第三十候 半夏生

 娘は森へと走りました。
 肺が悲鳴を上げ、喉が灼きつき、唇はひび割れて血が滲んでいます。
 蔓や木の根につまずいて幾度も転びましたから、手も足も傷だらけです。
 それでも娘は駆け続けます。
 森の奥へ奥へと。


 妹を傷つけるつもりはなかったのです。
 幼い頃から仲が良かった姉妹です。
 二人は慎ましい家で育ちました。
 同じ布団で寝て、食べ物を譲りあい、秘密を分かち合いました。
 何処へ行くにも一緒でした。
 仲が良すぎたのかも知れません。
 二人は同時に、一人の若者に恋をしてしまいました。

 若者はやがて、妹を選びました。
 妹は嬉しそうに、でも、申し訳なさそうに打ち明けました。
 娘は、自分のお腹の底がカチンと凍りついた気がしました。
 息が苦しい。苦しい。苦しい。
 なのに、笑顔で妹を祝福する自分が、不思議でたまりませんでした。

 娘はありとあらゆる手段を使いました。
 身なりや化粧、仕草や話し方まで磨き上げました。
 若者と妹の前に現れては、飛びきりの笑顔で彼に微笑みかけました。
 まじないや占いに頼り、惚れ薬まで手に入れました。 
 ただただ、若者が欲しかったのです。
 お菓子のように、妹と分け合うわけにはいかなかったのです。
 若者は徐々に、妹よりも姉娘と過ごす時間が多くなっていきました。

 皆が異変に気づいた時は、もう遅かったのです。
 妹は何も喋らなくなりました。
 何も食べなくなりました。
 そして、露が葉から零れ落ちるように、死んでしまいました。
 娘は我に返り、妹の亡骸を抱きしめました。
 後悔で身の内が焼けるようです。
 心の底から詫びても、妹は目を開けてはくれません。
 そして娘は森へ逃げ込んだのです。


 森の奥深くに「賢者の木」「神の宿」と呼ばれる大樹がありました。
 幹は大人十人で囲んでも囲みきれない太さ。
 枝を大きく広げ、梢ははるか高みにあります。
 娘は大樹の下に身を投げ出し、祈りました。
 赦してほしい。赦してほしい。赦してほしい。
 日が沈み、闇が森を包み込むころ、娘は地面の堅さも冷たさも分からなくなっていました。
 ただ一心に祈り続けました。
 朝の光が苔むした大樹の根元に射し込んだとき、そこに娘の姿はなく、代わりに一本のひこばえが生えていました。
 朝露の重みにさえ耐えかねるように、ふるふると震えて。


 あと七十七回、半夏生の激しい雨を浴びれば、娘の罪は赦されるのだといいます。
 木々は曇天を仰ぎ、雨を呼びます。


〜半夏生(はんげ しょうず)〜
 
 
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夏至から数えて11日目。昔はこの日までに田植えを済ませていたそうです。
名前の由来と言われる半夏は、サトイモ科のカラスビシャクの別名。
調べてみると、不思議な形をした花でした。
畦や道端に普通に生えている草花だそうですが、見かけた覚えがありません。
しっかり目を凝らさないと見つけられないのかしら。
また、ハンゲショウという草の葉が白くなる季節でもあるそうで
す。

海の旬は蛸、鱧などなど。
山の旬は紫蘇、ライチなどなど。
関西では、鱧はポピュラーなのですね。
以前、この季節に京都へ行ったことがあって、素敵な小料理屋さん(おばんざい屋さんというのでしょうか)で鱧料理を頂きました。
…正直なところ、骨が口の中で気になって気になって。。
もちろん、きちんと骨切りしてあったのですが、それでもムチッと弾力がある白身の中で、ザラリザラリと骨が舌に障るんですよね。
もともと軟骨系の食べ物が苦手なので、余計に「……」だったのかも。
ちりめん山椒のご飯の方が、よっぽど美味しかったです。
京都では祇園祭が始まっていますね。
鱧の旬と祇園祭の季節が重なるので「祭り鱧」と言われるそうです。

川上弘美の「センセイの鞄」に、主人公とセンセイが蛸の刺身を食べるシーンが出てきます。
美味しそうな上に、なんともエロティックで、確かにこのシーンでは蛸だなぁ…と思って読みました。
半夏生には、蛸を食べる地域もあるそうです。

次回は7月7日「温風至」に更新します。



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by bowww | 2014-07-02 09:02 | 七十二候 | Comments(4)
Commented by mofu903 at 2014-07-04 01:43
oriさん、こんばんは。
誰かと同じ人を好きになったという経験はありませんが、想像するだにキビシイですね。
まして、相手が親友だったり姉妹だったりしたら…身を引いても地獄、奪うのも地獄。
娘の荒い息遣いや、おそらく七転八倒したであろう深い森の土の匂いが、臨場感をもって押し寄せてきて、せかされるように行を追いました。

『衣装箱の怪』(?)という怪談をご存知でしょうか。姉妹で一人の男性を取り合う話なのですが……
「ねじの回転」の作者が書いていたと思います。
もし、未読でいらして、お目にとまることがありましたら、ぜひ^^

半夏生は、去年、近所のお宅の庭で発見しました。
おしろいを半分つけたような葉っぱの様子が、「半化粧」にも通じているとか、昔の人ってうまいことをいうものですね。
それにしても、「半夏」という言葉、どことなくアヤシイ感じがしませんか?
Commented by bowww at 2014-07-04 22:35
ジャレットさま。
こんばんは。
「半夏」、やっぱりジャレットさまもそう思われます?
一番初めに「半夏生」という言葉に出合ったのは、長野まゆみさんの小説だったと思います。
美しくて妖しいイメージが定着してしまったようで、以来、この言葉に触れると、意味もなくときめいてしまいます(笑)。
調べてみると、この日は天から毒気が降るから井戸に蓋をするとか、「ハンゲ」という妖怪が出るから農作業をしてはいけないとか、本気で怪しい言い伝えもあるみたいですけれど…。
私自身も、誰かと同じ人を好きになってしまった経験はないのです。
妄想の翼をドタバタ広げてはみたのですが…。
この日に降る雨が大雨になることが多くて、「半夏雨」「半夏水」とも呼ぶそうですね。
雨の激しさを思って書いてみました。

「ねじの回転」はヘンリー・ジェイムスでしょうか?
私、読んでいるはずなのに、記憶がないのです。。。
どうも「ジェイン・エア」と、ごちゃまぜになっているようです。
教えていただいた作品、探してみます♪
ありがとうございました。
Commented by mofu903 at 2014-07-05 10:54
こんにちは。また失礼いたします。
『衣装箱の怪』というタイトルは、完全に私の創作でした(^_^;)
正しくは、『古衣装の物語』あるいは、『古衣装のロマンス』でした。ごめんなさい。
ねじの回転 -心霊小説傑作選- (創元SF文庫)
↑に収録されているようです。
私には、傑作とされている「ねじ」の良さが今一つわからず、こちらの作品の方が好きです。
ふふふ、oriさんも、民俗学がお好きなようですね。私も「井戸に蓋」とか、妖怪ハンゲなんていうくだりを読むと、ぞくぞくと嬉しさがこみあげてきてしまいます(笑)
永野まゆみさんの、特に初期の作品に、私も虜になったくちです。
『野ばら』『少年アリス』『夜啼く鳥は夢を見た』『天体議会』などなど、ひたひたと寄せてくる黄昏が待ち遠しくなるような作品群。
懐かしく、ふともう一度読んでみたいと思いました。
今日のように、降りみ降らずみの日にはふさわしいかもしれませんね。
それでは、どうぞよい週末をお過ごしくださいね♪
Commented by bowww at 2014-07-05 20:05
ジャレットさま。
鬱陶しい梅雨空も、「降りみ降らずみ」という言葉を使うと途端にしっとりとしたものに感じられますね。
本の情報、ありがとうございます、メモしておかなくちゃ。
欲しい本はアマゾンで確認して、街の本屋さんで注文するようにしているのです。
本屋さん応援団♪
民俗学といえば柳田國男ですね。
「遠野物語」は、祖父の本棚で見つけて読みました。あの文体も相俟って、ぞくぞくしますよね。
大好きです。
ただ、たとえばネットで流れている「本当にあった怖い話」の類で、一番怖くなるのは土着的な話(見かけると読まずにいられないのです、怖がりなくせに)。
土地に根付いた話は、良くも悪くもパワーがあるんですよね。

「少年アリス」を初めて読んだときは、嬉しさに打ち震えてしまいました。
こんな素敵な物語の世界があるのか、と。
群青天鵞絨なんて単語にノックアウトされたり。
どこか「理科っぽい」雰囲気が好きなのです。

ジャレットさんも、素敵な週末をお過ごしくださいませ♪


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