第二十八候 乃東枯

 兄のアパートに、すんなり辿り着けたためしがない。
 私鉄の駅を降りて商店街を抜けると、昔からの住宅街が広がる。新しいモダンな家もポツポツ混じるが、ほとんどは昭和時代の建物だろう。同じように古ぼけた家々が並ぶ。道路も狭く、入り組んでいる。
 小さな郵便局の先の三叉路を「ここを左、左…」と呪文のように唱えて進むと…。
 ほら、やっぱり間違えた。
 郵便局から五分も歩けば、本当ならアパートが見えてくるはずなのだ。
 たぶん、三叉路の次に曲がらなくてはいけない交差点を見過ごしたのだろう。
 僕はうんざりして溜め息をつく。
 だいたい、兄は人使いが荒い。お互いに社会人になった今も、弟のことを子分にしか思っていないのだ。何かにつけて呼びつける。
 今日は新しいテレビが届くから、仕事で不在の兄の代わりに受け取っておくように言いつかった。「ついでに設定もよろしくな」と。
 先週末、休日出勤をしたせっかくの代休を、こんなことで使いたくはないのだが、「もちろん夕飯は奢るさ。最近、肉食ってるか?」という一言に負けた。電話の向こうの兄の顔が目に浮かぶ。
 給料日前ということもあって、財布の中はかなり寂しい。
 人使いは荒いが気前のいい兄は、確かに会う度に美味い物を食べさせてくれる。
 いいように使われていると自覚しているが、生まれる前から決定していた力関係は、そうそう逆転できるものでもない。
 もう一度、溜め息をついて適当な路地に入った。
 荷物が届く予定の時間まで間があるし、元来た道を戻るのは癪だ。
 暇つぶし気分で、当てずっぽうに歩き始めた。

 迷ったらいつでも駅に戻ればいいと、軽く考えていたのが間違いだったらしい。選ぶ曲がり角が悉く「ハズレ」で、僕は結局、住宅地の中を彷徨い歩くことになってしまった。
 曇り空とはいえ、梅雨時だけあって蒸し暑い。兄と飲もうと提げて来た缶ビールが、ずしりと邪魔になる。汗が流れる背中にTシャツが貼りついて、苛立ちが募った。
 板塀の角を左に曲がった時、足元を猫がすり抜けた。焦げ茶色で毛足が長いから、小型のタヌキに見えなくもない。
 不意のことでちょっと驚いて立ち止まった僕を尻目に、慣れた足取りで生け垣を潜る。モコモコとした外見からすると、意外なほど動きが機敏だった。
 生け垣の向こう側でチリチリと鈴の音がする。首輪をしていたらしい。
 再び歩き出そうとして、そこが行き止まりであることに気が付いた。
 思わず悪態を吐く。
「アン?どこに行ったの、出ておいで、アン!アンジェロ!」
 子供の声がした。何かを探しているらしい。
 方向転換した僕は、すぐにその声の主と対面した。
「こんにちは。おじさん、猫見なかったですか?茶色くてフワフワの…」
 …おじさん。
 傷ついたが、相手はいたって礼儀正しく挨拶をしたのだから、こちらも大人の対応をしなくてはいけない。
 十歳くらいだろうか、目の大きな男の子が、唇をキュッと結んで僕を見上げている。
 ふと薄荷の匂いがした。
「さっき、そこの生け垣を潜っていったのがそうじゃないかな。鈴のついた首輪している?」
「そう!その猫です!アンジェロです、僕のうちの猫」
 タヌキにしては洒落た名前をもらったものだ。
 男の子はぺこりと頭を下げると、生け垣の家に入って行った。
「アンジェロ、帰ろう!」
 チリチリチリ。
「おじさん、そっちに行った!捕まえて!」
 生け垣の穴からアンジェロが飛び出して来た。とっさに抱きとめる。
 やっぱりタヌキみたいだ。顔が黒い。
 逃げ回っていた割には、腕の中に大人しく納まった。
「ありがとうございます!」
 駆けて来た男の子は息を弾ませて礼を言った。
 やっぱり彼から薄荷の匂いする。飴でもなめていたのだろうか。
 アンジェロは三ヶ月に一度のシャンプーが嫌で逃げ出したそうだ。
 このまま引き渡せばいいようなものだが、体の大きい猫を抱えて家まで帰るには、小学生にとっては大仕事だろう。
 腕時計で時間を確認する。
「お家は遠いの?」
「ううん、すぐ近くです」
 猫と男の子を家まで送って、代わりにアパートまでの道を教えてもらう方が話が早そうだ。
 そう提案すると、男の子はパッと笑顔になった。
「アン、僕の言うこと聞かないんだ。お姉ちゃんの言うことなら聞くのに」
 当のタヌキ猫は、素知らぬ顔で短く鳴いた。


【次回に続きます】


〜乃草枯(なつかれくさ かるる)〜




二十四節気は夏至。一年で一番昼が長く夜が短い季節です。
夏の季語に「短夜」「明急ぐ」などがあります。
日が長いのは嬉しいことの筈なのに、短い夜を惜しむような気持ち。朝の爽やかさも得難いですが、昔々の恋人たちは明け易い夜を恨んだのかもしれません。
夜遊びして帰るとすでに白々と明け始めていたりして、とっても罪悪感を感じるのもこの季節です。。
「乃草(だいとう)」は靭草(うつぼぐさ)の異名。冬至の頃に芽を出して、6月頃に紫色の花を咲かせ、夏の盛りには枯れているので「夏枯草(かっこそう)」とも言われるそうです。
海の旬は太刀魚などなど。
川では鮎の季節。平松洋子さんのエッセイを読むと、鮎をたらふく食べてみたくなります。
山の旬はソラマメ、杏などなど。
 

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「虹色風鈴」なるものを買ってしまいました。
糸井重里さん主宰のサイト「ほぼ日」で開発する商品は、「ずるい!」と叫びたくなるぐらい魅力的です。
ストーリーを感じさせる商品づくりが抜群にうまいと思うのです。
風鈴は「しゃぼん玉のよう」と紹介されていました。
子供の頃、割れないしゃぼん玉が欲しいと憧れました。
それが実現されるなんて!…と即決衝動買い。
硝子モノに弱くて、器やオブジェなど、ついつい集めてしまうのです。
届いた風鈴は、本当にしゃぼん玉のようです。
ただ、繊細すぎて、壊してしまいそうで怖いです。
眺めているだけで夏が終わるかも。

次回は6月27日「菖蒲華」に更新します。
 
 


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by bowww | 2014-06-21 09:26 | 七十二候 | Comments(4)
Commented by mofu903 at 2014-06-21 15:59
Commented by mofu903 at 2014-06-21 15:58 x

こんにちは、フォローを有難うございました。
お話の展開、気になります。実は、私もすこぶるつきの方向音痴なので、主人公の行き惑う様子は、身につまされました^^
どことなく長野まゆみさんを思わせるような文体、お見事です。
去年、「日本の七十二候を楽しむ」という本が売れているらしいので、買ってみました(こういうのが好きなので)。
でも、oriさんの「日記」中の説明のほうがずっと面白く、読みごたえがあります(^^♪
Commented by bowww at 2014-06-21 20:32
ジャレットさま。
わわわ…バレてしまった(笑)。
高校時代、長野まゆみさんのデビュー作(かな?)「少年アリス」を読んで、もうイチコロだったのです。
今で言う「どストライク」だったんです(笑)。
最近はあまり読んでいないのですが、やっぱり影響はかなり残っているのですね…。
嬉しいやら、照れくさいやら…。
私も歳時記や季語、暦が大好きで、似たような本ばかり買ってしまうのです。
日記では、それらの本を参考にさせてもらいながら書いているのですが…。
そう言っていただけると、すごく嬉しいです♪
Commented by bowww at 2014-06-21 20:57
ジャレットさまへ追伸。
ジャレットさまのブログの中を彷徨っているうちに、お書きになった小説を見つけてしまいました。
青狐も夢見鳥も、なんて素敵な世界!
私、物語の世界に「拉し去られる」感覚が大好きなのです。
ときめきながら一気に読ませて頂きました。
エッセイも素敵ですが、ぜひぜひぜひ、物語をもっと読ませてくださいませ♪
Commented by bowww at 2014-06-24 09:44
24日早朝にコメントくださった方へ。

読んで頂いてありがとうございます。
>なんだか自分のことを言い当てられてる気がするくらい…
いやはや、全然、そんなはずないのです。
そうかぁ、作り話はありとあらゆるキャラクターを妄想して書いているのですが…。
私の筆力が至らないせいですね、精進せねば!

連絡先を書き込んで下さいましたが、ご迷惑を掛けては申し訳ないのでコメントそのものを削除させていただきました。
気が向いたら、また遊びにきてくださいませ。


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