐらいのお年かしら、なんて思ったりしてね」
 少し低めの声と、落ち着いた話しぶりが心地好い。
「お嬢さんはもう働いていらっしゃるんですか?」
「ええ、なんとか無事に就職できまして東京に居ますよ」
「私、東京で働いていたんですよ」
「あら!それまた偶然。道理で、モデルさんみたいと思ってました」
 いつもなら気に触る言葉も、何故か笑って受け止められた。
「東京は楽しいことがいっぱいなんでしょ?うちの娘、ちっとも帰って来なくて…」
 小松さんは少し恨めしげに言った。
「…そうですね、人は多いしゴミゴミと気忙しいし、良い事ばかりじゃないんですけど…。でも、うん、そうですね、楽しいですよね…」
(戻りたいな)と、夏帆は胸の中で呟いた。
 小松さんは、ミラー越しに夏帆の顔をちらりと見た。
 車内が少しの間、静かになる。
「あの、お客さん、少しだけ回り道してもいいです?」
「え?」
「もちろん、お代は結構ですから」
 朗らかな声に釣られ、夏帆は曖昧に頷いた。

 タクシーは街を抜け、街灯も少ない暗い道に入った。
 林の中の坂道をぐんぐん登っていく。
 どこに連れて行かれるのか、土地勘がない夏帆には全く分からない。
 やがて林が途切れ、ぽっかりと空が開けた場所に着くと、小松さんはエンジンを止めた。
「ほら!」
 高台になっているその場所からは、夏帆が働く街が一望できた。
「都会とは比べ物にならない夜景ですけどね」
 駅前はさすがに明るい。光の粒が慎ましやかにそこここに固まっている場所は住宅地だろう。真っ暗に静まって見えるのは田畑だろうか。
 小松さんは車を降りて、夏帆を手招きする。
 夏帆も渋々、車を降りた。
 少しひんやりした風と、土の匂い、草木の匂いが夏帆を包む。
 街に背を向けると、林が黒々とした影になって覆い被さってきた。
「空。見てみて」
「うわぁ…」
 満天の星。微かに発光して空を横切る白い帯は天の川。
 理科の授業で習って、でも名前も忘れてしまった星座が、いくつもいくつも指先で辿れる。
「はい、ここで深呼吸!」
 小松さんの楽しそうな号令に従って、夏帆は思いっきり息を吸って吐き出した。
 初夏の夜風は澄んだおいしい水のようだと夏帆は思った。

 二人を乗せたタクシーが、夏帆のマンションの前に静かに止まった。
「本当にありがとうございました」
 夏帆は車を降りて運転席側に回り、小松さんにお礼を言った。
 小松さんはにこにこと手を振る。
「娘を思い出して、ついお節介しちゃった。
 またお会いできたら楽しいですね」
 夏帆は去っていくタクシーを見送って、もう一度、深呼吸した。
 どこかの庭で、薔薇が咲いているらしい。



小満=5月20日〜6月4日頃
初候・蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)次候・紅花栄(べにばなさく)末候・麦秋至(むぎのときいたる)


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緑がキラキラと眩しい季節になりました。
五月は、朝も昼も夕暮れも美しいですね。
先日、美術館の庭で…などという身辺雑記、あらためて書いてみたいなと思います。
素敵な写真展のお話と、激混み展覧会のお話も。
とりあえず(最近の決まり言葉)、作り話のみ更新。
次回の芒種で、ひとまずは一区切りと思っております。

※写真、最初にアップしたものと差し替えました



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by bowww | 2016-05-20 09:52 | 作り話 | Comments(2)

立夏

 一つ違いの姉は、いつもどこでも人気者だった。
 器量が良い上に愛嬌がある。勉強やスポーツが得意で友達も多い。
 私は地味な顔立ち、平凡な成績、内気な性格と、ちょうど姉の裏返しのような存在だった。
 両親は揃って小学校の教師だったせいもあって、私たち姉妹をとても理性的に平等に扱った。
 姉がとびきり優遇されていた記憶はない。無責任な他人が姉をちやほやすると、やんわり私を庇った。
 欲しいものは姉も私も同じように与えられ、または与えられなかった。
 洋服や靴を新調する時は、同じものを同じタイミングで用意してくれた。
 お揃いの白いワンピースを着て、二人並んで撮った写真が残っている。
 姉はふんわり白い花のようだ。
 私は、その格好を懸命に真似している奇妙な子供だ。
 今思えば、母は無意識のうちに、姉に似合う洋服ばかり選んでいたのではないか。
「なんでも平等っていうのは、残酷なものよね」
 半世紀も生きてくれば、そんな思い出も笑い話にもできる。

 子供の頃に読んだ童話の「眠り姫」には、生まれたばかりのお姫さまに、妖精たちが様々な贈り物を与えるという場面が出てくる。
 美貌だとか知恵だとか優雅さだとか。
 きっと姉には、キラキラしたギフトが山のように贈られたのだろう。
 そして、あまりに気前良く贈ってしまったものだから、私に回すギフトがほとんど残らなかったのだ。
 小さな頃は可愛らしい姉にひたすら憧れ、思春期になればコンプレックスに苛まれた。
 それでも、数は少ないながら良い友人に恵まれ、私は私なりの楽しみを見つけていった。
 私には似合わない服は選ばなくなった。
 姉はいつでも私に優しかったが、共通の話題は少なく、互いになんとなく距離を置いていた。
 姉は短大に、私は教職を目指して大学に進んだ。
 教職は自分に向かないと早々に判断し、図書館司書の資格を取ろうと方向転換した頃、姉には早くも縁談が持ち上がっていた。
 短大の教授に気に入られ、ぜひ息子の嫁にと請われたのだ。
 息子は開業医で、姉が短大を卒業したらすぐに式を挙げるという。
「お姉ちゃん、もったいなくない?私なんかより頭良いんだし、モデル顔負けの美人なんだし…」
 もっと自由を楽しんでから結婚すればいいのに。
「女の人は、請われて結婚するのが幸せなのよ。それにいつまでも美人でいられるわけでなし」
 と、母は笑った。
 姉には玉の輿というギフトも用意されていたらしい。
 となると、私は自活できる道を考える方が手っ取り早い。
 華やかな結婚式で、姉は咲き誇る花よりも美しかった。

 その後、姉は二回離婚した。
 一度目の医者には実は数人の愛人がいて、隠し子騒動まで勃発、二年で実家に戻ってきた。教授夫妻が二人揃って実家を訪れ、誠実に詫びてくれたことは救いだった。
 なかなかドラマティックな展開になったのだが、姉は案外、あっけらかんとしていた。
 短大で取得した資格を生かして、病院の事務で就職した。
 当然、言い寄る医者は多かったようだが、「もう医者はこりごり」と見向きもせず、友人の紹介で知り合ったという会社員と再婚した。
 再婚相手の男性は、姉をとても大切にしてくれた。
 慎ましくてもあたたかい家庭になりそうだと皆で安心していたら、今度はなんと、姉が「ほかに好きな人ができた」と言い出した。
 別れる別れたくないとかなり揉めて、結局は三年後に離婚が成立した。
 それでその「好きな人」と結婚するのかと思ったら、「前の夫に申し訳が立たないから」ときっぱり別れたという。
 きわめて常識的な両親は、一連の騒動でぐったり老け込んだ。
 私は同じ頃、大学図書館で働いていた。
 就職と同時に実家を出たので、姉と両親の様子を遠巻きに眺めているような状態だった。
 自慢の娘が、どうしてこんな騒動ばかり起こすのか、老いた両親には皆目見当がつかないようだった。
 姉が戻った翌年、父が倒れ、半年ほど患ってから亡くなった。
 健康に気をつけていた母も、三年後に倒れた。
 姉にばかり介護を任せるわけにはいかないと、私も実家に戻ろうとすると、
「いかず後家と出戻りが揃った家なんて、格好悪いわよ。あなたはあなたの生活をお続けなさい」
と、姉がおっとりと笑い飛ばした。
「私が二人の寿命を縮めたようなものだもの、責任取るわ。時々、手伝いに来てね」
 私はしげしげと姉の顔を見つめた。
 姉は変わらず美しく、美しい上に強い。
(無敵だな)と思うと、なんだか可笑しさがこみ上げてきた。

 母を見送った頃には、姉も私も四十代になっていた。
 姉はさっさと実家と敷地を片付けると、私が住む街に越して来た。
「バラバラでいるより、二人まとまって暮らす方が経済的」と意見が一致し、結局は「いかず後家と出戻り」が、喧嘩しながら一つ屋根の下で暮らすことになった。
「子供の頃は喧嘩なんかしなかったのに…」
「あの頃はお姉ちゃん、優しかったもん」
「あなたはもっと素直で可愛かったわ」
 お互いに憎まれ口を叩きつつ、気楽に日々を送った。
 年齢を重ねて、やっと近づく距離もあるのだと思った。

 一生、独り身だと思っていたら、五十歳を目前にして恋人ができた。
 同級会で再会したクラスメイトと、話をしてみたら思った以上に会話が弾んだ。
 相手はバツイチで、気ままな独身生活が長いという点が共通していた。
「残り僅かな人生、笑いながら支え合って過ごそうよ」というプロポーズの言葉が、やたらと現実的に響いた。
 姉に話すと、
「あら!それなら一緒に結婚式やっちゃいましょ」
「…はい?」
「私もプロポーズされちゃったの。ちょうど良かったわね
「プロポーズ?誰から?受けるの?三回目?」
「ほら、夫だった人、二度目の。この前ばったり会ったって話、しなかったかしら?
 そうしたら、もう一度やり直そうって…。
 気心も知れてるし、何より『今でも好きだ』なんて五十歳になって言ってくれる人なんて、そうそう居ないでしょ」
 …呆れて何も言えない。
「三度目の正直っていうのかしら?今度はうまくいくと思うの」
 おっとりと笑う姉は、やはり無敵だ。
 ウェディングドレス姿は絶対に姉に適わないから、私は着物にしようと思っている。
 



立夏=5月5日〜19日頃
初候・蛙始鳴(かわずはじめてなく)次候・蚯蚓出(みみずいずる)末候・竹笋生(たけのこしょうず)

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今年は季節の進み方が早くて、すでに初夏の気配濃厚ですね。
写真の八重桜、実は去年の5月4日に撮ったものでした。今年はとっくに散っています。
ツバメが元気よく飛び回っているのですが、この数日は風が強くて、紙切れのようにヒラヒラと煽られています。

今回の作り話、なかなかネタが思いつかず。。
ええぃ!と書き始めたら、なんだか呑気な二人の話になってしまいました。
本当はもう少し、屈託した話にするつもりだったのですが、スカッとした青空を見ていたらこんな感じに…。
書いている本人が能天気なので、仕方がないですかねぇ…。

とりあえず、作り話のみ更新です。


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by bowww | 2016-05-05 11:17 | 作り話 | Comments(2)

穀雨

「ここに来れば、会えると聞いたんですよ」
 初老と呼ぶにはまだ早いでしょうか。
 霜降りグレーのハイネックのシャツに、紺色のカーディガンを柔らかく羽織った男性です。
 人懐こい大きな瞳と快活な声の持ち主です。
 私は泉の周りの枯れ葉を寄せ集めていましたが、彼の声が気持ち良かったので手を止めて答えました。
「…どうでしょう、こればかりは運のようなものでして…」
 男性は落胆して、そのまま泉のほとりにしゃがみ込みました。
「遠くからおいでですか?」
 とても疲れている様子なのに、それでも笑みを浮かべて男性は頷きました。
「どなたとお会いするおつもりでした?」
「妻と」
 笑みが一段と深くなりました。
 私は桜の枝で作ったコップで泉の水を汲み、男性に渡しました。
「さぞかしお疲れでしょう。喉も渇いておいででしょう」
 男性は両手で受け取ると、一気に飲み干します。
「うまい。うまいなぁ」
 瞳の輝きが戻りました。
「おや、水仙がこんなに…」
 やっと人心地がついたのか、男性は辺りを見回し感嘆の声を上げました。
 滾々と湧く泉を覗き込むように、数多の金色の水仙が風に揺れています。
 柔らかな光が、薄い花弁の上でさんざめきます。
「見事なものですね。彼女に見せてやりたい。花見なんて連れて行ってやったことがないんですよ」
「お忙しかったんですね」
「好き勝手やらせてもらいました。妻のおかげです」
 水仙の金色が眩しいとでも言うように、男性は目を細めました。
「これから恩返しするつもりだったんですよ。…そんなこと言えばきっと、『あなたの“つもり”なんて、あてにできません』って叱られるだろうなぁ」
 男性は泉を覗き込みました。
 風が少しだけ強く吹きました。水面に細波が広がります。
「天気が崩れるのかな。
…彼女、夜の風が嫌いなんです。ザワザワして不安になるんだって。今夜は静かな夜だといいんだけど…。
そうだそうだ、キッチンの窓がガタつくから直してくれと言われてたんだった。テラスの掃除もしなきゃいけなかったなぁ」
 清水が湧く音以外、何も聞こえてきません。ここはとても静かなのです。
 私は自分の仕事に戻りました。男性の取りとめない独り言と、落ち葉を片付ける乾いた音が響きます。
「待っていれば会えますか?」
「はい。いつかは必ず会えるということです」
「それで、あなたは会えたんですか?」
 私はそっと首を横に振りました。
 私には会いたい人がいないので。
「…おっ!」
 男性は泉に身を乗り出しました。愛しい人の影がよぎったのでしょう。
 一瞬のことなのです。
「…ここで待たせてもらってもいいでしょうか」
「どうぞどうぞ。ごゆっくりなさってください」
 彼は私を振り返って、嬉しそうに微笑みました。

 白い水仙が一輪、仲間入りしました。
 泉を覗き込むように咲いています。
 幸い風は止み、でも、銀の絹糸のような雨が降り出しました。
 あたたかな雨が木立の梢を濡らし、葉や花をつややかに湿らせ、乾いた地に沁み込んでいきます。
 やがてこの雨は地の奥深くを巡って、何処かの泉に湧き出るのでしょう。
 今はとてもとても静かです。



穀雨=4月20日〜5月4日頃
初候・葭始生(あしはじめてしょうず)次候・霜止出苗(しもやんでなえいずる)末候・牡丹華(ぼたんはなさく)


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桜が満開になるちょっと前に、とても大切な方が突然、居なくなってしまいました。
つっかえ棒を一本、取り上げられてしまった気持ちです。
残されたご家族やご友人の皆さまのお気持ちを想像するだけで、息が苦しくなります。
人生や大切な人たちを、とてもとても愛された方でした。
あまりに急なことでしたから、きっとご本人が一番、びっくりされているんじゃないかな。
叶うことなら、もう一度お会いしてお喋りしたい。
会いたいなぁ。


次回は5月5日「立夏」に更新します。
 
 


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by bowww | 2016-04-20 10:26 | 作り話

清明その2

【前回からの続きです】


 雅樹さんを送り出した後で、テキパキと家事を片付けてから一息入れるのが、葉子さんの日課です。
 コーヒーの香りに包まれながら、頬杖をついた葉子さんは考えました。
 浮気かも知れない。
 あんなに上機嫌な夫を見たのは久しぶりです。僅かとはいえ、帰宅時間が遅くなったことも気になります。
 そして何より、あの花の香り。
 上等な香水かも知れないと、念入りに嗅ぎ分けようとした途端に、するりと溶け去ってしまうのです。
「…買い物のついでに…」
 ついでのフリをして、市役所に回ってみようと思いつきました。
 手元のコーヒーは、すっかり冷めていました。

 市役所の庁舎で葉子さんは、「緑地・公園課」の窓口は四階にあることを案内板で確認しました。
 エレベーターに乗ろうとして、足が止まりました。
 もし雅樹さんが窓口近くにいれば、葉子さんにすぐ気がつくでしょう。見つかったら、何と言い訳すればいいのか。
 立ち止まった葉子さんを見て、胸に「ご案内係」と札をつけた女性職員が近寄ってきました。
「どんなご用件でしょうか?転入届などでしたら、住民課にご案内しますが」
「…いえ、違うんです、あの…そのね。……お手洗いはどちらでしょう?」
 案内係はにっこり笑うと、「こちらになります」と近くのトイレまで付き添ってくれました。
 最近の市役所は本当に親切になったものだと感心しつつ、葉子さんはトイレの鏡の中の自分を見て、ほっとため息をつきました。
「…馬鹿らしい」
 葉子さんはジャブジャブと手を洗って、このまま家に帰るつもりでトイレを出ました。
 玄関の方を見ると、雅樹さんが居ました。若い男性職員と話しながらこちらに歩いて来ます。
 葉子さんは慌てて柱の陰に隠れました。
 二人は葉子さんに気づかないまま近づいて来ます。
「…課長のおかげです、助かりました」
「いやいや、こちらこそ助かったよ、ありがとう」
「今度、一杯ご馳走させてくださいよ」
「俺、飲めないからね。うまい昼飯の方がいいなぁ」
 二人は笑いながら、葉子さんの前を通り過ぎました。
 葉子さんは二人の背中を見送ってから、市役所を後にしました。
 雅樹さんはやっぱり、ちゃんと働いています。仕事のふりをして何処かの女性と会っているわけではないようです。
「ほんと、馬鹿みたい」
 葉子さんは自分に腹が立って仕方がありません。
「…あの人、ちゃんと若い人に冗談も言えるのね」
 雅樹さんは家で見るよりも若々しかったと、ふと思いました。

 もう疑うのは止めようと思った葉子さんですが、一人で夕飯の用意をしていると、またソワソワし始めました。
 今夜もあの香りがまとわりついてくるのだろうか。
 そう思うだけで落ち着かなくなりました。
 時計を見ると、五時過ぎです。
「…そうだ、卵。タイムセールだったわ」
 財布と買い物袋をつかみ、適当なコートを羽織ると、葉子さんはスーパーに向かいました。
 簡単な買い物を済ませて、雅樹さんが乗り降りするバス停留所に行ってみました。
 ちょうどバスが到着して、数人が降りてきました。
 見慣れた雅樹さんの姿を見つけると、葉子さんはそっと後をつけました。
 大股で歩く雅樹さんの背中を見ながら、何処で声を掛けようかと葉子さんが迷っているうちに、不意に雅樹さんの姿が脇に逸れました。
 辺りは黄昏時、街灯が灯り始めた頃です。
 葉子さんはびっくりして、足を速めました。

 公園と呼ぶにはあまりに狭い、道路と水路と住宅に挟まれて取り残された三角形の空き地に、雅樹さんは居ました。
 空き地には、一本の大きな枝垂れ桜がありました。
 八分咲きほどの枝を思うままに広げ、小さな空き地に花の天蓋を作っています。
 宵闇が濃くなる中、そこだけはぼんやり発光しているかのように明るいのです。
 雅樹さんは桜の根元に置かれたベンチに腰掛け、花天井を嬉しそうに見上げていました。
 無数の花枝がカーテンのように雅樹さんを包み込み、風もないのにゆらんゆらんと揺れています。
 一本の枝が、しなやかに雅樹さんの背中を撫でました。
「…あなた!」
 葉子さんは思わず叫びました。
 雅樹さんは飛び跳ねるように立ち上がりました。
「…びっくりした!どうしたんだ、こんな所で?」
「…卵。タイムセールだったから…」
 葉子さんは上の空で、買い物袋をかざして見せました。
 雅樹さんは空き地から出て来て、誇らしげに桜を指差しました。
「見事だろ?樹齢百年にはなるらしいんだ。
 去年、邪魔だという苦情が市役所に寄せられてさ、調べに来てみたらこんな立派な桜だろ?
 切ってしまうのはあまりに惜しいと思って、地域の皆さんに頼み込んで残したんだ。
 少しでも見栄えのいい場所にしようと、仕事のついでに雑草を刈ったり、花壇を作ったりしているうちに愛着湧いちゃってさ」
 よく見れば、小さな花壇にムスカリやヒヤシンス、スイセンも咲いているようです。
 枝垂れ桜は身じろぎもしません。
「樹木医さんに診てもらったせいか、今年は一段と花の付きがいいんだよ」
 樹木医のせいではないと思う。
「…本当に見事。
 …そうだ、今度の週末、ここでお花見でもしましょうか?私、久しぶりにお花見弁当を作るわよ。子供たちにも声掛けてみるわ」
 葉子さんは雅樹さんを見上げながら、その後ろに控える桜に向かって言いました。
「それはいいな。少しでも賑やかにすれば、ご近所の人たちも足を運びやすくなるもんな」
 無邪気な雅樹さんの答えを聞くと、桜はざわりと枝を揺らしました。
「週末辺りが満開だろうな」
「お天気だといいわね。…さ、帰りましょうよ」
 桜に背中を向けると、葉子さんは雅樹さんのコートの袖をちょんと引っ張りました。
 そして胸の中で、(雨が降るといいな)と呟きました。
 雨で冷えれば、香りも少しは落ち着くでしょう。




清明=4月5日〜4月19日頃
初候・玄鳥至(つばめきたる)次候・鴻雁北(こうがんかえる)末候・虹始見(にじはじめてあらわる)



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「清明」という文字や響きには、もう初夏の気配が紛れ込んでいるような気がします。
花の季節から新緑の季節へ移り変わる頃。
良い季節ですね。

今年の桜はせっかちです。
暖かかったせいか、あっという間に咲いてしまいました。
大慌てで近間の桜名所(自分だけの名所も含む)を巡っています。
でも、パトロールの結果、街の桜以外はまだまだ三分咲きから四分咲き。木曜日の雨風にも耐えられそうです。
週末は魂が抜け出る程、桜に耽溺しようと企んでいます。
写真は、枝垂れではありませんが、何年も前に撮った桜。
朝も夕も夜も、桜が好きです。
今年も良い桜に会えますように。

田舎なので、見事な枝垂れ桜ポイントも幾つか知っています。
ただ、見事な桜は墓守り桜やお堂守り桜であることが多いのです。
流れ落ちる花の滝は、それはそれは美しいのですが、なんとなく写真を撮るのは憚られます。
ずかずかと土足で立ち入ってはいけない場所ってあるんじゃないかな、と思います。


次回は4月20日「穀雨」に更新します。

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by bowww | 2016-04-06 09:53 | 作り話 | Comments(0)