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第一候 東風解凍

 がらんとした廊下を、足を引きずるようにして歩く。床に落ちた夕方の光が弱々しい。
 冬の間はグラウンドにも人気(ひとけ)が少ない。5、6人が長い影を踏みながらダラダラと走っているだけ。早々に練習を切り上げるつもりなのだろう。
 上履きを脱いで下駄箱に突っ込む。
 昇降口には誰も居ない。
 こっそりあいつの姿を期待していた自分に腹が立つ。
 再び下を向いて校舎を出た。

 苛立っていたのだ。
 センター試験の成績はそこそこだった。志望校の二次試験までは一ヶ月余り。「これならいけそうだな」と、担任からも背中を叩かれた。
 なのに、勉強に集中できない。緊張の糸が切れてしまったようだった。
 気持ちは焦るのにはかどらず、苛立ちが募っていた。
 あいつは留学先を決めていた。
 早くから打ち明けられていたことだし、心から応援していた。春が来ればしばらく会えなくなる寂しさも覚悟していたつもりだった。
 隣の県にある大学への進学を目指し、塾や集中講座に通い始めると、留学の準備を進めるあいつと生活のリズムがずれ出した。クラスメイトが模試やテストの結果に一喜一憂しているときも、あいつは一歩離れた場所に居た。
 今朝、通学の電車の中で「勉強が進まない」とぼやくと、あいつはいつもの笑顔でいつも通りに「大丈夫」と言った。いつもだったらそれで気が晴れるはずだった。
「お前はいいよな。もう心はイギリスだろ?準備、楽しそうだよな」
 並んで窓の外の景色を眺めていたあいつは、一瞬、こちらを見た。そして視線を元に戻して「そうだね」と呟いた。
 駅から学校までは普段通りだったと思う。
 それぞれの教室に分かれるとき、あいつは「しばらく、先に帰るから」となんでもないことのように言い置いていった。

 どうしてあんな嫌みを言ってしまったのだろう。
 いつだってこちらの都合を優先してくれた。
 「大丈夫」に何度も救われた。
 なのに何故、あんな言葉を投げつけたのだろう。
 完全に八つ当たりだ。

 帰り道はすっかり暮れて風が冷たい。
 手袋を忘れて手がかじかむ。
「電車が来るまで肉まんで食べようか」と、あいつが言い出すから、駅前のコンビニに寄るのが日課になってしまった。
 今日も惰性でコンビニのドアの前に立った。
 と、同時に、店内から黄色と白と赤のかたまりが飛び出して来た。
 正面衝突する寸前で、「ごめんなさい」と小さな声が聞こえた。
 3年生ぐらいか、黄色い帽子をかぶって白いマフラーをぐるぐる巻きにした小学生の女の子だ。赤いランドセルがピョコンと跳ねた。
 とっさのことで返事ができずにいると、こちらを見上げてもう一度「ごめんなさい」と言った。今度ははっきりと。
 へどもどしながら脇によけて通してやると、元気よく駆けて行った。
 帽子についたポンポンが上下に揺れている。

 なんとなく後ろ姿を見送って、暖房がきいた店内に入る。
 凍えていた耳が火照り始める。
 手が温まって指が動くようになったら、とにかくあいつにメールしよう。
「ごめん」は言った者勝ちだ。

〜東風解凍 はるかぜ こおりをとく〜



予想より大分長くなってしまいました。。
毎回、こんなに長くは書けないと思います。一言ぐらいで終わってしまう場合もあるかも知れないです。

今日は二十四節気の立春。「暦の上では春」ですね。
七十二候は「東風解凍」。暖かい東風(こち)が氷を溶かす頃、という意味だそうです。
旬はフキノトウ、伊勢エビ、白魚。
春の萌し…とはいうけれど、私が住む地域では寒さはこれからが本番なのです。雪もドサッと降ります。氷点下10℃になることもままあります。
それでも、少しずつ少しずつ、太陽の光が力強さを増しています。冬が厳しいだけにほんの僅かな春の気配を捕まえようと、貪欲になっているのかも知れません。

立春なので、財布を新調しました。
昨年の秋頃、財布が欲しいと呟いたところ、親しい人から「秋に買うと『空き財布』、春だと『張る財布』と言うそうな…」と教えてもらいました。
せっかくですから「張る」財布で。
春よ来いこい、福(主にお金)よ来い。

次回は9日「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」を更新予定です。


 

by bowww | 2014-02-04 01:02 | 七十二候


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