蝉時雨に、溺れそうになる。
真夏の日盛り、足元がゆらりと歪む。 母方の叔父が、家を残して亡くなった。 独り身だった叔父に家族は居ない。親戚付き合いも希薄だった。 急な最期だったらしい。 丸一日、姿を見せず連絡も取れないことを不審に思った同僚が家を訪ね、冷たくなった叔父を発見してくれたそうだ。 「あんなにきちんとした方が、無断欠勤するなんてあり得ませんから」 親戚から「少々変わり者」と思われていた叔父は、普通の真面目な勤め人だったのだと初めて知った。 叔父が住んでいた古い家は、駅や学校から離れたやや不便な場所にあり、売却するにしても大した金額にはならない。 建物を取り壊して更地にして、といった手続きも厄介だ。 「和馬、とりあえず、あんた住んでてくれない?」 人が居ないと家は荒む。 叔父と同じく独り身の僕に、お鉢が回ってきた。 「雅哉叔父さんもあんたのことは可愛がっていたから、きっと喜ぶでしょ」 母がいい加減なことを言う。 僕には可愛がってもらった記憶はないのだが…。 「あら、覚えてない?生まれたばかりの和馬を抱っこして、『大きくなれよ』って言ってくれたのよ」 …そんな記憶が残っていたら、僕は天才だっただろう。 「とにかく、あんたは独身だし、車持ってるし、何よりいつまでも実家暮らしというわけにはいかないでしょ」 確かに、社会人になって親と同居しているのも、そろそろ気詰まりではある。 空き家の世話係は気楽でいいかも知れない。 「ただ、和馬は雅哉と似たところがあるから気をつけなさいよ。 ちゃんと結婚してよ、母さん、孫の顔見ないうちは死ねないんだからね」 母の勝手な言い分を聞き流し、僕は行ったこともない叔父の家へ引っ越した。 木造の平屋の家は、覆い被さる濃い緑に飲み込まれそうだ。 庭に二本、家の正面に一本、大きな木々が悠々と枝を広げている。 「母さん、庭の手入れは一人じゃ無理だよ。庭師さん呼んでよ」 僕は庭いじりにも植物にも、まったく興味がない。 叔父は小まめに手入れしていたらしく、よく見れば、日当りが良い場所に花壇があったり、薔薇や紫陽花の鉢が残っていたりした。 「頼りないわねぇ。植木屋さんにお願いしておくから、草むしりぐらいはしてちょうだいよ」 母に言われて渋々、休みの一日を草取りに充てることになった。 近所で生まれた蝉が、全部この庭に集結したんじゃないだろうか。 ミンミンなのかジィジィなのか、とにかく何十もの鳴き声が一塊になって落ちてくる。 木陰なのはありがたいが、雑草が生い茂った地面からは草いきれが立ち昇り、しゃがみ込んでいると息苦しささえ感じる。 汗が絶えず滴り落ち、腰が痛い。想像以上の重労働だ。 立ち上がって腰を伸ばす。 見上げると、羽毛のような桃色の花が咲いている。真夏の日の光が、ふわふわの花弁を白く縁取る。 これが合歓(ネム)の花かと思っているうちに、蝉の声がすっと遠のいた。 手足が強張って、「まずい」と気づいたときには動けなくなっていた。 額に、首筋に、ひんやりしたものが当てられる。 汗でぐっしょり濡れた全身に、涼しい風が心地好い。 やっと呼吸が楽になって、目を開ける。 僕はどうやら、合歓木の下で伸びているらしい。 「これを飲むといい。ゆっくりと」 湯呑みを受け取って口に含むと、香ばしい香りが広がった。 美味しい麦茶だなと思ったところで、ようやく気がついて身を起こす。 「…あの、どちらさまでしょう」 翡翠色のワンピースを着た女の子が、こちらを心配そうに見守っている。 長く艶やかな黒髪の、見たこともないような美少女だ。 「…頭でも打ったのか?マサヤ。私が分からなくなったか」 白い手が、何かを探すように差し伸べられる。 勇気を出して、少女の大きな瞳を覗き込む。 真っ黒の宝石のような目は、たぶん何も映していない。見えないのだ。 「あの、ごめんなさい、おじ…雅哉は亡くなって、僕は甥で…」 しどろもどろの僕の説明に、少女は息をのんだ。 「マサヤではない?マサヤはいない?…いない? 帰って来るのか?」 呟く声は透きとおり、とても美しい。 「…いいえ、帰って来ないんです。死んでしまったんです」 夕立がくるのか、日が翳り、木陰は暗さを増した。 合図でもあったように、蝉たちがぴたりと鳴き止んだ。 少女はゆっくりと首を傾げる。 黒髪がさらさらと流れ落ちる。 僕は、焦点が合わない不思議な瞳から目が離せない。 白く細い指が、僕の頬を探り当てる。 「では、お前の名前を教えてほしい」 「…和馬」 瞳に光が走る。 「カズマ…カズマ…」 指が、僕のカサカサになった唇をなぞる。 そして少女は、初めて微笑んだ。 うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花 松瀬青々 雨上がりの合歓の花を撮ってきたので、ふわふわの羽毛のような質感ではなくなっていますね。 暑さに負けて、日盛りの花を撮りに行けませんでした…。 それにしても、私が書く「美しい人」は、ほとんど同じタイプですね。 もう少し、バリエージョンを増やしたいと思います。。 暑い暑い七月です。 風通しの良い我が家ですが、すでに3回ほど、エアコンを使ってしまいました。 八月もこの調子が続くのでしょうか。 そして、九州に続いて秋田でも大雨の被害。 災害の多い夏です。 天に祈るしかないのは、古代も現代も変わりありませんね。
by bowww
| 2017-07-23 05:28
| 作り話
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