二月の桜の木(立春)

 煙草の巻き紙が焼けて、チリリと音がする。
 風に煽られないようにと覆った手の内を、ライターの炎が照らす。
 あんな小さな火に縋りついているみたいだと、女は思った。
 煙草を吸う男の肩と背中が丸い。
 三年前は、もっと角ばっていた気がする。
「じゃあね」
 男は驚いたように女の顔を見る。
 女はにっこり笑って手を振った。

 思っていたよりさっぱりしたものだと思う。
 別れ話らしい話もしないまま、もう会わないと決めた。
 こちらが連絡しなければ、きっとこのままになる。
 男はいつも、何も決めない。
 主導権を握っているのは自分だと思っていたが、案外、都合良く扱われていたのはこちらの方だったのか。
 男を狡いと決めつけるのは容易いが、それはフェアではない。
 ぐるぐるとそんな自問自答を繰り返す時点で、終わっていたのだと女は思い定める。

 駅へ向かう。
 帰宅途中の人の流れに逆らって、いつもより大股で歩く。
 ここの商店街の総菜屋でコロッケを買って、駅前のコンビニで缶ビールを買って、小さな公園のベンチで花見をした。
 女の足が止まる。
 コンビニの前だった。
 そのまま店に入り、甘ったるいミルクティーを買った。
 店を出て少し歩き、公園の前で再び立ち止まる。
 日没直後、夜が来る手前の薄青い闇が辺りを包んでいた。
 女は冷えきったベンチに座った。
 あの日満開だった桜の木の梢は、藍色の空に細々とした枝を広げ身震いしている。
 風が冷たい。
 まだ温かいミルクティーの缶を握り締める。

「ごめん!マジでごめん!もうしない、しません!ほんっとにごめんなさい」
 突然響いた声に驚き、女は声の主を探した。
 桜の木の下、高校生らしき男の子が携帯電話で誰かと話している。
 相手は彼女なのか友達なのか、内容までは聴き取れないものの、懸命な様子は離れていても分かった。
 やがて声の調子は嬉しそうに変わって、どうやら思いは伝わったらしい。
「…良かったぁ、電話出てくれて。超嬉しい、マジで」
 やはり彼女だろうか。
 女は思わず笑みをこぼす。
 冷めかけたミルクティーを飲み干し、甘ったるさに顔をしかめながら立ち上がった。
 今度は男の子が、びっくりした顔で女の方を見た。
 ちょうど瞬きする時間ぐらい余分に、女は彼の顔を見返した。

 女は再び、大股で歩き出す。
 強い向かい風が、髪にまとわりつく煙草の匂いを吹き飛ばしてくれる。
 この街へは、多分もう来ない。


   少年がもたれ二月の桜の木   坪内稔典


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少しずつ少しずつ、日が長くなっています。
「日脚伸ぶ」という言葉がぴったりくるのは、まだ先になりそうですが、日向の暖かさがしみじとありがたい季節です。
立春。
「春」ということばがちらつくだけで嬉しくなります。
実際はまだまだ凍えるほど寒かったり、雪が降ったり(それも春が近づくほどドッサリ重たい大雪)する季節なのですが…。

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写真は、私が尊敬する一本桜の枝先です。
厳しい余寒を乗り越えるため、まだキュッと堅く閉じています。
木全体がほんのり紅色を帯びてくるのは、一ヶ月ほど後でしょうか。
老いて罅割れた太い幹の奥では、きっと着々と春の準備が進んでいるはず。
今年も見事な花を見せてもらえますように。



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by bowww | 2017-02-04 22:48 | 身辺雑記 | Comments(0)


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