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第十八候 牡丹華

 同窓会の会場に、佐野香津美の姿はなかった。
「久しぶり〜!」
「変わらないねぇ、梓!」
 当時の仲良しグループの子たちが集まって、華やいだ声を上げる。
 高校を卒業して十五年、初めての同級会だ。
 担任だった先生が定年退職を迎え、お礼の会を兼ねて皆で集まることになった。
 三十歳を越えれば、それぞれが仕事を持ち、家庭を持ち、それなりの顔つきになっている。早くもおじさん化しつつある男子、ママさんらしい柔らかい表情を見せる女子。
 佐野さんは、どんな人になっているんだろう。
 記憶の中の彼女に、過ぎた時間を重ねてみる。

 

 教室の窓の外の桜が、すっかり葉桜になっていた。
 午後の授業は眠たい。
 英語の先生の声が間遠に聞こえる。
 誰かが当てられて、教科書の例文を読むように指示された。
 当てられた生徒が立ち上がった。
 初めは歌を歌っているのかと思った。
 日本人離れした発音で、淀みなく読み上げる。
 低いけれどよく透る声。
 読み終えて席に座ると、教室全体が少しざわめいた。
 斜め前の席に座る彼女の髪に、木漏れ日が映る。
 少し俯いた頬と、髪の隙間から見える耳たぶが赤い。

 佐野さんは、英語の授業以外ではほとんど目立たない。
 私の周りはいつもガヤガヤソワソワしているのに、彼女にはシンと静まった空気が取り巻いていた。
 一人で行動することも苦ではないように見える。
 常に誰かと一緒にいないと不安になる私にとっては新鮮な驚きだった。
 もっと話をしてみたいと思っても、とっかかりがない。共通の話題が思い浮かばない。
 友人たちとふざけながら、視界の隅には必ず佐野さんが居た。
 歯がゆいような気持ちで、一年はあっという間に過ぎた。

 ただ単純に、ピアノを弾く佐野さんを見てみたかったのだ。
 合唱祭での伴奏を頼むと、ぴしゃりと断られた。
 近づきたいと差し伸べた手が行き場をなくす。
 友達たちとお喋りをする気にもなれず、一人で大好きな桜の木がある中庭に向かった。
 満開。
 梢まで花が咲き満ち、表面張力のように張りつめ、僅かな風に花びらを零す。
 その花の下に、佐野さんがいた。
 背中に流れる髪に、桜の花びらが一枚、舞い落ちる。
 声を掛けるのをためらい、しばらく佐野さんの後ろ姿を見守る。
 きれいな人なのだと、初めて気が付く。

 結局、佐野さんは伴奏を引き受けてくれた。
 淡々と合唱の練習に付き合ってピアノを弾き、終わると「このパートは男子の声を抑えた方がバランスいいかも」「出だし、少しリズムが遅れるみたい」などとそっと私に伝えてくれた。
 私は楽譜を指し示す細い指を見つめながら、相槌を打った。
 桜貝みたいな爪だと言ったら、佐野さんはどんな顔をするのだろう。



 アルコールが入って、会場は賑やかさを増した。
「佐野って覚えてる?佐野香津美」という声が聞こえたから、思わず聞き耳を立てた。男子たちが噂話をしている。
「さの?…さの…。ああ!居たな、いつも本を読んでた地味な子だろ?」
「それがさ、この前、偶然見かけたんだけど、すっげえきれいになってた」
「へぇ、女は化けるよな」
「いや、化粧や服装とかじゃなくてさ…」
 ふん、今ごろ気づいたか。
 私はなんとなく誇らしい気持ちで、その場を離れた。

    燭(ともしび)を背けては共に憐れむ深夜の月
    花を踏んでは同じく惜しむ少年の春      白居易



〜牡丹華(ぼたん はな さく)〜



行く春を惜しんで桜の残像。
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立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、と。
美人の形容詞ですけれど、ゴージャス過ぎて噎せ返るようです。
牡丹は、近づいて見ると花びらの一枚一枚が透き通っていて美しいです。
百花繚乱、春は酣。
牡丹の花が崩れるように散って、季節は夏へと移っていきます。
山の旬は蕗、クレソン、こごみなどなど。
海の旬はサザエ、アイナメなどなど。
5月2日は八十八夜。新茶の頃ですね。
私は毎年、年に一度の贅沢とばかりに、福岡県の八女の新茶を取り寄せます。
…「年に一度の贅沢」は、サクランボとか鰹の叩きとか、それぞれあるんですけれども。
新茶は早緑の香りを頂くようなものですね。
ニッポン万歳。
と言いたくなる味です。

ほぼ一ヶ月ぶりの雨です。
慈雨になりますように。
次回は5月5日「蛙始鳴」に更新します。
立夏ですね。


by bowww | 2014-04-30 09:37 | 七十二候


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