仰ぎ癖(啓蟄)

 できたばかりの老人福祉センターは、陽射しがたっぷり入る明るい雰囲気の建物だった。
 昼間のこの時間帯は、デイサービスを利用する比較的元気なお年寄りが多い。
 スタッフにも余裕があるようで、こちらの問いかけにも快く応じてもらえた。
 地元の市役所に勤めて十年、昨年から市の広報作りを担当している。
 市からのお知らせや市議会の議題、市が主催したイベントなどを数ページの冊子にまとめて、二ヶ月に一度発行する。
 新しい施設を紹介するコーナーで、こちらのセンターを取り上げることになった。
「できれば利用者さんのお話も伺いたいのですが、可能でしょうか?」
 一通り施設の説明を受けた後、ベテランといった風情の女性スタッフに訊ねてみた。
「それなら、斉木さんがいいかな」
 彼女は、近くを通りかかった男性スタッフを呼び止める。
「斉木さんなら、庭にいらっしゃいましたよ」
「そう、ありがと」
 中庭が見える窓際へ案内された。
 焦げ茶色のカーディガンに紺色のジャージのパンツを履いた男性が、木の下に佇んでいる。
「あちらが斉木さん。今日は体調が良さそうだから、きっとお話できると思いますよ。
 元々、学校の先生だったせいか、しっかりしたおじいさんなの」
 昼食の用意があるからと足早に去っていく女性に頭を下げて、再び庭に目を遣る。
 斉木さんは左足が不自由らしい。杖で半身を支えている。
 もつれる足がもどかしいのか、右足をせかせかと動かし右腕を大きく振ってバランスをとっている。
「斉木先生…」
 あのせっかちな動き方は、中学生時代に毎日見ていた。

 学校に行くのが嫌いだった。
 私は成績こそ良かったものの、引っ込み思案でクラスになかなか馴染まなかった。
 いじめられていたわけではないが、女子特有のグループごっこが苦手だった。
 担任だった斉木先生は五十代で、熱心な教師として保護者や同僚からの信頼が厚かった。
 確かに、斉木先生は熱心だった。
 クラスは皆、互いに助け合い切磋琢磨し団結しなければならない。
 落ちこぼれは出さない、決して見捨てない。
 もちろん、校則は厳守。
 そんな先生だったから、私のような生徒は見逃せなかったのだろう。
 何かと声を掛けてくれたのだが、私は先生が目の前に立つ度に目を伏せた。
 二年生の春、突然、クラス委員長に指名された。
 必死で無理だと訴えたのだが、
「河瀬ならできる。自分を変えるチャンスだ」と取り合ってもらえなかった。
 結果、惨敗。
 私のか細い声は、ワイワイと騒がしい教室の中では掻き消えてしまう。
 おどおどとした態度が苛立たしいのか、クラスメイトたちは途端に意地悪になった。
 誰も私の話を聞いてくれない。助けてくれない。
 夏頃には、クラスはすっかりまとまりを欠いてしまった。
 私は学校を休みがちになった。
 家庭訪問に来た斉木先生は無理しなくていいと言いながら、去り際に、
「河瀬はもっと仲間を信じないと。いつまでもこのままだぞ」という言葉を残していった。

 庭に出て、斉木さんの側に行く。
「失礼します、市の職員の者ですが、少しだけお話よろしいですか?」
 振り向いた斉木さんの顔には、特に何の表情も浮かばない。
「こちらのセンターの印象を教えていただけますか?市の広報で紹介させて頂くんです」
 ああ…と唸るように返事をする。
「みんな優しくて明るい。良くしてもらってありがたいよ」
 少し言葉が不明瞭で聴き取りづらい。病気の影響だろうか。
「ありがとうございます。お名前とお年はお聞きしてもよろしいでしょうか」
 斉木さんは右手を大きく横に振った。
「いいいい。名前はいい」
 ぐらりと体が傾ぐ。
 とっさに支えた。
 斉木さんは思っていたよりずっと小柄だった。
 すぐに体勢を立て直すと、斉木さんは頭の上の梢を指差した。
「もうすぐ咲く」
 見れば紅梅の蕾が膨らみ始めている。
 堂々と枝を張った古木にあらためて見入った。
「立派な木ですね」
 斉木さんは、うんうんと満足そうに頷いた。

 出来上がった広報を持って、お礼を兼ねてセンターを再訪した。
 先日お世話になったスタッフに声を掛けると、彼女は窓際で私を手招いた。
「ほら、梅が咲いたんですよ」
 春の光を受けて紅梅が満開になっていた。
「斉木さんが、『河瀬さんが来たら教えてやってくれ』と言ってたの」
「…私の名前…」
 きっと私のことは忘れたか思い出せないかだろうと、先日はあえて名乗らなかった。
 斉木さんも何も聞かなかったのに。
「ええ、ちゃんと『河瀬さん』て仰ってましたよ」
 聞けばあの梅の木は、斉木さんが寄贈したものだという。
 自宅で育てた木だが、手入れも行き届かなくなったから、と。
「移したばかりのせいか、なかなか蕾が開かなくてね、今年は咲かないかしらと皆で話していたら、斉木さんが『時機がくれば咲く。焦らなくていいんだ』って」 
 
 梅の木の下に立ち、梢を見上げる。
 柔らかな香りに包まれる。
 斉木先生は、梅がほころぶ前に亡くなったと聞いた。


   青天に紅梅晩年の仰ぎ癖(ぐせ)  西東三鬼


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仰ぎ見るのは、紅梅ではないのですが…。

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by bowww | 2017-03-05 11:13 | 身辺雑記 | Comments(0)


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